SCENE12『ランナーズハイ』
鉄腕アトムのように空を飛ぶ力が、貴方に備わっていたとして。貴方は、それを行使するだろうか?
子供であれば、迷いなく「する」と答えるだろう。空を飛ぶのは全人類共通の夢と言っても差し支えない。ライト兄弟の活躍によって天空を航路に貶められた現代でも、スカイダイビングやパラグライダーといった空を飛ぶ鳥の真似事はレジャーとして人気を博している。
もう少し高い年齢層の人々に同じ質問をすれば、恐らく多くの人が「しない」と答えるはずだ。
なんせ、リスクが多い!
空を飛んでいるところを人に見られたらもう普通の生活には戻れないだろうし、所以の分からない力を行使してアンコントローラブルな状態になったら、ゾッとするほどの大怪我を負うことが目に見えているからだ。
大人になれば、リスク管理能力が(個人差はあれど)身につく。何をするにも『悪い可能性』を想定し、それを避けようと必死になる。
それこそが人間が長い歴史で身につけた生存戦略であり、これを『大人になって夢がなくなった』と捉えるか『成長した』と捉えるかは、それこそ価値観の問題だ。
前置きが長くなったが、要するに、実際に空を飛べても、リスクを考えれば飛ぼうとする人は少ないということだ。
(間に合え・・・・・・ッ!)
つまり、今こうしてアーケード街の直上を高速で飛行している少年は、リスクを度外視してしまうほどの何かに駆り立てられていたということになる。
賢二が《キュマイラ》になって良かったことと言えば、大真面目に二つだけしかないと思う。
一つは、拳の変容によって武器を携行する手間が省けたこと。以前は備品の日本刀を持ち運んでいたが、あれは目立って仕方なかった。
素手でいつでも戦闘に移れるアドバンテージは意外と大きい。
そして、もう一つは“ルシフェルウィング”の所以たるこの翼だ。
空を飛ぶ。
実にシンプルな能力だが、その分得られる恩恵も大きい。上空を進路とすれば地形の影響を受けないので、地図上の点と点を結んだ直線を『最短距離』として駆け抜けられる他、上空から俯瞰して情報を得ることが出来る点も魅力的だ。
飛んでいるところを見られたら厄介なことになるというデメリットも、完全隠密能力を保有した賢二の前には意味をなさない。
もっとも。
今の賢二はそんなことに割くリソースがあるならば、全て速度の上昇に回しているが。
(・・・・・・・・・・・・くそ、)
苗渕ハルカというエージェントは、実際すこぶる優秀な人材だと思う。何せ、賢二がUGNの機密情報にアクセスして手に入れた情報に、彼女は独力で辿り着いてみせたのだ。
これが優秀でなければ何だ。
だが、だからこそ。
意図して情報を『与えられていた』としたら、彼女は敵の想定通りの結論に行き着いてしまうのではないか?
情報と人心を巧みに利用する『
(くそ・・・・・・ッ! なぜあの時俺は絆されたのだ・・・・・・!!)
あの時、あの屋上で。
一人で戦うことを決めていた賢二は、彼女の覚悟に押されて、考えを改めた。
そのことすら、今思えば腹立たしい。
あれは美談なんかじゃない。そう、絆された。嫌われ役に徹する気力を削がれたのだ。
あんなに健気に頑張るから。
あんなに無垢に接してくれるから。
本当に彼女のことを思えば、やはり関わらせるべきではなかったのだ。
闇ではなく虚だと、初めから分かっていたはずなのに、一時の感情が賢二の決意を鈍らせた・・・・・・!
「くそ・・・・・・、くそッ!!」
なんて情けない。
なんて痛々しい。
さんざん格好をつけておいて、結局のところ賢二も女に惑わされれば鼻の下を伸ばす凡愚でしかなかった。
トップエージェント?
UGN最強のエリートだと?
これの? どこが・・・・・・!?
(もう間違わない、絶対に死なせない・・・・・・ッ!!)
