SCENE5『苗渕ハルカの懊悩』
さて、今日も今日とて犬神高校に放課後の時間がやってきた。
「はーい、それじゃあみんな気をつけて帰るようにー」
担任の花園先生がそう促すと、五限までだったこともあってか、クラスメイトたちは皆そそくさと家路についた。
なんでも、最近この辺りで流血沙汰の大喧嘩があったらしく、完全下校の時間が早まっているのだ。
そんな最中で、最低限自分の身は自分で守れるオーヴァードたる苗渕ハルカがどうしているかというと・・・・・・
「はぁああぁあああぁああぁあぁあぁああああ〜〜〜・・・・・・・・・・・・」
見ての通り。
長い脚には不釣り合いな勉強机に突っ伏してダウン中である。
勉強の疲れ? まあそれも多少はある。けれど、ここまで憔悴し切っているのは正直心労の部分が大きい。
ナイーヴなことに、彼女は昨夜賢二に言われたことをずっと気にしているのである。
『お前の手に余る』
『弱者は素直に忠告を聞け』
少年の冷たい声が克明に蘇る。
「あ〜〜〜も〜〜〜っ! ムカつく〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
何がムカつくって、賢二がこれで嫌われ役に徹することが出来たと思ってそうなところがたまらなくムカつく。
苗渕ハルカも馬鹿じゃない。あの発言が自分の身を案じたものである事ぐらいは気がついている。あの時は、いつにも増して突き放すような口調だった。ハルカには、それがいつもの冷笑的な嫌味ではなく、真剣味を帯びたものに感じられたのだ。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
伊庭賢二は、他人と関係を持つことを諦めている。敬遠や侮蔑を恐れていて、その癖どうせ嫌われるならと自ら周囲を拒絶している。とんでもないひねくれものだ。
けれどそれは、全く情がないということでもない。でなければ、足手纏いのハルカをわざわざ助けたりしないだろう。
アイツが自分のことをどう思っているか分からなくて。自分がアイツのことをどう思いたいかわからない。
こんなくだらない懊悩に割いている時間はない。人間関係の悩みなど、それこそエージェントにとっては枷でしかないのだ。そんなこと、頭では分かっているはずなのに。
「・・・・・・・・・・・・なんで、アイツのことばっか考えちゃうんだろ」
誰もいない教室で、ぽつりと漏らす。
人から嫌われようとしているくせに、突発的に人を助けてしまう少年。
不出来というか、なんというか。
とにかく、そう・・・・・・その生き方が子供じみて不器用に思えて、なんだか無性にムカつくのだ。
と。
「
なんか、突然頭上から妖怪デバガメ女の浮ついた声が聞こえた。
「うぉォあっ!?!?!?」
エージェントとしての危機察知能力がそれはもう十全に発揮される。咄嗟にはね上げた頭が、覗き込むように顔を近づけていた何者かの脳天にクリティカルヒットしたのである。
「ひぎゃんっっっ!!」
しっぽを踏まれた猫みたいな声。
見れば、目を回してふらふらと千鳥足の黒髪少女がハルカの席の前に立っていた。
その顔には見覚えがある。潜入初日はそれはもう質問攻めにされたものだ。
「えーっと・・・・・・隣のクラスの、栗原さん・・・・・・?」
少女───────
犬神高校の情報屋、栗原美心と言えば知らない者はおるまい。都市伝説から恋愛ゴシップまで幅広く取り扱い、全校生徒の成績からプロフィールから全てを知り尽くしているという人間アカシックレコードだ。
・・・・・・まあ、もし本当にそういうの全部把握しているとしたら不気味すぎるので、流石に色々尾ヒレがついていると思うが。
何はともあれ、厄介なやつに聞かれたのは間違いない。これはもう根掘り葉掘り聞かれまくるだろうし、賢二なんかのことで悩んでいることを知られた日には、字桐市随一のダメンズ好き女としてこの上なく不名誉な時の人となること請け合いである。
「さ、さっきまで誰もいなかったハズなのに・・・・・・」
「ふふ・・・・・・ミス・ホームズは浮いた
そんな下世話なホームズは嫌だ。
というか、仮にも本部エージェントであるハルカが接近を気づけないって探偵というより暗殺者の才能があると思う。
「それでそれで? 謎の金髪美少女ハルカちゃんは、誰を想ってわなないてたのかな〜?」
「謎とか本人の前で言う・・・・・・?」
とにかく、ここで賢二の名前を出すわけにはいかない。この学校にそれっぽい朴念仁男子はいなかったか? あることないこと言われるにしても、せめて他の人ならまだ我慢できる。
転校初日「『
「勘で言っていい〜〜〜?」
「へ・・・・・・?」
少女は幼児のように可愛らしく小首をかしげながら、
「イバケンくん?」
「ぶふぉっ・・・・・・!?」
なんだこいつ《ノイマン》か?
