SCENE2『そう在れ』

『それは《AWFアンチワーディングファクター》だね』


 さらりと告げる電話口の『協力者』に、リベラは思わず聞き返した。


「アンチワーディングファクター?」


『そ。一般人の中にも時々いるんだよねー。体質とかの問題で《ワーディング》が効かなくなってるのがさ。シンドロームは発症してないし、エフェクトも使えないんだけど《ワーディング》だけは無力化しちゃうわけ』


「ふーん・・・・・それってさ、珍しいの?」


『まあ多少は。けど、基本的にはそんな凄いものでもないかなぁ。人によって起因が異なるから一概には言えないんだけど・・・・・・あ、FHだと《AWF》所持者を巡って騙されたマスターレイス同士が大喧嘩したって事件もあったかな』


 あれは面白かった、とばかりにしみじみと語るFH最悪のマスターエージェントを他所に、リベラは顎に手を当てて独りごちる。とんだぬか喜びだ。


「へえ・・・・・・大したことないんだ」


『ん?まあ、基本はね。でも・・・・・・』


 長くなりそうなので切った。

 “マスタークラウン”はレネゲイドのこととなると話が長いので困る。

 彼との連絡用に支給されたスマートフォンをズボンのポケットに収納すると、リベラは件の少女に服の裾を引っ張られているのに気が付き、目を向ける。


「あの・・・・・・お話、終わりました?」


「ああ、うん、終わったよ。待たせちゃってごめんね。

 ・・・・・・それで、俺にしたい話ってなんだい?」


 そう問いかけると、少女は実にバツの悪そうな様子で俯いた。


「あの・・・・・・ここってお兄さんのお家なんですよね・・・・・・?」


「お家? まあ、住み着いてはいるけど」


 この廃工業地帯はシスマ・・・・・・というより、リベラ個人の住処だ。適度に陰気で、薄暗く、人が寄り付かないので実に暮らしやすい。

 レネゲイドで構成された肉体を持つリベラは基本的に食料を必要としないので、雨風を凌げる屋根と壁さえあれば、正直どこでも暮らしていける。

 人間というよりは虫に近いライフスタイルだ。


「あのっ、わたし・・・・・・その、知らなくて・・・・・・これまで何回も勝手に入っちゃってて・・・・・・」


「?」


「神父さまが他人さまのお家に勝手に入ったら、警察に捕まっちゃうって・・・・・」


 少女が、先ほどの衝突で真っ二つに折れた白い棒をぎゅっと握りしめながらそう言った。

 そこまで聞いてようやく合点がいった。どうやら、人間の社会にはそういう決まりごとがあるようだ。

 人間という種族はとかくに数が多い。彼らは増え過ぎた個体を全体として統率するために、個人の意思より遵守される法や良心という概念に自縄自縛になっている。先ほど一掃したUGN戦闘部隊など、その象徴とも言える集団だ。

 窮屈だなぁとリベラは思う。


「別に独り占めしてる訳じゃないよ。俺が住みたいから勝手に住んでるだけ。君もそうしたいならそうすればいい」


 廃れた廃工場の壁に背中を預けながら、リベラはそう言った。

 よほど意外だったのか、少女は目をまん丸にして聞き返す。


「え? ・・・・・・許してくれるんですか?」


「許すも何も、別に怒ってないからね」


 リベラはのほほんとした態度で答えた。領地の占領や権利の主張など、弱く不自由な人間のすることだ。新たな種族の長であるリベラには本当の意味でそういったものに対する頓着がない。

 あるのは原始的で本能的な『解放』という衝動だけ。欲しいなら奪えばいい。邪魔なら殺せばいい。その根源的な営為を人間の法に否定される筋合いはない。


 だから、心の底からなんの企みもなくそう答えただけ。だというのに・・・・・・


「あ・・・・・・ありがとうございますっ」


 人間の子供は、救われたような顔で頭を下げた。


「・・・・・・・・・・・・?」


「あのっ、お名前・・・・・・聞いてもいいですか?」


 一転、今度は不安そうにそう訪ねてくる。あまりにころころと表情が変わるので、意味がわからず首を傾げてしまう。


「んー・・・・・・リベラ」


 なんか偽名考えておいた方がよかったかな、とは思いつつ、その三文字だけはきっぱりと答えた。

 彼にとって・・・・・・いや、彼らにとって名前と呼べるものは、まさしく自らが冠する『衝動』の名だけだった。突然変異種であるハイアージジャームには、人間と違ってわかりやすいルーツが存在しない。だからこそ、彼らの名は本当の意味で唯一のものだ。


