SCENE4『汝の隣人を愛しなさい』

 そして、盲目の少女とハイアージジャームの奇妙な交流は、突如として終わりを迎えることとなる。


(今日もリベラさんいるかなっ・・・・・・)


 アリィは今日も院を抜け出して廃工業地帯に足を運んでいた。リベラがそこに姿を現すのは決まって夜だけだ。日中は何をしているのか分からないが、日が暮れた後に訪ねると、決まって彼はそこで本を読んでいるのだ。


(お礼、早く言わなきゃ・・・・・・友達できたんだよって、教えなきゃ・・・・・・!)


 アリィはいつになく上機嫌で、いつになく足取りを急いていた。

 だからだろうか、普段なら気づけていたはずの通行人に気づけず、ぶつかってしまった。


「きゃっ・・・・・・!」


 尻もちを着いた。生まれた頃から盲目だったが、突然人とぶつかるこの衝撃だけは何度経験しても慣れない。


「ご、ごめんなさいっ・・・・・・」


 ぶつかった時の体幹は強くて、ごつごつしていた。恐らく、男性だろう。リベラと孤児院を経営する神父以外の大人の男性とはあまり接したことがない。思わず怯えた態度をとってしまう。

 すると、意外にも男性は優しい言葉をかけてくれた。


「こっちこそ、ぶつかってごめんねぇ」


 リベラの涼やかな声と違って、低くて腹に響くようなバリトンボイスだ。そのくせ無理して猫撫で声を出しているので、不気味な印象を受ける。


「こんな時間にどこに行くのかな?」


 だが、アリィはこの声に聞き覚えがあるような気がした。

 最近聞いた声だ。

 そう、あれは確か・・・・・・


「リベラのところに行くのかなぁああああああ???」


「え・・・・・・」




 いつも通り、リベラは廃工場で文庫本サイズの小説をめくっていた。固くてところどころゴツゴツと出っ張ったガラクタのベッドも、慣れてしまえば快適なものだ。


「・・・・・・今日は遅いな」


 腕時計をつけている訳でもない。時間を判別できる道具はマスタークラウンに与えられたスマートフォンだけだ。

 時刻は23時20分。普段なら今頃には帰り支度を始めているぐらいの時間帯だ。体調不良か、そうでなければ・・・・・・


 カツン、と。工場入り口の方から革靴の足音が聞こえた。


「!」


 アリィではない。彼女が愛用しているのは、目が見えなくても容易に履くことが出来るサンダルやツッカケの類だ。

 そして、何より・・・・・・


(白杖の音がしない・・・・・・)


 そして、工場の不健康な白色灯の下に現れたのは──────、


「久しぶりだな、リベラぁ・・・・・・」


 真っ黒なスーツケースを携えた、四十代ぐらいの強面の男だった。


「ああ、誰かと思えば・・・・・・この間の『ブラックなんたら』の隊長じゃん」


「へ、言ってくれんじゃねえか・・・・・・」


 ニヤニヤと皮肉げに笑いながら、男はリベラの方へ歩き出した。


「テメェに部下を皆殺しにされて以来、俺の人生は散々だ・・・・・・UGNからは引責降格を食らうわ、仲間内では後ろ指を指されるわ・・・・・・今じゃ目えつむる度に悪夢が蘇って薬がねえとまともに眠れやしねえ・・・・・・・・・・・・」


 男の様子は異常だった。

 以前の自信満々な顔はどこへやら。精悍だった目元は黒く落ち窪み、無精髭は好き放題に生えており、頭髪はところどころ抜毛症の痕跡がある。


「で? わざわざ殺されに来たの?」


「でもな、それも今日までなんだ・・・・・・そうだ、今日まで、今日までだ。今日で終わりなんだ・・・・・・」


 おまけに、会話もまともに成立している様子はない。リベラが手を下すまでもなく、半年も放置すればのたれ死ぬであろう有様だ。

 男は、問いかけを無視して足元のスーツケースを開封する。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 この時、リベラは知らなかった。

