Seasonal fairy.

(1

 きっと僕は、そういう生き物なんだと思う。

 良かれと思ってしたことが、巡り巡って逆効果。そういう定めを持って生まれた、惨めな生き物。またひとつ過ちを犯してしまった自分に、つくづく嫌気が差す。どうしてうまくできないんだと自責を繰り返して、挽回しようとすればするほど事態が悪化するのではないかと怖くなる。ある意味で、僕は以前の僕に戻ったと言えよう。

 自らの愚かさ、他人の怖さ。馴染んでいるように見えて、その実、致命的に噛み合わない思考。

 言葉で表現するには辞書があっても足りない。そんな名状しがたい違和感を抱えながら、瑞枝実という人間は彼女と話す。

 朝。登校したところで、靴を履き替えた枝垂挫がぱたぱたと追いかけてきた。上履きのかかとを踏み、羽織ったカーディガンはボタンを掛け違えていた。平然を装って語りかけてくる彼女の声に相槌を打ちながらも、何か物足りなさが思考をかき乱した。

 昼になると、おずおずと僕の机までやってきて、一緒に食べないかと提案した。以前はひとつも譲ってくれなかったお弁当のおかずを、そっと差し出してくれた。食事どきはやかましいほどに話しかけてきた彼女が、今は咀嚼そしゃくに取られて口数が減った。

 放課後。枝垂挫が僕のところへやってくると、一言二言を告げ、別の作業に行ってしまった。どこか名残惜しそうにしていたのは、きっと見間違いだ。

一日のうち、枝垂挫に拘束――いや、振り回されていた時間が返ってきて、些か暇になってしまう。そんなときは、窓の外を眺めてぼうぜんと考え事を繰り返した。

 余所余所しさ。遠慮。迷い。なんとでも言える。とにもかくにも、僕と枝垂挫のあいだには明らかな隔たりがあった。枝垂挫には枝垂挫の、僕には僕の複雑な感情。それらは時間が解決してくれることはなく、顔を合わせる度に居たたまれなくなってしまう。

 それでも事実は覆らない。

「『やりたかったことリスト』を手伝ってほしい」、と遠慮がちに告げる枝垂挫に、僕は二つ返事で応えたのだ。ぎこちない距離感を承知ですべてに付き合った。そして、明らかな空元気で別れの挨拶をして、肩を落とし帰路につく彼女を見て、心を傷めた。この傷みが僕への罪なのだと言い聞かせる日々だった。


「大丈夫か? おまえ」


 文化祭当日の朝。

 すこし早めに登校した僕は、図書室まえの廊下で窓枠に頬杖をついていた。となりにやってきた赤木は、目下の昇降口を見下ろしながらそう尋ねたのだった。

 傍目に見ても、僕と枝垂挫の距離感は変だったのだろう。わざわざこんな風に気に掛けてくれるのは、この学校でも彼くらいのものだ。その事実をすこしだけ嬉しく思いながら、僕は頭を振った。


「大丈夫だよ」

「大丈夫なヤツは、貴重なイベント日の朝にため息なんて吐かないだろ」

「……正論だね」

「ああ正論さ。今日を素直に楽しめないって顔してる」


 苦笑をこぼし、昇降口をぼんやりと眺める。生徒の群れが、続々と集まってきていた。流れ込むように入り口を潜り、比例して校内にも喧噪の気配が満ちてくる。友人と、あるいは恋人と。談笑しながらも、今日という日をすでに楽しんでいるのが、二階のここまで伝わってくる。もうすこしすれば、この図書室周辺も生徒であふれかえることだろう。

 だけど、僕の頭には変わらず雨雲ができていて、どうしても彼女について考え事をしてしまう。ここを離れてしまえば、特に行き場なんてない。あるとすればそれは、自分の教室くらいである。となれば当然、枝垂挫と顔を合わせることになる。

 枝垂挫は僕を離そうとしない。気まずい雰囲気とか、後ろめたい感情とか、そういったマイナスな要素があったとしても、必ず接触は欠かさない。ここ最近の動向がそれを証明している。

 僕は枝垂挫に恨まれるべき存在で、だから自分の感情を優先してはならない。そう自分に言い聞かせても、もうひとりがこれでいいのかと問いかける。顔を合わせる度に、胸が締め付けられて苦しくなってしまうのだ。