「りべらさん?イタリアの方ですか?」


「そう見える?」


「ご、ごめんなさい・・・・・・!わたし、目が見えなくて・・・・・・」


 意外な返答に、リベラは目をぱちくりさせた。

 盲目。確かに何度か彼女に顔を見上げられたが一度も目は合わなかった。

 リベラは知る由もなかったが、彼女が携えている白い棒────白杖は、視覚障害者など、道路の歩行に支障のある人が周囲の状況を把握するために使われる補助器具だった。


「へえ〜、気づかなかった。見えてないのに随分上手に歩くんだね」


「わたしは生まれた時から全盲でしたから・・・・・・周囲の音をよく聞いたり、この杖で地面を確認したりしながら歩けばなんとか。階段とかエスカレーターは、危なくて使えないんですけど・・・・・・」


 白いワンピースが汚れることにも気づかず、金髪の少女はホコリだらけの地面にペたんと尻をついた。

 目が見えない人間に出会ったのは生まれて初めてだったので、つい気になって聞いてしまう。


「不自由だって感じたことはない?」


「不自由・・・・・・はい、不自由だらけです。杖がなかったら歩く事すらままならないし・・・・・・友達もできないし」


「ふーん・・・・・・そういうのってさ、生きてて嫌にならないの?」


「え?うーん・・・・・・どうでしょう。でも、そう生まれてしまったものは仕方ないと思うんです」


「仕方ない?」


 少女は、持論を語るのに慣れていないのか、照れくさそうな顔で「はい」と頷くと、


「こんな命でも・・・・・・主から授けられて、『そう在れ』と望まれた命だと、神父さまは仰っていました。そう生まれたんだから、そう生きるしかないんだって・・・・・・」


 聖書と呼ばれるものには戯れに目を通したが、信仰を生き方の指針にする人間は、リベラには理解できない。

 だが、この言葉だけはなぜだかとてもしっくりと来た。


「『そう生まれたんだから、そう生きるしかない』か・・・・・・」


 それは、ある意味でリベラの生き方に符合していた。彼は『解放』という衝動を種に生まれた命だ。少なくとも、『そう在れ』と望んだのは人間の神ではないだろうが。

 衝動から生まれたのだから、衝動のままに生きる。彼女の言葉は、ハイアージジャームという種族の本質をピタリと言い当てていたのだ。


「ごめんなさい、変な話しちゃって・・・・・わたし、もう帰ります」


 少女が壁に手をついてよろよろと立ち上がる。


「杖がないと歩けないんじゃないの?」


「はい・・・・・・でも、折れちゃったみたいですから・・・・・・」


 白髪の青年は、顎に手を当てて「う〜ん」と小さく唸ると、


「貸して」


 と、手を差し伸べた。


「え・・・・・・?」


 当惑する少女を見て、彼女の目がその像を映していないことに思い至ったので、半ば引ったくる形でふたつに折れた白杖を取り上げる。


「あっ・・・・・・!」


 先程蹴散らした『ブラックなんたら』の中に、モルフェウスのシンドロームを有するオーヴァードが居たはずだ。

 《万象の虹》。

 原初の影が、夢神の業を即興で象る。


 不気味に蠢動し、影の泉から噴水のように湧き上がった真っ黒な手が白杖の継ぎ目を優しく撫ぜると、元から破損の事実などなかったかの如く、本来の姿を取り戻した。


 人間の理解を遥かに超えた、レネゲイドの引き起こす『現象』。眼前で行われる神の御業を、しかし盲目の少女は認識できていない。


「はい。面白い話を聞かせてくれたお礼だよ」


 手持ち無沙汰になっていた少女の手のひらの上に、修繕した白杖を置いた。


「え、うそ・・・・・・元に戻ってる、どうして・・・・・・!?」


 少女は元通りになった杖を手の中でぺたぺたと触れて改めると、驚いたようにリベラの顔を見上げる。光を映していない瞳で、だ。


「さあ、奇跡ってやつじゃない?」


「・・・・・・!」


 どしん、と。バスケットボールをぶつけられたような軽い衝撃を感じて懐を見れば、盲目の少女が腰の辺りに腕を回して抱きついていた。


「本当に救世主さまみたい! ありがとうございます、リベラさんっ・・・・・・!」


 マスタークラウンが持ってきた映画の中で、こういうシーンを見た事がある。再会した生き別れの妹に抱き着かれた時、兄はどうしていたか。


「・・・・・・・・・・・・」


 リベラは、少女の金糸のような髪を指で梳くように撫でた。

 何百人というオーヴァードをジャーム化させてきた、死神の手で。


「・・・・・・わたし、アリィっていいます」


 少女────アリィは、くすぐったそうに笑いながら尋ねた。


「また、会いに来てもいいですか?」

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