SCENE5『ラプラスの悪魔』

 神楽音蔵人かぐらねくろうど

 年齢:24歳(当時)

 コードネーム:執行者エクスキューター

 ブリード:ノイマン(ピュア)

 備考:正体不明の遺産『聖釘せいてい』に手掌を貫かれたことによりオーヴァードに覚醒。以降はフリーランスのエージェントとして世界各地で遺産回収に従事。なお、任務には『計画者プランナー』のコードネームを持つ司令塔と二人一組で当たっていたことが明らかになっている。

 ※シンドローム判定は当事案の四年後、UGN設立後の判定基準に準拠している。





 ────────夜闇の中に響いた銃声は、道路工事用重機のように断続して鼓膜を叩くマシンガンのそれではなかった。


 火薬の炸裂音はたったひとつ。想定していた轟音に比べれば、風船が割れる程度の拍子抜けした銃声だった。



(・・・・・・・・・・・・・・・・・・何だ?)


 

 一秒後、遅れて大型銃器が鉛玉を吐き出す音が耳を劈かんばかりに鳴り響く。いくつものマズルフラッシュがプラネタリウムのように瞬くが、弾丸は男の黒い影を捉えることはない。


 ハイスマンは訝しんだ。


 先駆けは神楽音蔵人のハンドガンによる射撃。それは分かる。撃たれたのは彼に銃口を向けた『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』構成員。それも分かる。


 奇妙なのは、直後の静寂。あまりにも不自然だ。ハイスマンが総勢二十名の兵士に下した命令は『一斉掃射』。対象はたった十数メートル先にいる男ひとり。彼は周囲にゴロゴロと転がっている遮蔽物コンテナの裏に飛び込む素振りすら見せていない・・・・・・にも関わらず、


 


 神楽音蔵人は雨あられのように降り注ぐ弾丸を躱すことすらしない。そればかりか、彼がたまに撃ち返すと


(時間でも止まったのか?)


 静寂のなかで鳴り響いたのは、蔵人のハンドガンの銃声。その次もまた、ハンドガン。その次もまた・・・・・・


(馬鹿な、・・・・・・!)


 機関銃で武装した兵隊が、たった一人の男に、銃撃戦で敗北している。ましてや、向こうはその場から一歩も動いていない。


 「ぎゃッ」「ひぃだッ・・・・・・!」「んぐッ!?」「ごばっ・・・・・!」「ぎぃいっ!?」


 至極間抜けな戦友の断末魔。

 盛り付けられた料理を床にぶちまけるような重い水音がそこかしこから聞こえる。ハイスマンは自身の右手側に控えていた隊員が崩れ落ちる様を見る。


「あがッ・・・・・・・・・・・・!」


 鼻のてっぺんに、どんぐり一つ分程度の小さな孔が空いており、そこから血液を吹き出すものだからサンタクロースのような赤鼻になっている。


(脳幹を一撃で撃ち抜いている・・・・・・! これでは絶叫もできぬ訳だ)


 映画やゲームでよく見られるようなヘッドショット・・・・・・脳天への射撃は、通常の場合、まず戦場でお目に掛かることはない。頭蓋骨は堅牢、かつ丸みを帯びている。入射角によっては弾丸が頭皮を切り裂くだけに終わることもある。


 だが、同じ人間の頭部でも鼻には骨がない。鼻腔の形状を保つ軟骨ならあるが、当然その硬度は頭蓋骨と比べるべくもない。加えて、鼻先を正中線から撃ち抜いたなら、その奥には脳神経の多くを統括する脳幹がある。それを弾丸で撃ち抜かれたなら、先述のような幸運は起こりえない。まず即死だ。


 戦友はみな寸分違わず同じ場所に弾痕を残して事切れている。目出し帽で顔をほぼ完全に隠している者も同様に。


(これだけでもギネス級の腕前だが・・・・・・マシンガンの掃射にハンドガン一丁で撃ち勝っているのはどういう理屈だ? 銃撃戦でそんな状況が有り得るのか?)


