SCENE6『BLITZ』

 人外めいた巨躯の男───────“ゴリアテ”が蔵人くろうどに飛び掛かる。図体がでかい分、鈍重というセオリーも通じない。むしろ、血に飢えた獣のごとき俊敏かつ獰猛な襲撃だった。


「ァァァあ‪”‬ぁッ!!」


 人ならざる咆哮をあげながら振り下ろされる握り拳は蔵人の頭ほどもあった。蔵人が古武道におけるうしろ受け身の要領で回避すると、獣拳は地面に着弾し再びコンテナ街を震撼させる。衝撃は海にまで伝播し、巨大な貨物船がダルマのごとく左右に揺れる。飛び散った石つぶてさえショットガンのように蔵人の頬を擦過した。


(直撃したら挽肉ミンチだな・・・・・・それに、)


 “ゴリアテ”の恐るべきは、その怪力のみならない。


「ハァアアアアアア〜〜〜ッ・・・・・・次は捕まえてやるぞぉオオ・・・・・・!」


 蔵人の─────というより拳銃ハンドガンの間合いである15~25メートル程度の距離は、向こうが一歩踏み込むだけで潰される。


(・・・・・・・・・・・・馬鹿げた推進力だ)


 瞬発力はもちろん、が“ゴリアテ”の移動速度を保証している。要するに、地面を蹴る力が異常に強いのだ。彼が移動したあとには、地面にえぐれたような窪みが残っている。巨大にして異形の足と鉤爪が、地をしっかりと。いわば、大地をスターティングブロックにしたクラウチングスタート。それが、一歩目から加速する疾走の正体だ。


「どぉした鳥公ぉおオオ〜!! パタパタ惨めに飛び回るだけかァアア??」


 蔵人が黒コートを翻して爪の一撃を回避するたび、“ゴリアテ”は同じように脚をめり込ませて減速、方向転換すると再び飛び掛かる。随分と小回りが効くらしい。


(ヘリから降下する時に見せたあの跳躍力・・・・・・高度があったとはいえ直線距離で400メートルは跳んでいた。本気ならこんなものじゃないはずだ。これ以上は減速ブレーキが効かなくなるのか?)


 蔵人は貨物倉庫の外壁を蹴ってふわりと宙空に舞い、そのまま飛び退いて拳銃の有効射程から更に10メートルほど距離を取った。光源の乏しい埠頭で建物ひとつ分も離れてしまえば姿を見失ってしまいそうなものだが、少なくとも蔵人に関してはその心配はない。完全なる闇の帳にでも包まれない限り、彼の眼は敵影を捉え続ける。


「─────────!!」


 だからこそ、蔵人には視えた。獣が、口の端を引き裂いたように攻撃的な笑みを浮かべて身体を深く沈ませた瞬間が。


 ・・・・・・ッッッダン!!!! と。

 今度の跳躍は音を置き去りにした。


(更に速い・・・・・・・・・・・・ッ!!)


 なまじ距離を離されたことによって、“ゴリアテ”は文字通り一段階ギアを上げた。結果として巨人は、先程までより何倍も速く蔵人に肉薄する。


「脳ぉぉミソぶちまけろぉぉオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」


 “ゴリアテ”は唸りを上げた右腕を、勢いそのまま横薙ぎに振るった。要するにただのラリアットでしかないが、直径30センチはあろうかという“ゴリアテ”の巨腕を以て行えば、それは丸太を野球バットのごとくフルスイングしたも同然だ。それも、音速に迫る慣性の力を上乗せして。


 ─────────だが。




「ケダモノだな」




 その凶器じみた拳を振り抜いた時、そこには既に蔵人はいなかった。硬い肉を打ち砕くはずのラリアットが空を切り、ぶぉぉおんッ! と激しい風音を奏でる。


 その代わり、



 豆粒サイズの黒洞々たる闇が、“ゴリアテ”を真下から睨めつけていた。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」



 銃口が、“ゴリアテ”の鼻先にキスをする。

 リンボーダンスの要領で膝から上を地面とほぼ水平になるように逸らしてラリアットを回避していた蔵人が、完全なるゼロ距離で引き金を引いた。



 ────────ダガンッッ!!