 『全てを失った人間』が、どれほど恐ろしいのかを。


「こいつを見ろ、リベラぁ!!」


 スーツケースの中には、


「んーっ! んんん〜〜〜!!」


 両手両足を結束バンドで縛られ、愚痴をガムテープで乱暴に閉じられた金髪碧眼の少女が入っていた。


「・・・・・・! アリィ!」


 リベラが声を上げると、それに気づいたのか、少女の抵抗が一層激しくなる。


「こンの・・・・・・大人しくッ! してろッ! ガキがッ!!」


「ん・・・・・・ッ! んんっ、んん!? ん、んぁ・・・・・・んぐ・・・・・・っ」


 元隊長は、抵抗のできないアリィの胸や腹などを何度も殴り付けて黙らせると、スーツケースから引きずり出し、人質を取る形で無理やり立たせて銃口を突きつけた。


「フーッ・・・・・・フーッ・・・・・・へへっ、笑えてくるぜ。まさかお前みたいなバケモンの弱点が、人間のガキンチョだったなんてよ・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・アリィは関係ない。今すぐ解放しろよ」


「ヒハハハッ! 解放しろ〜だってよ! かっこいいねぇお前の王子様はよ!」


「んぐっ・・・・・・ん・・・・・・っ、・・・・・・」


 大人の力で腹部を殴られて意識が朦朧としているのか、少女は虚ろな瞳のままぼろぼろ涙を流すだけだった。

 ・・・・・・が、そんな態度は男のお気に召さなかったらしい。


「・・・・・・オイ、何無視してんだお前」


 ガキンッ! と鈍い嫌な音が工場に響いた。男が拳銃の銃把部分をハンマーのように振り下ろしてアリィを殴り付けたのだ。


「ッ・・・・・・!!」


 頭皮が傷付き、額に血が滴る。


「オラぁッ! お前の大好きなリベラが目の前にいるぞォ! 見ろ! 見ろよクソガキィいいいッ!!」


 少女の目が機能していないことなど、この男は気づいてすらいない。アリィ自身が最もそれを望んでいることなど、男は気づいてすらいない。


「やめろ・・・・・・!!」


「おおォ、そうかそうかぁ・・・・・・ガムテで口封じたままだったなぁ?」


 男が冷蔵庫に貼ったシールのようにガムテープを剥がすと、アリィは咳き込んで口の中に詰められていたハンカチを吐き出した。


「ごめん、なさい・・・・・・」


 口を開くなり、少女は弱々しくそう呟いた。


「あ???」


「リベラさんが、何か・・・・・・問題を抱えていたことは、初めて会った時からなんとなく・・・・・・分かってたんです・・・・・・」


 アリィは耳がいい。目が見えない分、他の人より何倍も。

 あの時の元隊長とのやり取りも、クラウンとの電話の内容も、彼女には筒抜けだったのだろう。


「・・・・・・アリィ、もういいよ」


「でも、わたしは・・・・・・共感してほしくて・・・・・・優しい言葉をかけてもらいたくて・・・・・・見ないふりを、していました」


「アリィ・・・・・・!!」


「わたしのことは見捨てて逃げてくださいっ! 最後まであなたに迷惑をかけたくない・・・・・・!!」


 アリィの悲痛な叫びを聞いて、男は堰を切ったように笑い出した。


「ぎゃはははははははははははッ!! 逃げてくださいだってさァ!! 無敵のハイアージジャーム様に対してよォ!!」


 狂笑。

 しかし、壊れたおもちゃのように笑いつつも、男はアリィの頭から銃口を離さない。肉体変化エフェクトによる近接攻撃はタイムラグがあるし、RCレネゲイドコントロール特化の射撃攻撃は既に晒した。下手な動きを見せれば、こちらが首を落とすより早く、鉛玉が少女の脳漿を冷たい床にぶちまけるだろう。


「そうだ・・・・・・無敵だよ、初めから殺せるはずがなかったんだ・・・・・・」


「・・・・・・ああ、アンタの手札じゃ俺を殺せないよ」


「だったらテメェの手札を使うまでだろうがよォ!!」


 直後、リベラの肉体に強烈な負荷がかかる。まるで、心臓をわしずかみにされたような激痛と不快感だ。


(・・・・・・《ソラリス》のエフェクト!)