「まあ、なんだ。そんな気にせず話してみたらどうだ? 前みたいに」

「そう単純な話じゃないんだ。僕らの過去にも関わる」

「……そっか。俺は詳しいことは知らない部外者だし、偉そうなことは言えない。それでも、せっかくの文化祭なんだ、この機に話すのが良いと思うぜ」

「違いない。自分でも分ってるつもりなんだよ、これでも」

「ならいい。がんばれよ」


 赤木の足音が遠ざかる。

 喧噪に紛れて、自分がひとりになったのだとわかった。




「はぁあ……」


 一度、大きく息を吐く。代わりに肺のなかへ取り込んだ空気は、思いのほか冷たかった。秋は深まって、冬の気配を色濃くしていく。些細で、意識しなければ気づかない変化でも、確かに年の最後は近づいている。きっと文化祭が終わったころには、生徒の中から熱気は消え去ってしまうことだろう。

 僕はまた何の気なしに、空に目をやった。青春の象徴である今日を謳歌せんとする生徒を見て、惨めになったという理由もあった。

 この複雑な感情からは、いつ抜け出せるのだろう。そう物思いに耽っていた僕は、目を見開いた。

 反対側の校舎。辛うじて見える屋上の角に、黒い布がはためいていた。白く細い柵に引っかかった布きれかと思ったが、すぐさま違うと悟る。立ち入り禁止の屋上に立っているのは、明らかに人影だ。しかも小柄で、亜麻色の髪をしていて、その軽さゆえに目を離せばすぐにでも飛ばされてしまいそうな危うげさを持った――。


「――。」


 根拠もなく、怖さを感じた。

 ただ柵に手をかけて、真下を見下ろしているだけの少女。動こうとする気配はないのに、次の瞬間には柵の向こうへ乗り出しそうな……そんな怖さ。きっと気づいているのは、こうして文化祭に憂鬱さを感じている自分だけで、それはつまり、僕しか動ける人間がいないわけで。

 いや、まずそれ以前にアレは。


「……枝垂挫?」


 僕は駆けだしていた。

 生徒がまばらに歩き出した廊下を走りながら、屋上の彼女を確認して、焦りが足を運ばせた。嫌な想像がよぎって、鳥肌が立つのを感じた。

 生徒の肩にあたって、怒った男子の声を置き去りにする。角を曲がったところでぶつかりそうになり、悲鳴をあげる女子に適当な謝罪を残して走り去る。反対側の校舎にたどり着くと、僕は普段ほとんど訪れない場所を、記憶を頼りに進む。屋上への階段を二段飛ばしで駆け上がった。そして四階から続く短い段差をあがった先――僅かに開いた扉を、強引に押し開けた。


「はっ、はぁっ、はぁっ……」


 以前、ふたりでお昼を食べたこともある場所。つまり二度目の侵入となる。とはいえ許可もなしに入るのはいただけない。屋上に足を着くと、気づいた枝垂挫が弾かれたように振り向いた。

 見間違いじゃなかった。悪い想像の通りにならなくてよかった。色々な安堵を入り混ぜつつ、僕は息を整え近づく。塗装の剥げたスペースを横切って、目を丸くする彼女に声が届くところまで。


「瑞枝くん……? あれ、ここ……」


 周囲を一瞥してから、枝垂挫は首を傾げた。屋上ということもあってか、風は階下よりも強かった。

 僕は冷静を装って問いかける。


「屋上は勝手に入ったらダメだって、まえに忠告したじゃないか?」


 きょとん、として、数秒。枝垂挫の顔に納得の色が浮かんだ。ここは屋上だったんだ、とでも言いたげに見えた。

 そして、


「あ、あー! そうだった! ごめんねっ!」


 なんて、頭をかく。その仕草に、僕は思わず目を細めてしまう。

 今日の枝垂挫は、相変わらずいつもの枝垂挫だ。ネジが外れて可笑しくなってしまった方の。だけどそれだけを理由にして無視できない何かがある気がして、釈然としない。


「どうしてここに?」


 そう聞いてみる。すると目の前の彼女は一瞬だけ顔を強張らせて、そして誤魔化す風に笑みを浮かべる。


「なんでもないよ! ただ空気が吸ってみたくなっただけっ!」


些細な変化を見逃すことはできなかった。

見て見ぬ振りを決めつけて、何にも気づかなかったように流すこともできなかった。つい先日枝垂挫の叫びを耳にした自分は、無視することなど許さなかった。


「本当に?」


 確認の言葉を持って、枝垂挫に踏み込む。ここ最近の気まずさをどうにかしたい自分がいて、それなりの勇気を必要とする一歩だった。

 枝垂挫はいつもの――いつも以上の整った笑みを浮かべて、頷く。頑なに本当の理由を教えようとはしないことに、モヤモヤは募る。そしてムキになってしまっている自分に気づき、僕は僕を諫めた。

 「そろそろ教室に行こう」と片手間に考えた促しで、彼女を連れ出す。枝垂挫は短く返事をして、風の中でもしっかり耳に届いた。

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