 鉄同士が激しくぶつかり合う轟音。直後、“ゴリアテ”は足をもつれさせたようにして顔面から地面に着地し、減速もままならず搬入用クレーンに衝突。キリンのような巨大機材が、その図体を傾げた。



「亜音速だろうが超音速だろうが、のならマト同然だ。進路上に『弾道』を重ねてタイミングよく引き金を引くだけで勝手にあたってくれる」


 万夫不当の怪力、疾風迅雷の俊足。どれも、レネゲイド使いの戦場にはありふれたものだ。



「この程度で『超人』とは笑わせる」



 蔵人は、武器を構えもせずに十数メートル後方に佇むハイスマンに吐き捨てる。


「近代戦の主戦力は空爆と戦車だ。拳銃の弾丸一発で倒れるような兵士では、戦場に革命など起こせない」


「ふむ・・・・・・『革命』か。まあ、確かにレネゲイド使いと正規軍隊の正面衝突はまだ理論段階だがね」


 ハイスマンは二本目の葉巻に火をつけながら呑気に語る。


「とはいえ、一点だけ訂正がある」



 ばきばきばきばきばき!! と巨木が割れるような破砕音が響く。見れば、高さ30メートル近くのクレーンがゆっくりと傾いていっている。


 その、根元。

 四本の柱で鎮座する巨大構造物が、ひとりの巨漢に。まるで紙細工のように───────



「“ゴリアテ”軍曹は空爆や戦車砲程度では破壊できない」



 ─────────ぐぅぅぅるるるぁぁあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!



 ビリビリと空気が震えるような雄叫びと共に、クレーンのうち一本が支脚がねじ切れ、本丸はそのまま倒壊する。


「まったく、苛立ったら物に当たる癖は治しなさいと強く言い含めているのだがね」


 撃ち抜いたはずの鼻っ柱はわずかに赤く腫れ上がっているだけで、銃弾はその肌を突き破っていない。


「痛ぇえええええええあああああああああの鳥公がアアアア〜〜〜・・・・・・ちぎってやるむしってやる引き裂いてやるゥゥううううううううううううううううううう!!!!」



 獣化している手足にのみ意識を割いていたが、どうやらレネゲイドによって変異しているのは全身らしい。中でも特に異常なのは・・・・・・



「・・・・・・・・・・・・か」


「その通り! 人体にとって一番の急所は内臓ではなく、寧ろそれらを覆う皮膚だ」


 強靭な筋肉や強固な骨格によって脳や心臓を保護できていたとしても、外界に直接接触する外皮の15パーセントほどに火傷を負っただけで人間は容易く死に至る。皮膚へのダメージは防ぎようがなく、鍛錬や肉体改造で何とかできるものでもない。


「“ゴリアテ”軍曹は持ち前の筋力強化によって内から自壊してしまわぬよう、皮膚と骨格をレネゲイド施術によって強化している。その強度・硬度・靱性は重火器による集中砲火をものともしない」



 “ゴリアテ”は、ちぎり取った支脚をゴルフクラブのように振りかぶる。推定重量は1トン以上。一振の範囲はおおよそ半径20メートル。



「つまり、



 ───────ぶぉおんッッ!!!!

 誇張ではなく、言葉通りの意味で吹き飛ばされそうなほどの風圧。遠心力を伴って加速する建材の廻旋は、もはや小規模な異常気象だ。


 蔵人は初めて感心したように鼻を鳴らした。




「────なるほどね。確かに『超人スーパーマン』だ」




 次の瞬間、“ゴリアテ”は砲丸投げの要領で推定1トンの支脚を投げ放つ。あれだけの巨大建材が、まるでブーメランのように風を切って飛来する。


 対して蔵人は、真正面から台風の目に飛び込むように駆け出した。


「!!」


 ハイスマンが息を呑む。無理もない。

 直撃すれば、おそらく即死。一瞬で粉々になるだろうから、レネゲイド使い特有の超再生ですら機能するか怪しい。加えて極大のブーメランに伴う莫大な風圧は、服の端ひとつ捉えられただけで身を取られかねないほどだ。



 それを、蔵人は──────────



 箒で床を強く擦るような摩擦音。

 ほぼ水平に飛来するクレーンとアスファルト、わずか50cmほどの隙間にスライディングの要領で潜り込み、勢いそのまま“ゴリアテ”に肉薄する・・・・・・!