 ハイスマンがその気になれば、ハンドガン程度の銃撃はすべて回避することができる。当てるためにはにもこだわる必要があるだろう。蔵人もそれがわかっているから、周りの兵士から黙々と片付けている。


(いいだろう。ならば私は、その間に手品のタネを見抜いてやろうではないか──────


 ハイスマンはレネゲイドの力で以て。蔵人の一挙手一投足を全神経で警戒する。秒単位で命を落としていく仲間を省みることはない。


「・・・・・・・・・・・・残り5」


 蔵人が口の中で呟いた言葉も聞き逃すことはなかった。そして、



 ぎちり、と。

 ハイスマンの耳が微かな音を捉えた。



(衣擦れ音・・・・・・違う、)



 その音を発したのは、ハイスマンの一歩後ろに立っていた隊員のひとり。その男は、音を発した直後に撃ち抜かれてたおれた。


「ぢぁッ・・・・・・!」


 それは、特別妙な音というわけではない。通常は発砲の轟音がかき消してしまうし、聞こえたところで数秒後には忘れてしまうであろう環境音。だが、


 それを、あの男が聞いているとしたら。

 それだけが、この手品のタネだとしたら。




「────────ハレルゥゥゥヤァ!! 恐るべき異能ギフテッドだ神楽音蔵人ッッッ!!」




 ハイスマンは破顔し、大袈裟な手振りで酔いしれるようにして賛美の言葉を叫び出した。


「・・・・・・・・・・・・」


 蔵人は兵士たちの手が止まった一瞬の隙を突いて、背後にあった3メートル四方のコンテナの陰に飛び込んだ。アスファルトを砕き抉る火花がその後を追うが、やはり一拍遅い。当然ながら、かすり傷ひとつ負うことはなかった。


 遮蔽物があっては、掃射を中断せざるを得ないだろう。最も、あのまま続けていても弾薬満タンの銃を抱えた死体が量産されていただけだっただろうが。



「────貴様、?」



 熱狂から醒め、周囲に夥しい同胞の死体が転がっていることにようやく気づいた戦場素人たちが言葉にならない声を上げている最中であっても、ハイスマンだけは揺るがない。


「一斉掃射と云っても、人間の手作業である以上、は有り得ない。一秒・・・・・・いや、ひょっとすると更に短い時間だが、タイムラグが発生する」


 蔵人は、ハンドガンの弾倉を再装填リロードしながらハイスマンの講釈に耳を傾けていた。



「貴様は・・・・・・信じ難いことだが、。そして、早い順から殺しているのだ。だから多勢に無勢でも撃ち勝てる」



 ──────────正解。



 先の銃撃戦を生き残った・・・・・・いや、死に損なった兵士は、一発も当たらないマシンガンを力無く抱えながら慄いた。


(事前に撃つ順番が分かる・・・・・・そんなことが有り得るのか・・・・・・ッ? いや、だとしても! それで俺たちの掃射に撃ち勝てる理由にはならねえだろ!? タイムラグの間に撃ち殺せる数なんてたかが知れて・・・・・・)


 死の危機に瀕してドーパミンをドバドバ排出させている脳みそはよく回る。しかし男にとってそれは不幸な事だった。


(まさか────────)


 はたと、気づいてはいけないことに気づく。


(───────・・・・・・?)


 たとえ順番的には次に引き金を引くという者がいたとしても、当たらないと分かっていれば飛ばスキップして問題ない。優先的に殺されたのは、兵士だ。先んじて殺しておかないと自分に弾丸を命中させる者から優先的に、且つ機械的に処理している。

 逆に言えば、今の銃撃戦を生き残ってしまったのは、一秒間に何十発の弾丸を吐き出せる銃を与えられてなお無能か腰抜けだけだった。


(・・・・・・・・・・・・え、じゃあ無理じゃん)


 撃つ前から撃つ順番と撃った弾丸が当たるかどうかまで分かるようなやつに、撃ち合いでどうやって勝利すればいい? あの男は、百人に囲まれても一対一を百回繰り返して勝利するだろう。死神にとって数的不利など、文字通りのだ。

 いや、というか・・・・・・そもそも自分は、勝負とかいう高尚な土俵に立つことすら出来ていないと言うのに!



