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真夏と言えども夜はそれなりに冷える。冷えたコンクリートの床に座り続けるのに耐えかねた静夜は再びゆっくりと歩き出した。どうやらこれは夢ではない。そしてこの世界から出る方法もない。それならばこの世界で生きていくことを考えなければならないが、今の彼にはその力もない。

一定の間隔で立つ鳥居の真横に足を揃えて、同じ歩幅で歩く。 小学生の時に白線の上を伝って下校した時の感覚を思い出した。

あの魚屋の主人以外、静夜に声をかける者はいない。それどころか化け物たちは静夜と目も合わせず、静夜が近づくと触れてはいけない物のように避けるのだ。静夜はこの世界から拒絶されているようだった。

自分には分からない言葉が飛び交う通りを一直線に抜けていく。歩調を心臓の拍動に合わせて、外界との繋がりを断つ。魚屋の言う通り、どうやら元の世界もこの世界も大差はないらしい。自分にとって分かるものは自分の周囲の、手に届く範囲のものだけ。それ以外の外側のことは何も分からない。分からないものは恐いから近寄らない。恐くないものだけをそばにおいて、それを眺めていれば、一人で生きていける。それが彼なりの処世術だった。

前方から大柄の男が歩いてくる。静夜はすれ違いざま、その男の太い腕を素早く掴んだ。触れて、その後のことなど頭になかった。ただ自分の存在を認めて欲しかった。

手を触れた瞬間、男は物凄い勢いで静夜を睨みつけた。と思うと、目に大粒の涙を溜め、崩れるように静夜の肩を抱いた。予想外の反応に静夜は硬直する。大男は泣きながら、「うおお・・・」と嗚咽した。

商店街の交通は静夜に加え大男も認識の対象から外したようで、二人の抱擁に誰も目もくれない。赤面する静夜をよそに男は大声で泣き続けた。大男から伝わってくる体温と、静夜自身の紅潮で体は燃えるように熱い。静夜はそれまでだらんと下げていた手を男の背後にまわした。静夜の目からもなぜだか大粒の涙が溢れた。男の涙が静夜の肩を濡らす。熱い涙は皮膚に染み込み、体の奥の奥の方へ潜っていく。お腹の底の方に溜まっていき、少し息苦しい感覚が懐かしく、心地よかった。秋晴れの朝の空のような、生まれた時の匂いがした。穴を開けた水風船のように、パシャリと音を立てて男の身体が弾ける。生暖かい水が静夜の足と膝を濡らした。やがてその水も、もうその存在が許されぬように消えた。

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