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 翌日から、枝垂挫と僕はさらに濃密な時間を過ごすことになっていった。

 授業の合間に泣きついてくることは言わずもがな、あらゆる面で彼女と行動をともにすることが増える。

 周囲の僕に対する評価だったり、彼女の行動力ゆえの危うさだったり、最初こそ苦手意識があったものの、慣れてしまえばどうってことはない。ふと過去を思い出し、自分がひどく滑稽に感じることはあるけれど。それでも気づけば、呆れながら世話を焼いてしまう。もしかしなくても、僕は枝垂挫に甘いのだろう、と客観視してみて思う。

 面白いのは、彼女が独特な価値観を有しているところだった。

 例えば、お昼をどこで食べるかという話題になったときのこと。ある日の枝垂挫は「屋上でお昼が食べたい」と意気込んだ。彼女に立ち入り禁止であることを伝えると、なんと職員室まで赴いて堂々と「入れてください!」の懇願である。結果的に見事(?)屋上を使用する権利を手に入れた。また別の日には、中庭のベンチ――憩いの場所として有名――まで連れて行かれると、食べ終えて談笑しているグループに交渉して譲ってもらっていた。少なくとも僕にはできない決断だ。ありがとうと伝えると、枝垂挫は「私がこうしたかっただけ!」といつもの調子で笑った。


 加えて、枝垂挫の突飛な思いつきは放課後によく現れる。

 僕が図書委員の当番の日は律儀に待ち、そうでない日は真っ直ぐ僕のところへやってきて、自発的な提案をする。

 聞くかぎりでは彼女の『欲』に従ったお誘いなのだけど、実際はちがう。僕と枝垂挫だけが知る、死んでしまった女の子のやりたかったこと――枝垂挫が持つリストに沿った行動に違いなかった。




「私にゲームを教えてくださいっ!」


 ある日の枝垂挫はそう頼み込んだ。

 わざわざ学校に持ってきていたのは、コンビニで八百円くらい出せば買える、スモールサイズのボードゲームだった。プレイ人数は三人から五人。

 ひとり足りない。

 ということで、ちょうど図書委員のしごとを終えた赤木を巻き込む。苦笑いして了承してくれたあいつには、あとでジュースでも奢ろう。

 そんなこんなで、赤木も交えた三人が放課後の教室に集まる。

 ここで問題が発生。枝垂挫がルールを覚えられない。順番にカードを出して相手を妨害、一週したら得点ゲットイベントがある、最後に得点の多さで勝敗をきめる。カードにはターン妨害と手札妨害とイベント妨害があって、自分の番に出せるのは二枚。組み合わせでスペシャル妨害を使うことが可能――。

 授業中の様子をみてわかっていたことだが、枝垂挫は頭をつかうことが苦手だった。難しい顔でルールブックと手元のカードを睨み、時間をかけた勝負が始まった。


「買った方に駅まえのたい焼きを奢ってやろう」


 真っ先に勝ち抜けした赤木がそんなことを言い出した。僕は手加減という思考を捨ててカードを出す。


「瑞枝くん!?」

「驚いた……そんな強い組み合わせを隠し持ってたのか」

「瑞枝くん……ねえ? 私、初心者なんだけど、」

「……」

「なにか言って!?」


 半泣きで枝垂挫がカードを出した。僕の妨害のせいで一枚しか出せない上に、獲得ポイントの一部がこちらの懐にはいった。


「俺はあんこ派なんだけど、ふたりはあんこ派? クリーム派?」

「私、あんこが食べてみたいなあ。まずはやっぱり定番から!」

「まあ、僕に勝てたらの話だよね」


 次の手番がまわり、今度は金色のカードが二枚を出す。

 金色二枚は得点を奪う。つまり、枝垂挫が今まで溜めてきたポイントが水の泡になる。残りのターン数では留めと言わんばかりの一撃だった。


「瑞枝くん!?」

「お前、容赦ねえな……俺もちょっと引いた……」


 枝垂挫の分のたい焼きは僕が奢った。





「放送室ジャックに協力してください!」


 また別の日の枝垂挫はそう頼み込んだ。

 被疑者はこう証言した。「放課後の下校時間が云々のやつあるでしょ? いつもと違うカンジだったら面白そう!」と。その口に購買の売れ残り、具なしコッペパンでも突っ込んでやろうかと考えたけれど、制服を掴んで離さない強情さに折れるしかなかった。本当に『枝垂挫ゆい』が望んだことなのだろうか、これは。