 その気になれば跳ね除けるのは簡単だ。実際、戦闘中にこの攻撃を直撃してもほとんど支障なく動けるだろう。

 だが・・・・・・


「抵抗すんじゃねえぞ? ガキの頭ん中が見てえんなら話は別だがよ・・・・・・」


「チッ・・・・・・」


 ・・・・・・今は言うことを聞くしかない。


「そうだ、そうだよ・・・・・・初めっから俺たちがやる必要はなかったんだよ・・・・・・無敵のハイアージジャームは、同じく無敵の何かじゃなきゃ殺せねえ・・・・・・」


 そうして、『ブラックプライド』元隊長の男は、結論を口に出した。

 ハイアージジャーム︰リベラ、唯一の殺害方法を。


「テメェの心臓をテメェでくり貫け」


「・・・・・・っ!!」


 それはだめだ。

 普通ならばありえない。人間には到底不可能な自殺方法。

 でも、もしそれが可能だったなら?

 彼の言うとおり、彼が人じゃなかったとしたら?

 リベラは・・・・・・


(わたしの、せいで・・・・・・っ!!)


 気づいた時には叫んでいた。祈るように、もしくは・・・・・・縋り付くように。


「だめ! やめて、リベラさんっ!!」


 まだお礼が言えてない。

 あなたのおかげで友達ができたんだって、報告したかった。

 また、頭を撫でて欲しかった。


「ふふっ・・・・・・」


 少女の願いを受けて。

 白髪の青年は、くすぐったそうに笑って言った。


「やっぱり、笑った顔の方が好きだな」


 


 直後。


 少女は、自分の頬に何か生暖かい液体が飛び散るのを感じた。


「─────────ぁ」


 男の網膜にはたった今起きた出来事が克明に焼き付いていた。

 リベラは、変容させた鉤爪で自らの心臓を貫いたのだ。


 ばしゃっ、と。

 サッカーボールが水溜まりに落ちるような音が聞こえる。


「は、」


 殺した。

 ハイアージジャーム︰リベラは、『ブラックプライド』隊長の《抗いがたき言葉》の前に命を落としたのだ。


「はははははははははははははははははははははははッ!! やった、マジでやりやがったよコイツぅはははははははははははははは!!!」


 歴戦のオーヴァードを何人も葬り去ってきた最凶のジャームが。あのリベラが、矮小な男の下卑た策謀の前にあっけなく沈んだのだ。

 これが笑わずに居られたものか。こんな簡単にコトが済むのなら、どうして自分はあんな辛い思いをしてまで訓練を積んできたのだ?


「り、べらさん・・・・・・・・・・・・」


 抜け殻の少女がうわ言のように青年の名前を呟く。

 男には、それすらも不愉快で堪らなかった。


「いや・・・・・・いやぁ・・・・・・・・・・・・っ」


 だって、まるでこっちが悪者みたいじゃないか。


「・・・・・・なんだよ。こっちはお前ら非オーヴァードのために命張ってんのに」


 この仕事は終わらせてしまおう。

 ハイアージジャームに人質を取られた少女は、奮戦虚しく殺されてしまった。

 そう報告するだけでカタはつく。


「心配しなくてもすぐに会わせてやるよ・・・・・・一緒の地獄に落としてもらえるように、せいぜい閻魔様に頼み込むこったなぁッ!!」


 男は、容赦なく引き金を引く。



 ────────するっ



「あ・・・・・・?」


 妙だ。自分は今、確かに引き金にかけていた指に力を込めたはずだ。

 なのに・・・・・・なぜ今指が空振った? というか、そんなこと起こり得るのか?


 嫌な予感を振り払うように、自分の手元に目を向けた。



 ・・・・・・トリガーに番えていた人差し指が、マカロニのように捻くれている。



「いっ────────」



 視認して初めて痛みを知覚した。裂けた指の皮膚から血が滲むのと同時に、背中にぶわっと脂汗が浮かぶのが分かる。


「ひぎゃああああああああああああああああああああああッッッ!!」


 大の男が、床を転がって猿のように叫びながら情けなく痛みにのたうち回る。そこには『ブラックプライド』隊長としての威厳も、全てを失った男としての威圧もない。

 そこには、ただ恐怖と苦痛に悶える弱々しい生き物の姿があった。


 ────何が起きた!? リベラがまた何かしたのか!? あれで、仕留め切れていなかったのか!?