 ハイスマンは続ける。



「私が気づけた兆候はこの程度だが、おそらく君はそれ以上の情報を常に周囲から取り込み続けている。知覚能力からして人間離れしているんだ。きっと君は、



 『ラプラスの悪魔』という言葉がある。

 フランスの数学家であるピエール=シモン・ラプラスが提唱した概念であり、人類には到達できない超越的知性・・・・・・故に悪魔の名を冠する空論だ。


 “ある時点に於いて作用している全ての力学的・物理的状態を完全に把握・解析できる存在がいるとすれば、それは過去のことを知っているように未来のことも知ることもできるはずである。”


 レネゲイドとは、人類に悪魔のごとき超越的能力を与えるモノ。


 神楽音蔵人は、異次元の情報感受性クオリアによって周囲の“全て”を把握し、人智を超越した知性により“全て”を解析している。


 故に、





 ────────タンタンタンッ、と。乾いた音が立て続けに響いてハイスマンの講釈は遮られた。

 彼の周囲で突っ立っていた木偶の棒たちが、その一瞬で間引かれていた。もはや、ハイスマンの周囲には一人の戦友も残ってはいない。総勢二十名の兵士が、たった一人の暗殺者に正面切っての銃撃戦で殲滅された。



「───────それが分かったところで、お前に何ができる?」



 蔵人は、先程まで身を隠していたコンテナの上に腰を下ろして、その銃口をハイスマンに向けていた。彼我の距離は15メートル前後。この射程レンジであれば、たとえ音速で飛び退いたとしても正確に脳幹を撃ち抜ける。

 レネゲイド使いの多くは臓器の一つや二つ程度であれば破壊されても即座に回復できる継戦能力を備えているが、脳ばかりはその限りではない。



「こういうのをなんて言ったかな・・・・・・ああ、そうだ」



 殺す。

 ここで、確実に。



「──────チェックメイトだ」



 喉元に刃を突きつけられたも同然の窮地にあってフリードリヒ・ハイスマンは、



「残念、私のナイトが間に合ったようだ」



 老獪に笑った。


「──────────!」


 労連へいの言葉を咀嚼し切る、その前に。蔵人の超知覚能力がいくつかの情報を拾った。


(断続的に空気を叩く振動、特徴的なローター音・・・・・・ヘリか。八時方向400メートル、上空300メートル前後で滞留。まさか・・・・・・)



 ────────ゴバリッッッッッ!!!



 直後、蔵人が座っていたコンテナが爆発と見紛う火花と轟音と共に一撃で抉れた。曲がりなりにも鉄製の側壁がサイコロ型のキャラメル箱のように容易く引き千切られている。


(──────やはり狙撃だな。対物アンチマテリアルライフルか? あの距離あの条件で頭を狙ってくるとはな・・・・・・狙撃手・操縦士ともにいい腕をしている)


 蔵人はというと、当然ながら奇襲を事前に察知して既にコンテナの上から飛び降りており、物陰からその破砕痕を観察して結論を導き出していた。

 ヘリは先程の地点に留まり続けている。恐らく軍用の装甲ヘリだ。仕舞っていたスナイパーライフルを再度展開するが、この距離では撃ち返したところで堕とせるかどうか。

 蔵人は呟いた。


「ごっこ遊びにしては上等な玩具おもちゃだ」







「うわ、避けられた。なんだアイツやば・・・・・・今の完全に死角だったろ」


 ホバリングする装甲ヘリのキャビンドアから対物ライフルの銃口を覗かせていた女性的な顔立ちの青年が、海のように蒼い目をぱちくりさせながら言った。


 前方の席で操縦桿を握っている長髪にカソックコートの男が諌めるように青年を睨む。


失敗ミスか“ダヴィデ”。嘆かわしい。さては今朝の祈りを欠かしたな? 主と救世主と聖霊に恥じぬ生活を送っていれば任務に不備が生じるはずがない。なぜなら是は・・・・・・」


