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『呼び水/引火』

 12月11日、日本時間15時20分。

 都内某所、UGN日本支部応接室。


「──────よもや、政敵を懐へ招き入れるほどの愚者だったとはな。“リヴァイアサン”」


 神経質そうな金髪の男が口火を切る。

 サングラスの奥から差し込むのは、たっぷりの敵意と侮蔑が込められた鋭い眼光。


「敵だなんてとんでもない。派閥は違えど、我々は同じ組織に身を置く同志でしょう?」


 対する黒髪のビジネスマン然とした男はアルカイックスマイルを浮かべている。

 この穏やかな瞳で見透かされるのは、ある意味、睨めつけられるより恐ろしい。


「─────────────────」


 双方、しばし沈黙。

 傍目には何でもない午後のティータイム。だが、少なからずUGNという組織に造詣の深い人間が目にしたなら、火薬庫よりも心臓に悪い光景だろう。



 潔癖な白スーツを着こなす金髪の男はUGNの最高権威たる『中枢評議会アクシズ』の一人、“ミリオンサンズ” アッシュ・レドリック。


 対して、精悍な顔立ちをした日本人男性はFHとの抗争の最前線たるUGN日本支部の長、“リヴァイアサン” 霧谷雄吾きりたにゆうご


 水と油。

 犬猿の仲。

 不倶戴天の敵。


 彼らの関係を簡潔に言い表すなら、そのような慣用句が列挙されることだろう。


 片や、オーヴァード議員による評議会の統治とUGNの軍隊化を推し進める『改革派』の筆頭。

 片や、オーヴァードと非オーヴァードが融和した社会を理想とする『穏健派』の中心人物。


 そもそもが対極。

 与党と野党が対立するように、組織構造的な部分からして相容れないのがこの二人だ。


 そんな彼らが仲良く(?)ティータイム。

 夢にしたってタチの悪い光景だ。


「そう邪険にしないで下さい、“ミリオンサンズ”。今日のためにあなたが愛飲しているという茶葉まで取り寄せたのですから」


「《ソラリス》の・・・・・・いや、こう表現すれば他の有能な《ソラリス》エージェントに角が立つな。貴様リヴァイアサンの出した茶など飲めるか」


 何が入っているとも知れん、と。不信感を隠そうともしないアッシュだが、そもそも彼が霧谷の社交辞令に応じている時点で異常事態と言っていい。


 猜疑心の具現たるアッシュが『穏健派こちらの本拠地で茶でもしないか』という冗談みたいな提案を受けたのは、気まぐれでもなんでもない。

 その本意とは、彼の関心事が日本支部の管轄にあることに由来する。『廃神機関アポカリプス』を名乗る組織が生み出したハイアージジャームという新たな種族。

 ただ強い“だけ”のジャームであれば大した脅威ではない。トップエージェントでも『ストライクハウンド』でも派遣しておけばいつかはケリがつく。


 ──────そして、残念ながらハイアージジャームはただ強いだけの相手ではない。

 『新人類』を標榜し、UGN相手に大立ち回りを続ける彼らの鮮烈な活躍は、燻る火種に油を注いでしまう可能性がある。

 UGNにもFHにも、そしてゼノスにも迎合できないオーヴァードやジャームたちが、甘い香りに釣られてしまうのだ。我々もまた、彼らのように自由なのだと。


 特に、頭目であるリベラにはある種、都築京香を思わせる『スター性カリスマ』がある。享楽的ながらも哲学的な、無邪気な革命家。彼がこのまま勢力を伸ばしたなら、それはUGNが─────辛うじてながらも─────維持しているレネゲイド社会の均衡を揺るがす一大ムーヴメントとなる可能性がある。


 恐ろしいのは、強さでも組織力でもなく、その勢いと話題性なのだ。



「──────『極東戦線きょくとうせんせん』とやらに手を貸せ、という依頼であれば丁重に断らせてもらう。ハイアージジャームの台頭を放置したのは貴様ら日本支部の責だ。私が尻を拭いてやる道理はない。

