SCENE11『ピエロがお前を嘲笑う』

 所長室は、賢二が訪れなかった三階の最奥に位置していた。組織の長の趣味とは思えぬ簡素な造り。資料と執務机の他には何もなく、威厳もないのでお飾りにもなっていない。


 入った途端に酸っぱいような腐敗臭が鼻をついた。

 見れば、机の上には拳銃と白衣を着た腐乱死体の頭部が転がっている。どうやら、この部屋の使用者はジャーム化よりは死を選んだらしい。


「よかった。ノートPCは生きているようですね」


 「生きている」とはとんでもない言い草だ。どちらかといえば「叩き起こした」という表現の方が近い。

 “プランナー”は《ブラックドッグ》らしき能力でディスプレイの割れたPCを強制操作すると、念入りに削除されたメールフォルダを復元した。

 UGN情報部隊も顔負けの手際だ。


「『探究教会エンハンスバイブル』は、恐らく隠れ蓑です」


「隠れ蓑?」


「この施設の何処を探しても『アーキタイプシード』の開発に使用された機材は見当たりませんでした。

 産まれたばかりのリベラが研究データまで持ち逃げしたとは思えませんから、そもそも『アーキタイプシード』は別の場所で作られたと見るべきでしょう」


 しかし、そうなると・・・・・・この施設はリベラを造るためだけに誂られたものということになる。

 余計に不可解だ。何故わざわざ『アーキタイプシード』の制作とリベラの制作で工房を分けたのか。機密というなら尚更だ。下手に拠点を分散するのはリスクが増すばかりである。


 メールフォルダを遡りながら、矮躯の超越者は答えを提示する。


「リベラの脱走も想定内でしょう。初めから、使


「何だと?」


 UGN日本支部の最高機密研究機関を使い捨て・・・・・・何とも豪奢な話があったものだ。


「使い捨て・・・・・・つまり、誰かが『探究教会エンハンスバイブル』に辿り着くことまで織り込み済みだったということですか?」


「人は一度疑いを持ってから納得のいく答えを提示されると、『そこから先』を考えなくなってしまいます。

 わざわざUGN日本支部に研究機関を置いたのは、同支部に対する猜疑心・・・・・・要するに、陰謀論に答えを与えるためでしょう」


「・・・・・・なるほど。初めからターゲットは俺たち本部エージェントだった訳か」


 UGN本部におけるいくつかの派閥は、日本支部・・・・・・というより、日本支部長の霧谷雄吾を目の敵にしている。穏健派と改革派の対立は今に始まったことではないが、こんな美味しい餌を与えられれば、連中は間違いなく食いつく。中枢評議会アクシズで槍玉に挙げられでもすれば、それはもう厄介な案件になっていたことだろう。

 今回大事にならずに済んだのは、先手を打って調査を命じたのが日本支部と本部の折衝役を買って出ている藤崎弦一であったからに他ならない。

 霧谷雄吾と藤崎の十六年来の腐れ縁がこんな形で役に立つとは、皮肉なこともあるものだ。


「・・・・・・それで? 本部と日本支部をぶつけてまでリベラを生み出した黒幕とは一体誰だ?」


「それを今・・・・・・ああ、もしかしてこれがそうでしょうか」


 “プランナー”がメールフォルダを展開すると、賢二とミユキが揃って割れたディスプレイを覗き込む。


 メールの内容は、“プランナー”の考察を大まかに裏付けるものだった。

 『アーキタイプシード』の受領報告とリベラの開発に関するレポート。研究途中のためか未送信ではあったが、それはまさしく『上司への報告書』と呼べるものだ。

 向こうはよほど警戒心が強いのか、宛先は既に暗号化されているが、メールの文面はある一文で締めくくられていた。



 ───────『廃神機関アポカリプス』へ愛を込めて。



「・・・・・・・・・・・・『廃神機関アポカリプス』?」


 反芻するように、或いは脳に刻み込むようにゆっくりと呟いた。

 『廃神機関アポカリプス』。

 それが今回の黒幕の名。

 だが・・・・・・そんな符牒はUGN暗部でもFHセルでも、はたまた『ゼノス』でも──────


「・・・・・・聞いたことがありません」


 “プランナー”が呟いた。

 あの都築京香が、『知らない』と言ったのだ。その意味が、重大さがわからぬ賢二ではない。


 『闇ではなく虚』とは我ながら言い得て妙だった。


 かのジェームズ・モリアーティのように、無尽に張り巡らされたいくつもの蜘蛛糸の先で、悠然とそれを弄ぶ計画者。

 未知の手段で万象を観測し、陰謀の影でさらなる陰謀を『計画』する全能者。


 その“プランナー”ですら底の知れないモノであれば、それはもう底なしと言っていい─────少なくとも、賢二のような一介のエージェントにとっては。


「・・・・・・そうだ。報告を、せねば」


 放心している場合ではない。

 この虚に光を当てられる機会は今だけだ。あの“プランナー”が『知ろうとする』場に居合わせることができた。これを上回る僥倖があろうか。

 たとえ少女の細い足に縋り付いてでも、UGNに情報を持ち帰る。それがこの場における伊庭賢二の役割だ。


「“プランナー”・・・・・・ッ! どんな代償も払う、どんな交換条件でも呑む! 

