SCENE10『相剋、黒と白』

 ─────殲滅には、五分と掛からなかった。


「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・・・・・・・ッ、」


 それを『あっという間』と表現をしてしまうのは少し理解が足りない。

 五分掛かったということは、即ち戦闘状態を五分もの間維持し続けたということだからだ。


 基本的に、戦闘というものは一瞬で終わるものだ。


 近代戦であれば、互いに互いを一撃で殺せる武器を『どちらが先に当てるか』という勝負。

 素手格闘に於いても、人間の肉体は殴打というものに何度も耐えられるようには出来てない。伝説的アクションスターにして、截拳道という一格闘技の開祖であるブルース・リーは「実戦は六秒以内に済ませなければならない」という言葉を遺している。

 ボクシングの試合ですら、三分ごとに区切って小休止を入れるものだ。


 であれば、オーヴァードたちによるレネゲイド戦はどうか。不死身と形容されるほどの再生能力に、色とりどりの異能を携えた超人たちの戦い────

 意外なことに、これも短時間で決着が着くことが多い。

 『蘇りリザレクト』が基本戦術に組み込まれているオーヴァード同士の戦いが何故、と思われるかもしれないが、これにはれっきとした理由がある。


 一番の理由はレネゲイドの侵蝕だ。

 エフェクトを行使すればするほどにオーヴァードは自らの病理に蝕まれ、人の心を失っていく。

 極めて高い再生能力を有するジャームを撃破するには、それを上回る火力をぶつけるしかない。泥仕合になれば、追い詰められるのは枷の多いエージェントたちの方なのだから。

 故に、オーヴァードというものはほぼ全員共通で持久戦を苦手としている。

 ────いや、想定していないというのが正しいか。


「─────────ッ」


 そう大仰なものは使っていないとはいえ、エフェクト発動状態で五分間戦闘を続けた。その負担は、凡百のオーヴァードであれば理性を手放すに充分なものだっただろう。


 部分獣化のエフェクトを解除し、息を整える。

 滑稽なことに、レネゲイドウィルスの侵蝕に抗する唯一の手段とは、ワクチンでも血清でもなく瞑想のような精神統一であるという。────それがジャーム化を抑えるというよりは、そんなセンチメンタルなことができる時点でジャームに落ちていないということの証左であるだけの気がしないでもないが。


 霞がかかったように白む視界。アルコールに浸されたように曖昧になる意識とは対照的に、世界が自分を中心に回っているような全能感が体を駆け巡る。事実として、レネゲイドの出力は先程までとは比ぶべくもなく、格段に跳ね上がっていることだろう。

 これが怖いのだ。

 ジャームたちが人間であることを辞めてしまうのは、この背徳的な快感に骨の髄まで虜にされてしまっているからだ。


 無論、賢二はその手には乗らない。誘惑を断ち切り、己が衝動を制御する。

 湧き上がる刹那的快楽への欲求を振り払うと、漸く周囲の状況が見えてきた。


「・・・・・・・・・・・・資材管理室」


 逃げるジャームを追跡する過程で、一階のエントランスから二階の研究棟まで移動してしまっていたようだ。その中でも特別に大きく、分厚い鉄門扉が目に入る。

 単純に、ただ巨大だから見咎めたわけではない。これだけ頑丈な扉が、まるで外からひしゃげるようにして、人一人分の隙間を作っていたからだ。


(力任せに抉じ開けたか・・・・・・?)


 ちょうど、いちばん派手にへし曲がっている部分には真っ黒に変色した血の手形が着いている。恐らく、リベラが施設の人間を殺して脱走する道すがらに寄ったのだろう。


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)


 なぜそんな寄り道をしたのか。

 この部屋に何があるのか。


 伊庭賢二は今、一つの真相を目前としている。醜悪なジャームを前にしても微動だにしなかった少年の喉が、知らずに生唾を飲んでいた。




 ────当然ながら施設の電力は落ちている。非常用電灯の頼りない灯りは、この部屋の中までは差し込まない。

 元より窓のひとつもない施設。光源がなければ一寸先も見通せない暗闇となるが、《エンジェルハィロゥ》たる賢二にとって、闇とは支配するものであって障害ではない。


(ほとんどの物資は手付かずのまま放置だな・・・・・・リベラの後は誰も立ち入っていないのか)


 UGN日本支部ですらこの施設を見つけることは出来ていないのだから、当然といえば当然か。この空間を隠蔽したのはリベラか協力者か・・・・・・どのみち、臭いものには蓋をしろ、という考えだったのだろう。