自分がその時どんな反応をしていたのか分からないが、美心が「はは〜ん」とでも言い出しそうな顔をしたので急いで取り繕う。
「ち、ちがうちがうちがう! アイツだけは絶対にないから・・・・・・っ!」
「はいはい、そういうことにしときましょう! あはは、ゆでダコみたいに顔真っ赤だ〜」
イマイチ釈然としないが、ひとまず追及はしない方針で納得してくれたらしい。名前を出されただけなのに本当に心臓に悪かった。
「それで?」
「?」
栗原美心は、いつの間にやら前の席の椅子を拝借してハルカと対面するように机に肘をついていた。
「どんな悩みなの?」
その笑顔はなんというか、思わず全て打ち明けて慰めてもらいたくなるような包容力に満ちていたので、少しの間あっけに取られてしまった。
「悩み・・・・・・悩みっていうか・・・・・・」
苗渕ハルカの人生において、同僚やチームメイトは大勢いたが、こうやってくだらない話をするだけの友達というのはいたことがない。なので、距離感が測りきれずタジタジになってしまう。
「ん。言ってみ言ってみ?」
それこそ、胸の内に閉まっておきたい本音を、ポロッと漏らしてしまいそうになるほどに。
「・・・・・・周りから嫌われたがってる奴がいて・・・・・・でも、そいつ本当は優しいっていうか、根が善人だから何回も助けられてるんだけど・・・・・・なんか、いっつも売り言葉に買い言葉みたいになっちゃって、どう接したらいいかわかんないっていうか・・・・・・」
あーあーあー。
漏らしちゃった。
「要するに、感謝したいけど相手が好意を素直に受け取ってくれるか分かんなくて困ってるわけだ」
総括されちゃった。
五秒で。
「こ、好意って・・・・・・! そんなんじゃ、ないけど・・・・・・・・・・・・」
知らず知らずに尻すぼみになった。
まずは認めよう苗渕ハルカ。
彼女の言は、びっくりするほど正鵠を射ている。
「・・・・・・・・・・・・そんなん、です・・・・・・」
もちろん、恋愛感情とかそういう類のものでは断じてない。けれど、同僚として────相棒としてこの数日間を過ごしたからこそ、強く感じてしまったのだ。
伊庭賢二という少年の孤独を。そして、その内に秘められた良心を。
「──────うん」
懺悔に耳を傾ける修道女のような優しい声だった。
冷やかすような反応が帰ってくると思っていたので、少し驚いて少女の方に目を遣った。
「・・・・・・その気持ち、ちょっと分かるよ。
無理に距離を詰めようとすれば、相手を苦しめてしまうかもしれない。いつも一人でいる人は、一人が好きな人かもしれないもんね」
見てきたかのように、彼女は語る。言いようもないこのもやもやを、まるで既知のことのように言語化していく。
「経験談だけどね? ハルカちゃん」
少女はずいっと机に身を乗り出しながら、そう前置きした。
「そういう時は、まず『どう接するべきか』より『どう接したいか』を考えてみればいいと思うな」
「『どう接したいか』・・・・・・?」
「そ。・・・・・・その人にとっては現状維持が最善なのかもしれないけど、ハルカちゃんにとっては違うでしょ? じゃなきゃもやもやしないもんね」
────────伊庭賢二がどう生きようと本人の勝手。それで苗渕ハルカがなにか不利益を被るわけではない。
