SCENE3『パラベラム』

 幸いなことに、潜伏地点となる港のコンテナ街には人気がなかった。

 蔵人くろうどは、標的が現れるだろう地点から対岸の貨物倉庫の屋根の上に腰を下ろし、背負っていたゴルフバッグに隠されていた機材をテキパキと組み立てる。三脚にレンズ・・・・・・大型カメラに偽装していたそれらは、ボルトアクション式のスナイパーライフルだ。


(貨物倉庫の高度は10メートル強、対岸との直線距離は300メートル程度。風向きはこの風速ならほぼ計算に入れなくていい。港に船が着くまでは遮蔽物もない。位置取りは上々だな)


 深夜の倉庫街ということもあって、スコープ越しにも見通しがよいとは言えないが、蔵人の技量の前には些事だ。

 加えて、先程も述べたが他に人がいないところが良い。今回の遺跡発掘プロジェクトは向こうとしてもなるべく秘密裏に行いたいのだろう、人払いはわざわざ向こうでやってくれたらしい。

 多少強引な手を使えばこちらで邪魔者を排することもできるのだが、それが原因で厄介なことにならないとも限らない。


 抹消対象であるライアン・フィランダー博士は、じきに部下と共にこの港に訪れ、貨物船で運ばれてくる機材を受け取るだろう。今回の発掘は普通の遺跡探検とは訳が違う。運ばれてくる機材の検品は本人は行うはずだ。


(・・・・・・そこを弾く。フィランダーひとり消せばプロジェクトはご破算だろう)


 昨日この街を訪れたのは、今回の下見のためだ。場合によっては────────たとえば向こうもそれなりの傭兵を雇っていた場合などは、下手な狙撃だと銃撃戦に発展するリスクもある。そうなると、

 理想は、フィランダー一人の命で事を収めること。その後は誰も殺さなくて良いように、下準備は入念に行わなければならない。


 平和と均衡を保つための犠牲は、最小限に抑える。それが、それだけが蔵人の信条だ。


(・・・・・・来たか)


 南の方角から、ゆっくりと海上を滑るように貨物船がやってきた。それは、予定通り対岸に着港し、錨を下ろす。ほぼ同時に、夜闇をハイビームで切り払うようにして、白い軽トラが連絡通路をやってきた。

 ──────────ターゲットのご到着だ。


 スコープを覗く。

 フィランダーと思しき金髪の男性は、車を降りると数人の部下を引き連れて船の方に歩み寄ると、貨物船から降りてきた業者の男と一言二言の会話と固い握手を交わした。フィランダー側は護衛の類は連れていないが、貨物船側は海賊対策だろうか、幾人かがライフルで武装している。このタイミングで本格的に銃撃戦が始まってしまえば、恐らくフィランダー以外にも犠牲者が出てしまうだろう。

 やはり、狙うなら機材を検品し、トラックに積み込む瞬間だ。


「・・・・・・・・・・・・」


 やがて部下や乗員が散開すると、船から下ろした積荷を点検し始める。お互いにそうした手続きには慣れたものなのか、暗闇の中でも非常にスムーズだ。


 白い息を吐き出し、ライフルの照準をライアン・フィランダーの頭に合わせる。呼吸と鼓動を抑えて、手元のブレを補正する。彼らが遺跡発掘のプロであるように、蔵人はでは世界でも指折りの手練だ。・・・・・・なんせ、それ以外の生き方を知らないのだから。



 ────────『天職』なんてものが本当にあるならきっと、ジグソーパズルのピースのようにパチリと当てはまるものだと思うんだ。



「・・・・・・・・・・・・」


 蔵人にとっては、がそうなのか。

 恐らく、才能は誰よりあった。けれど、蔵人は


 自分にしては珍しく、余分な思考だ。

 舌打ちひとつでそれらをかき消すと、かじかむ指を引き金に引っ掛ける。


 そして──────────





 その体勢のままライフルの銃身を勢いよくはね上げ、肩に担ぐような形で背後に向けて引き金を引いた。



「ぐぁッ!!」



 プシュッ、と。

 減音器サプレッサーによって抑えられた銃声とほぼ同時に、マスクでくぐもった男の鈍い声が響いた。


「な・・・・・・ッ」


 たった今死んだ兵士とバディを組んでいた重装備の男が吃驚の声を上げる。彼の後に続いて屋上の扉をクリアリングしていたのだろうが、物陰から顔が出ていたのでそのまま普通に振り返ってスナイパーライフルで撃ち抜いた。


