第5話

 その日は、授業時間以外全て一条雅の情報収集に費やした。周囲の聞き込みだけで現場捜査や本人への尋問等はないから、得られる情報は限られている。おおよそこんな感じだ。


・優しく、同級生後輩に慕われている。

・ピアノが得意。

・同じクラスに秋月遼あきづきりょうという男の攻略対象がいる。

・運動部仲間の一年木村セオと仲が良く、これもまた男の攻略対象。

・現在彼氏はいない。


 流石に家族構成まではわからなかったが、まあいい。少なくともあいつはピアノなんか弾かなかったから、その違いだけでも成果だ。男の影が多過ぎる気もするが。

 校内を彷徨く過程で、男側の攻略対象は全てわかった。女側は後一人だけ把握できていない。各学年プラス教師という男性側と同じラインナップであれば、女教師ということになりそうだが、二年の担任ではないようだ。女教師なんて王道ど真ん中じゃないのか? 巨乳の女教師なんて最高だと思うんだが。


「鷹村、またねー」


 解放感で一気に賑やかになる教室で、やっと初日終了かと僅かな達成感を噛み締めながら支度をしていると、清水が意味深に笑った。足を組み机に頬杖をついた彼女は妙な色気を醸し出している。やはり正統派のルックスからお出しされるあの白い太股の……いや、まあそれは置いておこう。

 清水に手を振り次の行動を考えながら歩いていると、ふざけあう生徒達が脇をすり抜け笑いあいながら階段を駆け降りていった。

 外へ向かう流れに押されるようにして下駄箱に辿り着くと、そこには高坂美琴が待ち構えていた。……ああさっきの清水の笑みはこういうことか。


「理人兄、一緒に帰ろっ♪」


 ただ今回は正直ありがたい。家の場所もわからないし、学校を出た途端スタート地点に戻されるのかと色々想像したが、不要だったな。

 高坂美琴こいつの存在は面倒くさいが助けられた部分も大きい、と定位置のように腕に纏わりつく彼女に溜息を吐きながら思う。授業が終わり自分達の楽しみに夢中になる生徒達からは、朝ほど好奇の視線は届かない。自分の靴を履いてまたわざわざ俺の腕に舞い戻ってきた彼女と昇降口を出ると、あちこちから部活動の声が聞こえてきた。


「そういや高坂……美琴、お前部活ないのか?」

「わたしの部は好きな時に好きなよーに出席すればいいんだよ。この間出たばかりだから今日は平気」

「運動部は毎日活動するんだよな?」

「だよね。運動部ってたいへーん。わたし高校生活を部活に捧げるなんて無理ー」


 それを聞いて立ち止まると、美琴が怪訝な声をあげた。


「どうしたの? 理人兄」

「悪い美琴、用事思い出したから先に帰っててくれ」

「えっ!? ちょっと理人兄ぃ?」


 美琴を振り切り、野球やサッカーの練習に没頭する生徒達を横目に校庭の奥へ向かう。校庭の端にあるのはテニスコートだ。そこは午前とは打って変わり、ラケットを振る生徒達の姿で賑わっている。元気な声が溢れ、いかにも学生生活という感じだ。だがざっと探しても目当ての姿は見当たらない。

 少し離れた位置から一つ一つコートを見ながらうろうろしていると、足元に黄色の硬球が転がってきた。外装ネットから出てしまったのだろう。一年生らしい女生徒が探しに来たのでボールを渡しついでに尋ねてみる。


「三年の一条先輩にと、先生に用事を頼まれたんだけど、いないみたいなんだ。今日休みなのかわかるかな?」


 声をかけられると思っていなかったのか女生徒は驚いたように一歩下がった。後頭部で括った黒髪が尻尾のように揺れる。


「えと、雅先輩ですね。先輩だったら今日は家の用事で帰りましたっ」

「そうか。明日ならいるかな? 先生に伝えておきたい」

「はいっ。来ると思いますっ!」


 はにかむように答えてくれた少女にお礼を言って別れると、来た道を引き返す。放課後も休み時間と同様に攻略対象と接触可能かと思い付いて来てみたんだが、不在なら仕方ない。