「なにっ!?」


 “ゴリアテ”の狼狽、それとほぼ同時に背後のコンテナにクレーンが着弾する。

 物理法則が悲鳴を上げるかのような破砕音が轟き全ての音を消し飛ばす。その破壊力ときたら、まるっきり大砲だ。戦車と正面から喧嘩できるという話もあながち誇張とは言い切れないだろう。


(未来視の域にまで到達した演算能力であれば確かに回避は可能だろう・・・・・・だが、それが最適解とはいえ自ら砲弾を迎えに行くとは!)


 結果として、“ゴリアテ”は投擲直後の無防備な状態で蔵人の接近を許してしまった。あれでは得意の突進も繰り出せない。回避と接近を見事に両立させたのだ。




 ハイスマンは認識を改める。『戦場の死神』は


「正体見たり・・・・・・!」


 ──────死を生の傍らに置く、生粋の“戦士ウォーモンガー”!!




「・・・・・・しかし、たとえ懐に潜り込めたとしても、君の火力では“ゴリアテ”軍曹を殺すことはできない。さあ、どう出る───────」




 この男の攻撃で自分は死ぬことはない。

 目の前の生命体に、自分の命脈を絶てるほどの脅威はない。それは、先程のやり取りで既に証明されている。

 だというのに─────────


(殺られる・・・・・・・・・・・・ッッ!?)


 “ゴリアテ”は理性ではなく、ほとんど本能的な部分で神楽音蔵人という人間に恐怖を覚えていた。たとえるなら、檻の中に閉ざされているはずの獣のひと吠えに気圧されるような。


「お、ォォおおおおおおおおおおっ!?」


 男の頭上に人外の拳を振り落ろす。

 ほとんど反射であり、もはや打撃の体をなしていなかった。それでもなお、巨岩のごとき拳骨は頭蓋骨を飴細工のように砕く破壊力が





 ──────────ズちゅっ




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」




 気分が悪くなるような水音。

 どこから聞こえた? 拳に頭蓋を捉えた感触はない。第一、人間の頭はもっと小気味よく、ぱりんっと割れるはずだ。


「あれだけ見せつけられれば流石に慣れる」


 『死神』の声。

 どこから? 四方八方から聞こえる気がする。頭がグラグラする。視界が赤く染まってよく見えない。振り返る。いた。黒衣の男は頬のかすり傷を親指で拭っていた。


 かすり傷? なんで? 当たれば即死。そういう一撃のはずだ。そういうフィジカル差のはずだ。避けられるならともかく、当たって平気だなんて、そんなはずがない。



 遠くで上官ハイスマンの声が聞こえる。



「スリッピングアウェー! まさかゴリアテ軍曹相手に成立させるとは!! 見事なりズーパァ!!」



 スリッピングアウェー・・・・・・ボクシングの高等技術、受け流し? 打撃と全く同じ方向に回転することで衝撃を殺す技術だ。それを、触れただけで頭蓋を叩き割る獣の一撃に対してやってのけた???



 百歩譲ってそれはいい。

 だけど、それなら、


 あの裸足でミミズを踏み潰すような気持ちの悪い水音はなんだ?



