SCENE7『棺を背負う者たち』

「フリードリヒ・ハイスマン。ネオナチ結社『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』首領・・・・・・貴方が個人の経歴に興味を持つとは、珍しいこともあるものですね、エクスキューター」


 中東某国、平日昼間のカフェ。東洋人の男と女が、テラスにて背中合わせになるよう別々に座っている。男の席──────あまり手入れされていないプラスチックのテーブルの上には、いくつかの軽食と一杯のコーヒー。真冬のかわいた空気から逃げ出すように、香ばしい湯気が寒空へ溶けていく。


「珍しさでいえば、僕が任務に失敗することの方が珍しいだろ。リカバリーのために必要な情報だ。他意はない」


 話してはいるが、声は漏れていない。

 日本語による会話は盗聴される心配がほとんどないが、念には念を入れての念話だ。


「珍しいという言葉は正確ではありませんね。この六年間で、あなたが敗れたことは一度もありませんでした。まさしく前代未聞です」


 気品すら感じさせる出で立ちの妙齢の女は、男・・・・・・神楽音蔵人かぐらねくろうどとは対照的に紅茶なんぞを優雅に啜っている。

 蔵人にとっての相棒であり司令官───“プランナー”だ。


「当たり前だ。戦場で敗れるということは、そこで死ぬという意味だろう。今回は幸運にも命を拾ったがね」


 弾け飛んだ腕は、綺麗さっぱり蔵人の肩に戻ってきている。あのあと拠点まで帰投した蔵人は、プランナーと合流すると即座に応急手当を受けた。炭化した傷口を癒着するなど、レネゲイド使いの再生能力の範疇を超えた超技術だが、それを易々とやってのけるのがプランナーという女だ。


「謙遜ですね。落雷にも等しい電撃を喰らって生き延びたことが『幸運』ですか?」


「回避は出来なかったが、軌道は読めていたからな。咄嗟にナイフを避雷針代わりにしたんだ。あのとき白兵戦ではなく銃撃戦を選んでいたら一手遅れただろう。

 そうなれば、電撃は僕の心臓に直撃し・・・・・・今頃は荼毘に付されていたはずだ」


 蔵人は、分厚いホットサンドをコーヒーで流し込みながら答えた。帰還して数日は流動食すら喉を通らなかったが、今ではご覧の通りの食欲だ。便利な身体になったものだと思う。


「何にせよ、負けたことを恥じる必要はありませんよ。フリードリヒ・ハイスマン。彼もまた、貴方と同じ『伝説』の傭兵ですから」


「傭兵? あの男が?」


「ええ。彼のキャリアを遡れば、今から二十年前に崩壊した東欧某国の軍事政権にまで行き着きます。ご存知ですか?」


「ああ、ちょうど冷戦期の真っ只中だったな。あわや第三次世界大戦の火種になりかけた東の火薬箱・・・・・・僕はまだ四歳だったから詳しいことは知らないが、結局は内乱で滅んだと聞いている」


 女は小さな唇でティーカップに口付けすると、背中越しに蔵人へ一通の茶封筒を手渡した。蔵人が封を切ると、数十枚の書類からなる調査資料と一枚の写真がクリップされていた。


(いつもながら仕事が早い・・・・・・)


 添付されていた写真には、目鼻立ちの整った金髪に軍帽の青年が映っていた。氷のように冷たい表情は似ても似つかないが、顔立ちには面影がある。恐らく、若い頃のハイスマンだ。

 “仕事”終わりなのか、その両手にはタールのように黒く変色した返り血がべったりと付着している。あの戦闘スタイルは二十年ものということらしい。


「フリードリヒ・ハイスマン。東欧軍事政権の戦略兵器となった彼は、数多の戦場にひとり投下され、いくつもの死体の山を築きました。無論、その異常とも言える戦果はすべてレネゲイドによるものでしょう」


「不死身の超能力兵士による戦場の革命、か。結局は鉄砲玉だろう」


「ええ。そもそもハイスマンが兵士になった経緯も、不思議な能力を持つ少年を政権が拉致したことが始まりですから。基本的人権が尊重されていたとは思えませんね」


 戦時中、レネゲイドに目をつけていた国家はナチス・ドイツだけではない。大真面目に研究していた組織はそれこそ『祖国遺産協会アーネンエルベ』だけだろうが、存在を確信まではしないまでも、“奇跡”や“魔法”と呼ばれるモノを引き起こす何かがあるかもしれない──────“溺れるものは藁にも縋る”という言葉があるように───────と、オカルトの分野に手を染めた勢力もあっただろう。もちろん、その成果が思わしくなかったことは、波乱の戦後史が証明しているわけだが。