 ともかく、有名な映画のワンシーンがごとくジャックして、しかも放送委員に猿ぐつわをするわけにもいかない。冷静に考えて、そんなことすれば謹慎処分になる。下手したらもっと酷いかも。

 そこで、平和に交渉する方針に変更。その日のうちに放送室へ赴き、ダメ元で放送当番らしき女生徒――おそらく先輩――に頭を下げてみた。


「いいですよ~」

「いいんですかっ!?」

「ジャックしても!?」


 ジャックしたがる口を塞ぐ。


「え、ええと……台本があるから、それに沿って話してくれるなら、委員長も許してくれるんじゃないかな~」

「ありがとうございます、それで十分です。ふつつか者ですがよろしくお願いします。ネッ、枝垂挫! ネッ」


 にっこり笑いかけると、こくこくと首を縦に振ってくれた。

 心配で仕方なかったが、僕は枝垂挫を放送室に預け図書委員の当番へと向かった。正直とても不安だった。差し向けた僕にも責任がある。もし暴走でもされたら、放送委員の先輩方に申し訳ない。

 図書室の赤木に遅れて合流した僕は、委員のしごとをこなしながらも終始落ち着かなかった。カウンターで貧乏揺すりをして赤木に不審がられるくらいには。

 ……件の時間が訪れる。やがて放送室から下校時刻であることが報じられるだろう。

 いつもならこのタイミングで図書室の閉館準備に取りかかる。一日の疲労感を背伸びでもしてほぐすところだ。しかし、今日はそうはいかない。

 図書室外のスピーカーから、マイクの擦る音が入る。僕は耳を澄ませ、これからやってくる衝撃に身構えた。

 ――くる。

 タイミングがわかる。マイクの前にいるのが伝わる。

 僅かに、空気を吸う気配がした。

 次の瞬間、聞き慣れた、けれど違和感満載の明るい声が校内に響き渡った。


『下校時刻をお報せします。すぅ……よく聞けおまえらー! ついに私が放送室を占拠したぞお! 今日はこの学校の腐った内情を洗いざらいモガッ』


 ゴソゴソと雑音を挟み、くぐもった声が遠ざかる。代わりに別の生徒が放送を再開した。先輩の声だった。


『下校時刻をお報せします。校内に残っている学生は戸締まりを確認し――』


 まるで小川のせせらぎを連想させる綺麗な声が、すらすらと穏やかに一日の最後を飾る。それを耳にしながら、僕は泣きたかった。

 赤木は抱腹絶倒だったし、少ないとはいえ居残っていた学生はみな一様にくすくすと笑っていた。

 罰則は反省文で済んだ。





「私とクレープ作ってください!」


 明くる日の枝垂挫はそう頼み込んだ。

 しかも、単に作るだけならまだしも、枝垂挫の自宅に招いて。大して面識もない親御さんにどう顔向けしたら良いのかわからず悩んだ末、やはり断り切れず誘いを受けることになった。『枝垂挫ゆい』のやりたかったこと――頭をよぎるかつての情景が、拒絶を許さなかった。

 枝垂挫はさっそく僕を連れて、雨飾駅で降車した。

 今までは単に通り過ぎるだけの駅にすぎなかったが、最近は彼女を送り届けるために何度も利用している。かつての僕であれば考えられなかった行動力だ、と他人事のように思った。