「粘膜までは、」



 死神は多くを語らない。

 言い伝えに則り死を告げる、その時以外は。


 事実として、“ゴリアテ”という個人に向けられた言葉は、それが最初だった。



「・・・・・・強化し切れないみたいだな」



 異状に気づいたのは強力な軍用ライトに照らされ長く伸びる自分自身の影が目に入った時。


 はじめは、カブトムシみたいだと思った。自分の顔にあたる部分から、なにか棒状のモノが突き出している。


「あ」


 触ると、痛い。結論、それは薄く延べただけの鉄の板・・・・・・平たく言うと、ミリタリーショップならどこでも購入できるような、ちっぽけなナイフだった。

 それが、自分の右目に突き立てられている。



「あぁぁあぁあぁあああぁだぁぁああああぁぁああああ!?!? な、ンにやってんだてめぇえええええええええええっっっ!?!?!?」


 部下の絶叫。

 ハイスマン大尉は膝を打った。


 人体には、脆弱であるからこそ意味を持つ部位がある。例えば鼓膜、そして眼球。それらは守りが薄いからこそ、繊細であるからこそ情報に対する感受性を担保していられる。

 たとえ全身を最新鋭の防弾装甲で固めていたとしても、スタングレネードの閃光と音響には耐えられない。


(回避の刹那、無防備に緩み切った“ゴリアテ”軍曹の眼球に回転の勢いを利用してナイフを突き立てた! レネゲイドの獣化では『視力』の強化はできても『眼球そのもの』の強度までは向上させられん!!)


 無論、実戦においてその程度のリスクは織り込み済みだ。だが、人体の表面積に対し眼球の比率は1%にも満たない。加えて“ゴリアテ”軍曹の瞬発神経は音速にも対応するほどだ。

 目潰しなど、とても現実的とは言えない。

 ・・・・・・それが人間業であるなら、の話だが。


「・・・・・・下手に触らない方がいい。眼球がまろび出るぞ」


 蔵人は、性懲りもなくチャチな拳銃の銃口を“ゴリアテ”に向ける。勝負はあった。そう言いたげな面持ちで。



「・・・・・・・・・・・・ッッ!!」



 “ゴリアテ”の中のなにかが切れた。

 全身がいっぺんにこむら返りするような筋肉膨張の苦しみに耐え、身体中をヒアリに内から蝕まれるような皮膚移植の苦しみの果てに、ようやく手にしたこの肉体が。

 ・・・・・・・・・・・・100ユーロで買えるようなナイフに負けていいのか?



 瞬間、“ゴリアテ”の筋肉が更に1.2倍ほど膨れ上がり、張り詰めた隊服は即座に弾け飛び半人半獣の巨躯が顕になる。さらに、外眼筋を重点的に強化し動体視力を向上。突き刺さったナイフも外れぬよう固定する。もう先刻のようなヘマは犯さない!

 ────────最速最強のラリアットで死神を粉々に叩き砕く!!



「舐めてんじゃねえぞぉおおおおぉぉおおぉおおおおおおおおおぉぉおおおおおおおぉおおおおぉおぉおおぉおぉおッッッ!!!!!!」



 真っ直ぐにしか進めないなら的同然?

 上等だ。たとえ蜂の巣になろうが9mm弾なんぞマッサージにもなりはしない。必殺の脳幹狙撃も鋼の肉体には通用しなかった。


 デカい的ならそれでいい。

 的のまま押し潰してやる。


「・・・・・・・・・・・・」


 蔵人が引き金を引く。また一撃ごとに頭に鈍い衝撃が走り、眼前で火花が散る。

 かつて日本を訪れた際に刀鍛冶が鋼を打つ現場を見学したことがあるが、銃弾と自身の肉体とがぶつかり合う様は、その圧巻の光景を思い起こさせた。



 ──────痛くも痒くもない。



 一歩ごとに地面を踏み締め、蹴りつけ、加速する。疾駆と跳躍が入り交じった極限の短距離走は、常人の目には瞬間移動にすら映っていただろう。


「・・・・・・・・・・・・!」


 蔵人は一歩も退かない。超音速で接近する肉の戦闘機に対し、正確無比なヘッドショットを継続する・・・・・・!!