 ・・・・・・もっとも、世界の存亡に関わる危機にまで発展するというのであれば、我々が手を下すのも吝かではないがね」


「ええ・・・・・・無論、心得ています」


 アッシュ・レドリックの言う『手を下す』とは『手を貸す』と同義ではない。彼がその気になれば、日本地図から字桐市を消すことぐらい訳ない。

 事実、『神性婚礼しんせいこんれい』の折には、舞台となった白鷺しらさぎ市を焼却する準備を整えていた。


 街一つの犠牲で世界が守れるのであれば、迷わず犠牲を容認する。

 それが改革派であり、それがアッシュ・レドリックという男だ。


 ・・・・・・とはいえ、それが軽々しく下せる決断でないこともまた事実。特に都心近くの街一つを焼却するとなれば、後始末のコスト、社会への隠蔽対応、人道的判断の有無など、考えるだけでも煩わしい議論が付き纏う。


 故に静観。

 日本支部を当て馬に『極東戦線きょくとうせんせん』を遠巻きから観察し、事の緊急性を推し量りたいというのがアッシュの目論見だろう。

 霧谷たちがハイアージジャームを殲滅できたならそれでよし。彼らが大敗を喫したなら、それでもよし。前述した『煩わしい議論』の大部分をカットできる。


 一番の悪手は、むしろ『極東戦線きょくとうせんせん』に直接的に手を貸すことだ。

 先進国の首都付近を舞台にした、機密組織UGNの大規模出兵。そんなリスキーな作戦の責任者にアッシュ・レドリックの名が追記されることとなる。せっかく霧谷政敵が引いてくれた貧乏くじを、どうして引き直そうか。


 当然、そんな提案はたとえアッシュでなくとも受けない。『穏健派』議員のテレーズ・ブルムや加賀美かがみ義彦よしひこでも躊躇するだろう。

 そんなことは霧谷雄吾も分かっている。元より期待すらしていない。こうして遠回しに脅しをかけられることすらシミュレーション通りである。


「・・・・・・では、貴様は私に何を期待する?」


 警戒心と敵愾心が入り交じった声、視線。

 これが交渉だというなら、もはや望み薄どころの話ではないだろう。取り付く島もないとはまさにこの事だ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 渇いた口を熱い紅茶で湿らせる。

 そして​────​───



「──────上層部に内通者がいます」



 ようやく、本題を口にした。


「・・・・・・ッ、何だと?」


 アッシュ・レドリックが、ここにきて初めて当惑したような表情を見せた。

 無理からぬことだ。霧谷雄吾が・・・・・・一国のUGN支部を総括する“リヴァイアサン”をして『上層部』と表現せねばならない相手。そんなものはもう一つしかない。


 UGN本部。

 在籍するエージェントの全てが各地方支部長を超える権限を有する、UGNの最高位機関。同時にアッシュ・レドリックの根城だ。


 その構成員が、FHとも関わりのある組織の内通者? そんなこと、あっていいはずがない。


証言者ソースは元本部エージェント“ルシフェルウィング”と、同じく“希望エルピス”・・・・・・かつては“イノセントデビル05”と呼ばれていたアナスタシア・カラシニコワの連名です」


「カラシニコワ・・・・・・」


 その名には覚えがある。

 数年前───────『中枢評議会アクシズ』の席を得る以前に、UGNへの背信罪で処分したロシア支部のトップエージェント・・・・・・その管理下にあったチルドレンの名だ。

 相当数の犠牲と、有能な部下の流出を許した一件として、当時の苦い思いと共に記憶に残っている。


(マトヴェイ・カラシニコフの遺児・・・・・・

 その後の対応は部下に任せていたが、・・・・・・)


 テレーズ・ブルムの台頭以降、『イノセントデビル』の扱いにはアッシュ本人も頭を悩ませていた。

 戸籍のない使い捨ての暗殺者は確かに便利だが、使用後のフォローを怠れば『穏健派』に確保され、槍玉に挙げられることになる。今となっては、出動許可を下ろすのは『身内切り』の場合がほとんどだ。


