SCENE4『暗室にひとり』

 組織にあてがわれた真っ暗な部屋で、組織から支給された携帯端末のブルーライトを浴びる。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 藤崎弦一は頼れない。

 日本支部長・霧谷雄吾の昔馴染みと言えど、日本支部を離れた彼では日本支部の機密には干渉できない。本部エージェントとしての強権を振りかざせば不可能ではないだろうが、それをすれば本部と日本支部の摩擦は強まる一方だ。藤崎にとっては最悪の選択だ。


 日本支部内の事情に通じていて、かつ本部エージェントに協力してくれそうな人物。

 心当たりは、一人しかいない。


『・・・・・・UGN日本支部です』


 氷というよりは、機械的な冷たさを感じさせる女の声。彼女が話しているところは一度も聞いたことはないが、あまりにもイメージ通りの声だったので、確信を持って声をかけた。


「・・・・・・日本副支部長“ネーム・オブ・ローズ”だな」


『貴方は?』


「本部所属“ルシフェルウィング”」


 少し間が空いた。

 恐らく、片手間に賢二の情報を照合しているのだろう。端末番号に声紋・・・・・・情報源はいくらでもある。


『・・・・・・ご要件は』


 散々調べて気が済んだのか、女は淡々とした口調でそう訪ねてきた。


「『探究教会エンハンスバイブル』のことで聞きたいことがある。“リヴァイアサン”には内密で、だ」


 沈黙。

 どうやら本部エージェントという肩書きだけでは一手足りないようだ。無理もない。UGN本部ほど内部分裂の激しい組織もそうそうないだろう。

 藤崎には悪いが、もう少し踏み込んでみることにする。


「これは“聖なる瞑想者”から『中枢評議会アクシズ』への借りだと思え」


『・・・・・・少々お待ちください』


 心の中でほっと一息つく。事務的な対応だが、これは脈アリだろう。口約束だが、こういった分かりやすい後ろ盾がなければ『異端審問官』相手には取り付く島もないということか。


 正直な話、賭けになる。霧谷が本気で極秘裏に動くつもりであれば、本部の走狗であることがバレている“ネーム・オブ・ローズ”が全情報を得られているか怪しいし、そもそも彼女がタカ派と繋がっていれば藤崎の目論見は破綻する恐れがある。


(危ない橋だが・・・・・・共に渡って貰うぞ、藤崎弦一)


 こういう類の組織内の軋轢には互いに慣れたものだ。藤崎に限っては事後承諾でも問題はないだろう。


 こういう戦いには、出来れば苗渕ハルカを巻き込みたくない。彼女は典型的な『利用される側』の人間だ。

 組織というものは、単純な二項対立では有り得ない。

 賢二には、“ストライクハウンド”のワッペンを見せつけた時の反応で分かってしまった。『誰が敵かわからない戦い』というものの恐ろしさを、彼女はまだ知らないのだ。


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)


 それでは話にならない。けれど、その無知は幸せな事だと思う。伊庭賢二は、その幸せを・・・・・・UGNの善性を信じるあの真っ直ぐな目を、台無しにしたくはなかった。


「・・・・・・くだらん感傷だ」


 彼女はこの件から身を引くだろうか。

 頑固な女だ。二度や三度では納得しないだろう。明日にでも捕まえて抗議に来るかもしれない。

 ────まったく問題はない。嫌になるまで突き放してやるだけのこと。


 根比べなら、多少は自信がある。




 通信を終えてからしばらくすると、日本支部内の極秘資料が賢二の端末に送信された。流石は『中枢評議会アクシズ』直属だ。実に仕事が早い。


(・・・・・・さて。鬼が出るか蛇が出るか)


 字桐市に派遣されたUGN最強の戦闘部隊“ストライクハウンド”。そして、『探究教会エンハンスバイブル』から脱走したレネゲイドビーイング。

 これらが無関係であるはずがない。藤崎の情報が確かであれば、霧谷雄吾すらも某研究機関について、正確なことはほとんど分かっていない状況であろう。だが、今知りたいのは彼が“ストライクハウンド”を派遣するに至った『決め手』だ。

 何を以て深謀遠慮なる“リヴァイアサン”がUGN最高戦力を動員させなければならないと悟ったか。

 その答えが、恐らくこの資料の中に封じられている。


 最近ようやく使い方を覚えた携帯端末を操作し、ファイルを展開する。

 そこに記されていたのは・・・・・・


「これは・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 知らずの間に、額にじっとりとした脂汗が滲んでいた。文字から情報を取り入れる。それだけの行為のはずなのに、加速度的に危機感が募っていく。


「・・・・・・・・・・・・ここまで深刻とはな」


 確かにこれは最悪だ。早急に手を打たなければ、このオーヴァード社会の勢力図が描き変わることになる。

 なるほど、本来なら最後の手段であるべき“ストライクハウンド”の出動を早めたのは確かに英断だ。ただし、その成果が芳しいものではなかったことを、伊庭賢二は知っている。

 なんせ、ジャーム化した・・・・・・いや、ジャーム化『させられた』隊員をこの手で裂いたのだから。


 闇が深い。

 先ほど賢二はこの件のことをそう形容した。

 けれど違った。認識を改める。これは、闇なんて生温いものではない。


 軽い気持ちで足を踏み入れたのは、底のない虚だったのだから。

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