SCENE4『STIGMATA』

 ナチスの男、ハイスマンは船着場のボラードに腰をかけた。懐から葉巻を取り出すと、シガーカッターで尖端を整え、古風にもマッチで火をつける。


「いやあ、美味い。今日のように寒い日にる煙草は格別だな」


「・・・・・・・・・・・・」


 依然として、その背後にいる兵士たちは蔵人に銃口を向けたままだ。蔵人くろうどもまた─────兵士たちではなくハイスマンを──────警戒し、いつでも抜き撃てるようにハンドガンの引き金には指をかけたままでいる。


「君もどうだね? 最近の若者も、煙草ぐらいはるだろう?」


「・・・・・・結構だ。仕事中は吸わない主義でね」


 ハイスマンは「そうかね」と笑って、後ろに控えている兵士たちにハンドジェスチャーを行った。恐らくは、銃を下ろせとかそういう類いのものだろう。


「良いのですか、ハイスマン大尉殿」


「構わんさ。いかに戦場に身を置く者といえども、銃口に囲まれては安心して議論に興じられんだろう」


 20人を超える兵士たちが、一斉に機関銃を下ろし、引き金にかけていた指を伸ばす。まるでおもちゃの兵隊だ。


「・・・・・・大尉、か。随分と凝った遊びだな。所詮は、階級も腕章も見せかけだけの軍隊ごっこだろう」


「おっと、これは手厳しい。いや、我が同志たちを相手にあれほどの大立ち回りを見せられてはぐうの音も出んよ」


「同志? 捨て駒の間違いだろ」


「戦いに犠牲は付き物さ。彼らは十分な戦果を果たしてくれたよ。お陰で君をこうして追い込むことができた」


 蔵人は嗤った。



「────────僕がこの程度の包囲を、抜けられないとでも?」



 空気が、凍りつくような重圧だった。

 素人でも総毛立つような本物の殺気だった。



「「・・・・・・ッ!!」」



 その眼光に射すくめられた兵士たちは、逸って銃口を向けようとするが────────



「────────銃を下ろせッッッ!!!!」



 荘厳ささえ感じさせていたハイスマンの低く落ち着いた声が一変、びりびりと肌が痺れるような怒声を放つ。


 兵士たちは、親に叱り付けられた子のように、思わず銃を下ろした。


(なるほど、やはり


 つい十数分前───────彼の突撃命令を聞いた時も感じたことだが、このハイスマンという男の声は特殊だ。張り上げれば厳格な父親の怒声のように空気を張りつめさせ、語りかける時は慈愛に満ちた神父のように相手を落ち着かせ警戒心を緩める。

 実に指揮官向きの声だ。この手の話術は本物の戦場でも中々聞くことができない。


(・・・・・・いや、)


 



「────────さて。話がズレていたね、蔵人くん。そろそろ本題に入ろうか」


 ハイスマンは冬の白い息が混じった煙を吐き出しながら、信徒にありがたい説教を賜すかのようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「いやなに、暗殺に狙撃などとを用いるものだったので判断に困ったのだがね?

 君の身体能力、知覚能力、射撃能力、殺人技巧の数々・・・・・・どれを取ってもしている。いかに君が彼らより戦場慣れしているといっても、十分足らずで完全武装の兵士32人を殲滅するとは、異常という他ない」


「・・・・・・・・・・・・」


 ランチェスターの法則というものがある。集団戦における両軍の戦力損耗度合いを数学的なモデルで現した方程式で、第一法則では剣や弓矢などを用いた原始的な合戦を、第二法則では銃器を使用した近代戦をそれぞれ表現できる。

 後者では、兵数のニ乗に武器効率を乗算した数値を戦闘力として扱う。『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』の採用する最新鋭の武器性能を仮に10とすると、ハンドガンとナイフだけを扱う蔵人のそれは2程度だろうか。

 『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』の斥候部隊32をニ乗すると1024。そこに武器性能の10を掛けた10240が彼らの戦闘力ということになる。