「諸外国による武力介入、反政府勢力のクーデター・・・・・・ハイスマンはそれら全てを秘密裏に鎮圧しました。それも、目を覆いたくなるほどに血腥ちなまぐさい方法で」


 資料を捲る。

 殺戮、暗殺、拷問、虐殺。

 想像し得る限りのありとあらゆる残虐と非道を積み重ねた果てに、ハイスマンを擁する軍事政権はその体制を磐石としていった。されど、流血の日々は長くは続かない。傷口が自然と瘡蓋かさぶたを作るように、いつの日にかその国から戦いは消え失せようとしていた。


 圧政であろうと平和は平和。

 当時の東欧では、某国軍事政権を中心とした新たなる武力均衡が成立しつつあった。良かれ悪しかれ、安定した力関係パワーバランスが平和を産む。戦う相手がいなくなれば、戦いは終わる。



「そうなる前に、ハイスマンは政権幹部飼い主たちを皆殺しにした」



 独裁国家誕生前夜、突如の崩壊。

 メディアによって連日報道された『眠れる獅子の突然死』。東西諜報機関の見解は、いずれも国内ゲリラ組織によるクーデター。しかし、国家の主権が争奪されることはなく、某国は近年になって国連の介入により民主化された。


「彼はほぼ独力で国家ひとつを平定に導いた。にも関わらず、その栄華をぶち壊しにして再び戦場に堕ちた。宵越しとともに主君を変える傭兵ダブルクロスとしてね」


 ハイスマンは間違いなく勝ち馬に乗っていた。いや、彼こそが勝ち馬そのものだった。なぜ勝利を捨てた? 自らの人生を捻じ曲げた政権が許せなかったから?


(──────────いや・・・・・・)


 違う。

 あの男は・・・・・・



『我々はッ! 戦争クリークを求めている!!』



「・・・・・・戦争を終わらせたくなかった」



 戦場という地獄が修羅を産んだ。

 世界をまっぷたつに分断し、世界各地に核爆弾をばら撒きかけた冷戦が終わりを告げてからもこの男は、戦場を求めて世界を渡り歩いた。

 オアシスを求めて歩き続ける旅人のように。

 死に場所を求めて彷徨う生ける屍のように。



はそういうことか)



 指についたパンくずを舐め取り、残ったコーヒーを一息に飲み下すと席を立つ。せっかく受け取った資料だが、嵩張るので机の上に置いていこう。文面はすべて頭に入った。


「おや、もう行くのですか?」


「おかげで疑問は解消できた。礼を言うよ、プランナー」


 配布された資料には『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』設立以降のことは書かれていなかった。

 つまり蔵人の未来予知を破った“ダヴィデ”たち『超人兵団ユーベルメンシュ・アルメー』のことは完全なる未知。よっぽど警戒して地下に身を潜めていたのだろう。


「残念ながら『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』の現在の動向はようとして知れません。

 加えて、この国で少し旧い知り合いを見かけました。直接的な戦闘力はありませんが、ハイスマンたちと協調している可能性がある。黒い斎服の女を見つけたら報告してください」


 ───────黒い斎服の女? つまり、神主のような和装に身を包んだ人物がいるということか? この国でそんな者がいれば、すぐに噂になると思うが・・・・・・・・・・・・


「・・・・・・ご忠告、痛み入るよ。他に言っておくべきことはないか?」


 プランナーはにっこりと笑って、


「いえ、特には。フィランダー探検隊の発掘日程がわかり次第すぐに連絡します。それまではよく身体を休めるように」


 蔵人は、返答代わりにプランナーのテーブルに伝票を置いてその場を後にした。


 ────────コーヒー付きデラックスランチセット。名物の巨大サンドイッチが四つも着いたご当地チャレンジメニューだ。日本円に直すと2000円弱といったところか。


「・・・・・・心配は無用だったようですね」


 先進国でも未だ浸透し切っていないキャッシュレス決済にこの国のカフェが対応しているはずもなし。

 プランナー──────都築京香つづききょうかは優雅に微笑みながら財布の中身を改めた。









 日が沈み始めたならば、凍てつく冬の夜の寒さが顔を出し始める。防寒着をしっかり着込めば凍え死ぬというほどでもないが、この乾燥した空気は頂けない。特に、この周辺地域は砂漠の広がる乾燥地帯だ。当然ながら日本人の肌にはとても合わない。