にも関わらず。彼女こんなに苛立っているのは、きっと・・・・・・自分だけは、彼のことを嫌いになりたくないと思っているからで。
「ハルカちゃんはどうしたい?」
ハルカ自身の欲求として、たった一人で巨大な闇に立ち向かおうとしている賢二を一人にしたくないと、そう思ってしまっているからだ。
「────────放っておきたくない」
苗渕ハルカは、ようやく自分の『衝動』を外界に出力した。
この任務を彼一人に任せると、彼は失敗して死ぬかもしれない。その場合、ハルカがそばにいたところで結果は変わらないだろう。文字通り、死体がふたつに増えるだけだ。
けれど、だからといって。
その『賢明な判断』を逃げる言い訳にしていては、苗渕ハルカは何時まで経っても変われない。
伊庭賢二は、何時まで経っても救われない。
「・・・・・・どうすればいいかな、私」
「あはは、そこまでは分かんないよ〜」
そう言われて思い出した。目の前にいるのはどこにでもいる女子高生。オーヴァードでもなければエージェントでもない。なんなら庇護対象だ。
打ち明けすぎた。というか心を開きすぎた。賢二とは対照的に、ハルカはちょっとチョロ過ぎる。
(あ、あぶねーっ! もしかして私、今普通に任務のこととかうっかり口を滑らしちゃうトコだったっ!?)
UGNエージェントの訓練課程には対尋問訓練もあったはずだが、この少女の前では全く意味をなさなかった。
本部エージェントと言えど、同年代の少女の悪意のない質問をかわすノウハウは習っていない。
あと、これはハルカがマヌケというより、目の前の少女が人の警戒心を解くのが上手すぎるだけな気がする。この噂好きの少女に弱みを握られてきた犠牲者は、皆この無邪気な毒牙にかかってきたのだろう。
記憶改竄でさっきまでの会話の記憶を消して立ち去ろうかと考えていると、栗原は見透かしたように薄く笑ってから続けた。
「・・・・・・でも、自分の気持ちが分かったなら色々やりようがあるんじゃない? ハルカちゃんにしか出来ないことでその人を支えてあげなよ」
「っ、アイツに出来ないことで私に出来ることなんて・・・・・・」
あるはずがない。
そう言おうとして、昨日の帰り道に賢二と交わした言葉を思い出す。
『────────レネゲイド絡みの情報はその性質上、都市伝説として学生や若者のいる場所に集まり易い』
・・・・・・あった。賢二には出来なかった、苗渕ハルカだけの戦い方。何とも都合のいいことに、最高の情報源は目の前にいる────────!
「・・・・・・っ、ねえ! 栗原さんってさ、都市伝説とかにも詳しいのよね・・・・・・!?」
「おぉう!? ま、まあ詳しいっていうか・・・・・・超絶詳しいですけど何か?」
頼もしすぎる。
都市伝説だの七不思議だの、ローカルな噂話は大抵の場合、ネットの海をさらってもヒットしない。取り留めのない与太話というものは、やはり口伝で広まるものだ。
「教えてほしいの・・・・・・! この街のこと、全部・・・・・・っ!!」
そして、危険な綱渡りだけが情報収集ではない。凡人には凡人の、弱者には弱者の戦い方がある。
この日。
ポンコツな相棒から一歩遅れる形で、本当の意味での苗渕ハルカの『戦い』は始まった。
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