 火花が散る。

 ──────────問題なし。





 火花が散る。

 ──────────問題なし。





 ヒばながチる。

 ──────────モ ん 台ナ し 











             「あぇ????」










 子どもがけっつまづくようにして、巨体が顔面から地面に衝突し、勢いそのままに転がる大車輪となって20m近くの距離を前転。自身が投げ飛ばしたクレーンの残骸に背中からぶつかってようやく動きを止めた。



「・・・・・・・・・・・・馬鹿な」



 ハイスマンは見た。“ゴリアテ”は単なる銃撃によって息絶えたのではない。


 “ゴリアテ”の眼窩に突き刺さっていたナイフの柄尻がひしゃげている。突き出していたカブトムシの角は、すっぽりと頭部に埋まってしまっている。

 きっと、その切っ先は大男の脳まで達すると、人間の意識中枢を司る前頭前野をバターのように切り裂いたことだろう。

 

 言うまでもなく、即死だ。



「───────眼球に突き立てたナイフを狙い撃って脳まで押し込んだのか! 金槌で釘を打つように、何度も何度も!!」



 『死神』はいつだって常人の想像を絶する。


 というか、そんなことができるのか???

 “ゴリアテ”の眼から突き出ていたナイフの柄はジッポライターほどの面積しかない。しかも巨体は音速で動く。近接戦ならまだしも、20mの距離からそれを拳銃で狙撃するなど、現実離れを通り越してファンタジーの域だ。

 そして、一発でも入射角を誤ればナイフは眼球ごと転がり落ち、致命傷にはならなかっただろう。


 曲撃ちここに極まれり。

 まさしくだ。




「・・・・・・・・・・・・」




 死神の眼が、ハイスマンを射抜く。

 頼れる部下はいなくなった。



「ふはッ・・・・・・」



 老練兵は思わず笑みをこぼした。

 ────────この男ならば、或いは。



「ッ!!」



 昏い孔と目が合った。


 次の瞬間、、その銃身を掌底でかち上げる。



「なッ・・・・・・・・・・・・!」



 ハイスマンとの距離は、ひょっとすると“ゴリアテ”以上に開いていた。拳銃の有効射程ギリギリだ。

 それだけの移動を、超音速すら捉える蔵人の眼が見逃すはずがない。


(速い・・・・・・だけじゃない!!)


 ───────何かタネがある!


 続けざまに迫り来るハイスマンの拳。未来視を用いるまでもない。それはプロボクサー以上の速度と正確性で蔵人の肝臓レバーを打ち抜きにかかっている。


 拳は銃と共に頭上へ弾かれた。ガードにはとても間に合わない。蔵人が選択した反撃は、頭突きヘッドバットだった。


 ゴヂンッ!! と、頭部で最堅牢の前頭骨・・・・・・額でハイスマンの高い鼻を叩き潰し、ひるんだ隙に後ろ回し蹴りを叩き込む。

 水月みぞおちを狙った足刀は腕でブロックされてしまうが、蔵人の競走馬じみた脚力から放たれる蹴撃はハイスマンの軽い身体を宙に浮かせるには十分だった。


 猫のようにふわりと着地したハイスマンに対し蔵人は即座に銃口を向ける。が、ほぼ同時にハイスマンは最新鋭の軍用ピストルを蔵人に突き付けた。

 二人の動きが録画映像のように静止する。


 四つの眼と二つの銃口が睨み合う。

 まるで、居合の達人同士が互いに間合いを測り合うように。

 二者によるメキシカン・スタンドオフだ。

 



、神楽音蔵人!!」


「・・・・・・意味がわからない。そして、お前とこれ以上言葉を交わすつもりも、ない」




 不思議なことに、張り詰めた空気の中で二人が選んだ行動は全く同じだった。なんと、互いに銃をホルスターに収めたのだ。無論、“ここでお開きにしよう”なんて提案をこの二人がするはずがない。

 蔵人は、今夜だけで既に数十人の血を吸っているコンバットナイフをコート内の鞘から抜き払った。

 このまま睨み合っても埒があかない。そう判断した二人は、戦闘の要件を銃撃戦から白兵戦に即座に切り替えたのだ。


 “ゴリアテ”に突き立てたナイフは小型の使い捨て。対してたったいま構えているそれは、刃渡り20cmほどの大型ナイフだ。それも、よく手入れされている。切れ味、重量、耐久性、どれも一級品の業物。



(初撃は見逃した。だが、二度はない。次で高速移動のタネを暴き、返す刀で首を落とす!)



