SCENE2『聡明と召命』
医院にたどり着いてから、手術は一時間ほどで終わった。
「いやぁ〜・・・・・・終わった終わった」
なんとなく先行きが気になって医院のベンチで待っていた黒コートの男は、一仕事終えた若き外科医に缶コーヒーを投げ渡す。
「本当に医者だったんだな、君」
「失敬な! オットーくんみたいに詐欺師だとでも思ってたのかい?」
オットー・・・・・・まあ、文脈から察するに先程の大男の名前か。脚の切開なら手術は部分麻酔で行われるだろうから、ひょっとすると手術中にでも打ち解けたのかもしれない。
「不思議な男だな・・・・・・」
かしゅ、と小気味のいい音がふたつ。対極の青年たちは、同時にブラックのコーヒーに口をつけた。
「・・・・・・
コートの男────────蔵人は、この国に来てから初めて自分の名前を名乗った。
外科医の青年は小首を傾げたのは、蔵人が先ほどまで話していた英語から脈絡なく日本語に切り替えたからだろう。
「名前だよ・・・・・・君も日本人だろう? 名乗られたら名乗り返すものじゃないのか?」
すると、青年の顔はパァッと明るくなって、
「
なんて底抜けの笑顔で握手を求められた。蔵人はそれをするりと躱しながら、さきほどから気になっていたことを聞いてみることにした。
「この医院、出来てから時間は経っていないのか? それにしては・・・・・・」
辺りを見渡す。随分年季の入った建物だ。可能な限り清潔を保たれてはいるが、壁の黒ジミや床の傷跡などは、この施設が医院としての機能を維持したまま長い年月この街に在ったことを物語っている。
・・・・・・それに、一介の医院にしては少し広すぎる。敷地面積としては日本の図書館ほどもあり、これを一人で管理するのは相当に骨が折れるはずだ。
「ああ、ここには元々現地の人が運営していた病院があってね。戦争の影響で廃業になってからしばらく放置されていたところを、今年に入ってから私が買い取ったんだ」
「買い取った?」
「そう、私財をはたいてね。日本で稼いだ貯金を全て使い果たしてしまったよ」
あっはっはっ、とやけに無理をした高笑いだが、どうやらジョークでもなさそうだ。資材や薬品もやけに潤沢だが、どうやらこれらも自分で買い揃えたものだろう。
「・・・・・・よくそんな金があったな。君、僕と同い年ぐらいだろ? 日本ではつい最近まで研修医だったんじゃないのか?」
蔵人は現在24歳。日本で医師免許を取得するためには、6年の医学生生活が必須であり、それが終わっても2年間は研修医・・・・・・つまり医師見習いとして扱われる。ひとつふたつは歳上だったとしても、開業医なんてとてもじゃないが営めないはずだ。
「ん? ああ、私は
つまるところ飛び級。サラッと言っているが、高校まで日本の学校に通っていたとすれば、医学部は2年で卒業したことになる。なるほど、過不足なく天才だ。医師としても秀でていることは、先ほどの診察と処置を見れば素人目にも分かる。
「どうしてこんな国に? 君の実力と経歴なら、日本の医学界でも引く手数多だろう」
「ん〜、まあ・・・・・・以前勤めていた大学病院では、有難いことに私のためにキャリアルートを用意してくれてたみたいなんだけど」
耕助はコーヒーを片手にぼんやりと天井の方を見つめる。
「・・・・・・それって、本当に私じゃなきゃだめなのかなって」
本人としても、言語化し難い感覚なのか。
蔵人は、言葉の解釈に迷って思わず先を促してしまう。
「というと?」
「ん〜・・・・・・例えば、大学病院で出世街道を上り詰めた先にあるのは、大それたポストと『権威』の肩書きだけだろう?」
「普通は、それを『成功』と呼ぶんじゃないのか?」
そう問い返すと、耕助はしばしの間いっそう難しそうな顔で考え込む。なんだか質問攻めしてるみたいで悪いな、とは考えつつも、どうやら蔵人は能見耕助という男の考え方に興味を持っているらしく、彼の答えが無性に気になる。
「・・・・・・私の場合、家がそこそこ裕福だったからね。友人もそれなりにいたし、両親も私の引っ込み思案に理解があった。
だから、普通の幸せってやつは、多分少年時代に経験している」
「・・・・・・・・・・・・普通の幸せ、か」
