敷石弥勒のUGNごはん

四話&望まれ六話読了後推奨

『UGN綾間市支部の牛タン定食』

 冷たい風が低いビルの隙間を吹き抜けて、敷石弥勒しきいしみろくの頬を撫でた。


「・・・・・・・・・・・・寒っ」


 マフラーを巻いてこなかったことを後悔する。つい先日まで暑さに茹だっていたというのに、いつの間にやらすっかり冬の風情だ。


 この街──────綾間あやま市は都心から遠く、都市開発進行中はいえ大部分に自然を残しているためか、余計に涼やかに感じる。敷石の担当する波紋はもん市も似たような気候だが、やはり人口密度が違うと体感温度も変わってくるものだ。


 昼下がりだと言うのに日差しもない。

 体を冷やさないように、自販機で温かいコーヒーを買った。アルミ製の硬い缶はともすれば火傷しかねないほど熱されていたが、今のかじかんだ手先には丁度いい。


(早いな・・・・・・もうすぐ十二月か)


 三十路になって改めて実感したのは、『光陰矢の如し』なんて有名なことわざに嘘偽りがなかったということだ。三十過ぎたら人生早いぞ、なんてジジくさい台詞を諸先輩方は頻りに吐いていたが、言って聞かされるのと実際に肌で感じるのとでは大分違う。何が違うかというと、虚しさが段違いだ。

 夏の暑さが、冬の寒さが煩わしくなってから何年ほど経っただろうか。クリスマスや大晦日を『歳末』と一括りにするようになってから何年ほど経っただろうか。


(・・・・・・とはいえ、やっていることは学生時代からほとんど変わってないんだが)


 カシュッ、と気味の良い音。プルタブが缶の内側に折れて、閉じ込められていた熱気が芳醇な香りと一緒に解き放たれた。若い頃は微糖を好んでいたが、今ではすっかりブラック党だ。味覚が変わったというより、過度な糖分を体が受け付けなくなった気がする。


 ───────早いもので、UGNに身を置くようになってから今年で十六年目だ。敷石は現在三十二歳だから、人生の実に半分もの時間を組織と共に歩んできたということになる。とはいえ、途中数年ほどは一般商社で勤めていた時期もあったが。


 いわゆる脱サラだ。そういう意味では、今日訪ねるUGN支部長とはシンパシーを感じるところもある。

 今日訪ねるUGN綾間支部の支部長も勤め先から独立し、その事務所を支部のカヴァーとしていると聞いた。


 UGN綾間市支部長・神月正義かんづきせいぎ

 “ジャスティス”のコードネームに恥じぬ正義漢で、数ヶ月前に神戸で起きた“ピルグリム”事件の際にはテレビ電話越しに侃侃諤諤と議論を交わしたのが記憶に新しい。


 その実力も折り紙付きで、新設の綾間市支部を率いてFH最強の刺客──────“マスターレイス03'ガンマ”カイン・A・コードウェルを討伐したという逸話はもはや伝説の域だ。これで歳も経験も敷石より若いというのだから、こちらはもはや立つ瀬がない。


 今回は、そんな彼から直々の招待があり、波紋市からはるばる赴いたというわけだ。

 『美味しいものが食べられる』と勘違いした白影と華バカふたりを撒くのは苦労したが、電車とバスを乗り継いで何とか辿り着いた。おかげで会合の前からクタクタだ。


「さて・・・・・・資料によると支部はこの辺って話だったが・・・・・・」


 地図に示されていたのは街のはずれの雑居ビルだった。UGN支部である以上、悪目立ちする立地は選ばない。真面目というか律儀というか・・・・・・かく言う敷石も似たような基準で波紋市支部を設立したのであるが。


 辺りを見渡すと、それらしき貸ビルを発見する。なるほど、目立ちはしないが寂れた印象もない。なんというか、質実剛健だ。


 ビルを見上げる。


 一階『レストラン・ジャスティス』。

 二階『神月法律事務所』。


(──────ん?)


