SCENE9『ダーク・タワー』

 ──────字桐市南端部、工業地帯跡地。


 数年前に起きた痛ましい人身事故をキッカケに、現在では役目を終えてただひっそりと街の隅に佇むのみのゴーストタウン。

 背は低いながらも、密集するように並立する工場群は、この時期この時間帯では最も強く照りつけるであろう西日を完全に遮っている。なので、その隙間を血管のように走る裏路地は、さながら異空間のように不気味な様相を呈している。


 なるほど、肝試しに使われるわけだ。

 いかにも過渡期の若者が好みそうな異物感、非日常感。曰くありげなエピソードもいいエッセンスだろう。

 ────────尤も、非日常との戦いを生業としている賢二に言わせれば、こういった『いかにも』な場所に根差している脅威などたかが知れている。真に恐ろしい非日常とは日常に溶け込み、遅効性の毒のようにゆっくりと牙を剥くモノなのだから。


(・・・・・・いや、今回ばかりはそうとも限らんか)


 不確かな経験則で自縄自縛になるのは良くない。トップエージェントたる伊庭賢二には油断も慢心もない。楽観もしない。事実に即し、記録に則し、最大限の警戒を以て非日常を渡り歩く。


「・・・・・・・・・・・・ここか」


 獣の如き鋭敏感覚が、路地の突き当たりにある空間の奥行きに微細な違和感を訴える。

 行き止まり、袋小路・・・・・・もし何も知らずにこの場所に来ていたなら、そんな言葉を思い浮かべて踵を返していることだろう。

 だが・・・・・・・・・・・・


「フッ────────!」


 黒閃を纏った爪が欺瞞に満ちた位相を切り裂くと、西洋貴族の洋館をオマージュしたような巨大建造物と、その正門が現れる。どうやら、寄せ集められた廃工場の大半はこの施設のカムフラージュだったらしい。

 無論、デタラメに刃物を振るったところでこうはなるまい。空間が裂けたのは、『領域』の要たる《オルクス》の因子を賢二の闇光が焼き切ったからだ。


 生半な技術ではない。

 物理攻撃で領域を破るためには、目に見えぬ因子を見抜く洞察と、正確に切り裂くための技量が要る。賢二には、その両方が当然のごとく備わっていた。


(・・・・・・流石に観測されたか? いや、監視カメラだろうがサーモグラフィーだろうが、今の俺は捉えられまいが)


 伊庭賢二にはもう一つ反則級の手札がある。《エンジェルハィロゥ》による光線操作能力と《ハヌマーン》による音波操作能力。これらを高度な水準で組み合わせることによって、人間レベルではほとんど知覚不可能な『究極の隠密』を実現させている。

 人間の五感による知覚能力の比率は、視覚が83%、聴覚が11%ほどだという。

 ならば後は単純な話で、可視光線を操って視認不可能の存在になりつつ、可聴音波を操って聴音確認不能の存在になればいい。それだけで人間の五感は伊庭賢二に対して94%機能しなくなる。付け加えるなら、嗅覚も《ハヌマーン》の気体制御能力で封殺できるし、触覚や味覚は特定の状況下でないとほとんど知覚能力を持たない。

 つまるところ、実際には本気で息を潜めた伊庭賢二を知覚することは物理学的にほぼ不可能なのだ。

 熱源探知、ソナー探知、二酸化炭素濃度探知・・・・・・各種探知機もほとんど意味を成さない。やはりその仕組みの大半は上述の方法で無力化されるからだ。


 無論、弱点はある。

 エフェクトを使っている以上はレネゲイドウィルスを発散している状態だ。つまりレネゲイド濃度という痕跡ばかりはごまかせない。

 加えて、精密なRC技術を必要とするこの状態は、近接格闘という賢二のスタイルも相俟って、戦闘時には一瞬しか維持できない。尤も、大抵の戦闘はその一瞬でカタがつくのだが。


 この能力がある限り、伊庭賢二は最新鋭の設備で固められた秘密基地だろうが、数千の衛兵が巡回する砦だろうが鼻歌を歌いながら通過できる。

 これぞ伊庭賢二の本領。“ファルコンブレード”にすら真似できない神業だ。


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)


 曲芸じみた身のこなしで、背の丈ほどの正門を飛び越える。どうやら、外縁部は完全に無人らしい。

 いや、それだけではない。監視カメラやセンサーといった機械的な警備システムの類も生きてないようだ。

 壊されているのではなく、シンプルに駆動していない状態だ。恐らく、管理する人間がいなくなったから機能停止しているのだろう。


(・・・・・・・・・・・・どういうことだ?)


