SCENE7『衝動と革命』

 そういうわけで。

 苗渕ハルカと伊庭賢二は、今こうしてマグマのように煮えたぎる赤い鍋を挟んで向き合っているのである。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ぐつぐつぐつぐつ。


 唐辛子中毒者が死の間際に見る白昼夢のごとく赤い出汁の中に、もやしや白菜、豚バラなどが沈んでいる。普段から感謝こそすれ、食材に同情したのは生まれて初めてだ。


 誂られた和風の個室が、真夏の蜃気楼のように歪んで見える。

 瘴気。

 そう表現するしかない何かが漂っているのだと思ってしまいそうになる。


「────────さて、今回の一件の考察だが・・・・・・」


「いや待ちなさいよ。食卓のド真ん中に“地獄”があることに関しての説明がまだなんだけど」


 訝しげな顔をする賢二。

 この数日間でいい加減コイツの表情差分も見なれてきたが、この顔はその中でもトップレベルで腹立つ。


「地獄って・・・・・・鍋は日本の文化だろう。知らんのか?」


「鍋は知ってるわよ、馬鹿にすんな! どういうつもりで女の子とのディナーにこんな危険物をチョイスしたのかって聞いてんの!!」


「?」


「なんでピンときてないのよっ!!」


 とことんまで熱くなるハルカに対して小首をかしげながら、賢二は自分の皿に深紅のスープごと鍋の具を掬い入れた。

 ハルカ的には、昨日この男自身が作り上げた人肉の血の池スープを想起してしまい、食欲が減衰する。


「まあいい、続けるぞ。

 “ストライクハウンド”が追っていたのは、『探究教会エンハンスバイブル』から逃げ出した検体で間違いない。貴様が盗撮した白髪の男がそれだ」


「盗撮って・・・・・・人聞き悪いわね」


「事実だろう。レネゲイドビーイングに肖像権がなくてよかったな」


 ぐぬぬ。

 ちょっと言い返せないので、不満げに唇を尖らせて賢二を睨みつけるだけに終わる。正論しか吐けない男はモテないと思います。


「この検体がどういう研究の末生まれたものかは分かっていない・・・・・・なんせ、研究機関の所在地は日本支部にも分からなかったからな」


 本部からも日本支部からも秘匿された組織『探究教会エンハンスバイブル』。追えば追うほど謎は深まり、そのぼんやりとした輪郭だけが揺らめいて見える。


「分かっていることは一つだけ」


 目に痛い湯気の向こうで、伊庭賢二は分かりやすく人差し指を立てた。

 そして、続ける。


「この検体には、触れた相手を即座にジャーム化させる能力がある」


「・・・・・・・・・・・・っ!!」


 ジャーム化。

 レネゲイドに侵され抜いて、心までも侵蝕された獣に成り果てる、オーヴァードにとって死よりも恐ろしい末路。

 それを、触れただけで・・・・・・?


「ってことは、あのジャームは・・・・・・」


「この力の犠牲者だろうな。報告によると、“ストライクハウンド”からは既に十名以上に被害が出ており、何体かは部隊内で処理されている」


「そんなっ・・・・・・! 仲間同士で殺し合うなんて・・・・・・」


 悲惨すぎる。

 ジャーム化前の顔を知らなかったハルカでさえ、昨日自分たちが手にかけた黒狼が同じUGNの人間であったことを知った際には、少なからずショックを受けた。それが苦楽を共にした戦友であるのなら、その心中は察するに余りある。


「悪い報告はまだ終わらない」


 賢二はハルカが確保したポラロイド写真を机の上に置くと、


「この検体は自らのことを『リベラ』と名乗っていた。“解放する”という意味のラテン語だ」


 意外なことに、このレネゲイドビーイングは既に名前を有しているらしい。遺産や伝承を“起源オリジン”としたレネゲイドビーイングであれば、生まれながらに名を有することもあるが、先日脱走したばかりの検体が自らにラテン語の名前をつけるだろうか・・・・・・?