 弾丸と違い、ナイフであれば脊椎から直接脳幹を破壊できる。一太刀で人間の首を落とすのは、江戸時代においては専門の処刑人一族が置かれるほどの高等技術だが、蔵人ほどの使い手であれば、白兵戦の遣り取りの中ですら容易に生首を作れるだろう。



 対するハイスマンは武器を構えない。腰をどっしりと落として重心を降ろすと、握らず開かずの拳で攻防隙のない徒手空拳の構えを取る。

 蔵人は、目の前の男が先ほど手の内で葉巻を瞬時に焼き切ったことを思い出す。恐らくは炎、或いは電気。手の内で発生したということは打撃にも付与できるかもしれない。

 銃を握らば銃を、刃を握らば刃を警戒すればいい。しかし、レネゲイド使いとの戦闘において空手くうしゅほど恐ろしいものはない。文字通り、手の内が読めないのだ。



 そして始まる機先の読み合い。互いに『後の先』を取りたい──────相手の動きを見てから最適な動きを決定したいがために発生するだが、この場では未来視に発展するほどの情報解析能力を持つ蔵人が圧倒的に有利だ。


 しかし、蔵人は敢えて自分から仕掛ける。


「・・・・・・・・・・・・ッ!!」


 十歩程度の間合いを一足の踏み込みで潰し、逆手に持ったナイフで以て、ハイスマンの頸動脈を狙い横薙ぎに振るう。


 ハイスマンは瞬発的に大きく上体を仰け反らせる。勢い余って軍帽が落ちると、くすんだブロンドの前髪の尖端がナイフによって草刈りのように切り落とされる。



(なんたる切れ味・・・・・・ッ! くびに一太刀浴びせられるだけで勝負が着くな!)



 ハイスマンは重心移動を基調にした武道的な体捌きによって体勢を立て直す。足払いを狙っていた蔵人だったが、向こうの軸足が安定してしまっては効果が薄い。



(・・・・・・ならこのまま攻めるだけだ!)



 手の内でナイフを翻すと、順手に持ち替えて三連突きを繰り出す。狙うは喉元、膻中むなもと水月みぞおち。いわゆる正中線だ。

 目にも止まらぬ刺突の乱舞は、機関銃の連射に勝るとも劣らない。ハイスマンは廻し受けの要領でそれを受け流し、ナイフの軌道を逸らすが、硬い軍服の袖を斬り裂いて腕に大量の切り傷を作る結果となった。


「ハハッ・・・・・・・・・・・・!!」


 刃物を素手で受け流せば、当然こうなる。

 異常なのは、利き腕にを入れられたハイスマンがさぞ楽しそうに笑っていることだ。重度の裂傷、男の腕には耐え難い痛みと灼熱感が走っているはずである。


(・・・・・・イカレ野郎!!)


 タネが割れるのを厭ってか、ハイスマンは蔵人の眼に留まらなかった例の高速移動を使ってこない。それでもなお、ハイスマンは蔵人の亡霊じみた速度に対応している。


 事実、続けざまに放った突きには既に対応されていた。鈍色の切っ先を掻い潜り、老練兵の縦拳がクロスカウンターのような形で蔵人の顔面を撃ち抜く。


 無論、直撃はしてやらない。“ゴリアテ”との戦いでも見せたスリッピングアウェーだ。完璧なタイミングで繰り出したなら、打撃のダメージはほぼゼロに抑えられる。そして未来が見える蔵人にとって、それは机上の空論ではない。


 しかし────────



「がッ・・・・・・!!」



 命中の瞬間、ハイスマンの拳からスパークが迸り、身体の芯まで突き抜けるようなが駆け巡る。



(高圧電流・・・・・・!! やはりハイスマンは打撃にレネゲイドで起こした電撃を組み合わせている! 感覚的には放電警棒スタンバトンが近いな・・・・・・筋肉が強ばって反応がワンテンポ遅れる!)