 UGN綾間市支部長・神月正義。

 コードネーム“ジャスティス”。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・どっちだ?」



 普通に考えれば二階の法律事務所だろうが・・・・・・コードネームを下の階のレストランから取った? そんなことある? いやいや、でも偶然の一致にしては・・・・・・

 となると、法律事務所は親か兄弟の生業で、一階を間借りさせてもらってるとかだろうか? ちょうど“正義”を英訳すると『ジャスティス』になるし。それをコードネームにしているのもよく考えればだいぶヤバいが。


「・・・・・・とりあえず、レストランの方に入ってみるか」


 法律事務所に比べれば敷居が低い。

 違ってたら違ってたでそのままお昼をいただければいいだけだし。時間的にもそれぐらいの余裕はあるだろう。


 少し残っていたコーヒーを飲み干して缶をゴミ箱に捨てると、レストランの立派なドアを押した。カランカランとベルが鳴り、空調の効いた室内から暖かい風。


 店内には客こそいないが、フローリングは隅々まで清掃が行き届いており、テーブルには新品同様の真っ白なテーブルクロスが引かれている。高級店じみた鼻につく感じは全くなく、馴染みやすいながらも清潔だ。


「一名様ですねー、こちらへどうぞ!」


「えっ? あっ、はい」


 入るなり、ウェイトレスの格好をした銀髪の少女に席まで案内される。・・・・・・というか、この子アルバイトとかしていい歳か? どう見ても小学生ぐらいにしか・・・・・・


(あれ? この子どっかで見たような)


 わけもわからず席に着くと、すぐグラスに入った水が提供された。席にはメニュー表も何もない。どうやって注文するんだこの店?


「少々お待ちくださ〜い♪」


「あっ、ちょ・・・・・・神月正義って人を」


 行ってしまった。

 それはもう、脱兎のごとくという言葉がぴったりな健脚。っていうか、なんか目に見えて避けられてない?


 メニューも店員を呼ぶボタンも存在しない状態で放置される敷石。机の上には水が一杯だけ。レストランでこんな時間があっていいのだろうか。


 店員に話を聞きに行こうかと席を経とうとしたその時、今度は栗色の髪をした女子高生ぐらいのウェイトレスが四角いお盆を慎重に持ってきた。


「お待たせしました〜・・・・・・」


 机の上に置かれたのは、平たく言うと定食だった。

 たっぷりと皿に盛られた厚切りの牛タンに、添え物の南蛮味噌漬け。白ネギのテールスープに、白菜のお新香と卵黄入りのとろろ。そして大盛りの麦飯。


「えっ、牛タン定食?」


 仙台名物・牛タン定食。

 敷石弥勒の大好物である。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ、何で?」


 初めて訪れた街のレストランに入ったら、頼んでもないのに大好物が出てきた。


 何これ夢?


 少女はぎこちない様子で「ごゆっくりどうぞ」と告げると、そそくさと店の奥へ引っ込んでいってしまう。

 結果、席に残されるのは敷石弥勒と謎の牛タン定食。いかにも洋食店には似つかわしくない光景である。


(・・・・・・・・・・・・とりあえず食うか)


 意味は分からないが、どのみち食事は取るつもりだったのだ。何かの間違いにせよ、出された以上は食べた方がいいだろう。


 白髪ネギをレンゲの底でスープに沈め、切り落としの牛肉と一緒に口へ運ぶ。


「・・・・・・・・・・・・めちゃくちゃ美味い」


 黄金色のスープには牛テールの旨みがしっかりと染み出しており、さっぱりとしているのにコクがある。しゃきしゃきのネギも食欲を促進させ、隠し味には生姜を使っているのか、冷えた体が芯から温まる。


(スープでこれなら、メインの牛タン焼きは・・・・・・)


 意を決して肝心要の牛タンを一切れ、箸で持ち上げる。重みすら感じるほどに厚切りだが、口の中に放り込むと、独特のコリコリとした歯ごたえと共に容易く噛み切れる。

 脂は少ないがパサパサしておらず、さっぱりとした肉汁が染みて瑞々しくすらある。塩加減もいい塩梅で、シンプルながらも完結した一冊の本のような味わいだ。


(うめぇぇえええ〜〜〜・・・・・・・・・・・・)