「ぎぃあッ」


 グラスに入った酒を壁にぶちまけるように、頭蓋骨の中の血とピンク色の肉を飛び散らせて倒れるマスクの男。ちょうど、先ほどノールックの弾丸に肋骨をへし折られて心臓を外に零して倒れた男の死体と折り重なるように倒れる。


「・・・・・・二人、か」


 屋上の扉から階下を確認し、靴で厚着した肉袋を転がす。

 死体が纏っている防具や大事そうに握りしめている銃器類は軍用、それも最新鋭のものだ。フィランダーの雇った傭兵にしては、あまりに装備が整いすぎている。それに・・・・・・


「・・・・・・なぜ僕の場所が分かった?」


 装備に反して、兵士たちの練度はそう高くない。サバイバルゲームがせいぜいのお遊び軍隊だ。死地に足を踏み入れると言うのに、息を殺して足音を消すことすらなっていなかった。

 そんな連中に後を尾けられるほど落ちぶれてはいないはずだが───────?




「突撃ィィィ────────ッッッ!!!」




 地上から張りの良い男の号令が響いた。

 直後に、防具が揺れた銃と触れた時に鳴る軽い金属音と、大勢の重い足音が一斉に貨物倉庫に雪崩込んでくる。


(多いな・・・・・・今入ってきただけでも30・・・・・・いや、32人か)


 足音たちはちょうど4人で1班になるように散開し、部隊を展開しながら上へ追い込むように迫ってくる。

 取り回しの悪いレミントンM24狙撃銃はここから先は役に立たない。

 蔵人はそれらをゴルフバッグに再び仕舞うと、コートの内からベレッタM9A1拳銃を取り出した。

 装弾数は15+1発。予備マガジンは2本。先ほどの声の主が一緒に踏み込んでこなかったことから、他にも後詰がいる可能性が高い。


(一人につき一発使っていては、少し心もとない、か・・・・・・節約が必要だな)


 自身の装備、敵の装備、ロケーション。

 刻一刻と階下から迫る敵部隊をいかにするか。次から次へとインスピレーションが浮かんでくる。


 平和と均衡を保つための犠牲は、最小限に抑える。彼唯一の信条は、どうやら彼に合っていないようだ。







『こちらツェー班。一階異常なし』


ベー班。二階異常なし。大尉殿の読み通り、対象は屋上にいる模様』


 ジモンは苛立っていた。

 その焦れったいような気持ちが足取りに出ているのか、真っ暗な倉庫の中をつかつかと早足で練り歩く。


 自分たちを率いているの能力とカリスマ性には文句の付けようがないが、彼は少し慎重過ぎるきらいがあると思う。言い換えるなら、臆病なのだ。

 なんせ、『死神』だかなんだか知らないが、たった一人の対象を制圧するために四人編成の班を八つも投入したのである。これでは、、獲物を横取りされてしまうではないか。


「こちらデー班。これより屋上を確認する。他班は待機されたし」


 ほかの班を牽制してから、一直線に屋上に繋がる階段へ急ぐ。班員たちも同じ意見だったのか、三つの足音が言葉もなくジモンの背後を追ってくる。

 斥候班の応答が消えたのは、この先だ。


「うおっ・・・・・・」


 踏み込むと、殺気。ぴりぴりと、最前線の危機感スリルが防弾ジャケット越しの肌に突き刺さる。一気に空気の温度が一変するようなその感覚は、ジモンと背後のが共通して覚えたものなのだろう。