 加えて、“解放”というワード。

 思い当たる節といえば・・・・・・


「・・・・・・・・・・・・衝動?」


 オーヴァードの宿痾たるレネゲイドには、罹患者の精神に干渉して強烈な欲求を呼び起こす作用がある。

 それぞ『衝動』。


 “ 解 放 リリース

 “ 吸 血 サッキングブラッド

 “ 飢 餓 スタヴェイション

 “ 殺 戮 スローター

 “ 破 壊 ディストラクション

 “ 加 虐 サディズム

 “ 嫌 悪 アヴァージョン

 “ 闘 争 コンフリクト

 “ 妄 想 ディルージョン

 “ 自 傷 セルフハーム

 “ 恐 怖 アフレイド

 “ 憎 悪 ヘイトレッド


 以上、十二種類に分類されるオーヴァードのしがらみ。便宜上の括りではあるが、カウンセリングや戦闘時の傾向分析で簡単にソートできる。

 確か、ハルカは“飢餓”と診断されていたハズだ。とはいえ、戦闘中にお腹がすいたことなど一度もないし、食も細い方だと思う。なんなら、死体を処理したあとは何も喉を通らなくなるほど繊細だ。

 そんなだから、ハルカは自分の衝動など実感したことは一度もない。胡散臭くすら思える。

 だが────────


「─────『探究教会』は衝動の研究をしていたってこと?」


「だろうな。リベラ自身、自分がどういう存在かを知っている理由としてはそれが一番妥当だ。そして、ここからが本題だが・・・・・・」


 トン、と。

 机の上の写真を指で叩く。


「リベラには仲間がいる。ジャーム化させた“ストライクハウンド”の隊員とは別に・・・・・・恐らく、リベラと同じく『衝動』を起源としたジャームがな」


「・・・・・・・・・・・・っ!」


 そんな、馬鹿な。

 藤崎から事前に伝え聞いていた情報には、不鮮明な部分が多かった。けれど、それにしたって数まで間違えるとは思えない。

 逃げ出した検体は一体のはず。

 なら、どういう方法で増えた?


「リベラに起源オリジンを付与できる能力がある・・・・・・とか?」


「有り得なくはないが・・・・・・それなら先日遭遇した“ストライクハウンド”の成れ果てにも影響があったはず。レネゲイドビーイングに限定されるとしても、そもそも一般社会においてUGNに認知されずに生きているモノは極端に少ない。

 俺の個人的なイメージとしては・・・・・・有限のアイテムを使っている、という感じが自然だと思う」


 『衝動』の起源オリジンを他者に付与できるアイテム。これが『探究教会エンハンスバイブル』の研究ということか。


「リベラはその第一号で・・・・・・研究機関から盗み出したアイテムを使って仲間を増やしてる・・・・・・確かにやばいかも」


「推測・・・・・・というよりは妄想だがな。

 ・・・・・・おい。お前も自分の分をよそえ」


 気づかれちゃった。

 シリアスな会話してたら食べずに済むのかなーって思ってたのに。

 観念して、なるべく汁を切るようにして野菜中心に自分の皿に取り分けていると、


「・・・・・・『シスマ』」


 賢二は、耳馴染みのない響きの単語を口にした。


「シ・・・・・・なんて?」


「シスマ。これもラテン語で『分裂』や『亀裂』を意味する。キリスト教史における宗派の分裂などを指してそう言う」


 賢二は、ポラロイド写真の裏にペンで『SCHISMA』と書き込んだ。

 ・・・・・・以外に博識というかなんというか、“ルシフェル”を名乗るだけあって聖書関連の知識は豊富らしい。


「リベラが自分の組織を表す時に使った符牒だ・・・・・・何か違和感を感じんか?」


「違和感って・・・・・・」


 そう言われてはたと気付く。というより、『リベラ』という名前の由来を聞いた時に覚えた違和感が再来したと言った方が正しいか。

 義務教育相当の学習課程は終了しているハルカですら知らないような言語や歴史の知識。それにちなんだ名前を、生まれたばかりのレネゲイドビーイングが付けること自体が不自然だ。