 賢二からすれば有難い話だ。事件当時から現場が保全されていたのであれば、リベラが何を盗み出したのかは一目瞭然であるからだ。


 果たして、強奪の痕跡は見つかった。

 全く手をつけられていない機材・薬品類を尻目に、血に濡れた手で強化ガラスを叩き割られた保管ケース。

 それは『衝動』につき一つ。合計十二の箱に区切られている。


 指紋認証。

 虹彩認証。

 声紋認証。

 一つ一つが不気味なほど厳重なロックのもと管理されていたようだが、今では見る影もなく荒らされ、その全てが持ち出されてしまっている。


 作品名は─────────


「『アーキタイプシード』・・・・・・?」


 直訳で、原型の種。

 賢二の推察通りであれば、衝動に応じた『起源オリジン』を対象に付与するアイテム。


(ああ、そうか・・・・・・・・・・・・)


 辻褄が合う。

 リベラはこれによって生み出され、親に反旗を翻すと、古巣を漁って持ち去ったのだ。

 正しく使えば自分と同じモノを誕生させるであろう、悪魔の卵を。


 それは陰謀でもなんでもない。一個の生命として生まれ落ちたなら、誰もが抱く原始的な欲求。


(・・・・・・ただ、仲間が欲しかっただけなのか)


 けれどそれは、人類にとって悪夢だ。

 たった一体でUGN最強の戦闘部隊を蹴散らすカレらが、更に十一体。もしその全てが覚醒してしまったなら、本当の意味で誰も手をつけられなくなる。


「───────止めなければ」


 本部がどうとか日本支部がどうとか、もはやそういうスケールの話ではなくなった。

 これは、誇張抜きで人類という種の存続に関わる問題だ。


(すぐにでも本部に連絡を・・・・・・)


 ぞくり、と。

 首筋に冷たい死の予感が触れる。



「───────ッ!?」



 頭より先に脚が動いた。

 『それ』が背後から迫ってきていることに察知できたのは、偏に熱というものに対して過敏になっていた獣の知覚によるものである。


 熱といっても高温ではない。

 むしろ、その逆。

 炎よりも明確な死。問答無用で物体の運動を停止させる極低温が、死神の鎌のように賢二の肌を粟立たせた。


 結果として、間一髪でその一閃を躱すことが出来た。

 賢二を襲ったのは、一振りの剣。それもマトモな鉄製品ではない。おそらくは、熱を操る《サラマンダー》の能力で創り出された氷の武具だ。


(《サラマンダー》・・・・・・ッ! なるほど、熱源知覚で俺の位置を特定したか)


 即座に体勢を立て直し、闇を見通す眼を持って敵を視認する。


 氷の剣を握っていたのは、華奢な少女だった。不意打ちを躱されるとは思っていなかったのか、当惑したように息を呑む音が聞こえる。


 未知数の相手だが、これは明確な隙だ。スピードではおそらくこちらに分がある。


 賢二は分厚いコンテナを蹴り、自分の身体を射出するような形で長髪の少女に肉薄する───────!


「っ、だったら・・・・・・!」


 避けられないと見るや、少女は賢二の方へ向けて出鱈目に剣をスイングした。

 最初はヤケになって山勘で反撃してきたのかと考えたが、すぐに考えを改めることになる。


 それは空振りなどではなく。有り体にいえば、向こうも射出したのだ。

 氷剣の一振りは、空気中の水分を瞬時に凍結させると、小石ほどの氷の礫を形成し、己が肉体を砲弾とする賢二を真正面から迎え撃った。


「ぬぅ・・・・・・ッ!?」


 突如として、視界を埋め尽くす硝子細工の荊棘。こちらに取れる選択肢といえば、眼球を傷つけないように変異した獣の両腕で顔面をカバーすることのみ。

 しかし、それはせっかく捕捉していた少女の姿を見失うことと同義である。


「ぐっ・・・・・・!」


 腕の軽微な痛みに耐えていると、攻撃の機会を完全に逸してしまった。そればかりか、受身を取っている隙に攻守を逆転され、得意のヒットアンドアウェイを封じられる。


(こいつ・・・・・・!!)


 空振った剣閃から、緻密なRCレネゲイドコントロールによる射撃攻撃への急速な切り替え。回避でも受け流しでもなく、反撃という選択肢を即座に見い出す度胸と判断力。

 加えて、近接戦で賢二を圧倒する基礎戦闘力・・・・・・!