 無心に歩いていた俺は、ふと足を止めた。スパイクが地を蹴る音、白く舞う砂埃、張りのある掛け声、これらの情景は俺にとって過去のものだ。それが今目の前にあることに、不思議な感慨を抱く。

 風が視界を妨げ、目を細める。そうして再び戻ってきた門の脇に、高坂美琴の姿があった。

 彼女は赤い顔で地面を睨み付け、微動だにせず佇んでいる。時折生徒達がちらちら彼女の方を見ながら通り過ぎるのだが、絶対に顔を上げようとしない。

 俺は溜め息をついた。可哀想なことをした。


「美琴」

 

 呼び掛けると、ぱっと顔を上げた彼女は、気の抜けたようなほっとした表情の後、膨れっ面になった。いやこれは『作った』んだろう。


「理人兄おそーい! 急に行っちゃうからびっくりしたんだよ。何やってたのよっ」

「悪いな。先生に頼まれた用事を突然思い出したんだ。今日はもう無理そうだから、行こう」


 目線より下にあるふわふわの頭に手を乗せて促すと、輝くような笑顔が返ってきた。


「うん! 帰ろう!」






 翌朝。ん? どうやって次の日になったかって? 昨日あの後美琴と別れて我が家に入ったら、いきなり刀が動き出して


『一日目を終了するきる?』


と聞いてきたんだ。頷けば、音楽と共に明るい朝よこんにちはだ。家でのんびりする暇も色々振り返る時間もなかったな。

 まあとにかく翌朝だ。玄関を開ければ


「理人兄、おっはよー♪ ぼーっとしてると遅刻しちゃうよ!」


……朝から美琴こいつだ。そうか、幼馴染のご近所だから予想してしかるべきだったな。油断した。

 腕を絡めてくる美琴を引き剥がすのも面倒で、そのまま連れだって登校する。柔らかいのはいいんだけど、やっぱもっとボリュームが欲しいよなあ……じゃなくて。まさかこれから毎朝これか? やっぱり最初の対応を誤ったか?

 行き交う生徒達の好奇の目をくぐり抜け、正門に辿り着く。俺の精神的疲労以外は、特に問題ない。

 藤堂さんの姿は見当たらなかった。






 以降休み時間の度に美琴はクラスにやって来るようになり、それは日にちを跨いでも変わらなかった。俺もゲーム攻略という目的がある以上、彼女にばかりかまけている訳にはいかない。授業終了と同時にクラスから離れ、一年の教室付近には近付かないようにして、できるだけ彼女と鉢合わせしないよう対処した。勿論それで全て避けきれる訳でもないが


「理人兄いた! あのね……」

「悪い美琴! 俺ちょっと用事あるから」


と適当にかわし、残りの攻略対象の捜索と一条雅との接触を優先させた。


「よく会うね鷹村君。え? いつもここにいるのは何でかって? うーん、自分の立ち位置の確認かな。ふふ」


 大抵彼女はテニスコートか教室、もしくは音楽室にいる。地道な接触のかいもあり、彼女は時折自分のことも話してくれるようになっていた。


「実は私妹いるんだ。何でもできちゃう器用で可愛い子なの。来年ここに来るからよろしくね。私? 私なんて全然だよ。 できる先輩を演じるのが上手なだけ」


 テニスコートを背に校舎を見上げながら、彼女はゆるく笑う。彼女の真意はわからないが、何かに悩んでいるらしいことは見てとれた。これを解決することが攻略のキーなのかもしれないが、向こうから相談でもしてこない限り、こちらから突っ込むのも気が引ける。