侵蝕率のことなど既に頭にない。むしろエンジンを温めてくれて助かる。
たとえジャーム化したとしても、『“恐怖”の器』を殺害して苗渕ハルカを救わなければならない。
それが、彼女が死地に身を置くことを望んでしまった伊庭賢二に課せられた責任だ。
犬神高校が見えた。
現在は繁華街の上空なので、直線距離にして500m弱といったところか。空に遮蔽物はないし、侵蝕率の上昇によって速度も申し分ない。この調子であれば、あと一分もせずに──────
「ばぁっ☆」
賢二の前方。
上空数十mの何も無い空間に、少女の姿が突如として現れる。
「・・・・・・・・・・・・ッ!!」
年の頃は十五歳前後。栗色の髪をお団子ヘアでまとめた、どこにでも居そうな女子高生。強いて他人と違うところを上げるとするなら・・・・・・その小さな手に握られた不相応なミリタリーナイフか。
(空中に突然出現した・・・・・・ッ!? 《オルクス》の領域操作か!)
空を飛ぶことができるシンドロームであれば幾らか存在するが、瞬間移動の真似事ができるのは、自らの『因子』で空間の連続性すら歪める《オルクス》シンドロームぐらいだ。
とはいえ、空中に転移したならば、残念ながらそこから先はない。なぜなら、《オルクス》に滞空能力は存在しない。
「手羽先も〜らいぃっ!!」
子供が振り回すおもちゃのステッキのような無邪気さで操られたナイフは、その実、強靭な骨ごと賢二の右翼を切り落とした。
「がッ・・・・・・!!」
翼という、人間に本来存在しない部位へのダメージ故の、全く耐性のない激痛が全身を駆け巡る。これが翼をもがれた鳥の痛み──────いや、それより、
(マズい・・・・・・・・・・・・!!)
空中で片翼を失った。これが何を意味するか・・・・・・考えるまでもない。
即ち、地上40mからの自由落下。
ビル換算で10階建て。常人であれば、十分に即死できる高度だ。
地上への激突は不可避。
であれば、少しでもダメージの少なそうな場所に落下するしかない。
───────カフェのテラス席に張られたパラソルが視界に入った。
「ぅ、おァああああああああああああああああああああああああッ!!」
残った左翼で必死に空気を叩く。体が空気抵抗できりもみ気味に回転し、まるで不出来な紙飛行機を描いて落下した。
───────ガシャンッ!!
果たして、狙い通りの場所に落下することができた。帆のように張られたパラソルと足の細いテーブルが少しは緩衝材になったが、なんにせよ背中から高所落下したことに変わりはない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッッッ!!!」
叫び声なんて、出るはずもない。
なんせ、着地の瞬間に肺が圧搾され、身体中の空気が全て口から逃げ出してしまったからだ。
ちゃちなプラスチックと陶器の破片が背中に突き刺さっていることに気がつくと、絹を裂くような悲鳴が耳を劈いた。
「きゃあああああああああああああああああああああああああ!!」
────────ああ、この席を使っていた客か。これは悪いことをした。
「飛び降り! 学生の飛び降りだ!! 誰か、早く救急車ッ・・・・・・!!」
「いやっ・・・・・・! テーブルの脚がお腹から出てる・・・・・・!!」
「うわーすっげえ自殺見ちゃったよ! 今日寝られるかなあ俺っ!」
わらわらと。砂糖に群がるアリのように、何ができるわけでもない一般人たちが賢二の周りに集まってくる。
人数分×2の眼球とスマートフォンのカメラレンズに包囲され、周囲の状況がよく見えない。
──────あの女の姿がない。
ここからそう離れていない場所に落下したはずだ。
《オルクス》のエフェクトに滞空を可能にするものはない。瞬間移動にもある程度のインターバルが必要だ。つまり、あの奇襲は最初から落下前提。重力操作の《バロール》との組み合わせでもなければ、向こうも同等のダメージを食らっているはずだ。
とはいえ、追撃がないとも限らない。
「げぼっ・・・・・・! けほっ、ごぼっ!」
喉につっかえていた血の塊がようやく吐き出され、水風船のように地面で花開いた。気道が確保され、欠乏した酸素を取り込むべく貪欲に呼吸が再開される。
「はぁー・・・・・・ッ! はぁー・・・・・・ッ」
まずい。
これは間違いなく移動に支障が出る。かといって肉体の回復を待っていては向こうの思う壺だ。
「いか、なければ・・・・・・・・・・・・」
情けなく震える脚に喝を入れ、大量の血を失った体で立ち上がる。肉体の損傷は思ったよりも激しい。侵蝕率が上がっていなければ即座に《リザレクト》していたことだろう。