 ふと気配を感じて頭上を仰ぐと、廃工場の天井すれすれの位置に、大穴と見紛うほど巨大で真っ黒な球体があった。

 横に大きな一本線。それと交差するように、ジグザグと斜めに引かれた縦線。

 まるで、縫い付けられた瞼のようなそれは、《バロール》シンドロームの、


「魔、眼・・・・・・・・・・・・?」


 リベラは《ウロボロス》シンドロームのピュアブリードのはずだ。《バロール》のエフェクトをコピーしたところで、魔眼が浮かび上がることはない。


 なら、この魔眼の発動者は・・・・・・!?


「リベラさん・・・・・リベラさんっ・・・・・・いや、いやぁっ・・・・・・・・・・・・!」


(・・・・・・まさか。このガキは《AWF》の非オーヴァードのはず・・・・・・!?)


 まさか、まさかだ。

 目の前でリベラを殺されたショックでオーヴァードに覚醒したというのか!?


 元隊長は、咄嗟にリベラの死体の方に目を向ける。だが、そこにはもう・・・・・・


「は、そうか・・・・・・リベラ・・・・・・あの、バケモノめ・・・・・・!!」


 全てを悟った男は、目を真っ赤に充血させて悪態をついた。

 男は、嵌められたのだ。

 ハイアージジャーム︰リベラ。あの悪魔に・・・・・・!!



「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」



 デタラメな重力波が荒れ狂う。

 空間が歪むほどの力の奔流だ。

 コンクリートは割れ、鉄筋はひしゃげ、重機やベルトコンベアはへし曲がって周囲を飛び交う。


 無論、そんな環境で人間が生きていられるはずがない。

 つい先程まで圧倒的優位に立っていたはずの男は・・・・・・


「ピぎゅっ」


 見えない手で雑巾のように捻られ、身体中の体液全てを穴という穴から絞り出されて悲惨に死に絶えた。





「あっはっはっはっ! 見てよあの重力場! アイツひしゃげて死んじゃったんじゃないの!?」


 対岸の廃工場の屋上に腰かけ、現場を見下ろして楽しそうに笑っているのは、先ほど自害したはずのリベラだった。

 傍らには、人をおちょくったようなジェスターマスクを被ったタキシードスーツの男が並んで立っている。


 “マスタークラウン”。

 FHに冠たるマスターエージェントの一人で、リベラたち『亀裂(シスマ)』の協力者たる男だった。


「うわ、すごい出力だね。いつの間にあんなこと出来るようになったんだい?」


「俺がやったんじゃないよ。あれはアリィの力だ」


 心臓をくり貫いても、リベラは当然のように生きている。・・・・・・否、そもそもハイアージジャームは新たなる種族。人間の弱点など意味を為そうはずもない。


「へえ? でも、確かあの子は《AWF》が使えるだけの非オーヴァードじゃなかったっけ?」


「ずーっと前から考えてたんだよね。俺の力はレネゲイドを解放する力だ。例えば、触れただけでオーヴァードをジャームに進化させられる」


 リベラは、手のひらを月明かりに透かすように空に伸ばしながら答えた。


「なら、その『一つ前の工程』が出来てもおかしくないでしょ?」


「・・・・・・なるほど。非オーヴァードのオーヴァード化だね」


「そ」


 仕込みは、アリィと初めて会ったあの夜に終えていた。

 彼女の頭を撫でた時、リベラは彼女のレネゲイドを解放させていたのだ。

 アリィは、あの日既にオーヴァードに覚醒していた。


 後は、力を自覚する『状況』を作り出せばいい。あえて彼女との交流を重ね、故意にUGNを誘い出したのである。


「実験は大成功ってわけだ」


「うん。今回の件でだいたい加減も覚えた。上手くやれば、一般人を一気にジャーム化させられるよ」


 彼の聞きたいことを察してそう答えてやると、クラウンは満足気にくつくつと笑いながら呟く。


「そりゃいいね。作戦の幅が広がった」


 それもそのはずだ。

 何せ、彼らはたった今、無尽蔵にして即興の戦力源を手に入れたも同然なのだから。


「行こっか、リベラ。そろそろ次の『プラン』を始めよう」


「ああ、そろそろみんな集まり出す頃合かな?」


 ハイアージジャーム︰リベラ。

 最初の過衝動ハイアージジャームにして『亀裂シスマ』リーダー。あらゆる可能性を内包した、背教者の王。


 彼はまさしく、人類の天敵で────


「・・・・・・そう生まれてしまったんだから仕方ないよね、アリィ」


 紛れもなく、人類の隣人だった。

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