SCENE6『Baby, Don't Cry.』
────────泣き声が聞こえる。
聞き分けのない子供のものだろうか。高音がきんきんと耳に障って鬱陶しい。近くにいたのなら、ガムテープで口を閉じてやりたくなるほど不快だ。
泣いてるんだから許してくれ。弱いんだから助けてくれ。そんな風に、周りの同情を誘おうとする魂胆が透けて見えている。
これだから子供は嫌いだ。
純粋だとか、無邪気だとか、とんでもない。奴らほど打算的で小賢しい生き物は存在しない。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふむ』
目の前の男もそう考えているのか、刃物のように冷たく、鋭い眼で『子供』を見下ろしている。どうやら、ソレにかけていた期待はものの見事に裏切られたらしい。失望という二文字が良く似合う、そんな眼だった。
『やはり、実弟といえども
何を言っているのかわからない。
分かりたくない。
泥と涙と返り血でぐしゃぐしゃの頬を小さな拳で拭う。拭いながら、また目元から透明な水を再生産する。
『良い・・・・・・興醒めだ。お前は此処に置いてゆく。
──────力の遣い方は教えた。あとは勝手に生きて死ね』
突き放すような言葉。
今のソレには、残酷すぎる宣告。
ああ、だから泣くなと言うのに。泣いたところでどうにもならない。失望の眼は覆せない。
いいか、よく聞け伊庭賢二。
────────お前/俺は、どうしようもなく弱いから棄てられたんだ。
「────────────ッ!!」
呼吸の仕方を思い出して、その後にようやく現在の自分を思い出した。
・・・・・・ここのところ不眠不休で動いていたせいか、どうやら知らずの間に眠ってしまっていたらしい。
(・・・・・・・・・・・・性質の悪い夢だ)
────────近頃は見なくなっていたというのに。
これはやはり、土地が悪いのだろう。この国にいると、昔のことが脳裏にチラつく。棄てた場所に帰ってきているのだから、仕方ないといえば仕方ないが。
何時間ほど眠っていたのだろうか。空模様で判断するため、ゆっくりと目を開く。
と────────
「────────あ、起きた」
ここ数日見ていなかった苗渕ハルカの端正な顔が、夕焼け空よりも先に視界に飛び込んできた。
「・・・・・・・・・・・・っ!?」
さしもの賢二もこれには動転し、過剰なまでに飛び退いてしまった。それはもう、建物のヘリに足が架かるほど。
人様の寝顔を覗き込んでいた女は「おー」と気の抜けたような声を上げやがるだけだ。全く状況が理解できない。
「アンタ、普段は授業サボって屋上で寝てるっていうのマジだったのね。典型的過ぎて、流石に眉唾だと思ってた」
クラスが違うとわかんないもんよねー、と。いつにも増して呑気な口調でハルカは言う。
「・・・・・・この件からは手を引け、と宣告したはずだが?」
「宣告じゃなくて忠告でしょ。聞き入れるかどうかは私が決めるわ」
賢二の冷徹な言葉に、今度は真っ向から反抗してきた。
「────────────!」
その瞳は、以前のように弱々しいものではなく。このたった数日で何があったのか、そこには確かな決意の火が灯っていた。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・一端の眼を)
気圧されかけた自分に喝を入れる。今回ばかりはきちんと突き放すと決めただろう。
「ならば聞かせてみろ。あの程度のジャームに不覚を取る貴様に何が出来る? 何を以てこの闇に立ち向かい得るというのだ・・・・・・ッ!?」
対して。
千の言葉よりも克明な有能の証明を、苗渕ハルカは突き付けた。
「な──────────」
それは、一枚のポラロイド写真。《ブラックドッグ》シンドロームのオーヴァードによる各種攻撃を受けても情報を残せるように、組織から支給されたインスタントカメラによるものだろう。
被写体は──────────
「逃げ出した検体は白髪のロン毛」
驚くべきことに、賢二がUGN日本支部から入手した交戦記録に残されていた、“ストライクハウンド”の駆逐対象の特徴と合致していた。
それも、完全に警戒を解いた状態でどこかの路地へ入っていこうとするオフショット。値千金の情報だ。
「でしょ?」
ハルカはいたずらっぽく笑った。
────────どうやら、今回ばかりは旗色が悪そうだ。
「・・・・・・・・・・・・何処でそれを?」
「この街の南部にある廃工業地帯よ。ここら辺じゃ結構有名な心霊スポットらしいけど、アンタ知らない?」
「入手経路の話だ。UGN日本支部の最高機密だぞ、これは・・・・・・!」
そう問い質すと、ハルカはバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。コロコロと忙しい
「いやぁ〜、実は・・・・・・そこに関しては当てずっぽうっていうか・・・・・・ビンゴっていうか・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・はあ?」
要領を得ない。
何を言ってるんだ、この女は?
