SCENE2『黄昏刻の異邦人』

 首都圏近郊、字桐市。その中心部に鎮座するは、公立犬神高校だ。

 閑静な住宅街と華美な繁華街のあわいに存在する学び舎には、街を二分する日常の象徴として多くの若者が行き交っている。

 そのうちの一組。カップルと呼ぶには対照的で、兄妹と呼ぶには外見が違いすぎる、奇妙な男女。即ち、イケイケ金髪少女の苗渕ハルカと、陰気で厭世的な少年の伊庭賢二は、真っ赤な夕日に照らされながら帰路に就いていた。


「はぁ・・・・・・つっかれたぁ・・・・・・授業は長いし、休み時間は変なのに絡まれて質問攻めにされるし・・・・・・」


 学生生活というものは、UGNエージェントとして生きてきた苗渕にとっては初めてのものだった。誰かの日常を守るために非日常に身を投じ、気づけばそれこそが日常となっていた彼女たちは、既に日常と非日常の観念が逆転している。

 俗世の常識や社会制度は知識として頭に入っていた。漫画や小説なんかで目にすることも。しかし、知っているのと実際に経験するのとではまた話が別だ。


「貴様は随分と学生生活を楽しんでいるようだな。・・・・・・藤崎も手配した甲斐があっただろうよ」


「そこ、皮肉うるさい。

 ・・・・・・なーんで私たちが学生の真似事なんかしなきゃいけないんだか」


「レネゲイド絡みの情報はその性質上、都市伝説として学生や若者のいる場所に集まり易い。頭の固い大人は真面目に取り合わんからな。

 ・・・・・・地方のUGN支部が頼れん以上は合理的な判断だ」


 ・・・・・・なんというか、打てど響かずといったところだろうか。

 組織嫌いのニヒリスト。集団嫌いのエゴイスト。けれど、ハルカの愚痴には共感してくれない。ダブルスタンダードというか、藤崎のことを嫌っている割にはその判断を評価している。まるで、藤崎本人が霧谷相手にそうしているように。

 正直、本人のいないところでツンデレされてもハルカとしてはやりにくいだけだからやめてほしいのだが、男とはみんなそういう生き物なのだろうか。


「ほーんと・・・・・・愚痴り甲斐がないわよね。アンタたちって」


「『たち』?」


「なんでもないわよ」


 賢二は訝しげに眉をひそめた。

 追求されてうっかり思ったことを口走ってしまうと更に面倒臭いことになりそうなので、強引に話をそらす。


「そういうアンタは・・・・・・早速クラスから孤立してんでしょ? いったい何やらかしたのよ」


「やらかしただと? 俺は校内の人間に『探究教会エンハンスバイブル』の名に聞き覚えがないかと尋ねて回っただけだぞ」


「そんなのドン引かれるに決まってんでしょ!? アンタもうちょっと慎重に立ち回れないのっ!?」


「何故だ? 逃げ出した検体がこの町に潜んでいることしか掴めていない状況だぞ。情報は足で集めるしかあるまい」


 この男が質問攻めしてくるクラスメイトたちに「『探究教会エンハンスバイブル』を知っているか?」と聞いて回っている様を想像すると、背筋にぞわっと鳥肌が立つ。何だか、ハルカの方まで恥ずかしくなってきた。


 UGN内ですら、口調とかコードネームとか色々と痛々しいとされている奴なのに、一般社会に放り出したならそれはもう悲惨だ。目も当てられない。


「貴様こそ、限られた時間を授業だの友達付き合いだのと下らん些事に割いているだろう。ふざけているのか?」


 今更になって、この任務にハルカが同行させられたことに得心がいった。こいつ、相当なポンコツだ。


「はぁ・・・・・・もういいわよ・・・・・・なーんでこんなのがUGNが誇るトップエージェントなんだか・・・・・・」


「何だ貴様。今一瞬馬鹿にしたな?」


「オールウェイズ馬鹿にしてるわよ! この脳筋エージェント!」


 突然怒鳴られてびっくりしたのか、それとも普通にショックだったのか。伊庭は神妙な顔のまま硬直した。ついでに大根を叩き売っていた八百屋のオッサンやエコバックを提げたパンチパーマのオバサンも硬直する。


「あっ・・・・・・」


 いっけなーい!《超越者の眼力》《超越者の眼力》っと!