 全ての打撃が電撃を纏っているなら、ガードもパリィング受け流しも意味がない。加えて、あの手に掴まれたなら一巻の終わりだ。



「どうした? 体調でも悪くなったかね?」



 ───────事実、体調は悪い。高圧電流によって生体電気が狂わされたのか、肉体の伝達系にラグがある。恐らく、打撃を浴びせられる度に蓄積するだろう。あれは、何度も食らっていいような攻撃ではない。



「・・・・・・冗談はよせ」



 だが、ガード不能はこちらのナイフも同じこと。刺突に紛れ込ませた斬撃で、受け流した腕の動脈を斬り裂く。ヒットアンドアウェイに徹すれば、向こうが先に出血多量で死ぬだろう。

 何にせよ、ナイフ一本分の間合いを保っているうちは、こちらが一方的に有利だ。



「続けるぞ」




 ハイスマンが嗤う。

 瞬間。




 ──────蔵人は、ごとりとアスファルトの大地に転がり落ちる自分の生首を幻視した。



「・・・・・・・・・・・・ッ!!」



 即座に身を伏せる。

 直後、びゅおうッッッ!! という凄まじい風切り音とともに、先程まで蔵人の首があった場所に斬撃が飛来する。



「ほう、これを躱すか」



 飛ぶ斬撃の正体は、カソックコートに身を包んだ長髪の男の変形した腕だった。さながら枝垂れのようにだらりと延びる肌色の鞭。その先端部には、歯か骨のような材質が削り出された巨大な刃が着いている。遠心力を利用して振り回せば、なるほど人間の肉体程度なら一刀両断してしまうだろう。



「よくぞ馳せ参じた。“ヨブ”少尉」



 蔵人の背後から音もなく現れた“ヨブ”少尉は、その異形の触手で電線を掴むとターザンのようにしてハイスマンの傍らに降り立つ。



「・・・・・・ハイスマン大尉殿におかれましても、お怪我のないようで何よりです」


「うん。怪我はしてるけどね、見ての通り。大尉の腕ズタズタだから」



 察するに、『超人兵団ユーベルメンシュ・アルメー』とやらの新手か。先ほどたおした“ゴリアテ”軍曹よりも幾分かは厄介そうな出で立ちだ。


 ふう、と一つ息をつく。

 鞭による斬撃は脅威ではあるが見切れない速度ではない。普通に戦えば順当に蔵人が勝つ。不意打ちが失敗した時点で、“ヨブ”少尉にはが文字通りないだろう。



「仕方ないな。『超人兵団ユーベルメンシュ・アルメー』には今日で壊滅してもらうとしようか」



 蔵人の放つ殺気に、“ヨブ”少尉は身構える。

 しかし、ハイスマンだけは変わらぬ様子で薄ら笑いを浮かべていた。



「クック・・・・・・気が早いな。まだ一人、紹介していない部下がいるではないか」



 再び、幻視。

 今度は、蔵人の脳天が勢いよく爆ぜて脳みそがカレーのように飛び散る光景だ。恐らくは、ライフルによる狙撃。言われてみれば、ヘリからこちらを撃ってきた狙撃兵スナイパーがまだ残っている。


 ───────無論、この幻視は実際に起こる出来事を摩訶不思議な力で先読みしているわけではない。蔵人の持つありとあらゆる情報受信機能がかき集めたデータを元に、ほとんど無意識に像を結んでいるだけ。

 しかし、彼の異能とも呼べる情報収集能力と解析能力を以てすれば、その精度は限りなく未来予知に近づく。結果として、


 命中する地点を先読みし、そこから頭を退けるだけで狙撃など簡単に回避できる。が、何せあの射撃精度。位置が割れたなら、優先して処理しなければ厄介なことになりそうだ。



 ───────そして、くぐもった金属音のような銃声は夜闇を斬り裂いた。しかし蔵人は、先んじて頭の位置をずらしていた。





 ドぱんっっっ!!