「うわぁぁあッ!! 立ったぞッ! 生きてる! 生きてるぅッ!!」
一転して、バケモノでも見たような顔をして騒ぎ立てる野次馬たち。だが、お節介を焼かれるよりは都合がいい。
「退け」の一言で、勝手に道を開けてくれるからだ。
「あ、あの・・・・・・ほんとに大丈夫ですか・・・・・・?」
ほとんどの者は言う通りにしたが、中には聞き分けの悪い人間もいるらしい。大学生ぐらいの青年が、遠慮がちに手を差し伸べてきた。
「平気、だ・・・・・・退けと、いったはずだが・・・・・・」
「へ、平気・・・・・・そうですか・・・・・・」
困惑したような声色だが、ひとまず納得はしてくれたらしい。いちいち構っていられないので、青年を無視して隣を通り抜ける。
「それは困ったなぁ」
直後。
トス、という軽い音がして、賢二の背中に刃物が突き刺さった。
「あ・・・・・・・・・・・・?」
せっかく立ったのに、またしても脚から力が抜ける。
剣が。
剣が。
先の尖った鉄の延べ板が背筋を押し割って体内に侵入し内臓を引っ掻いた挙句内側から腹筋を突き抜け腹から飛び出しているそれそのものが止血になっているため大仰な出血こそないが間もなくこの男は傷口を斬り広げるような形で剣を引き抜くだろうああほら言っている間に再び手に力を入れて違った引き抜くのではなく傷口をえぐるために剣の柄を握り直したのか内臓がピーマンの肉詰めを作る時みたいにぐりぐりとくり抜かれて鉄と脊椎が度々擦れ合う音がこつんこつんと骨伝導で脳に直接響いて気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──────────
「ァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」
賢二の絶叫を、サイドテールの青年は耳を澄ますようにして堪能していた。その眼は恍惚の色に染まり切っており、上等な交響曲に聞き入るような面持ちで耽美している。
少年は気に掛ける余裕すらないが、既に野次馬たちの声はひとつたりとも聞こえなくなっている。《ワーディング》によって趣味の悪いコンサート会場は、表側の世界から切り離されていたのだ。
「んん〜〜〜
視界は真っ赤に染まっている。
目の前の男が何を言っているのか理解できない。何だこの男は? その剣はどこから取り出した? 手を差し伸べた時には間違いなく空手だったはずだ。でなければ、易々と背中を見せるような愚は犯さない。
「いいっしょ、この剣。斬られた時一番痛いデザインにしてくれってオーダーでさ・・・・・・刀身に山盛り返しが付いてるから、引き抜くと肉とかめっちゃ毟り取って出てくるんよね、っとぉ!」
「ぎっ、ぁああああああああああああああああああああああッ!!」
使い方を実演しながら己の獲物を誇示するサイドテールの男。少し動かすだけでも脳が焼き切れんばかりの灼熱感が走るのに、奴の使い方はもはや武器というより農具に近い。まるで体が耕されているかのようだ。
(再生が効かん・・・・・・ッ!! 剣自体のレネゲイドが、俺の自己再生能力に干渉しているのか・・・・・・!?)
無論ただの武器ではないだろうが、かと言って青峰ミユキの氷剣のようにエフェクトで作成された感じはない。
恐らくはEXレネゲイドに感染した妖刀の類い・・・・・・だが、こんな悪趣味な意匠は、UGNどころかFHから押収したものの中にすら見たことはない。
「ああっ、痛そう・・・・・・痛いよねぇ、体の内側を刃物で引っ掻き回されて棘で引きちぎられてるんだもんねぇ・・・・・・かわいそう・・・・・・ねえ、今どんな気持ち? なんでこんな目に遭わされてるんだろって考えてる? それとも痛すぎてそんなの考える余裕ない?」
呼吸を荒くしながら、ノコギリのような刃物を抜いては刺してを繰り返す。それだけで拷問として成立してしまうのだから、この剣を作った刀匠はさぞかし優秀だったのだろう。
常人なら死んでしまうところだが、オーヴァードの生命力なら死に切れるほどのダメージではない。
それだけに、地獄だった。
「ううぅぅぅううううぅううううううぅうううぅうう・・・・・・ッ!!」
奥歯が欠けるほどに歯を食いしばって痛みに耐える。目からは滝のように涙が溢れており、血の混じった泡が口の端から漏れる。
「あ゛ぁ〜ぁ♡ その顔いい、芸術点たけ〜わマジで・・・・・・任務でさえなけりゃあなぁ〜〜〜・・・・・・!」
男は賢二の内臓をかき混ぜながら嗜虐の悦に浸っている。
刺さりやすく、抜けにくい剣。
───────これ、実はチャンスなんじゃないか?