 だから、UGNと協力体制を・・・・・・」


 少女に詰め寄らんばかりの勢いで身を乗り出した、その時。




「あっるぇえええ?」




 ────────カツン、と。硬い革靴の底が、フロアの床を叩く音がした。


 三人がめいめいに声と足音の主を探す。

 それらの音は、ちょうど先程自分たちが通過した所長室の扉の方から響いているようだった。


「ちょっぱやで来たつもりだったんだけど・・・・・・出遅れちゃったかにゃん」


 闇の奥から、人を舐め腐ったようなピエロマスクが顔を覗かせた。


 異様な男だった。

 糊を利かせたタキシードは着慣れていないのかどこか不相応さのようなものを感じさせ、その印象から採用されたばかりの新卒社員を想起させられる。

 事実、マスクでくぐもった声は壮年の男性にはない甲高さがあり、歳の頃は二十代前半程度であろうと推察できる。


 だからこそ、サーカス団員に扮する気すらない粗雑な仮面は奇妙に映った。

 研修時代に見た映画に、さえないサラリーマンがひとたびマスクを被ると『役』に取り憑かれ、別人のようになってしまうというものがあったが、この男もそうなのではないかと思ってしまいそうなほど嘘くさく、薄っぺらで、芝居がかった調子だった。


「・・・・・・・・・・・・貴方は?」


 “プランナー”が誰何する。

 傍らの青峰ミユキが殺気立っているところを見るに、『ゼノス』関係者というわけでもないのだろう。


「ぷっ」


 ────────ピエロマスクの怪人の答えは嘲笑だった。


「ぷフふははははっ! ひハハはははははははははははははははははっ!!」


 笑う。

 嗤う。

 哂う。


 実際本当に可笑しかったのか、それとも少女に屈辱を与えたかったが故のロールプレイングなのかはわからない。

 どちらにせよ、この男には相手に対する敬意というものがまるでない。極めて無礼で、侮蔑的で、人の神経を逆撫でする性質がある。

 “プランナー”と関わりのない賢二ですらそう感じたのだから、彼女の同志であるミユキがどれほど気分を害したかは推し量るべくもないだろう。目を向けなくても敵愾心が伝わってくるようだ。


「うくくくっ、いや失敬・・・・・・つくづくサイコーな役回り貰っちゃったなって、ちょっとウケちゃっただけだから・・・・・・あ、一人笑いねこれ」


 一頻り笑い終えると、突然おもちゃのスイッチが切り替わったかのように、恭しく辞儀をした。それこそまるで、サーカスの始まりを告げる道化のように。


「私はFHセル『背徳サーカスクラウン・クラン』リーダー・・・・・・“マスタークラウン”と申します」


「・・・・・・・・・・・・っ!」


「よろしくお願いしますね?