「“ルシフェルウィング”たちは“聖なる瞑想者”が上層部から受け取った誤情報を元に派遣され、『恐怖メトゥス』覚醒のトリガーに利用されました。

 これが仕組まれたものだとすれば、情報元は直接的に『廃神機関アポカリプス』と関係を持っていることが予想される・・・・・・私の権限では辿り切れませんでしたが」


「なるほど、ノーヒントという訳だ」


 だから『中枢評議会アクシズ』の権限で調査を引き継いで欲しい。

 そういった調子で協力を要請してくるのであれば、それはそれは清々しく断ってやれることだろう。あまりにも他力本願だ。こちらの労力コスト報酬リターンが見合っていない。


 二の句に嫌味を飛ばそうとすると、霧谷は「もう一つ、」と付け加えた。


「三ヶ月前、今回の一件に踏み入ろうとした前UGN字桐市支部長“聖餐供犠レッドラム”が暗殺されました。その実行犯が“イノセントデビル05”・・・・・・アナスタシア・カラシニコワです。

 ───────現在では、同支部にてチルドレンとして保護されていますが」


「は・・・・・・・・・・・・?」


 ・・・・・・今度こそ、本当の意味で呆然とさせられた。その言葉が突拍子もなかったからではない。むしろ、その逆。疑問が腑に落ちてしまったのだ。


 三ヶ月前。

 『イノセントデビル』の脱走。

 ────────マティス・エルダーバーグの失態。


(・・・・・・・・・・・・あの無能ッ!!)


 仮にも。

 マティス・エルダーバーグ議員は『中枢評議会アクシズ』の一人であり、アッシュ率いる『改革派』議院の一翼だ。

 それが・・・・・・


(言うに事欠いて内通だと・・・・・・ッ!?)


 はっきり言ってマティスは小物だ。

 金の力で『中枢評議会アクシズ』の席を得ておきながら、やってきたことと言えばアッシュの太鼓持ち。情報戦や勢力争いといった大それたことからは縁遠い存在だった。

 だからこそ『改革派』の議席数を確保するためだけの傀儡として子飼いにしていた。その権限で私腹を肥やすような行為も、多少は目を瞑っていた。

 裏で何やらコソコソやっていることは認識していたが、まさか身中の虫であったとは夢にも思わなかった。


(このことを『穏健派』に追求されれば『改革派』は議席一つと組織からの信用を同時に失うことになる・・・・・・!

 エルダーバーグへの尋問は当然として、内通の事実は査察部を動かして揉み消すか・・・・・・!? 幸い『穏健派ヤツら』はまだ核心には辿り着いていない・・・・・・)


 ふと顔を上げると、霧谷の眼力に圧倒されることとなった。


「・・・・・・・・・・・・お心当たりが?」


 先程までのへらへらした態度はどこへやら、覚悟と確信を湛えた真っ直ぐな瞳がアッシュに射抜くように見据える。


(・・・・・・・・・・・・まさか)


 ──────辿り着けなかった、という言葉が嘘偽りで、内通者の正体がマティスだという事実を“リヴァイアサン”が認識している場合は?

 有り得ぬ話ではない。現在、霧谷の手元には実行犯たる“イノセントデビル05”がいる。マティスが常軌を逸した間抜けで、指導者が彼自身であることを手駒に知られていたなら、マティスに『穏健派』のメスが入ることは時間の問題だ。


(泳がせているのか・・・・・・この私を?)


 もしこの場面でアッシュが内通の事実を揉み消したとしても、『穏健派向こう』の手が早ければ、こちらの用意した主張ストーリーを覆される可能性がある。

 そうなれば、本格的にアッシュの立場まで危うい。『極東戦線貧乏くじ』を引かされるどころか、『中枢評議会アクシズ』からの降格も有り得る。


(冗談じゃない・・・・・・あんな無能に足を引かれて、この私が失脚だと!?)