「はっ、たまんねえ・・・・・・」


 武者震いを抑える。引き金に添えた指についつい力が篭ってしまいそうだ。

 いよいよ、銃撃戦が始まる。


 ジモンとそれに続くの浅い息遣いだけが場を支配し──────────



「あれ?」



 なんか、



 ジモンが振り返ると、ちょうどその顔面に真っ赤な液体がひっかかり、視界を塞いだ。


「!?」


 むせ返るほどの鉄の匂い。目に入り込み、ごろごろと違和感を与え続ける、膜が貼ったココアのように生暖かい液体。

 その、正体は──────────



「あ‪゛っ、あ゛っ・・・・・・ぁっ!」



 ひゅーひゅーと、空気が漏れたポンプのような間抜けな音に混じった男の悲鳴が、答えを示唆していた。

 腕の硬い装備が邪魔をしてまぶたを拭えないので、目出し帽を脱ぎ払ってその裏地でフェイスタオルのように顔を擦る。

 赤い紗幕を取り払った先に見えたものは、


「あ、ぁああ・・・・・・!」


 同胞の背後に立ち、口元を押えながら、その手に持ったナイフで彼の喉を魚の下ごしらえのように斬り捌くの姿だった。


「・・・・・・・・・・・・」


 死神は、若い男だった。

 黒い髪に黒い瞳、黒いコートのアジア人らしき男は、みるみる朽ちていく戦友の首を捕まえたまま、真っ赤に染まった指先を口元に当て、寝た子の傍に寝そべる父親のように「シー」と沈黙を促した。


 実際のところ、口を抑えられ、喉を切り裂かれた兵士は声をあげようとしても急造の排気口から血と細い息が漏れるだけ。男の更に背後には、恐らくは同じようにして捌かれた男の死体がふたつ、闇の中に転がっている。


「・・・・・・や、やめろ。来るな」


 男は、1秒間に10発の鉛玉を発射できる自動小銃を、我が子のように肌身離さず抱いているはずだった。標的が現れれば、これでもって挽肉ミンチになるまで撃ち続けてやる腹積もりだった。部隊に参加したのだって、その為だった。


 そのはずなのに。


「撃つぞ」


 標的の命を指一本で奪えるはずのそれが、人工物の一切ない夜の森の中で精一杯に灯る百円ライターの火のように、弱々しく頼りないものに見えた。


「撃つぞォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」



 どんっ、と。

 震える指が引き金を引くより先に、下腹部の辺りをなにか鈍い衝撃が襲った。

 ジモンは盛大に尻餅を着く。装甲のおかげか、転倒の痛みはほとんど無かった。


(体当たり・・・・・・? あ、違)


 なにか重いものがのしかかっている。

 それは、勢いよく赤い液体を吹き出すだけの肉人形になった戦友だった。


 違和感。

 全班の全人員が、統一された規格の装備を扱っているはずだ。だが、目の前の骸が纏うそれらには、何かが足りない。腰のポーチに収納されていたハズの、何かが・・・・・・


「忘れ物だ」


 こつん。

 答え合わせは、その言葉の直後に行われた。

 ハンドボール大の、パイナップルみたいな形をしたナニカ。それが、ジモンの頭に当たって硬い音を立てた。


 答えは、手榴弾。

 ご丁寧に、ピンは抜かれている。



「あ」



 光。

 音。

 風。

 熱。



 映画は好きだった。特に戦争映画が。

 これまで見てきたどんな爆破シーンよりも鮮烈なそれらを知覚し切る前に、ジモンは挽肉ミンチになった。



「礼を言うよ。おかげで弾薬を節約できた」


 死神──────────神楽音蔵人は、頬に飛び散った誰のものかも分からない血肉を親指で拭い取り、その場を後にした。







 一発目。

 爆音に気づいて真っ先に駆けつけてきた兵士たちの中から、先頭を走るベテランだろう兵士を撃ち抜くために使用。弾丸は脳幹に命中し、対象は即死した。直後に集団はパニックに陥ったため、弾丸節約のためナイフで制圧した。