 仙台支部を訪問した時に本場のそれを味わったことがあったが、ここまでのものにはついぞ出会えなかった。それほどの牛タンが地方都市のレストランで出てくるとは。


(でも怖ぇぇえええ〜〜〜・・・・・・・・・・・・)


 なんの脈絡もなくめっちゃ美味い牛タン定食を食べさせられると、人は心の底から萎縮するものらしい。ソースは敷石。


 青海苔のかかった月見とろろにソースではなく醤油を垂らし、混ぜ合わせて麦飯にかける。いわゆる麦とろというやつだ。こんなところまで本場仙台のそれに沿っている。勝手に大盛りで出てきた麦飯に初めはギョッとさせられたが、なるほどこれなら大盛りでもかきこめる。なんなら、丼鉢によそってほしかったほどだ。


(お新香も味付けがしっかりしている・・・・・・脇役がちゃんと仕事してるだけに、メインの存在感が引き立つな・・・・・・)


 いい仕事をしているのはお新香だけではない。牛タン焼きに添えられた南蛮味噌漬け────青唐辛子の味噌漬けは、言わずと知れた牛タンのお供だ。箸で少しつまんで舌に乗せると、清涼感のある辛みが『牛タンの口』を作ってくれる。

 おかげで箸が止まらない。気づいた時にはスープの一滴から米の一粒に至るまで、ひとつも残すことなく完食してしまっていた。


(結構な量だったが・・・・・・年甲斐もなく夢中で食ってしまった)


 心地のよい満腹感に、危うく本来の目的を忘れてしまうところだった。ウェイトレスが皿を下げに来たら、今度こそは綾間市支部の場所を聞こう・・・・・・そう考えていると。


「いやはや・・・・・・いい食べっぷりだったな。敷石支部長」


 聞き覚えのある低い声に頭を上げる。そこにいたのは、鋭い目付きを黒縁メガネで隠した背の高い男だ。整えられた顎髭と太い眉のせいかどこか厳しい印象がある。ワイシャツの上から着たエプロンが少し浮いて見えるが、それ以外はおおよそビデオ通話で顔を合わせた時のままだ。


「・・・・・・俺の好物、一体誰に聞いたんですか神月支部長」


「当然霧谷きりたにだとも・・・・・・それに、敬語は結構だ。歳もキャリアも私の方が下だろう?」


 そんなことだろうと思っていた。

 霧谷とは長い付き合いだ。好物の話もどこかのタイミングでしただろう。それを覚えられていたことは驚きだが。


「・・・・・・支部はレストランの方だったんだな。アンタは知的なイメージがあったから、弁護士でもおかしくないと思ってたよ」


「ん? ああ、本業は弁護士だよ。レストラン経営は九割趣味だな」


「両方アンタの店かよ!」


 ワーカーホリック過ぎる。

 これでUGN支部長も兼任しているときた。一体何足わらじ履いてるんだ。


「普段は私が作りたいものを勝手に作って、それを客が黙って食うというスタイルなのだが・・・・・・偉大な先達を招いたのだ、忖度もしよう」


「ああ、なるほどそれで・・・・・・」


 全然なるほどじゃないが納得しておく。

 あとそのスタイル、アレルギーとかどうしてるんだい?


「牛タンは頂いたことはあったが、作るのは初めてでね。いや、良い経験になった」


「そこに関しては感服だ。あんなに美味い牛タン定食は初めて食べた」


「そう言ってもらえると嬉しいよ・・・・・・あやめくん、お皿を下げてくれたまえ」


 神月がそう声をかけると、先ほど定食を運んできてくれた茶髪のウェイトレスが「はーい」と応じ、せっせとお盆を厨房に下げていった。


 あやめ・・・・・・“アルテミス”敷島しきしまあやめか。UGN綾間市支部に於いて主力級の戦力を誇るイリーガルだ。“マスターレイス03ガンマ'”との決戦にも携わり、その野望を食い止めた猛者。