 対して、1人の蔵人はニ乗にしようと1のままだ。そこに武器性能の2を掛けるとそのまま2。これが計算上の蔵人の戦闘力。


 ─────────つまり。蔵人1人で32人の兵士を殲滅するためには、およそ5120倍の戦力差を蔵人自身の性能だけで覆す必要がある。


 これが、ただの人間であるものか。


「人体の機能強化だとか、脳の処理速度の上昇だとか、その類の『病状』だな? 類例こそあるが、これほどのものはお目にかかったことがない」


「・・・・・・『病状シンドローム』か」


「そうとも。

 ───────神秘に触れた人間に福音、或いは天罰のように齎される人智を逸した異能。神が定めた死という安寧すら否定することから、『背教者レネゲイド』と呼ばれる異端の力」


 ハイスマンは、くわえていた葉巻を口元から離し、小さく点る火を松明のように掲げた。


「それらは能力系統ごとに枝分かれし、時には合併して顕れる」


 ───────直後に。

 バヂンッ!!と、分厚いゴムがちぎれるような音。見れば、葉巻が手の内で縦から真っ二つに焼き切れている。

 赤熱した断面は、線香花火のようにスパークしており、葉がぼろぼろと崩れて地に落ちる時には火の粉と化していた。


「─────まるで、病のようではないかね」


 この時、蔵人は初めてハイスマンという男に対する警戒を強めた。恐らくは、蔵人とは違って直接的な破壊力を持つ異能。加えて、『レネゲイド』に対する


(無形の『レネゲイド』を無形のままエネルギーに変換する能力。恐らくは火か電気として扱ってるな・・・・・・これほど精密に制御するためには、それ相応の研究と経験値が必要だろう)


 たとえ炎を操る超能力を持っていたとしても、実際に炎を自在に操ることが出来る者は稀だろう。何せ、人間には形のないモノを扱う『感覚』がない。

 たとえば、実際に触れることによって水の形状に干渉することができるが、噴水のように形を歪めてアート作品にするためには相当の知識とセンス、そして想像力が必要となる。であれば、実際に触れずして水を操る能力に目覚めたとしても、頭で思い描くような彫像を実際に形作るためには、噴水の設計と全く同質の技量が必要になるはずである。


 はっきり言って、兵士は拍子抜けだった。だが、この男だけは、どうやら馬鹿にはできないらしい。


「────────病、か。当たらずも遠からずだな」


 話に応じるつもりはなかったが、蔵人が呟いた一言は結果的に返答になっていた。予想外の反応だったのか、ハイスマンは小首を傾げる。


「ふむ?」


 蔵人は、埋め立てた孔のような傷跡の残る左の手のひらを見つめながら言った。



「これは、被曝ひばくだ」



 そう。

 蔵人の知る限り、レネゲイドとは。つまり、怪物への変容は何らかのに触れた時に起こる。いかなる理由か、そうした性質を持つ物質は古代の遺物や伝家の宝刀、遺跡より出土した調度品などの形を取っているケースが多い。

 蔵人はそうした性質を持つを、『レネゲイド放射性物質』と呼称し、世界中を飛び回ってそれらの回収に当たっている。


 そして。

 蔵人自身もまた、レネゲイド被曝者だ。


 七年前の聖夜クリスマス、彼は或る『聖遺物』によって、その手を貫かれた。その日をもって、人間としての彼は死に、レネゲイドによって生かされ続ける怪物として生まれ変わった。


「その傷───────死すらも否定するレネゲイド使いの再生能力を以てしても塞がらぬ聖痕スティグマ! それが君の『起源オリジン』か!」


 ハイスマンは喜色満面の面持ちで謳った。神の威光に触れた聖職者か、さもなくば新しい玩具を与えられた子供のように。


 蔵人は嘆息した。


「大袈裟な表現だな。そういうお前は、何に触れてその力を得た?」


「お察しの通り、『祖国遺産協会アーネンエルベ』によって蒐集された『遺産』の一つだよ。第二次大戦での敗戦と東西冷戦の影響によってそれらは世界各地へ散らばったが、少数とはいえ軍部より持ち去り・・・・・・もとい、保護された品もあった」