「・・・・・・確かに、ちょっと変かも。生まれたばっかなのに賢すぎね」


「うむ。やはりこの事件の裏では、何者かが糸を引いていると見るべきだろう。

 そして・・・・・・現状一番怪しいのは『探究教会エンハンスバイブル』だ」


 UGNの一機関が、ジャームを増やすレネゲイドビーイングを使って組織を形成しようとしている?

 もしそうだとしたら、日本支部どころかUGN全体の不祥事になる。その影響は“ロード・オブ・アビス”の反乱と同等か、それ以上のものになるだろう。


「────────絶対止めないと」


 UGNエージェントとしての責任感とか、もはやそんな話ではない。オーヴァード社会に生きる者として、そんな革命は容認できない。


「・・・・・・ふん」


 どうやら、志は同じらしい。

 どこか満足げに鼻を鳴らして、賢二はようやく箸を口に運んだ。


「あっっっっつ!!??」


「ええっ!?」


 あんまりにも過剰な反応だったのと、これまで聞いたこともないような大声だったので、びっくりしてこっちも声を上げてしまった。

 賢二は上半身を跳ね除けるあまり背後の壁に激突してしまったらしい。少し遅れて壁にかかっていたハンガーが落ちてきて、ギャグ漫画みたいに少年の頭にコツンと当たる。


「え、本当になに!? 毒!?」


 張り詰めた空気を和らげるために体を張ってくれた?

 いや、この男に限ってそれはない。となるともう攻撃を受けたとしか考えられない。毒というより狙撃みたいな反応だったが。


「いや、ちがう・・・・・・舌をやけどした」


「いやいやいや」


 そうはならんやろ。


 というか、今のそんなに熱かったか? 皿に取り上げてから結構喋ってたし、むしろ冷めているとさえ思っていたのだが・・・・・・


「くそ・・・・・・《キュマイラ》に覚醒してからというもの、神経が過敏になり過ぎたのだ・・・・・・不便な体になったものだ」


 そういえば、賢二はトライブリードだったか。この分だと、二年前に突然《キュマイラ》シンドロームが生えてきたのだろう。それでこの有様とはあまりにも悲し過ぎる。そんな奴が鍋頼むな。


「ッ・・・・・・! なんだ、熱いだけじゃない・・・・・・舌が痛い、ヒリヒリする! 気をつけろ苗渕、毒かもしれん・・・・・・!」


「それは普通に唐辛子の辛味成分でしょ。ただのカプサイシンよ」


「唐辛子だと・・・・・・!? 何故・・・・・・」


「アンタが赤いの頼んだんでしょーが! こんな色合いで辛くないはずないでしょっ!!」


 どうやら賢二は、この真っ赤な鍋がチャレンジャー求ム系の激辛料理であるとは露とも思わなかったらしい。考えてみれば、本国は日本に比べてそういう文化が少ない。賢二のように食事に気を使ってなさそうなやつなら尚更だろう。