 彼女はいつも微笑んで俺を迎えてくれる。だから俺も、特に何をするでもなくただ彼女に会いに行く。


「鷹村、あのさー」

「清水、ちょっと行く所あるから後でいいか?」

「ん~……」


 授業が終わるとすぐに、何か言いたげな清水を残して教室を出る。とりあえず一条雅の攻略を進めたい。残りの攻略対象はその内出てくるだろう。

 俺は最近通り慣れた階段を上る。同じ構造のフロアに同じ年代の生徒達がいるだけなのに、一つ上の学年というだけで妙な居心地悪さを感じるのが不思議だ。兄弟のように身長差のある男子生徒二人が、ふざけ合いながら出てきた入口から中を覗く。


「すみません、一条先輩いますか?」


 三年二組の教室からは、一条雅の代わりに物腰の柔らかい男子生徒が出てきた。攻略対象の一人、秋月遼だ。もちろん俺ではなく藤堂さんの。


「一条さんはいないよ。君は二年生の鷹村君だったかな?」

「はい」


 名前を知られていることに少し驚いて答えると、秋月遼は微笑んだ。


「俺は一条さんのクラスメイトで、生徒会長の秋月遼。突然ごめんね。君に聞きたいことがあるんだ」

「何でしょう?」


 俺は秋月遼の涼しげな顔を見上げた。 細身の長身、黒の柔らかい長めの髪、女のようにきめ細やかな肌、穏やかな微笑み。何度か教室に来てわかったが、こいつはいつも誰に対しても笑顔を振り撒いている。一般的に目を細めて目尻を下げ、口角を上げれば笑顔に見えると言うが、正しくそのものずばりの表情を常に張り付けている感じだ。だがまだ甘い。作り笑顔だと他人にバレるようじゃ修行が足りないぞ高校生。


「最近鷹村君は一条さんの後を付いて回っているようだけど、もう少し他の人のことも考えて、遠慮することはできないかな」

「どういうことでしょう?」


 障害ライバル現れる、か? 面白い。俺の相手が務まるか生徒会長。

 面白くなって挑発的にその顔を見上げてやると、機先を制するかのように秋月が首を振った。


「勘違いしないでほしい。君が誰を好きだろうと俺は構わないんだ。ただ鷹村君は前ばかり見ていて周囲が見えてないように見える。一旦落ち着いて視野を広く持ってみたらどうだろう」

『理人、貴方は前しか見えてない』


 期せずして脳裡に蘇った言葉に、頭を殴られたような衝撃が走った。言葉が口の中に消える。唇が乾く。胃の腑が冷える。ここで、ここでもそれを聞くのか。

 俺の顔色が変わったことに気付いた秋月は、困ったように首を傾げた。それでも張り付けた微笑みは変わらない。


「気に障ったのならごめん。俺が口を出すようなことじゃないんだけど、傷付いている子を見過ごせなかった。君が誠実に対応してくれるだけで救われる子がいるんだと、頭に入れておいてほしい」


 その言葉で俺の体に体温が戻る。指先が、唇が動く。あぁ、何だそういうことか。


「貴方が何を見たのか知りません。でも俺は優しさだけが誠実さだと思わない。そしてこれでも一応俺なりに考えて行動しています。ただご忠告は真摯に受け止めます。ありがとうございます」


 この生徒会長が言っているのは恐らく美琴のことだ。周囲から見れば俺の対応は、年下の少女から逃げている不誠実な男が、別の年上の女を追っかけ回しているように見えるのだろう。真正面から突き放すと泣かれるんだけどな。直接対峙を避ける以外に方法があるなら、教えてほしいくらいだ。

 秋月はそれ以上何も言わなかった。言えないような言い方をしたのだから当然だ。だから俺は頭を下げて教室を後にすると、瞬時に次の休み時間どこへ行くかの検討に頭を切り替えた。その程度のことだった。




 だが、俺は忘れていた。いや、わかっていなかった。

 これはミステリーアドベンチャーゲームでなく、あくまで対象を惚れさせる恋愛ゲームであるということを。たった一人の心が全てを動かし、いくつもの心が絡み合えば事態はいくらでも複雑になるということを。

 本当に、わかっていなかったんだ。

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