「主より賜った『天職』だから、だろ? 百回聞いたわボケ。その石頭捻ってしっかり思い出せ“ヨブ”。俺がこの程度の条件で外したことあったか?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ない」


「つぎ会話中に30秒超える長考挟んだら脳天に風穴開けてお前の大ッッッ嫌いなダイブツみてーにしてやるからな」


 “ダヴィデ”は半ギレになりながら取り回しの悪い長物ライフルを仕舞うと、観測手用の双眼鏡で着弾地点を覗き込む。先程腰かけていたコンテナの裏には既にいない。それどころか、この地点から見下ろせる場所にはもうどこにもいない。一瞬で射線を切られた。


「久しぶりにガチで命のりができる標的ターゲットに巡り会えたってことだよ・・・・・・! “ヨブ”、ハッチを開け! こっちの『爆弾』を投下するぞ」


「・・・・・・了解した」


 “ヨブ”は手元のコンソールを操作し、機体後部の搬入口ハッチを解放すると、無線機のスイッチを入れ『格納』されていたもう一人の乗組員に呼びかけた。


「聞こえたな“ゴリアテ”軍曹。貴様の出番だ。ハイスマン大尉殿をおたすけし、神意に仇なす鴉めをくびり殺せ」


 神に仕える者のように、荘厳に告げる。

 返答は、獣の唸り声のように低い声だった。


「了ぉ解」


 直線距離400メートル、上空300メートル。

 貨物倉庫が豆粒に見えるほどの遙か上空より地上を見下ろすと、厚手の軍服をソーセージの皮のように張り詰めさせる筋骨隆々の男───────“ゴリアテ”は、


 肉食獣のような異形の大脚を以て搬入口の縁を蹴りつけ、立ち幅跳びの要領で、


 跳躍した。







「あれは・・・・・・人か?」


 神楽音蔵人はヘリと自由になったハイスマンから身を隠しつつ、物陰から空を睨む。

 南南西の遙か上空を滞留するヘリから飛び立った黒いシルエットが落下──────いや、降下した。それが機体から離れた直後、ヘリは安定を失ってぐわんぐわんとシェイクされる。どうやら機内から跳躍したらしい。


 それはロケットじみた推進力を得て広大なコンテナ街をにすると、



(・・・・・・・・・・・・・・・・・・来る!!)



 蔵人のすぐそばにする。



「─────────ッ!!」



 砲弾のように身を丸めた男の体は、身長2メートル体重120キログラム前後のプロレスラーのような体型、とはいえ人間ひとり分の質量のはずだ。

 それが、着地した裸足でアスファルトの地面に半径5メートルほどのクレーターを形成し、鉄筋コンクリートの貨物倉庫が頼りなく軋むほどの局所的地震を巻き起こした。



「はぁああ〜〜〜ッ!! 見つけたぞぉ、ちっぽけな鳥畜生だぁああああ!!」



 張り詰めた軍服に身を包んだ筋骨隆々の白人男性。短く切り揃えた金髪に長い顎、歳の頃は二十代後半ほどだろうか。

 いくつか常人離れしている部分があるとすれば、もはや有機物ではありえないほど強靭堅固な肉体と、獣めいた爪を携えた巨人の手足か。


 間違いない。この男も────────


(レネゲイド使い・・・・・・・・・・・・!!)



「紹介しよう。彼の異名は“ゴリアテ”」



 ゆらめく白煙の中に細身の男─────ハイスマンのシルエット。彼は“ゴリアテ”と呼ばれた大男の背後で、昔馴染みに息子を紹介するような口調で語った。



「我らが『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』が最精鋭・・・・・・『超人兵団ユーベルメンシュ・アルメー』の一人だ」



 ───────彼らは既に、異能の軍隊を完成させている。



「・・・・・・・・・・・・くそったれが」

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