 二発目。

 階下から移動してくる班を殲滅するために使用。狭い階段を行儀よく一列になって登ってきていたため、前から二人分を一撃で射抜いた。以降は弾薬節約のため、その死体を盾にしての白兵戦で制圧。


 三発目。四発目。五発目六発目七発目八発目──────────



「んぐッ」


 右腕の関節を極められた状態から至近距離で鼻先に9ミリ弾を撃ち込まれた兵士は、何語とも判断がつかない間抜けな悲鳴を最後に動かなくなった。当時に蔵人のハンドガンのスライドが往路で止まり、装填されていた弾薬が尽きたことを知らせる。


「・・・・・・これで32人目」


 巴投げの要領で組み合っていた巨体を蹴り飛ばし、体勢を立て直すと、リリースボタンを押下しながら手首のスナップだけで空になったマガジンを投棄、ベルトに取り付けたポーチから予備を取り打して装填すると、道半ばだったスライドが復路を遂げる。


ワンマガジン16発か。結構使ったな」


 兵士二人につき弾丸一発の計算。敵兵の練度を鑑みると、優良な結果とは言い難い。その要因はやはり、敵全員に配備された最新鋭の軍用装備だ。先進国軍クラスの銃器と防具で身を固めた素人集団。中にはそこそこのベテランもいるが、それも訓練レベルでの話。おそらく、幾多の戦場を生き抜いてきた“つわもの”は一人としていないだろう。


 最後に撃ち抜いた男のマスクを剥ぐ。べったりと脳髄からこぼれた粘液が糸を引き、その線上には血でサンタクロースのように真っ赤な鼻になったゲルマン人男性の死相があった。


「・・・・・・初めに殺した男たちが遣っていた言語はドイツ語だった。まさか、な・・・・・・」


 現在、この国の内戦に横槍を入れる先進諸国の軍はほぼないと言っていい。ましてや、ドイツ連邦は最初期の国連多国籍義勇軍にすら参加していなかった。であれば、考えられる可能性は・・・・・・


「・・・・・・チッ、外が騒がしくなってきた」


 恐らく、そろそろ後詰が来る。蔵人は、入口から反対側の窓ガラスを蹴破り、岸へ脱出する。ちょうどフィランダーたちの取引現場の対極に位置する場所に、水上バイクを停めている。狙撃が成功すればそれで脱出するつもりだったのだ。

 しかし、もはや暗殺は機を逸した。ここは撤退し、体勢を立て直す他ない。



 ──────────と。


「!!」


 突如として、蔵人の向かう先が暴力的な光量の投光器ライトによって照らされた。


(先回り・・・・・・! さっき殲滅した部隊は、僕が脱出する地点を限定するための捨て駒か!)


 煌々たる光の奥に、逆光で塗りつぶされた兵士たちのシルエットが並ぶ。


「いやはや、鮮やかなものだ。戦場にて生ける伝説と囁かれるだけのことはある」


 そして、その先頭の男は──────────



「やあ、初めまして────────『戦場の死神』神楽音蔵人かぐらねくろうどくん」



 声に聞き覚えがある。先程、斥候部隊に割れんばかりの大声で司令を出していた指揮官のものだ。しかし、その声色はその時からは想像もつかないほどに優しく、穏やかなものだった。


「──────────」


 逆光に目が慣れる。

 語りかけるは、顎髭を蓄え、火傷らしき跡を軍帽で隠した中年の男。その腕章には・・・・・・


鉤十字ハーケンクロイツ・・・・・・! 第二次大戦の遺物、ナチスの残党か!」


「ご明察。我らは祖国遺産協会アーネンエルベの血脈を継ぐ軍事結社『鉄鷲の飛翔アイゼンフリューゲル』。小官わたしは指導者のフリードリヒ・ハイスマンと云う」


 男────────ハイスマンは、背後に侍らせた兵士たちに銃口を蔵人の方へ向けさせながら、嘯いた。



「少し話をしようか、蔵人くん──────我らを蝕む病が如き異能『レネゲイド』について」

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