「ああ。だからそれを、今更自分で手にしたいとは思えないんだ。世の中には喉から手が出るほどそれを欲しがっている人がいる。道標は、そういう人のために用意されるべきだろう?」
つまり彼は、
多くの人が羨むそれを、いつでも手に入れることができる環境と能力に恵まれていたがために、自分がそれを欲することは不自然だし不平等だと考えている。まあ、ここまでは聞けば分かる。となると、やはり最初の問いに戻ることになる。
「それで結局、どうしてこんな国に?」
こちらは単純明快だったらしい。耕助は恥ずかしそうに笑って、
「強いて言うなら、自分探しってやつかな!」
照れ隠しのつもりなのか、さきほどまで平気そうに飲んでいたブラックコーヒーに一口つけるごとに苦々しげに舌を出す。
蔵人はわざとらしく呆れたような口ぶりになって指摘した。
「自分探しって君・・・・・・
「あはは、そうなんだけどさー・・・・・・」
今度は困ったようにポリポリと首筋を掻く。
なんか、いちいち弱々しげな動作を繰り返す男だ。オットーの傷を診た時の豹変ぶりはなんだったのか。
「さっきも言ったように、名医と呼ばれて持て囃されるよりも、私にしかできないことがあると思ったんだ。
────────私が生まれてきた意味・・・・・・生きていく理由がさ」
上手い表現を見つけようとしてるのか、またうんうんと唸り出した。・・・・・・まあ無理もない。しばらくこの国で生活しているなら、日本語で会話するのは久しぶりだろう。
「なんていったかな、こういうの、カッコイイ言葉で・・・・・・なんたらデートルみたいな」
「レゾンデートル?」
「そう! それです、それが言いたかった!」
違った、フランス語だった。
単に口下手なだけかもしれない。
レゾンデートル。『存在意義』や『存在理由』とも訳される哲学用語だ。ここでは文字通り、生きる理由を意味する言葉として受け取っておけばよいだろう。
それにしても、なんというか・・・・・・
「ありきたりな悩みだな」
「なっ、ありきたりでなぜ悪い! 人生は物語じゃないんだぞー!」
普通じゃない人間でも、行き着く先は普通の悩みだ。いや、普通じゃないからこそ普通の悩みにそこまで行き詰るのか。真に普通の人間には、そんなことを気にしている余裕はない。
人生は物語じゃない。その通りだ。光陰矢の如し。人間の一生は悩んでいる間に過ぎ去る。哲学的問いに頭を悩ませるのは、いつの時代も非凡の特権なのだ。
「『空虚』というのは厄介な病だよ。順風満帆でも、どこか満たされない。贅沢と言ってしまえばそれまでだろうね。
だけど、医師の性分かな。見つけてしまったしこりは、どうにも見ぬふりできない」
なるほど、と。
蔵人は残った苦い液体を流し込むと、
「つまり君は試したかった訳だ。善行で心が満たされるかどうか」
「・・・・・・『天職』なんてものが本当にあるならきっと、ジグソーパズルのピースのようにパチリと当てはまるものだと思うんだ。そう在ることが本来自然だったもののように」
・・・・・・その言葉に、蔵人はしばらく黙りこくってしまった。
天職。
あるべき姿、いるべき場所、収まるべき鞘。
なるほど、『自分探し』という言葉は正鵠を射ている。彼にとって、心にポッカリと空いた穴を埋めてくれるであろうモノは、自分の目で見渡せる場所にはなかったのだ。
──────────蔵人と同じように。
「それで、ピースは見つけたのか?」
「そう見えるかい?」
耕助は自虐的に笑った。それは、答えの代わりとしては十分だったのだろう。
「前途多難だな」
「うん・・・・・・でも、ここでの生活は結構気に入ってるんだ。
そりゃあ儲からないけど、前の居場所よりは必要とされていることを実感できる。私の精神は、善行ってやつに多少は向いてたらしい」
「・・・・・・・・・・・・そうか、それは善かった」
そこまで話すと、耕助は空になったふたつのコーヒー缶をゴミ箱に投げ入れ、さきほどまでよりうずうずした調子で蔵人に向き直った。
「それで、だ!」
その表情は初めて見るが、出会って数時間ほどの付き合いながら、それとなく回避しようとしていた面倒な流れの予兆であることは何となく理解できた。
「そういう君は、どうしてこの国にやってきたんだい?