 妙だ。

 リベラの裏で『探究教会エンハンスバイブル』が糸を引いているのであれば、根城であるこの施設は堅牢堅固な要塞でなければならないはずだ。


(あの仮説は間違っていた・・・・・・? ならば、誰がなぜこの研究機関を隠蔽していたというのだ?)


 センサー類が機能していないということは、無論自動ドアも機能していない。  無人であるならば、それはそれで都合がいい。賢二は、研究棟の自動ドアを獣の爪で切り裂き────────


「“ ぱ ブ ぁ あ ”」


 人間とも動物ともつかない、不気味で間抜けな鳴き声。

 直後に、間抜けなその声とは対照的に、あまりにも鋭い斬撃が少年目掛けて横薙ぎに飛んできた。


「────────ッ!!」


 咄嗟に上体を倒し、大理石の床に滑り込むようにして攻撃を躱す。ちょうど、斬撃の下をくぐり抜けるような形だ。

 交錯するようにソレの脇を抜けると、即座に体勢を立て直して敵と相対する。


 折り畳まれた翅を携えた幹のような胴体に、枝のように細長い脚。前足にあたる部分は目の粗いノコギリのように棘を蓄えており、おそらく《キュマイラ》か《エグザイル》の力で硬質化している。

 いわゆる、カマキリに近い形状だ。


 しかし、殊更に生理的嫌悪感を催すのは、これの表皮に当たる部分が、全て人間の皮でできているという点だ。

 特徴的な逆三角形の頭は、中年男性の頭蓋をそういう形に変形させたらこうなるだろうなと思えるような不気味な有様だ。無論、肉と皮もそれに合わせて張り直されていることだろう。垂れ下がった目の複眼と思しき部分には、全て人間の眼球が敷き詰められている。

 それらは獲物を探すように、一つ一つが別々の方向へぎょろぎょろと忙しなく動き続けている。どうやら、賢二の姿を捉えられていたわけではなさそうだ。


(ジャーム・・・・・・! 窓ガラスが砕けたから反射的に攻撃したのか・・・・・・)


 これも“ストライクハウンド”隊員の成れの果てだろうか。それにしては虫の骨格に張り付いた人肉は脂肪質だ。

 となると、この研究機関の職員が妥当だが・・・・・・


(脱走という情報は正しかった・・・・・・。リベラは既にこの施設の職員を皆殺しにしている・・・・・・!)


 皆殺し、という表現は的確ではない。

 これはジャーム化であって、死ではない。死よりも恐ろしい新生だ。

 この分では、どの道生き残りもいるまい。ジャーム化を逃れた者がいたとしても、このおぞましいイキモノの餌食となっていることだろう。


「チッ・・・・・・・・・・・・」


 思わず舌打ちをした。

 入口も『領域』も賢二の手で切り裂いてしまった以上、このバケモノを塞き止めていたものはなくなった。このまま外に放たれれば、最悪の結果が待っているのは言うまでもないだろう。

 UGNエージェントとして、それだけは避けなければならない。


「・・・・・・全く、損な役回りだ」


 隠密化を解除する。

 どうせ長持ちはしない。この状態を維持するリソースがあるのなら、それは戦闘に割くべきだ。


 ジャームの視点からすれば、賢二の姿、声、匂いなどの生体情報が突如として背後に出現したことになる。ぎょろり、と複眼のふりをしたいくつもの眼球が獲物の姿を捉えた。

 施設内の人間エサを食い尽くしてしまって腹を空かせていたのか、冒涜的な相貌は瞬く間に狂喜の色に染まる。


「“ ば ぁ あ あ っ ! ! ”」


 奇声とも気勢ともつかない不気味な金切り声を上げながら、何人もの人間を刻んできたであろう鎌を振り上げる。期待感からか、縦横があべこべに付いた口からは滝のように涎が溢れている。


 ────果たして、カレの眼は捉えることができたのだろうか。

 伊庭賢二が“ルシフェルウィング”たる所以。漆黒と表現するに相応しい、闇を体現した三対の翼を。


「“・・・・・・・・・・・・・・・・・・?”」


 つい一秒前まで全ての眼球が映していたはずの少年の姿がない。『振り上げた拳の行き場に困る』という慣用句があるが、大仰な鎌を振り上げたまま硬直する異形の姿は滑稽極まりない。

 ぐりんっ、と首を180度回旋させる。人間だった頃に気管であった部分が絞られ、垂涎にはあぶくが混じる。


 だが、その甲斐はあった。

 少年は、馬鹿の一つ覚えのようにカマキリの背後に立っていたのである。

 その移動速度には目を剥いたが、そのパターンは先程学習した。ジャームは、子供向けの変形ロボットの要領で関節を組み替え、体勢を変えることなく背後の賢二を鎌で強襲する────!