(強い・・・・・・! 恐らく、トップエージェント以上に・・・・・・!!)


 学生服のシルエットがはためく。

 まるでバレエでも躍るように、流麗な太刀筋で賢二を追い詰める。これでは防戦一方だ。

 現状は何とか捌けている。しかし、先程までのジャーム掃除でエフェクトを長時間使用し続けていた都合上、持久戦は望むべくもない。


(ならば流れを変えるまで・・・・・・武器を破壊して体勢を崩す───────!)


 エフェクトで作成した武器は、基本的に破壊されても損害はない。また作り直せばいいだけのことだ。

 だが、どれだけ無尽蔵に武器が作れたとしても、破壊の瞬間から再構築までの間だけは明確に隙が出来る。行動を選択できる余裕さえ取り戻せば、あとは如何様にでもなるはずだ。


「・・・・・・・・・・・・っ!」


 剣戟の最中、わざと大きな隙を作って攻撃を誘う。スピードで上回る賢二を追い詰めるにあたって、向こうも行動を最適化しているはずだ。

 ならば、その攻め手はもはや条件反射に近い。


「しまっ・・・・・・・・・・・・!」


 頭では罠とわかっていても、踏み込まずにはいられない。


(かかった・・・・・・!)


 熱源のみを頼りにする少女に対して、賢二には周囲のほぼ全ての状況が把握出来るというアドバンテージがある。それを利用しない手はない。


 鉄を打つような硬い音がした。

 氷の刃は、賢二が背後にしていた部屋の壁に切っ先を食い込ませてしまい、ちょうど少年の肩口に触れる直前で止まっていたのだ。


「くっ・・・・・・!」


 たとえ鉄板に刃を通す名刀であろうとも、分厚い壁を切り裂く事はできない。いや、なまじ鋭ければ壁に刀身が食い込み、動きを止めてしまう。

 そこから振り抜くことなど人間の膂力では不可能だし、引き抜くとなるとそれはそれで時間がかかる。


 賢二は、闇を見通す眼を以て自分の位置を把握し、彼女が踏み込んで壁を切り付けてしまうように誘導した。

 賢二の熱のみを捉えて動いている女と、夜目を利かせて周囲の状況全てを把握している賢二では情報量にギャップがある。今回は、それを十全に利用させてもらった形だ。


(俺も向こうも本命は白兵戦・・・・・・!

 飛び道具は確かに厄介だが、それは近接で織り混ぜられた場合の話。剣が破壊されれば、貴様は攻守の要を失い丸腰になる──────!!)


 刀剣──────特に、彼女が振るうようなサーベルの類は、縦からの衝撃には強いが、側面から加わる力には弱い。

 切れ味を上げれば上げるほど、刃を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、それは顕著になっていく。


 たとえ氷の刃が鉄製のそれより硬かろうと、側面からであれば賢二の力でも問題なく破壊できる・・・・・・!!



 ────────ぱりん。

 文字通り、薄氷が砕ける音色だった。



 氷の欠片が舞い散ると、体感温度が一気に10℃ほど下がった。

 暗闘であったのが惜しい。これが日の下で行われた攻防であったなら、氷粒がダイヤモンドダストのように空間を彩ったであろうに。


「終わりだ・・・・・・・・・・・・ッ!?」


 ふと。

 振り上げた右拳に違和感。

 というより、正確には、感覚がない。


(は───────?)


 咄嗟にあれほど警戒していた敵から視線を外して手元を見た。

 夢か、そうでなければ幻かと思った。


 拳が。

 二年前、三つ目のシンドロームに目覚めてから幾度となく目にしてきた《キュマイラ》の剛腕が。

 まるで流氷に閉じ込められたマンモスのように凍りついているのだ。


(一瞬触れただけで・・・・・・!?)


 潰れるでも焼けるでもなく、凍結するという非現実的なダメージ。痛覚神経ごと凍りついたのか、痛みすらないことがなおさら不気味だ。

 こんなのは並の《サラマンダー》の出力じゃない。あの剣、まともに喰らっていたら一体どうなっていた・・・・・・?


