(3
人で溢れる廊下を、端に寄って歩く。
足音と呼び込みの声。各教室から漏れ出る雰囲気づくりの音楽。窓にまでポスターが貼られ、外の明るさを遮っているエリアがあった。独特の空気を醸しだし、幽霊屋敷の存在を強めている一画があった。和テイストで茶菓子を提供する茶道部の出し物があった。
僕は足を止めて、背後を振り返った。
俯きがちに歩いていた小柄な身体がぶつかる。
「あたっ」
枝垂挫は頭を押さえて見あげる。
けれど、すぐに視線を泳がせてしまう。こういうときは浮き足だって引っ張りそうなのに、自由な時間に入ってからというものの、後ろをついてくるだけだ。
彼女らしくない、という表現は正しいのだろうか。僕は内心で首を傾げた。もはや『彼女らしさ』は行方不明で、どういった振る舞いが『枝垂挫ゆい』らしさに繋がるのか想像できない。可笑しくなってしまった枝垂挫と一緒の時間を過ごしても、やはり違和感や齟齬のような感覚は拭えない。すこし思考を巡らせれば、必ずといっていいほどかつての臆病な枝垂挫ゆいが顔を出すから。
いけない。そう頭を振る。
今だけは過去の思い出に引っ張られないよう努めて、誤魔化すように訊く。赤木も言っていたじゃないか。「せっかく文化祭なんだから」と。
「枝垂挫、食べたいものある?」
「……? 逆に、なにがあるの?」
クレープもあれば焼きそばもある。地元の祭りほど豊富ではないものの、昼に何かを探すくらいには種類があった気がする。
よくある屋台の食べ物を中心に、いくつも案が浮かんだ。思い浮かんだラインナップを挙げながらも、足先は生徒玄関へ向かっていた。クラスごとの催し物がいくつも連なる校内に対し、外はまた異なる盛り上がりを見せているであろう。毎年屋台形式の列が客を捕まえ解放感ある活気をつくり出すことを、僕は今朝の段階で確認済みだ。
大げさに「へぇ~!」と興味を示す枝垂挫。今のところ胸を躍らせるような素振りは見せていなかった彼女だが、やはり押し隠していただけでそれなりに楽しみにしていたようだった。
枝垂挫は外の活気を察知すると颯爽と外靴に履き替え、解放された生徒玄関から飛び出す。苦笑して僕もあとに続いた。
「わぁ……! 瑞枝くんはやくはやく! 何食べよっか!」
枝垂挫は通行人を避けて端に寄ると、出展一覧の文化祭パンフレットをひらく。
「見て回りながら決めればいいんじゃない? 時間はあるんだし」
「え、でも瑞枝くん、このあと何か用事があるんじゃないのっ?」
「あ――いや、うん。でものんびりするくらいの余裕はあるから大丈夫だよ」
「そ、そうなんだ……?」
いつぞやの放課後みたく、またウソを見破られるのではないかとひやひやする。けれど、枝垂挫は数秒瞬きをするのみで、
「とりあえず行こっか!」
と、強引に手を引っ張った。
僕は安堵とともに騙していることを悔いながら、されるがままになった。
◇◇◇
文化祭という催しで食べ物を出すには、それなりの制限がつきまとう。
例えばいち学生がケバブを出したいと申し出ても、あっさり許可が出る訳もない。先ほど枝垂挫と話したように、衛生管理が難しいものはおいそれと売り出せない。そのため、「これしか出せないなら出してしまえ」と言わんばかりに季節外れなものを出品するところもある。
そのひとつであるかき氷の屋台で、枝垂挫は生徒に容赦なく疑問をぶつけていた。
「どうしてひとつのシロップしか選べないのっ?」
僕は頭を抱える。
不幸にもこの時間帯に当番に割り当てられてしまい、不幸にも枝垂挫というクレーマーに絡まれてしまったバスケットボール部の彼に同情する。
「いや、だからそういう決まりなので……! ほら、一度にどっぷり何色もかけてたら在庫がなくなるだろ!」
「じゃあちょっとずつ! ちょっとずつでいいから、全部かけさせてください!」
「は、はぁ……?」
「ドリンクバーでも何色か混ぜるよっ?」
「あのな、色は違うけど味は同じなんだぞシロップは」
「でも見た目の色とか匂いで味はかわるって聞いた!」
これだけ真っ直ぐに詰め寄られれば、誰だって萎縮してしまう。
枝垂挫はまるで自分は間違っていない、と主張する勢いで身を乗り出している。その分相手は仰け反っている。
僕は彼女の背中に近づき、肩を掴んだ。
「枝垂挫さん」
「ひっ――」
びくりと亜麻色の頭が震える。それから、ぎぎぎ、と僕を振り返った。
「『トイレに行ってくる』って、言ったよね?」
僕の左手には、焼きそばとチーズドック、イチゴのスムージーが二本とクレープ。
荷物を預け「お手洗いに馳せ参じてきます」と敬礼した彼女がなかなか戻らないから迎えに行ってみれば、なんとかき氷の屋台で無理な交渉をしていたのだった。
「すみませんでした」
「すみませんでした!」
枝垂挫と一緒に頭をさげる。
今日の枝垂挫は素直で助かった。いや助かった以前にこういうのは控えてほしいのだけど。頭を下げた状態で、となりの冷ややかな視線を向ける。無自覚クレーマーは数秒だけ目を合わせ、逃げるように顔を背けた。
一方でちらりと店員の反応をうかがう。バスケットボール部の彼はがしがしと頭をかいて、深いため息を吐いた。そして、
「……今回だけだぞ」
そう言いつつ、指を二本立てた。
二色までならオーケーということだろう。なんて心優しい人なんだ。
「いいんですか全部混ぜても!」
「よし枝垂挫、赤と黄色にしようか」
僕は妙な懐かしさと安堵を覚える自分を不思議に思いながら、文化祭パーカーのフードを掴んだ。
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