「いや、えーと・・・・・・ここ何日かで字桐市の都市伝説とか噂話とか全部仕入れてきてね、一つ一つ洗い直してたのよ・・・・・・その、色々ツテを使って」
「・・・・・・では、これは」
「深夜の工業地帯に出没するヴィジュアル系地縛霊って噂を追ってたら、本当に居たから・・・・・・あそこホームレスすら住み着かない場所だから、なんかあるなーって思って、カマかけてみた・・・・・・」
そう。
ハルカは特別なこととか、画期的なアイデアとか・・・・・・そういう他人に誇れることは何一つしていない。
ただ、アシを使って自分に集められる範囲の情報を隅から隅まで集めてきただけだ。
才能ではない。
特別なコネでもない。
ただ、誰の耳にでも入るであろう胡乱な都市伝説の数々をひとつずつ地道に実証し、その果てに『底のない虚』とやらに肉薄した。
誰もそうとは認識していないだけで、世界の真実などそこらへんの道端に転がっているものなのである。
「・・・・・・そんな派手に動いて、今度は貴様が噂になったらどうする。現地のエージェントに怪しまれるぞ」
「あ、その辺は大丈夫! 話を聞かせてもらった人たちの記憶はだいたい弄ってあるから! 私の顔見たって何も思い出せないわよ」
頭を抱える。
確かにそれは苗渕ハルカの特権だ。伊庭賢二にはできないし、そもそもやろうという発想がない。
皮肉にも、賢二自身が無駄と断じたモノを用いて、ハルカは賢二と同じ土俵に立ったのだ。
「とにかくっ! ・・・・・・これで、私でも役に立てるって分かったでしょ」
焦ったように仕切り直すと、ハルカは、彼女に似合わないおずおずとした様子で賢二の顔を見上げてきた。まるで、黒板に自信のない漢字を書かされた児童のように、不安げに。
「私じゃ力不足かもしれないけど・・・・・・それでも、できることをやるから。だから・・・・・・」
遮るように、賢二は大きくため息をついた。
「っ!」
たったそれだけのことなのに、ハルカは過剰に反応してしまう。
何を言われるかわかったもんじゃない。
やばい。自分でも気づかなかったが、相当期待していたみたいだ。今また突き放されたら、ちょっと立ち直れないかもしれない。
そして、次の瞬間に賢二の口から出た言葉は────────
「────────この後は空いているな?どこか食事処にでも寄って帰るぞ」
・・・・・・なんていう、晩ご飯のお誘いだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぇ?」
「なんだその間抜けな顔は。
・・・・・・情報共有なら、どこかで腰を落ち着けた方がいいだろう」
意外というかなんというか。
賢二はあっさりと負けを認めた。敗北宣言にしては、あまりにも超然とし過ぎている気もするが。
「じゃあ・・・・・・!」
賢二は小さく頷いた。
やっと認められたのだ。日本にまで赴任してから十日ほど経ってようやく、相棒として・・・・・・!
一安心して胸をなでおろしていると、
「ふふっ」
と。
なんかめちゃくちゃ爽やかな笑い声が聞こえたような気がした。
それが目の前にいる爽やかさとは縁遠い男が発したものだと気づくためには、結構な時間を要した。
「何笑ってんのよっ!」
「いや、なんだ・・・・・・思っていたより堪えていたのだな、あれ・・・・・・」
「そりゃあんだけ言われたら堪えるわよっ! メンタル弱者で悪かったなー!」
お上品にも口元を隠して笑い声を押し殺す“ルシフェルウィング”。中性的な童顔なので、笑った顔だけは腹立たしいことに可愛げがある。
どうやら賢二の中では、苗渕ハルカは随分と図太い女だったようだ。
冗談じゃない。UGNエージェントとはいえ、こちとらニキビの一つで一喜一憂する女の子だと言うのに・・・・・・!
よほど面白かったのか、それともよほど疲れていたのか。少年は堰を切ったように少女の一挙手一投足に笑い出した。
ハルカは無礼だとばかりに憤りながらも、心の中はどこか嬉しいような意外なような、不思議な安心感を覚えていた。
─────ああ。こんなふうに笑えるんだ、こいつ。
懊悩と苦心の数日間が、少しだけ報われたような気がした。
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