 戦勝国が敗戦国から歴史的財産を没収するのは別に珍しくない事柄だ。事実、同じく敗戦国の日本では、連合国軍総司令部GHQによって、日本刀を「純然たる凶器」として回収される動きがあった。そのため、一振で数千万の値打ちが着く名刀の数々は、現在では大半が海を渡り、行方が知れないモノもあるという。


 ドイツ『祖国遺産協会アーネンエルベ』が扱っていたという『遺産』とやらも、真偽はさておき強固な宗教的意味を持つ物品や、歴史的文化財が紛れていたとすれば、戦勝各国による接収は免れなかっただろう。

 当時の関係者によるささやかな抵抗も想像に難くない。


「私の祖父は旧ドイツ軍の将校でね。幼少の頃、自宅の蔵でたまさか見掛けたに触れたことで、私は福音レネゲイドを得た」


「──────────」


 蔵人が知らないだ。

 実際、世界各地を飛び回っていれば、ナチスがどうだヒトラーがどうだと胡乱な逸話がセットになった品物は山ほど見る。実際、その中には、僅かばかりとはいえ、レネゲイド放射能を有したもあった。


「そして、この地に眠る『遺産』に含有されるレネゲイドの総量は、我らの『起源オリジン』とは比べ物にならない。試算では、際限なくバラ撒けば、少なくとも大陸ひとつ程度であれば丸ごと汚染できる線量だ。

 ───────否、ひょっとすると、我らがレネゲイドと呼んでいるモノである可能性もあるな」


 『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』とやらが、嘘偽りなくナチス・ドイツに連なる組織であれば、散り散りになった蒐集物の全容や行き先を把握していてもおかしくない。ましてや、ハイスマンのような『使い手』が複数いるならば、その奪還も難しくないだろう。



 つまり。



「─────競合他社ライバルか」


「漸く、状況を理解してくれたようだね」



 予見されていた暗殺。

 手際の良すぎる包囲。

 いかなる理由か、『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』は蔵人の行動を把握していた。その上で、フィランダーの事業行程を中断させるのではなく、こちらへの接触を図ってきた。

 要するに・・・・・・


(フィランダーにレネゲイドを発掘させておいて、直前で強奪する気だな)


 現在の国際社会情勢では、この国でこれだけの人数を運用するのは火薬庫で花火をやるようなものだ。そうでなくとも、遺跡発掘とは高度な専門知識を要する特殊作業である。火中の栗は他者に拾わせた方がいい。


 そして、恐らくは連中の『祖国』とやらに大量のレネゲイドを持ち帰り、適合した『使い手』を量産する。不死身のレネゲイド使いで組織化された軍隊であれば、武力革命は容易だ。

 今度はナチス全盛期の胡乱な特殊部隊とは比べ物にならない。四十四年続いた東西冷戦の末、核抑止力によって仮初の安定を取り戻した国際社会に新たなる火種を投下することになるだろう。


 毒ガスと戦車、塹壕戦の第一次世界大戦。

 空爆と核兵器、科学戦の第二次世界大戦。

 そして、人体実験によって量産される不死身の超能力兵士。レネゲイド戦という三度目の戦争革命パラダイムシフト・・・・・・! 行き着く先は─────



「我々はッ! 戦争クリークを求めている!! 鉄と血を以て、祖国に栄光を!!」



 ──────!!



 蔵人が確信する。

 ハイスマンが狂笑する。





「どうやら、お前たちは優先して駆除しておく必要がありそうだな・・・・・・狂人ども!」


「駆除されるのは君さ。そうだろう、遺産はか荒らしの渡り鴉くん!!」





 瞬きの間に拳銃を引き抜く。

 同時に、ハイスマンが右手を掲げる。彼の部下は一流の交響楽団のように、重々しい銃器を構えた。

 二十を超える銃口が、一斉に蔵人を睨む。





「撃て」





 夜闇に、銃声と火花が散った。

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