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 気前よく許してもらえた僕らは、人混みから外れて歩く。

 となりを歩く枝垂挫の手にはかき氷が乗っており、スプーン型に切ったストローで口に運んでいた。つい先ほども頭痛に顔をしかめたところで、すでにカップの中身は半分まで減っている。

 テンションに比例する食欲に感嘆しながらも、僕は口をひらいた。


「で、どうするコレ? どこで食べよう」


 目下、必要なのは腰を落ち着けられる場所であった。

 比較的人通りの少ない道――中庭の方へ続いている――を歩いているが、やはり来場者の休憩場所として人気らしく、周辺の空きスペースでは多くの人が座り込んでいた。

 運動部らしき学生はその場であぐらをかいているし、どこかの家族連れはレジャーシートを敷いている。学校から飲食を許可されたエリアは少ない。そのうちのひとつであるこの通りが憩いの場となるのは目に見えていた。

 どこかに良さげな場所はないか探していると、ふいに服の裾をくい、と引っ張られる。


「……? どうした?」


 空にしたカップを持つ枝垂挫が、真剣な眼差しを向けていた。

 すこし目を離した隙に、彼女はなにかを決意したようだった。屹然としていて、全身から放たれる真っ直ぐさに息を呑む。纏う空気がこちらを飲み込みそうなほどで、僕は見つめ返した。

 辺りは人々の話し声や笑い声で溢れている。本来であれば耳を澄まして聞き取らなければならない声のはずだ。

 しかしどうしてか、枝垂挫の声は一度で耳に届く。


「図書室、いこう」


 何をバカな、と思った。

 図書室は一般公開されているエリアから外れている。つまり邪魔される心配のない場所ではある。けれど、文化祭中の規則で空き教室や部室の使用は許されていない。そも、図書室で飲食など許されるはずがない。

 僕は反論する。


「さすがにダメだって。下手したら反省文じゃ済まされないぞ」


 しかし、枝垂挫は開き直る。


「それでもいいよ。瑞枝くんとならどこだっていい。今までみたいに一緒に過ごせるなら、反省文以上の罰でも受けられるよ」


 僕は呆れて苦笑する。遠回しにやめよう、と訴えた。何かが這い上がってくるような、押さえた感情を静かに呼び起こすような兆しを、流そうとした。

 けれど、彼女は止まらない。

 止められないことなど、わかっていたはずなのに。

 僕が言いかけた言葉を遮って、枝垂挫はあの子の存在を持ち出す。それは彼女にとって、ポケットの宝石を見せるくらいの感覚かもしれないけれど。こと僕にとっては鋭利な凶器にも感じられる。


「わっ、私、楽しいんだよ! 今日が……ううん、毎日が。瑞枝くんと過ごせる日々が、こんなにも楽しい。わかんないことだらけだし嫌なことは一杯あるけど、それでもやっぱり生きるのが楽しい。だから、瑞枝くんには感謝してるの。すごくすごく、ありがとう、って言いたい」

「あ、あのね枝垂挫。それとこれと、場所取りに何の関係が――」


「あの子ならきっとそう言う!」


 僕は動きを止めた。


「あの子なら、君に感謝するはず! だからどこでもいい! 瑞枝くんが一緒にいるなら!」 

「――、」


 次に用意していた誤魔化すための言葉が、霧散する。何を言おうとしていたのか忘れてしまう。

 訴える彼女をまえに、見えない何かに打ちひしがれていた。文化祭という時間を楽しんでいる大衆とは裏腹、僕の胸には冷たいツララが刺さっていて、どうしても無視できなくて。しかもソレを刺したのが他でもない本人で。

 ……がつんと頭を殴られたような感覚だ。

 左手の指が痺れて、屋台で買ったものを落としそうになる。

 勝手な想像が、現実を思い出させた。

 枝垂挫は裏で様々な考えを巡らせているに違いない。ここ最近の僕と彼女の関係性は、ひとつだけ掛け違えたボタンのようだったから。『枝垂挫ゆい』が可笑しくなって以来、急激に縮まった距離。曖昧になっていた過去は消えず、僕は罪悪感を抱えながらも『やりたかったことリスト』をクリアしていく手伝いをした。そこにひずみをもたらしたのが、枝垂挫の叫んだ怒りだった。

 小さな変化でも、その変化は致命的。

 瑞枝実という自分を許せない人間。

 枝垂挫という人生を押しつけられた人間。

 互いが抱く感情に打ちひしがれる僕らが接するには、些細な配慮でも関係性を悪化させてしまう危うさを秘める。ゆえに。また彼女を追い詰めてしまうのではないか――そう危惧することと同じ。枝垂挫だって、常日頃僕を誘うのには勇気が必要だったはずなんだ。

 ありきたりな「おはよう」も。

 普段はあげないお弁当のおかずを差し出すことも。

 相手の心情を気遣って露骨に距離を置くことも。

 文化祭を一緒に回ろうと誘うことは言わずもがな。

 それを踏まえると。枝垂挫にとってひとつひとつの発言が、考えて考えて考え抜いて……でもこの気まずさをどうにかしたくて踏み込んだものだとわかる。僕の隠された心情を汲んだ言葉だと、わかってしまう。


 そんな君だからこそ――僕は、許せなかった。


「枝垂挫」


 足元に落とされていた視線を、ゆっくりと持ち上げる。


「な、なに?」


 どこか戸惑ったようで、それでいて緊張した顔がこちらを覗きこんでいた。

 僕は焼けそうなノドの乾きを覚える。本当はこんなこと言いたくはない。すこし乱暴に叩いてしまえば粉々に砕け散ってしまいそうなこの繋がりを、刺激したくはない。できるなら、辛くてもこうやって接することができる距離感を維持したい。

 それでも、僕の衝動は声を震わせる。



「冗談でも、そういうことは言うな」



 決定的だった。

 傷つける言葉を言ってしまったという、自覚があった。

 自分の声音は想像以上に弱々しくて、今にも泣きそうで、鋭かった。


「ぁ……、っ……、」


 枝垂挫の表情に、暗い色が混じる。

 何かを話さなければ。そんな意思が感じられたけれど、すぐになくなった。言葉を探して、言いかけては閉じて、結局つぐんでしまった。

 文化祭という、一年に一度の青春の象徴。

 人々が集い笑い合う、憩いの通り。

 周囲は見えていないかのように楽しんでいる。実際見えていないのだろう。


 誰もが楽しむ中、僕と枝垂挫だけが無言で立ちすくんでいた。

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