「──────これは、曲がりなりにも『リエゾンロード』を斃した剣。警戒が足りなかったわね」


 少女の細い指が柄から離れる。

 距離を取るつもりだ。

 武器を再構成されてしまえば、今度こそ打つ手がなくなる。


「させんッッッ!!」


 その前に、凍りついたままの拳を思いっきり振り抜いた。


「なっ・・・・・・!?」


 賢二の拳はちょうど、少女自身の手でおあつらえ向きの鈍器に変えられているのだ。むしろ、打撃を与えたいというなら、こちらの方が都合がいい。


 裏拳の要領で薙ぎ払うように放たれた一撃は、少女の軽い身体をガードの上から撃ち抜き、勢いそのまま弾き飛ばす。

 回避はなく、ヒットの感触はほとんど不意打ち気味だった。

 熱を直接視る《サラマンダー》の目には、急速に冷凍された賢二の腕は映らなかったのだろう。


「くっ・・・・・・!」


 人間の片腕の重量は、個人差はあれどおおよそ5kgほどと言われている。凍結によって硬質化しているそれに、ありったけの遠心力を込めた。

 喩えるなら、金属バットをフルスイングしたようなものだ。生身で喰らえばひとたまりもないだろう。


 無論、こちらの腕もただでは済まない。凍りついた肉は衝撃によって皮膚ごとひび割れ、溢れ出した血液が地面に滴り落ちる。


 紅蓮地獄という言葉を思い出す。

 一見すると赤々とした炎を連想する字面だが、その本義は典型的な八熱地獄とは対極の八寒地獄にある。あまりの寒さに凍りついた皮膚が剥がれ落ちて、飛び散る血が蓮の花のように咲き乱れることが語源とされているのだ。


 今の状態はまさにそれだ。

 凍傷で腕の感覚が消失したので痛みはないが、こうまで損壊してはもはや右腕は使えない。極低温による運動停止はオーヴァードの再生力すら阻害している。


(・・・・・・向こうの手札は、斬られるどころか触れただけでアウトの氷剣、俺のスピードに対応する白兵スキルに、距離を取れば牽制で飛んでくる氷の礫か)


 困ったことに、一つも隙が見当たらない。

 伊庭賢二は、UGNに於いて屈指のエリートであることを表すトップエージェントの一人だ。その賢二をして、認めざるを得ない。

 目の前の少女は、自分よりも明らかに格上だ。


(FHなら最低でもマスターレイス級・・・・・・『リエゾンロード』を倒したという戯言も真実味を帯びてきたな)


 少女の手元に空気中の水分子が集い、透明の剣が再び現出する。

 ダメージの大小はともかく虚を衝くことには成功したのか、先程のように即座に距離を詰めて来ることはない。

 警戒してくれているのだろう・・・・・・ありがたい話だ。こちらも十全に体勢を立て直すことができる。


(・・・・・・侵蝕的にも恐らく限界が近い。次の一手で決める・・・・・・!)


 両手に加え、更に両脚を獣化させる。

 肥大化した筋肉が学生服のズボンを張り詰めさせ、獣のそれに変容した足爪が革靴を突き破り、内から裂いた。


 賢二の変貌を見て決着が近いことを察したのか、少女は居合抜きのような体勢で構える。

 自然で、無駄のない構えだ。

 隠し球はない。この剣一本で仕留めてみせるという、ある種の誠実さすら感じさせる。


「──────────」


 二人の呼吸が意図せず揃う。

 それが合図だった。



 地面を蹴る。

 黒い軌跡が尾を引くよう流れ星のように、少年の背中を追った。


 光を操り、感覚を強化する《エンジェルハィロゥ》。

 風を操り、スピードを強化する《ハヌマーン》。

 獣に変貌し、身体能力を強化する《キュマイラ》。


 伊庭賢二に宿った三つのシンドロームは、たった一つだけ・・・・・・速さという指向性(ベクトル)に於いて運命的なほどに合致している。

 “ファルコンブレード”や“黄金風景”の手前『最速』を名乗ることはないが、本気を出した賢二はそれに迫るほどのスピードを誇っている。



 対するブレザーの少女は、曲がりなりにも剣として振るえるようコンパクトに纏めていたレネゲイドを一気に解放する。資材管理庫は冷凍倉庫のように冷え込み、ガラスケースは白く曇った。

 それだけで敵の動きを制限するには充分だが、これは前兆でしかない。


 真の冷気は、氷剣の一振りと共に解き放たれる。


 ただでさえ高純度・高出力を誇るピュアブリードの《サラマンダー》シンドローム。その中でも彼女は氷の扱いに秀でた『究極のゼロ』だ。

 言わば、低温のみに特化した二重のピュアブリード。能力の自由度を極めて狭い範囲に限定する代わりに、それ一つを限界まで究めたスペシャリスト。


 細かな照準補正を捨て、面制圧の高範囲攻撃に切り替えることによって賢二を捉える腹積もりだ。



 互いに必中必殺。

 ─────ならば、先にてた方がこの場を制する・・・・・・!!