「もぉ〜いっちょうっ!!」
それが一層強く体に喰い込んだ瞬間に、《キュマイラ》の肉体変容能力をフル稼働させる。
必要としたのは爪や蹄、ましてや翼でもない。使うのは、ただただ強靭な獣の筋肉・・・・・・!
「・・・・・・・・・・・・あれっ、抜けない」
背中に突き刺された刃を人ならざる背筋力で締め上げる。ただでさえ返しが着いている刃物だ。自分から刀身を食い込ませれば、背中に固定することは実に容易い。
要するに、青峰ミユキとの交戦に際して壁で試みたことを自分の肉体で再現してみせただけのこと─────
うつ伏せのまま、剣を引き抜こうと躍起になる男の細い足首を握り潰す。
人間の間接は脆い。何せ、柔軟な運動を可能にするため、骨同士が複雑に組み合わさっている接合部だ。足首程度であれば、獣化に頼らずとも破壊できる。
「ぎぃぃいだぁあああああああああああああああっ!!?? てめっ、何してくれてんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!!」
甲高く不快な喚き声を上げながら蹲るサイドテールの男。頼みの拷問剣は、真っ先に手から離してしまっていた。
「─────今、どんな気持ちだ?」
ともあれ。ようやく蹴りやすい位置に顔を持ってきてくれた。
気合を入れて剣が刺さったままの体を跳ね起こすと、そのままサッカーボールを蹴っ飛ばすようにして顔面に一撃くれてやった。
「ぷぎ・・・・・・ッッッ!?」
めきめきめき、と小枝を踏み抜くような小気味の良い感触が足の甲を通して伝わってくる。前歯と鼻っ柱が景気よくへし折れたのだろう。
随分と舐めた真似をしてくれた。距離をとる意味でも、このまま思い切り蹴り抜かせてもらうこととしよう。
痩躯は勢いそのまま真向かいのテーブルに激突する。よほど堪えたのか、男は血まみれの顔面を抑えてのたうち回る。
・・・・・・どうやら、あんな武器を振り回している本人が一番の痛がりだったらしい。
制服の裾を千切り、背中に刺さった刃に巻き付けると、両手でお祈りするように挟んで思い切り引き抜く。
「んんんんんんんん・・・・・・ッ!!」
一度自分でがっちりと食い込ませてしまっている以上、引っ張り出す際の痛みはこれまでの比較にならない。
───────ぶちぶちぶち。
繊維質な何かがちぎれていくような音がする。同時に、体の内側で花火が打ち上がっているのではないかと錯覚するような熱狂が炸裂する。
ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶち。
「ああぁ、ぁあ゛あ゛あ゛ッ!!」
ようやく肉の鞘から解き放たれた凶器を足元に放り投げる。所々に肉片がこびりついており、地面に落ちた際も「カラン」という乾いた金属音の奥に、不快な水音が聞こえた。
「はぁッ・・・・・・はぁッ・・・・・・良い気付けになったわ・・・・・・」
これで敵は武器を失った。
シンドローム構成は依然として判明していないが、今の蹴りで無様を晒す程度の相手であれば大したことはない。
「くそ、くそっ・・・・・・・・・・・・ひっ!?」
惨めったらしく這って逃げようとするので、その襟首を捕まえて強制的に立ち上がらせる。
呆気なく敗北を悟ったのか、サイドテールの男は歯の根が合わない口で喚き散らす。
「もおおおおおおおおおっ!! なんなんだよおおおおおお!! 空から撃ち落とされてハラワタ引っ掻き回されてもまだ戦えるとかどんだけ規格外なんだよぉ!! ズリぃぃいいいんだよッ!! 弱いものイジメして恥ずかしくないのかよこの卑怯者ぉっ!!!!」
─────まったくもって、聞くに堪えないとはこのことだ。
「規格外は貴様だろう。
──────もっとも、規格外の大間抜けだがな」
部分獣化。
ありったけの力を右拳に込め、弓を引き絞るようにして構えた。
「待」
大砲のような破壊力のパンチが襲撃者の顔面に突き刺さった。既にへし折れていた鼻っ面は更に酷く陥没し、おまけに後頭部から落下するものだから脳震盪まで立て続いた。
その一撃は、男──────
「いまのは、危なかったな・・・・・・」
研究所のジャームとの連戦に、“フェンリルバイト”との死闘。それに加えて、正体不明の襲撃者─────恐らくは、“マスタークラウン”の手先──────による不意打ちが重なった。
身体はボロボロ。レネゲイドの侵蝕もとうの昔に危険域に達している。
だが・・・・・・
(頭が茹だっていたが・・・・・・あの下衆に腹を掻き回されたのが効いたか)
意識は随分と明瞭だ。
一歩踏み締めるごとに針山を登るがごとき痛苦に苛まれるが、気は失わずに済むのでこれはこれでいい。
幸い、学校は目と鼻の先だ。
これならきっと辿り着ける。
(待っていろ、苗渕・・・・・・・・・・・・)
ワーディングの効果が切れる前にカフェを出る。学校まではほとんど一本道。賢二の脚ならば、飛行時とほとんど変わらないタイムで駆け抜けられる。
そうして賢二は、今まさに走り出そうとして・・・・・・
──────起き上がってくるアスファルトに顔面からぶつかった。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?)