・・・・・・まさか、私にばっかりなんでもかんでも話させるつもりじゃなかったろうね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当然だろ」
「間の長さが全てを物語ってるよ!?」
やはりというなんというか、結局はこういう流れになった。これは蔵人自身のことも多少は話さなければ死ぬまで引き止められるだろう。
・・・・・・とはいえ、本当のことを話すわけにもいくまい。
「──────ま、社会奉仕という点では君と同じかな。だが、僕の場合は・・・・・・少し危険な仕事だ」
「! それって、つまり・・・・・・」
幸いにして耕助は聡明だし、この国を取り巻く様々な問題にも多少は知見があるだろう。でなければ、こんな場所に病院を開かない。
こう言っておけば、普通は察して首を突っ込まなくなるはずだ。
「・・・・・・兵士ってことかい!? え、かっこいー! 外人部隊かい!? それとも傭兵!?」
そういえば普通じゃなかったなこいつ!
「危険な仕事って言ったろ!? 警戒心ってやつがないのか君は!!」
これに関してはもう、普段は温厚(というか超無関心)な蔵人も若干キレ気味だった。
ところが、この場にオットーが居たなら真面目に腰を抜かしていただろう蔵人の剣幕も耕助は何処吹く風だ。
「やだなぁ、私と君はもう友人だろう? どうして友人を警戒する必要があるんだい?」
・・・・・・眉間のシワを親指で押し伸ばし、ため息をつく。これでは余所者嫌いの元兵士ですら毒気を抜かれてしまったことだろう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰る」
「えーっ!? まだ全然話を聞けていないじゃないか! ひどいっ、私の心は赤裸々に暴いておいて!!」
「気色の悪い言い方をするな! というか自分から楽しそうに話してただろ、君は!」
蔵人は席を立って目の前に並ぶふたつの空き缶をゴミ箱に捨てると、左手首の腕時計をちらりと見遣る。
・・・・・・そろそろ約束の時間だ。アレからの電話の内容をこの小動物のような男に聞かせるのはいかにも具合が悪い。
「───────言ったろ、危険な仕事なんだ。君は関わらない方がいい。できれば、もう二度と会わないことを祈るよ」
少しくすんだガラスの扉を押し開けて外の冷たい風を浴びると、コートの内から残り少ない煙草の箱と銀色のジッポライターを取り出す。
自分なりに突き放すように言ったつもりだが、耕助はむしろ嬉しそうに、そして、子供のようにいたずらっぽく笑って返答した。
「ということは、万が一私たちが再会したなら、神様がその祈りを突っぱねるほどにそれを望まれていたということだ。
────────その時は、観念して酒でも呑みに行こう」
ふん、と鼻で笑って煙草に火をつけた。軽く手を振ると、その場を後にした。
◆
「────────あ、そうだ林檎! 買いすぎたからいくつか持って帰って・・・・・・!」
その後、すぐにばたばたと慌ただしい足音が能見医院に反響する。突然帰るものだから、おすそ分けを忘れていたのだ。
耕助は、大ぶりな林檎を両手に持てるだけ持って、再び医院の扉を肘で押して開いた。
「って・・・・・・あれ、もういない」
結構急いで戻ってきたつもりだったのだが。
彼が飲んでいた煙草の煙の匂いは辺りに漂ったままで、その後ろ姿は既に通りのどこにもなかった。
神楽音蔵人。
まるで煙のように、捉えどころのない男だ。
「また会えるといいなぁ・・・・・・」
◆
ふう、と肺に入れた煙を吐き出す。
寒い季節だ。道行く人も似たような色の息を吐き出して、悴んだ手を温めている。
「・・・・・・・・・・・・」
能見耕助。
面白い男だったが、もう二度と顔を合わせることはないだろう。
なぜなら、神楽音蔵人は──────────
「・・・・・・ッチ、時間か」
着信音に急かされて、二つ折りの携帯電話を開いて通話を開始する。
『───────ごきげんよう、“
電話越しに聞こえてきたのは、電子化されて少しくぐもっているにも関わらず、どこか神聖さを感じさせる女の声だ。
ここ数年間ほど、蔵人は嫌というほどこの声を聞いてきた。
「・・・・・・“
たったひとり、蔵人の同僚と言うべき女。
『現場の下見は終わりましたか?』
「───────ああ、問題ない。狙撃可能な地点は何ヶ所かアタリをつけておいた」
『よろしい。では予定通り、明日・・・・・・』
なぜなら、神楽音蔵人は────────
『ライアン・フィランダーを暗殺し、レネゲイド発掘を阻止してください』
──────────テロリストとして、罪なき人を殺すためにこの国を訪れたからだ。
「・・・・・・了解」
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