「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」」



 黒と白。

 少年と少女。

 本来交わることのない双つの最強が、ぶつかり合う───────




「そこまででお願いします」




 ────────直前。


 鈴を転がすような少女の声がしたかと思うと、黒い閃光も白い氷礫も跡形もなく雲散霧消してしまった。


「「え」」


 となると、滑稽なのは大真面目な顔をして異能力バトルに興じていた少年少女である。獣に変容した爪も、触れるだけで凍結する氷の剣も最初からなかったかのように振る舞う。

 勢い付いていた賢二などは悲惨だ。不如意な緩急の変化に、つんのめるようにして地面に顔から倒れ込んでしまう。


 直後に、ろくに電気も通っていないはずの施設が一斉に点灯する。ついさっきまで夜目を利かせていたので、眩しさのあまり目を閉じてしまった。

 そんな賢二の耳に飛び込んできたのは・・・・・・


「つ、都築つづきさん・・・・・・!?」


 オーヴァードであれば、誰が聞いても飛び上がるような人物の名前だった。


(ツヅキ・・・・・・都築だと・・・・・・?)


 何度か瞬きをすると、明順応でようやく辺りの様子が伺えるようになる。


 倒れ伏す賢二の視界には、どこかで打ったのか頭を抑える黒髪の女子学生と、清楚なワンピースに身を包んだ十歳前後の少女がいた。

 一見するとどこにでもいる姉妹のようだが、その関係性────小学生程度の少女に諌められる女子学生──────を見れば上下関係は伺い知れる。


 何より、ワンピースの童女の顔を知らぬ者は、恐らくUGNにはいない。


都築京香つづききょうか・・・・・・“プランナー”か・・・・・・ッ!」


「ええ、正解です。さすがは“ルシフェルウィング”・・・・・・“狩猟者プレデター”の実弟ですね」


 直接の面識はない。

 だが、資料や手配書・・・・・・下手をすれば教本で彼女の顔は幾度となく見ることになるだろう。

 

 今でこそ無秩序なテロリストとしての色合いが強いFHという組織だが、かつて・・・・・・ちょうど二年前までは、日本のFHはさながら軍隊のような統制を保っていた。

 己が欲望の実現を最優先とする荒れくれ者たちが、たった一人の女に追従していたのだ。


 その女こそが“プランナー”都築京香。

 何人ものマスターエージェントを従えたFH日本支部長にして、最古のレネゲイドビーイング。FHを脱退した現在では、新興組織『ゼノス』のトップとして二大組織と渡り合う超越者だ。


「“フェンリルバイト”とは行き違いがあったようですが・・・・・・我々の目的は貴方と同じく、この施設の調査です。相争う理由はありませんよ」


 そもそもなぜこちらの目的を知っているのか、というツッコミは呑み込んだ。

 「“プランナー”だから」以外に納得のいく答えが返ってくる気がしない。


「“フェンリルバイト”・・・・・・なるほど、『ケルベロス』の青峰あおみねミユキか。道理で手も足も出ん訳だ」


「出てたわよっ! こっちもいっぱいいっぱいだったんだから・・・・・・相手の確認も出来ないほど」


 ミユキは恥じ入るように頭を下げた。

 無理もない。血の手形がべっとりと着いた扉の先に人の気配があれば、先手を打ちたくもなろう。

 あと『リエゾンロード』を倒したって話は戯言でも何でもなかった。


「ともあれ、貴様ら『ゼノス』も俺たちと同じ結論に至ったのだな」


 氷の呪縛から解き放たれた右腕を再生させながらそう問いかけると、“プランナー”は意味深な顔をした。


「いえ、私の仮説にはもう一段階『先』があります」


「・・・・・・『先』?」


 くすっ、と。

 “プランナー”は、惜しいところまでいった生徒に答え合わせをする教師のような微笑みを浮かべて告げる。


「着いてきてください」


 清楚なワンピースの裾を翻して、童女の姿に似つかわしい無邪気な動作で振り返った。


「この事件の考察を始めましょう」

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