「なんでぇ、アベックの痴話喧嘩か」


「若いっていいわねぇ」


 最低の解釈をされたが、ひとまず変な目で見られるのは避けられた。このように、苗渕ハルカは自身の体内で作り出した化学物質を散布することで、非オーヴァードと力の弱いオーヴァードの記憶を改竄することができる。


 オーヴァードであれば誰しも多少は備わっている記憶処理能力だが、彼女のそれは人一倍効力が強い。多少の矛盾や違和感であれば、当人の脳内でそれらしく補完されてしまう。


(・・・・・・『お守り』はこっちのセリフよ)


 トップエージェントだか何だか知らないが、潜入調査はハルカの十八番だ。この能力がある限り、FHセルの拠点だろうがホームグラウンドに変えてみせる。


(こんなショボい事件、私一人で解決できるんだから・・・・・・!)


 “鮮烈な死スパークルヴェノム”苗渕ハルカ。彼女とて、紛れもなくUGNの誇る精鋭の一人だ。


「・・・・・・おい、苗渕」


「何よ、もうアンタには頼んないわよ」


「それは勝手だが・・・・・・気づかんのか」


 先程までのとぼけた調子ではない。賢二の雰囲気が・・・・・・いや、この街の空気そのものが緊迫している。レネゲイドという、異物の干渉によって。


「あ・・・・・・」


 ・・・・・・気づいた頃には。

 八百屋の主人も、通りすがりの主婦も・・・・・・商店街から、全ての人影が消え去っていた。


「《ワーディング》・・・・・・っ!!」


 レネゲイドによって作り出した化学物質を散布し、非オーヴァードを無力化する結界を築く。ハルカが先程行った記憶干渉の亜種・・・・・・いや、こちらがオリジナルと言えるだろう。

 跳ね除ける、気絶させる、はたまた排除する・・・・・・タイプによって具体的に何が起こるのかは変わってくる。この場合は最後者であろうが。


「発生源は・・・・・・!?」


「遠い・・・・・・相当広いな。RCレネゲイドコントロールを必修するUGNエージェントならもう少し範囲を絞る。

 恐らく、暴走したジャームが無意識に発散しているものだろう」


 この『現象エフェクト』には共通点がある。非オーヴァードの干渉を拒絶する代わりに、レネゲイドを派手に撒き散らすのでオーヴァードには探知されてしまうのだ。


「恐らく河川敷だ。着いてこい」


 言うが早いか、賢二は発生源の方へ走り出してしまった。


「ちょっ、待ちなさいよ・・・・・・!」


 着いて行こうにも、速すぎる。こっちは《ハヌマーン》でも《エンジェルハィロゥ》でもないんだから、少しは加減しろと思わなくもないが・・・・・・


(ああ、もうっ・・・・・・! そんなこと頭にないわよね、こいつは・・・・・・!!)


 街でジャームが出たなら、人に危害を加える前に一直線で駆けつけろ。

 着いてこられないならそいつが悪い。

 ああ、そうか。そうだった。 私たちは、そういうふうに育てられた。


(─────UGNエージェントなんだ・・・・・・こいつも)


 年頃にしては小さな少年の背中がどんどん遠ざかる。西日がビルの背に隠れると、元々閑静だった商店街は、さながらゴーストタウンのように不気味な様相を呈した。


 夜がくる。

 楽しい非日常の時間はもう終わり。


 ───────ここから、彼女たちの日常は始まる。

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