 ────────先代支部長♡」



 息を呑む音が聞こえた。

 賢二のものではない。FHのマスターエージェント・・・・・・確かに面食らいはしたが、“プランナー”ほどのビッグネームでもない。


 ──────では誰が。


 本当は分かっている。分かっているのだが・・・・・・どうしても自分の耳を疑わずにはいられないのだ。

 なんせ、“マスタークラウン”という名に最も動揺していたのは、誰あろう“プランナー”本人だったのだ。


「“マスタークラウン”・・・・・・貴方が?」


「ええ。他ならぬ、僕が」


「・・・・・・


 ────────呵呵大笑。


 賢二も・・・・・・“プランナー”を知るミユキでさえ、状況を掴めずにいた。

 だって、こんな顔をする都築京香は見たことがない。『ゼノス』のリーダーが余裕を失うところなど、きっと誰も見たことがない。


「はははっ! 人外にも師弟愛みたいなモンはあるんだ!? それとも使える駒だったから名前覚えてただけかな??」


「『クラウン・クラン』は『オーダーオヴブラック』に吸収されたはず。当時のメンバーも・・・・・・」


「あーはいはいその辺はご想像にお任せしますね? そ・れ・よ・りぃ・・・・・・」


 ───────仮面で見えないはずの瞳が、賢二をじろりと睨めつけた。

 突如として向けられた矛先に、後ずさることすらできず硬直する。月並みな表現だが、蛇に睨まれた蛙のような気分だった。


 この男が“プランナー”より強いとは思えない。今交戦すれば、粉々にされるのは間違いなく向こうの方だ。

 言葉にできない危機感・・・・・・言い換えれば、得体の知れないものへの恐怖心が必死にアラートを鳴らしているのだ。


 完全武装で異国の街を警備する兵士よりも、閑静な住宅街を包丁片手に徘徊する浮浪者の方が恐ろしく感じるように。

 いつ何がきっかけで『爆発する』のかわからないことへの緊張感。


 奴は、そんな賢二の心境を知ってか知らずか、軽薄な声色で問い掛けた。


「君ら本部エージェントでしょ? 『ハイアージジャーム』についてはもう知られちゃった感じかな?」


 ハイアージジャーム。

 文脈的に、アーキタイプシードを投与されて『衝動』のオリジンを獲得したジャームを指した固有名詞だろう。

 『廃神機関アポカリプス』と“マスタークラウン”。

 いかなる因果関係かは知らないが、この男がリベラ誕生に一枚噛んでいるのは疑うべくもない。


「っ、ああ・・・・・・! 俺たちUGNは既に貴様らの尻尾を掴んでいる。もはや逃げたところで・・・・・・」


「あーあ!! となると、そろそろ君のお仲間も『器』の尻尾を掴んじゃってる頃かなあ!?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


 なんだって突然、そんな話になる。

 お仲間?

 『器』?


「なんだ、何を言って・・・・・・」


「『プラン』にさ、不確定要素が欲しかったわけよ」


 質問に対してまともに答えるつもりのない、こちらの解釈任せの独り言。

 男は、酒場で気心の知れた友人に愚痴でも並べるように独白する。


「何でもかんでも計画通りじゃつまらない。でも僕が見つけられる程度の粗なんて、総帥が見逃すはずがない。

 ・・・・・・そんな時にさあ。ウチのミィちゃんが、覚醒したての野良オーヴァードにボロ負けしたんだわ」


 その声色からは、一厘たりとも忸怩たるものを感じさせない。むしろ、期待していたものがようやく現れたような、待望すら湛えている。


「おもしれー女って思ってたらさ、今度はリベラが『“恐怖”の器』に選んだオーヴァードがそいつのアニキで、学校の先生だったわけ! これめっちゃいい流れ来てると思わない!?」


 ───────学校?


 どうにかこうにか理解を拒絶しようとしている賢二の脳に先んじて、“プランナー”が少ない情報から演繹し、受け入れ難い答えを導き出す。


「・・・・・・“ルシフェルウィング”。あなたと共に派遣された本部エージェントはどこに?」


 どこって、そんなの決まっている。

 『探究教会エンハンスバイブル』への潜入は賢二一人で出来るのだから、今は役割分担中だ。


 時刻は十七時過ぎ。

 これぐらいの時間であれば、まだ学校に────────


「・・・・・・・・・・・・あ」


 学校、に。



「───────行ってください“ルシフェルウィング”! 貴方の言う通り、狙いは最初から本部エージェントだった!

 貴方たちは、『衝動』を覚醒させるための餌だった・・・・・・!」



 その言葉を聞くが早いか、青峰ミユキは極低温の剣を“マスタークラウン”に振り下ろす。


「うおっと」


 反射的に《バロール》エフェクトで剣の軌道を逸らすが、これによって彼が立ち塞がっていた入口のドアは無防備になった。


「・・・・・・・・・・・・っ!!」


 訳も分からず部屋を飛び出した。

 UGNの責務も、マスターエージェント討伐の実績もすっぽりと頭から抜け落ちていた。


 胸の裡がぐちゃぐちゃだ。

 なんにも考えられないくせに、同い年の少女の顔だけは何度も脳裏を過ぎる。

 ───────伊庭賢二とは、こんなにも女々しい男だったのか?


「死ぬな・・・・・・・・・・・・」


 嫌だ。

 それだけは嫌だ。頼むからやめてくれ。そんなこと、考えたくもない。


 だって、初めてだったのだ。

 どれだけ突き放しても、遠ざけても、伊庭賢二に歩み寄ろうとしてくれたのは・・・・・・一緒に戦おうとしてくれたのは、苗渕ハルカだけだったのだ。



「死ぬな、苗渕・・・・・・ッ!!」



 ああ、気づかなかった。

 いつの間にか日が沈み始めている。



 ───────夜が、来る。

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