Transparent ammunition.

(1

 ──「枝垂挫しだれざゆいは可笑しくなった」。


 だれかが口にしたそのフレーズは、まるで一行のスクープ記事の如く広まった。

 それは、青春を彩る旋律だろうか。

 それとも、平和を乱す雑音だろうか。

 どちらにせよ。ある種閉鎖的な空間である学校において、噂は瞬く間に拡散する。たとえば人気者の生徒が誰かと付き合ったりするだけでも、ここでは大ニュースとして取り上げられ、秋の乾いた風に乗せられるのだ。

 こういった現象に巻き込まれる多くは、知名度を持っている生徒だ。頭がとんでもなく良い優等生、サッカー部のエース、生徒会長。他にも、美人のマドンナ的地位の生徒や誰かれ構わず声をかけるナンパ癖の生徒だって標的となる。

 興味。

 人のソレは尽きることを知らない。張り巡らせたアンテナがつかんだ他人の情報を面白がり、次の生徒へと伝播させていくのが常だ。

 そう。目の届く世間にとっては、今回のケースも数ある風潮の一角に過ぎないのだろうが。

 こと僕にとっては、世界を変えるほどの大きなものであった。



「ぱーんっ!」



 それを証明する場違いな銃声は、耳が痛くなるほどの静寂を呼んだ。

 間の抜けた声音は、鍵盤けんばんから跳ね上がるように。

 照準した指先は、指揮棒を振り上げるように。

 亜麻色の髪をした少女がその場の全意識を独占する。真正面で銃声を浴びたカーストの女王は顔を引きらせ、談笑していた男子のグループは一拍おいて眉をひそめ、窓際で一部始終を観察していた僕は唖然とした。

 時間が止まり、クラスは喧噪から遠ざかる。どこかでかつんとペンの落ちる音がする。支配する数分の空気。唐突にも思えるそれは、ぞわぞわとした緊張とともに、無視できない異常事態を報せている。

 枝垂挫ゆいは、口の端を緩めて言葉を放った。


「おまえの性根が腐ってるっ!」


 張り詰めた教室内に、さらに氷の刃が突き刺さる。窓の向こうを吹く秋の風にも負けず劣らずの冷たさが、生徒たちの肝を冷やす。背中を駆け抜けた悪寒を、秋の風と錯覚する。

 その言葉は、彼女なりの宣戦布告なのだろうか。それとも、皆の心の声を代弁したつもりなのだろうか。カーストの女王に放たれた一言の銃弾は、無慈悲に、そして無遠慮にプライドに傷をつける。席で女王を見あげる枝垂挫ゆいは、自分が虎の尾を踏んだことにも気づいていないようだ。ただ笑みを浮かべ、小首を傾げている。まるで「なんで私の前に立ってるんだろう?」とでも考えてそうな顔で。

 ……性根が腐ってる。言わんとしていることは、何となく理解できる。

 きっと、誰もがどこかで感じていた。女王の失礼なほど我が儘な性格こそ、クラスでの地位を支えてきた最大の武器なのだと。皆んなが押し殺してきた本音を、彼女は初めて、そして遠慮なくぶつけていた。

 カーストの女王は、枝垂挫に苛立ちを覗かせる。今まで纏っていた憐れみの雰囲気が、明確な敵意に変わった。

 じろりと、凍てつく視線が向けられる。

 遠巻きに観察していたクラスメイトの一部が、目をそらした。関わらないように。目を付けられないように。

 まるでライオンを警戒する弱腰の集団である。だが危険に対する察知能力は素晴らしい。台風の発生から逃げるように、賢い生徒が距離をおく。

 無理もない。台風の中心にいるふたりは、どんな大災害をもたらすか予想できない面子。いつ誰に飛び火するか分かったものじゃない。

 そのせいで、教室はかつて例を見ないほど奇妙な空気が漂っていた。


「あんた、今なんつったの」

「んー、わかりにくかった? 付き合いづらい性格してる、って言った!」

「知ったような口利いてんじゃねぇよ。日陰でしか生きられないミミズの分際で。アタシがどんな性格だろうが関係ないじゃん」

「うん。私は別にいいと思うっ。だからさっきのはぁ……一般論ってやつ? あれ、客観視かな?」


 女王の機嫌は一言一言が交わされる度に悪化する。沸々と怒りの気配が強まってきているのを、肌で感じる。指摘には、女王もどこか自覚していた部分があったのだと思う。しかもソレを口にするのが、最近になって頭のネジが外れた女生徒ときた。

 悪びれもなくきょとんとした顔を浮かべる枝垂挫は、しかしその実、的を射た発言をする。無邪気な言葉でプライドに泥を投げつけられた女王はさぞ気分を害したことだろう。今にも周囲の家来――クラスメイトに「首を刎ねろ」と号令を出しそうである。

 まあ、それがこちらに向けられることはない。枝垂挫ほどではないにしろ、僕のように日陰の存在にカーストの女王は目もくれないだろう。命令を下すにも、もっと適任が大勢いるのだから。

 それでも緊張感は今までで最高潮。ここからどう転ぶのか。このあとどんな怒号が吹き荒れるのか。皆が固唾を呑んで見守る中、果たして事態は動いた。


「あっ、わかった! あなた、木下クンの気を引きたいんでしょっ?」


 プチン、と我慢の限界がきたことを、枝垂挫以外のすべての生徒が察した。

 あまりにも以外な真実が、あまりにも唐突に公開される。少なくとも男子がいるこの場では、決して明かされてはいけない秘密。それを枝垂挫が漏らしたのだと、瞬時に理解した。

 全身の毛が騒ぎ立つ。鳥肌が嵐の到来を報せる。

 どこかの誰かが、あっと口にした。

 気がつくと。

 カーストの頂点に立つ女王は、自らギロチンの右手を振り上げていた。

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