「────愚鈍な。自らの死にすら気が付かんか」


 ぼとり。


 前脚の第二関節から先がない。

 見れば、ご自慢の鎌は木の枝か何かのように足元に落ちてしまっている。


「“っっっ!?!?!?”」


 もはや悲鳴も上がらない。

 全身を20箇所以上に真っ黒な光が走り、急速に亀裂が拡がっていく。カマキリはどうにかそれを振り払おうと藻掻くが、それが何の意味も持たないことを理解していない。


 これは攻撃などではない。

 ただ、神速で与えられた『死』に漸く肉体が追いついてきただけの話。


 後は、賢二が手を下すまでもない。

 地球の重力が勝手にキリトリ線を切り離していくのみ。


 朝日に溶かされ崩れる雪像のように、カマキリだったものは地に落ちる。

 その際に飛び散った液体は、生意気にも赤かった。


「・・・・・・苗渕を連れてこなくて良かった」


 今回の解体は、先日狼型のジャームに行ったものより大分とショッキングな絵面だった。もし彼女が見ていたら、十中八九泡を吹いて倒れていただろう。

 そんな光景を想像して、「それも良かったな」と少し頬を緩める。


「・・・・・・さて、笑っていられるのもここまでだな」


 びちゃ、びちゃ、びちゃ・・・・・・と。水音とも足音とも取れる不快な音がいくつも近づいてくる。隠密化を解いたことによって、腹を空かせた徘徊者が集ってきてしまったようだ。

 バッタ型、アリ型、蜘蛛型、ムカデ型、ゴキブリ型・・・・・・世にもおぞましい虫人間のオンパレードだ。殺せるといっても、不快なのには変わりがない。


「フン・・・・・・」


 殲滅は必要最低条件。その上で、可能な限り早く探索を終えて情報を持ち去らなければならない。


「全く以て、割に合わん・・・・・・!!」


 何度目かの悪態。

 それを最後に、伊庭賢二はジャームを分解するだけの機械となる。


 殴る、蹴る、斬る、裂く、貫く、千切る、毟る、抉る、捥ぎ取る、引っ掻く、投げ飛ばす─────


 一つこわす度に、鮮血が飛び散って霧となる。噎せ返るような鉄の匂いに惹かれて亡者が挙る。獲物を狩らんとするためか、それともお零れに与らんとしているのか。

 ・・・・・・いずれにせよ都合がいい。探しに行く手間が省けて助かる。


 さあ、害虫駆除を続けよう。

 ヒトの理を踏み外して尚ケダモノにも成り切れぬ半端者を収める柩などないと知れ。



「「「ぁ、ああああ・・・・・・・・・・・・」」」


 血の匂いに釣られたカレらは、その光景を認識して初めて迂闊を悟る。明らかな判断ミス・・・・・・所詮は人間上がり。野生に徹し切れない獣は、淘汰されるが自然の道理だ。


 それは、戦闘と呼ぶにはあまりに一方的だった。一方的殺戮・・・・・・いや、そうであればまだ良かった。

 あれは調理だ。

 だって、戦いにミキサーなんて使わないだろう。


 黒翼のオーヴァードは一度たりとも足を止めない。ジャーム化によって強化された五感を持ってしても捉えられない速度で、そう広くない屋内を縦横無尽に駆け回る。

 恐るべきは、その挙動の一つ一つに斬撃が伴っていることだ。敵の姿が捉えられないことも相俟って、その光景はさながら鎌鼬のようだった。


 回避は不能。

 防御も不能。

 反撃など、もちろん不能。

 蜘蛛の子を散らすように逃げたとしても、土台のスピードが違いすぎる。すぐに追いつかれて背後から抉られる。


 かつて人だった獣たちは、ここにきて漸く理解する。

 これはミキサーだ。

 自分たちはそれに気づかず、自らボトルの中に身を投げ入れてしまった。

 ならば、その末路は・・・・・・


「「「“────────ッ!!”」」」


 そうだ、賢い。

 叫べるうちに叫んでおかなければ。刻一刻と迫り来る『その時』には、きっと断末魔の声を上げる暇もないのだから。

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