 本来であれば、こんなレストランで給仕をしていていい存在ではない。十年前のUGNであれば、あの手この手を尽くして日本支部に引き込んでいただろう。


 彼女がいるということは、もう一人のウェイトレスは・・・・・・


『ていっ☆』


「ぐえっ」


 どすんっ、と。

 突如として頭上に毛むくじゃらの物体が飛び乗った。重量は2~3kgといったところか。

 オーヴァードでなければ余裕で首をいわす衝撃だ。なお、敷石の身体性能は一般人並みなので余裕で首をいわした。


『へっへっへー、最後まで気づかなかったわね? フシアナ敷石ー♪』


 飛び乗ってきたモフモフの物体から、鈴を転がすような少女の声。そうだ、さっきはコイツがいなかったから誰だか分からなかったんだ。


「・・・・・・『馬子にも衣装』とはよく言ったもんだな、ひとみ


「ちょっと、それどーゆー意味よーっ!」


 猫を引っ捕まえて頭上に掲げると、今度は本体が厨房から出てきて猛抗議した。

 神月が誂えたのか、小学生でも着られるサイズの給仕服。長い銀髪をポニーテールでまとめた、どこかミステリアスな容貌・・・・・・を台無しにする、どこまでも子供らしい立ち振る舞い。


 彼女もUGN綾間市支部エースの一人だ。

 《オルクス》シンドロームの因子操作によって、猫を自分の分身のごとく操る弱冠十二歳の敏腕エージェント。

 コードネーム“死の舞踏ダンス・マカブル

 陸原瞳りくはらひとみ


 ああ、よく覚えているとも。

 何せ、瞳にサポーターとしての戦い方を仕込んだのは敷石本人だ。彼女が訓練生として日本支部に所属していた頃、よく似たエフェクト構成で実績のある敷石が指導者メンターとして選ばれた。短い期間だったが、異常に筋が良かったので印象に残っている。


「そうか・・・・・・あの二人も参加するのか、『極東戦線きょくとうせんせん』に」


「・・・・・・ああ。久しぶりにコウと再会できるということで、二人とも今から浮き足立っているよ」


 日本UGN各支部合同・対『亀裂シスマ』最終討伐任務。

 作戦コード『極東戦線』。

 新たなる支配種を標榜する過衝動ハイアージジャームとの最終決戦に、波紋市支部と綾間市支部は参戦を表明していた。

 トップエージェントクラスで『最低ライン』の戦場。恐らく、UGN史上に残る最も苛烈な抗争となるだろう。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 無論、彼女たちは戦力として申し分ない。

 どちらかと言えば、力不足は敷石の方になるだろうが・・・・・・


「今日の相談事は、その『極東戦線』についてだな?」


 分かりきったことを口にしてやると、神月正義はニヤリと笑った。


「話が早くて助かる。

 ・・・・・・神楽音照美かぐらねてるみの『輪廻の器アルマ・タイニア』覚醒から始まった今回の一件について、『望まれぬ者』と最前線で戦い続ける敷石支部長の見識を聞きたい」


 つまるところ、それが核心だった。

 来る前から想定していたことだ。この数ヶ月で考えに考え抜いてきたことを、余裕綽々で答えてやればいい。


「・・・・・・言い切れることは一つだけだ。

 『廃神機関アポカリプス』とやらの計画は、恐らく七年前には始まっている」


 神月が眉を顰める。

 それも当然か。言い切りはしたが、言うまでもないことだったように思う。

 『アレ』が初めて姿を現したのが七年前。だからそこを基準点にする。新規性も何もない連想ゲームだ。


 だが───────


「だが、俺の妄想が正しかった場合、少なくとも十一年前までは遡る」


「何・・・・・・?」


「ある人物を『黒幕』と仮定した場合だ。状況証拠的には全然有り得る。ただし、現状は言いがかりの域を出ない。この考察を表に出せば、俺たちの立場が一気に悪くなる」


 他の支部を巻き込むのは気が引けていたが、こうまで興味津々な目を向けられては仕方がない。こうまで前置きしておいてまだ聞こうとするのだから、向こうも文句はないだろう。


「・・・・・・聞こう」


「その前に」


 向こうから話をもちかけてくれたのは、本当に運がよかった。

 ちょうど、用心棒も欲しかったところだ。


「陸原コウと連絡を取ってほしい。

 ───────彼にも関わりのある話だ」

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