 安全策は────────


(・・・・・・エルダーバーグを・・・・・・そうすれば失うものは議席だけで済む)


 そもそも、アッシュ率いる査察部の役割とは、UGN内部の不正や裏切りを見つけ出し、粛清する組織の自浄機能だ。マティス身内を切り捨て、吊り上げる行為も言ってしまえば通常業務。『穏健派政敵』に糾弾されるよりは、こちらの方が幾分か心証もいい。


 ・・・・・・とはいえ、それは『改革派』の勢力拡大に自ら歯止めをかける行いだ。


「───────あったとして、私がそのことを隠匿したらどうするつもりだ?」


「そんなことにはなりませんよ」


 紅茶を呷る。

 空になったティーカップを置くと、霧谷雄吾はどこか満足気な笑顔で言ってのけた。


「──────派閥は違えど、我々は同じ組織に身を置く同志でしょう?」


 めき、と枯れ木を踏み抜くような音。

 見れば、アッシュが靴裏を着けていた大理石の床が不気味にひび割れていた。


「貴様の、そういう所が嫌いだ。“リヴァイアサン”・・・・・・!!」


 こうなってしまっては、この後どこにどう駒を打っても戦局は変わらない。分かっていても、霧谷雄吾の思惑通りに動くしかない。

 これにて詰めチェックメイトだ。


「お褒めに預かり光栄です・・・・・・“ミリオンサンズ”」



────────────────────


 12月20日、世界グリニッジ標準時間13時47分。

 テレビ電話上、『中枢評議会アクシズ』緊急会議。


 アッシュ・レドリック議員より、マティス・エルダーバーグ議員に対する不信任決議案を提出。ヨシュア・ランカスター評議長他過半数の議員がこれを承諾。


 審議の後、レドリック、エルダーバーグ両氏を除く十名の評議員による投票を実施。

 開票結果、


 10:0でこれが可決された。


 エルダーバーグ議員により再投票が要請されるが、ランカスター評議長がこれを棄却。

 同時刻を以て、マティス・エルダーバーグ議員を『中枢評議会アクシズ』より罷免し、氏の身柄は以降、UGNベルリン支部にて拘束されるものとする。


            UGN中枢評議会

            議事録より抜粋


────────────────────


 12月20日、日本時間23時33分。

 都内某所、UGN日本支部執務室。


「──────とまあ、私がしたことと言えば至極穏やかにお茶を囲んだぐらいです」


 サラリと言ってのける霧谷に、中枢評議員テレーズ・ブルムは小さなディスプレイの中で最大限のドン引き顔で賛辞を送った。


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、そう』


 無理もない。

 アッシュ・レドリックに身内切りの決断を下させるなんて、尋常な事態ではない。

 それも、犬猿の仲である霧谷が為してしまうとは、いっそ天変地異と表現しても差し支えがないレベルの話だ。


『毎度の事ながら・・・・・・あなたには頭が下がるわ、“リヴァイアサン”。元情報部隊の面目躍如といったところかしら?』


「私の実力じゃありませんよ。そもそもこの話自体、“ミリオンサンズ”にとっては不意打ちのようなものでしたし・・・・・・『改革派』にとってもこれが最も被害の少ない対応です。

 やはり彼は極めて優秀だ。話している時も緊張で冷や汗が止まりませんでした」


 どの口が、と言ってしまいたくなるのをすんでで堪える。


『それにしても・・・・・・エルダーバーグ議員が内通者だったなんて。あなたはいつ、どこで知ったの?』


「え? 今日、貴女の口から知りました」


『・・・・・・・・・・・・え?』


 思わず素っ頓狂な声が出た。

 だって、“リヴァイアサン”は『穏健派』による追求との二択をかけて“ミリオンサンズ”に身内切りを選択させたはずじゃ・・・・・・


「内通者が誰かなんて、最初から本当に分かっていませんでしたよ。“ミリオンサンズ”に相談してみたら心当たりがありそうだったので、少しカマをかけてみただけです」


 カジノに例えるなら、役なしブタの手札で賭け金を吊り上げて、相手に撤退ドロップを選択させたようなものだ。

 くそ度胸というか、肝が据わっているにも程がある。


『・・・・・・・・・・・・つくづく、あなたが敵じゃなくて良かったと思うわ』


「あはは、とんでもない。

 ・・・・・・UGNというのは、嘘偽りのない本心のつもりだったんですけどね」


 過大評価されすぎるのも考えものだ、と。

 窓の外にちらつく雪空を見上げながら、“リヴァイアサン”は寂しげに笑った。

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