意味がわからない。
地面で相手を殴り付ける能力など、どのシンドロームにも存在しない。そればかりか、叩きつけられた後はどれだけ抵抗しても大地から体が離れないのだ。
─────ああ、というかこれ、もしかして・・・・・・
(俺が倒れた、のか・・・・・・・・・・・・)
自身の平衡感覚が異状であることに気づくと、数え切れないほどの病状が一気呵成に襲いかかってきた。
頭が痛い。
胸が苦しい。
手足が痺れる。
呼吸ができない。
内臓が気持ち悪い。
虫が這い回るような、耐え難い怖気が身体中を駆け巡る───────
(だれの、攻撃だ・・・・・・・・・・・・)
三人目の刺客?
それとも、最初の女が帰ってきた?
いやいや、そんな予兆があれば見逃すはずがない。このレベルの毒気は、直接体内に注入されない限りは有り得ない。
いや、或いは。
彼が気づいた頃には既に、毒の服用は終わってしまっていたのか。
(・・・・・・あの、剣・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
その残虐な形状に、そこから繰り出される痛みに気を取られていた。あの剣には初めから、遅効性の猛毒が塗布されていたのだ。
『解決』までは自力で辿り着かせて、本当の悪意はその裏にひた隠す。ゆっくり時間をかけて、勝ち誇った相手に毒が回るのを待つ。
分かっていたはずなのに、結局は同じ手口に引っ掛かった・・・・・・!!
(何で・・・・・・ッ!! どうしてお前はいつも『こう』なのだ、伊庭賢二ッッッ!!!!)
思い返せば、これまでもずっとそうだった。
一手。
どれだけ最善を尽くしたつもりでも、あと一手がどうしても足りない。それで全て台無しにしてしまう。
その一手とは思慮であり、力量であり、即断力であり、経験値であり、運であり、センスだった。
伊庭賢二とは、常に99点の男だった。
1点の大きさが分からない者が彼を祭り上げ、トップエージェントに名を連ねさせた。何をやらせても『ほぼ』完璧にこなすのだから、エリートとして扱われるのは当然かもしれない。
100点であれば申し分ないけれど、そんな奴はそう居ないから99点の彼が最優ということにされている。
けれど、他ならぬ伊庭賢二は誰よりも知っているのだ。
世界には99点より遥かに価値のある1点が存在し、自分が欠いているのは悉くその1点であると。
きっと、伊庭賢二はあと一歩のところで何も成し遂げられない。きっと、そう見透かしたから、兄──────伊庭宗一は賢二を捨てたのだ。
───────なんて滑稽。まるでピエロだ。
(なえ、ぶち・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
芋虫のように這いつくばる。
立てないとしても、手も足もまだ動くのだ。ならば、止まれない。
彼女はその1点を持っている。賢二に足りない何かを持っているのだ。絶対に死なせてはいけない。こんなところで死んではいけない。
それに、何より・・・・・・
「苗渕ぃい・・・・・・・・・・・・ッッッ!!!」
──────あの少女と、もっと一緒にいたい・・・・・・ッ!
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