 


 水風船が破裂するような音。



(・・・・・・・・・・・・馬鹿、な)



 それは、ライフル弾が神楽音蔵人の左大腿を撃ち抜いた音だった。



(僕の未来視を、上書きした・・・・・・!?)



 大前提として、スナイパーライフルの弾丸など、人間が食らっていいようなものではない。それもレネゲイド戦を意識してか、かなりの大口径だ。弾丸は蔵人の腿肉を食い破ると、大腿骨を砕き押し出し大穴を開けていた。



「──────よくやった“ダヴィデ”少尉」



 声に振り向く。

 ハイスマンは、まるで弓でも引き絞るかのような構えを取っていた。左手は番えられたやじりのようにこちらに狙いを定め、顔の前まで引いた右手には明らかに何かを蓄えている。


 ぢぢぢぢぢぢぢ・・・・・・と百匹の蜂が飛び交うようなスパーク音。空間に亀裂を入れるように広がる火花。



(あれはマズい)



 明らかな大技。だが、この脚では回避が間に合わない・・・・・・!!




 『戦場の死神』と『超人兵団』。

 その勝敗が、この一撃で決する。





「────────『BLITZ雷光』」






 それは、横に飛ぶ雷だった。


 ハイスマンが操る元素は二つ。光と電気。肉体を光子化する異能を以てレールを引き、電流の軌道を調節、地面アースへの放電を抑制する。電圧を必殺の域にまで高めるためには相応の時間を要するが、全身の発電回路を光子によって加速させることにより、出力は自然界のそれを凌駕する。


 即ち、最高電圧10億ボルト。

 そして、最高速度は光速に迫る。








 ボンッッッ!!!







 神楽音蔵人の右半身が一瞬で弾け飛んだ。




「─────────ッ」




 蔵人は、炭化した肩を抑えてよろよろと退る。が、その先は埠頭のへりだった。背水の陣という言葉が頭を過ぎる前に、蔵人は頭から海に落下する。

 水面から縁までの高さは1m前後。入水というには静かすぎる水音だ。



「・・・・・・・・・・・・」



 ハイスマンは、蔵人の頭突きでへし曲げられた鼻の軟骨を無理に矯正しながら縁に近づくと、暗い水面を覗き込む。サンタクロースのように赤鼻を腫らした自分の顔が写り込むだけで、蔵人が浮かんでくる様子はない。



「いやぁ〜・・・・・・今度は当てられてよかった。どうすかハイスマン大尉。流石に死にましたかね、アイツ」



 蔵人の太腿を撃ち抜いた狙撃兵────“ダヴィデ”が姿を現し、ハイスマンと一緒になって海を見下ろした。



「・・・・・・いや、逃げられたよ。海水とは考えたな。咄嗟に私の雷撃が届かない深さにまで潜水したんだ」


「うげえ。右腕と左脚ヤッてんのに? バケモンにも程があるでしょ」



 ハイスマンが葉巻を咥えると、すかさず“ヨブ”がマッチ箱を取り出し火をつける。



「しかし、あの男ひとりを撃退するために兵士五十余名と“ゴリアテ”軍曹が犠牲になるとは。『戦場の死神』とは侮れませんな」


「安く済んだほうさ。何にせよ、目的を達成したのは我々だ。フィランダーの発掘調査も予定通り進行するだろう。

 諸君、今夜は勝利を祝って祝杯でも上げようじゃないか」



 しばらくすると、待機していた別部隊のヘリが到着し、縄梯子が下ろされる。ハイスマンはそれに掴まると、小さくなっていくコンテナ街の血溜まりと戦友たちの屍を見下ろした。





「いつでも見ているぞ、神楽音蔵人」






 夜は、まだ明けない。

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