「っ、痛───────」


 唇の端が切れた。

 深くはないが、傷口からじんわりと血が滲み出てくる。口内に入ったのか、不快な鉄の味がゆっくりと広がっていき、せっかくのコーヒーの余韻を台無しにした。


(──────────)


 血の味。

 蔵人にとって血の味とは、自身の未熟さの象徴でもある。真っ先に思い出すのは、父との組手だ。・・・・・・いや、革で包んだとはいえ木刀で思いっ切り叩くものだから、そりゃあ口の中が切れる。


 ───────神楽音蔵人に親はいない。が、南米のスラムで獣のように屍体を漁り生き永らえていた幼き日の彼を拾い上げた人物がいる。老練の暗殺者である彼は、どこにでもいるスラムの少年を我が子として迎え入れると、なぜか持ちうる全ての暗殺技巧を叩き込んだ。

 ハイスマンの言う伝説の『戦場の死神』というのも、実を言うと父の称号だ。自分は騙ったつもりも継いだつもりもない。まあ、免許皆伝してからは何度も仕事に付き添った。そういう意味ではあながち人違いとも言えないが。


 日本武術を基調にした格闘戦と白兵戦、それを応用した中距離銃撃戦。息の殺し方、戦場での眠り方、果ては歩き方まで父親譲りだ。そしてその全ては余すところなく現在の蔵人の生き方に繋がっている。


(・・・・・・・・・・・・同じ、か)


 20年もの間。

 人を殺すことだけを考えて生きてきた、戦場の修羅。そういう意味では、ハイスマンと蔵人は同じだ。

 父を恨んでいるわけではない。あの国では、あの環境では、あの出自では、“これ”以外に生きる道など無かっただろう。そして、今。神楽音蔵人は世界を救う戦いに立ち合っている。


 フィランダーとハイスマンを殺せば、レネゲイドは再び闇に葬られ、世界の平和は保たれるのだ。そして、それができるのは今ここにいる神楽音蔵人しかいない。それは間違いなく、命を懸けるに足る大義だ。そこには何の疑問もないはずなのだ。



 ────────『天職』なんてものが本当にあるならきっと・・・・・・



(・・・・・・・・・・・・そんなものは、ない)


 

 あの青年───────耕助の言葉が、ときおり蔵人の思考を鈍らせるのだ。本当にこれでいいのか、と、余計なお節介を・・・・・・




「口の端、切れてますよ」


「え?」



 ふいと声のした方を向く。

 そこには、見覚えのある白衣の青年が・・・・・・



「「あ」」



 ───────しばしの沈黙。

 二人の動きが録画映像のように静止する。いや、この喩えは正確じゃない。なぜなら目の前の男は、みるみるうちに満面の笑みに・・・・・・



「人違いだ失礼するッッ!!!」


「まだ何も言ってないだろう!?!?!?」



 ───────失敗した!!


 ダッシュで逃げ切るつもりがものすごいスピードで腕を捕まれた。不覚を取ったのはハイスマンとの一戦以来だが、ここのところレネゲイド戦にかまけて随分と衰えたらしい。父との組手でこの状態に持ち込まれたら胃の内容物を全て吐くまで投げ飛ばされたものだ。

 しかし、腐っても鯛、衰えても神楽音蔵人。

 そのしっぽを捕まえるなど、それこそハイスマンでさえ出来なかったことだ。


 能見耕助のうみこうすけ

 この男一体・・・・・・・・・・・・ッ!?


「次会ったら飲みに行くって約束したじゃないか! のーみーにーいーこーおーよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


「ええいっ、子供か君は!? やめろ離せコートが破れる!!」


 ハイスマンにやられて新調したばかりのコートの内側にはナイフの鞘があったりマガジンがあったりする。引っ張られて揺り落とされては堪らない。



「奢る! 涙を呑んで奢るからぁ!!」


「なんでこの期に及んで嫌々なんだよ!!」



 まんまと押し切られた神楽音蔵人。

 こうして、病み上がりの身体での飲酒体験を敢行することとなった。

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