「そうそう、まわりの方から生地を剥がしていって……思い切ってクルッと!」


 初対面の自分を快く招いてくれた彼女の母親は、丁寧に作り方を教えてくれた。もしかしたら危なっかしい枝垂挫を監視するという意味合いも含まれていたかもしれない。

 以前の枝垂挫が言っていたように、人格の事情についておおよそのことは把握しているらしい。可笑しくなってしまった枝垂挫と自然な会話を繰り広げているあたり、さすが母親だ。部外者である僕の目には、まるで昔から変わり映えのしない親子関係にみえた。

 「私もやりたい!」と意気揚々と前に出る枝垂挫に生地を焼くしごとを任せ、僕はお母さんとリビングに移る。フルーツを切ってボウルに移す仕事が割り当てられた。


「あの子、学校でもあんな感じ?」


 キッチンの枝垂挫に聞こえない声量で、そんなことを訊かれる。大人びた顔つきで、娘とどこか似かよった雰囲気を纏っていた。

 僕は普段の彼女を思い浮かべ、気遣った。


「まあ、もう少し控えめだとは思います」

「……そっか」


 手を動かしながら、枝垂挫のお母さんが自嘲気味に笑う。含ませた些細な嘘を見抜かれている気がした。


「やっぱり、変わっちゃったんだ。いやー、突然『友達と距離を縮めるにはどうすればいいかー』って訊かれたものだからさ。適当に『一緒にキッチンにでも立ってみれば?』って返しちゃったのよ。そしたら真に受けちゃって。ごめんね?」

「い、いえ。気にしてません」


 こういうとき、人見知りが発動してしまう自分が憎い。せめてもう少し社交的でありたかったけれど、意識の制御というのは案外難しい。ろくなフォローもできない。


「前から、人格が複数あるのは知ってた。お医者さんにも言われてたしね。夜な夜なあの子の部屋から声が聞こえてくれば、嫌でも気づくわ」


 いちごにナイフを通して、ふたつに割る。小皿に果汁が染みだして、次の果物に手を伸ばす。奥ではフライパンから香ばしい匂いが漂っていた。


「今のあの子みたいな状況は……今までなかった。それでも、ゆいの一部であることに変わりはない。だから、私は待つことにしたの」


 視線をあげると、水荒れした指がキウイを綺麗な形にカットしていた。

 ふと、その視線と目が合い、にっこりと微笑まれる。

 母親は、彼女が死んでしまった事実を知っているのだろうか。それとも、単に枝垂挫がウソをついているのだろうか。どちらにせよ、深く踏み込むのは憚られる。


「それはそうと瑞枝くん」

「はい?」

「あの子……君のこと狙ってるわよ」

「は、はいっ!?」


 突然耳を疑うようなことを告げられて、手元からイチゴが落ちる。あまりに信じがたい言葉に空いた口が塞がらない。そんな僕をくすりと笑い、おもちゃにしてからかう枝垂挫のお母さん。その真意は読み取ろうとしても読めない。


「あーーーーーっ!」


 そのとき、キッチンから、かこんっという甲高い音が響いた。

 すぐに枝垂挫がボウルをひっくり返したんだと思い至る。おそらく床に生地がばら撒かれたあとだろう。母親も同じ想像をしたようで、わなわなと握り込んだ拳を震わせ席を立った。


「なぁぁあああにやってんのアンタはぁッ! 昨夜も同じことしなかった!?」

「いや違うよ! 私は悪くない! 悪いのはボウルを転がりやすい形につくった世界の方だっ!」

「生意気なこと言ってないでさっさと雑巾とってきなさい!」


 枝垂挫があたふたして、風呂場のあった方へ駆けていく。

 その背中をみて、母親はため息ひとつ。

 面倒ごとが増えたことに呆れつつ、腰を浮かせる僕を振り返った。


「瑞枝くん」

「えっ、あっ、はい」


 さっき言われたことが頭から抜けきっておらず、呆然としていた。名前を呼ばれたことで現実に引き戻された気がした。

 そんな僕に、枝垂挫のお母さんは優しく目を細めたのだった。


「あの子のこと、よろしくね」


 枝垂挫家で食べたクレープは、ちょっと苦くて甘い味がした。

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