「この国では赤といえば唐辛子なのか・・・・・・?」


「・・・・・・じゃあアンタの中では赤といえば何なのよ」


「? 血の色・・・・・・」


 違った、伊庭家の教育方針がヤバかっただけだ。

 というか血の色を想起したとして、率先してそれを選ぶあたりの感覚は一般人からズレ過ぎている気がする。


 あんまりにもあんまりな反応だったので、おっかなびっくり皿の中で真っ赤に染まっていた白菜に口をつけてみる。


「ん・・・・・・? 確かに辛いけど、結構いけるかも」


 地獄のような見た目に反して、食べられないほど辛いという程ではなかった。

 出汁の旨みはきちんと効かせてあるし、何より唐辛子エキスの辛さで野菜の甘みが際立っている。スイカに塩をかけたら甘くなるのと同じ現象だろうか。


「バケモノめ・・・・・・・・・・・・」


「アンタ恥ずかしくないの?」




 それから数十分ほど経って。


 いい加減慣れてきたのか、ハルカも賢二も黙々と真っ赤な鍋をつついていた。

 自分で注文したモノに過剰な拒絶反応を示していた賢二だったが、「拷問だと思えば案外耐えられる」として、スイッチでも切り替えたかのようにせかせかと食べ始めた。

 ・・・・・・なんていうか、全体的に色んな人に謝ってほしい。


「────────で。具体的にこれからどうするつもりよ」


 敵の正体はわかった。

 とはいえ、それは日本支部も同じことだ。彼らの調査がこれ以上進んでいないのならば、依然として手詰まりであることは変わらない。


 しかし、賢二はハルカが持ち寄ったリベラの写真を数枚見比べながら、軽い調子で言ってのけた。


「潜入する」


 思わず目を丸くする。


 ────────潜入? 何処に?

 そもそも敵方の拠点がわかっているのであれば、こんな大騒ぎにはなっていないような気がするが・・・・・・


「都市伝説では、リベラは『地縛霊』と表現されていたのだろう? つまり、普段から奴はこの路地裏に居着いているということだ。

 事実、“ストライクハウンド”とリベラの交戦現場もこの辺りが多い。普段は索敵中に向こうから仕掛けてくるので、正確なねぐらの場所は掴みかねていたようだが」


 数日間張り込んだうち、直接的にその路地裏に出入りしたのが確認できたのは写真の時のみだが、リベラが世に放たれてから今に至るまでの短期間に目撃証言は集中している。とはいえ・・・・・・


「でも、あそこ本当になんにもないわよ? 肝試しする学生も多いけど、だいたい収穫ゼロで帰ってくるんだから」


 頼りにされてノリノリの栗原に付き合わされたハルカが見た限り、あの廃工業地帯には多分本当になんにもない。賢二の期待するような手掛かりがあるとは、とてもではないが思えない。


「《オルクス》や《バロール》の能力で空間が隠蔽されているとしたら?」


 あ、と声を上げてしまった。その可能性は考慮してなかった。

 確かにそれなら非オーヴァードには気づきようがないし、“ストライクハウンド”が先手を取られ続けていたことにも納得がいく。さしものUGN最精鋭部隊といえども、戦いながらそんなことを気にする余裕はないだろう。


「で、でも・・・・・・私はなんにも感じなかったし・・・・・・」


「貴様の感覚などアテになるか。《ワーディング》していたジャームの不意打ちにすら気づけなかったくせに」


 またしても否定できない。

 定期的に相棒から言葉のボディブローが飛んでくる。というか、ちょっと楽しんでないか? この正論DV男。


「俺のエフェクトは隠密向きだ。隠れることに徹せば、恐らく“ファルコンブレード”にも気取られん。なので・・・・・・」


「はいはい、一人で行くんでしょ。いいけど、あんまり危ないことはすんじゃないわよ」


 見れば、賢二は鳩が豆鉄砲でもくらったような可笑しい顔をしていた。熱でもあるのか、とでも言いたげな様子だ。


「・・・・・・・・・・・・何よ。自分の得手不得手ぐらい分かってるっつーの!

 その代わり、アンタが知らない間にもっと大きい手掛かり掴んでやるんだから! 首洗って待ってなさい!」


 精一杯の啖呵を切ってやったのにも関わらず、賢二の反応は至極張り合いのないものだった。

 彼は、珍しく眉間に寄った皺を伸ばすと、


「────────ああ、頼んだ」


 なんて。

 柄にもないことを言うのだった。

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