SCENE3『個であるゆえに』

「リベラさんっ、こんばんわ!」


「ああ、アリィ。今日も来たんだ」


 あの日から、アリィは毎日のようにリベラの暮らす廃工場を訪ねてくるようになった。


「はい、今日も院の本を持ってきましたけど・・・・・・子供向けの絵本なんか読んで楽しいんですか?」


「うん。この間持ってきてくれたウラシマタロウなんか特に面白かったよ。善行を推奨しておきながら、善人が痛い目にあうという構図は旧約聖書のヨブ記によく似ている。大昔でも、愚直な善人を遠くから嗤うのが大衆の常だったかなぁ」


「??? ・・・・・・とりあえず、喜んでもらえたなら、わたしも嬉しいです!」


 少女が持ち寄る絵本は、人間の文化を学習する上で非常に役立った。話の内容を読み解く上で専門知識が一切必要ないという点では、児童書の類は文化研究の入口として優れている。

 人間は社会的動物だ。文化を学べば敵の行動パターンが分かる・・・・・・とまでは言わないが、個人の思考や精神性に文化が紐づいていることは今更論じるまでもないことだ。


 他方で、リベラはまだ生まれてから一年も経っていない。いわば、まだまだ子供なのだ。人間の感情を利用するならば、人間の感情を理解しなければならない。“マスタークラウン”に大量の映画を押し付けられたのはそういう経緯である。


「ええっと・・・・・・それで、その・・・・・・また、お話・・・・・・聞いてもらえますか?」


「ああ、もちろんいいよ。今日はどんな話?」


 本を読んでいる間、リベラはアリィの話に相槌を打った。数日間の交流を通してわかったことは、彼女はかなりの話好きだということだ。


「今日は院のみんなが集まってしりとりをしていたんですけど、やっぱり声をかけられなくて・・・・・・」


「しりとり?」


「えっと・・・・・・言葉の最後の文字をお互いに繋ぎあって、思いつかなくなった方が負けっていうゲームです。たとえば『りんご』だと次の人は『ご』から始まる言葉で返していって・・・・・・」


 曰く、彼女はこの街のカトリック教会に敷設された養護施設で暮らしている孤児だという。ロシア人と日本人とのハーフであるということと、目が見えないハンディキャップを背負っているという事情もあり、周囲と馴染めず孤立していたようだ。

 あんな夜中に廃工業地帯をうろついていたのも、院の中で感じる疎外感から逃げて、外で時間を潰すことが多かったからだ。


「へえ〜・・・・・・じゃあ、俺とやってみる?」


「え・・・・・・いいんですかっ?」


「うん。日本語の勉強にもなるしね」


 アリィは非常に陽気で、人懐っこい性質をしていた。リベラから話を振ることがなくても、聞きに徹しているだけで楽しそうに笑っている。


「じゃあ・・・・・・『りんご』っ!」


「『ご』、『ご』だと・・・・・・『ゴキブリ』とか?」


「ごきっ・・・・・・なんでよりにもよってゴキブリなんですかっ!?」


「なんでって、うーん・・・・・・この辺よくいるから?」


 アリィの顔が一気に青ざめた。

 なるほど、大体の人間はゴキブリが嫌いなんだ。またひとつ勉強になった。


「とっ、とにかく『り』ですね・・・・・・んっと、『り』・・・・・・『リベラさん』、はだめ、ですかね・・・・・・?」


「ん、そういうのもアリなんだ」


「あ、いやっ、本当は人の名前はだめなんですけどっ・・・・・・! でも、『り』と来たら、その、すぐにリベラさんのお名前が、そのっ・・・・・・」


 ごにょごにょと、一気に声のボリュームが落ちた。アリィの顔はというと、りんごのように赤くなってしまっている。

 赤くなったり青くなったり、随分と忙しいほっぺただ。


「ふーん・・・・・・まあいいや、俺人じゃないし。で、俺の手番は『リベラさん』の『ん』ね・・・・・・」


「ぇあっ、ごめんなさい! 最後に『ん』が着いちゃってるのでわたしの負けですよねっ・・・・・・」


「ん? 最後に『ん』が着く言葉を返したら負けなの? 何で?」


 真剣に疑問になって聞き返す。しりとり歴一分の彼からすれば、不可解な追加レギュレーションだ。


「だって、『ん』から始まる言葉って少ないじゃないですか」


「『ん』、『ん』〜・・・・・・?」


 これまで聞いたことのある日本語の単語を色々思い返してみる。五秒ぐらい頭を悩ませてようやく理解した。


「ほんとだ、全然ない! これ全部『ん』で返したら負けないんじゃない!?」


 レネゲイドの申し子であるリベラは、このゲームの必勝法に気づいてしまったのである。


「だから『ん』で返したら終わりなんですってば! もお、リベラさんったら」


 その様子がおかしかったのか、アリィはころころと愛嬌よく笑った。初めて会った時の怯えきった顔が嘘だったのではないかと思えるぐらい、屈託のない笑顔だ。


「・・・・・・アリィはさ。そういう顔、もっと他の人にも見せた方がいいよ」


「ふぇっ?」


 きょとんとした顔で、小動物のようにリベラの顔を見上げる。彼女が自分の言いたいことを察していないのが分かると、リベラは少女を教え導くように言葉を紡いだ。


「目が見えないのも、髪の色が違うのも個体差であって欠点じゃない。君には見えていないだろうけど、俺の髪は真っ白だし、顔だって傷だらけだ」


「え・・・・・・?」


「俺と話してる時の君は魅力的だよ。院の友達だって、本当の君の顔を見ればそう思うはずさ」


 つまるところ、アリィの悩みは彼女自身のコンプレックスに起因するものだ。『周りと違う自分』に自信が持てなくて、勝手に臆病になっているだけ。実際、彼女がいじめられているという話はこれまで聞いたことがない。


「わた、わたし・・・・・・っ」


「・・・・・・大丈夫、自信持ちなよ」


 リベラは、たった一人の新たな種族として地上に生を受けた。同じような方法で増やした仲間もいるにはいるが、それもやはり本質的には別の生き物だ。

 何せ、核となる『衝動』が違う。

 リベラにとって、自分は常に自分自身のみで、他人とは相対化されるものではない。


「『そう生まれたんだから、そう生きるしかない』・・・・・・でしょ?」


 少女のおかざりの瞳が、初めて光を宿したように煌めいた。頬を玉のような涙がつたい落ちる。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はいっ・・・・・・」


 リベラは再び少女の頭を撫でた。その手つきは、確かに映画で見た妹を慈しむ兄の手つきだった。

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