第16話 日本史特講8 入鹿の話のはずが……
有象無象は同僚というか本当は青龍塔の重臣で恐ろしく強い武将のはずだと思われる若干正体不明な男というか偽名・森郊外から、かなりきな臭い話を聞いてしまった。
「どうもですね、諸葛純沙大軍師ではなくて理事長は有象さんを本気でノーテンダーにしたがっているようですよ」
有象は森郊外の言葉に引っかかりを感じ、ちょっとムッとして言った。
「ねえさあ、そういういかにも新語・流行語大賞的な言葉を一応は国文学の講師であるあなたが安易に使わないでくださいよ。なんだか、あなたも意外とチャラいですね。若いのかな? 言葉のプロならば、そういう時は『解雇しようとしている』とか『契約更新をしないつもりだ』とか『雇い止めにするようだ』とか、平易で理解しやすい言葉というものがあるでしょう? あの北海道のプロ野球チームだってさ、自由契約とか戦力外通告……戦力外通告だって比較的、新しい言葉ですなあ。それに嫌な響きですね。人間を戦力外だなんて、ちょっと思いやりに欠けますな。地獄に落ちろ的案件です」
さすが有象、語彙だけはそれなりにある。正義感も意外とあるんだな。それに対して森郊外も、
「やっぱり本職の国文学者で小説家の先生は違います。得心いたしました」
とだいぶ、おだてた。
「いやいや、なに言ってるんですか? あなたは本場の中華で仏典・経典などを漢語でたくさん読んで来て相当な修行もしてたんでしょ? あとは武術あたりもかな?」
なぜ、武術なのかはわからない。すると、森郊外は、
「この前言い損ないましたが、有象さんは一つ大きな勘違いされています。わたしが修行したのは中華ではなくてインドですし、習った言語は漢語ではなくて梵語というかサンスクリッド語です。サンスクリッド語は既に日常語としては使われていない言語ですから日本語に頭に中で変換するのはとても難しですし、語彙というか同じ意味なのに違う言い方が複数あるものがこんなにたくさんなのはおそらくは全ての言語の中でも日本語だけでしょうね」
森郊外の正体は高位の僧侶なのだろうか? それに武術ということはあの、いかにもジャッキーがいそうな、少林寺? いや、インドに少林寺はないな。でも似たような趣旨の寺院かなにかはきっとあるだろう。あそこは危険だから。
「まあ別にクビならクビ、それでもいいですけどね」
有象はちょっと不機嫌になったが、働かなくても生きていけるだけの財産くらいは持っているし、希を養うことも容易い。と思ったのだが、
「それが違うんですよ。諸葛理事長は有象さんを一文なしにするための戦略を練っている節があるのです」
と森郊外が小声で言って来る。
「ちょっと、それはどういう意味だよ。犯罪行為でも犯すのか、あの理事長さんはさあ?」
さすがに有象もカチンとくる。全財産を取られたらさすがに希と二人で伊勢佐木町あたりでホームレスをすることになってしまう。それは避けなくては。
「まあ、彼女は秘密主義者なので詳細は不明ですが、とにかくあの頭脳です。絶対に合法的に攻めて来ますよ」
森郊外はさらに声を潜めた。
「どうも、面倒だな。森郊外さんよ、あなたは確か私に味方してくれるのでしょう? 青龍塔最上階の住人であるあの方ところに行って直接聴いてみてよ」
と言うと、豈図らんや、
「いやあ、すみません。さすがにわたしも呼ばれてもいないのにヒョイっとあそこへの出入りはできませんねえ」
森郊外の顔が瞬時に青くなった。やっぱりあの方が恐ろしいのだ。普段はすごく温厚だがあの方はキレたらその周囲十キロ圏内に生命反応がなくなるという伝説がある。
「あつ、舞子くんだよ。水沢舞子くんならあそこへも気楽に入れるでしょう?」
前にも書いたが水沢舞子は有象のかつての教え子で今は日本を代表する大女優だ。
「ああ、残念でした。舞子さんは、特別入国許可が出まして、ロシヤのシベリアに映画のロケのために昨日の夜に成田空港から飛んでいってしまいました」
「えっ、こんな時期にシベリアかいな? あの、プーチャン大統領もよくも許可したものだなあ」
「有象先生。今やですね、彼女は日本の水沢舞子ではなくて、世界のマイコ・ミズサワになりつつあるのですよ」
教え子の大出世は喜ばしいが、なにもこんなタイミングにとは! と有象は臍を噛んだ。
「まあ、ウチのもう少しお偉いさん方にも多少の当たりをつけてみますよ。たぶん、理事長も有象先生のお生命までは奪わないと思いますから。あっ『文学特講』に行って来ます」
森郊外は逃げるように講義へ行った。トップ十二将のメンバーだったと思ったが案外、頼りない。しかも、財産どころか生命まで取られてんじゃ叶わない。それに希は絶対に守らなくては男が廃ると言うものだ。
「しかし、森郊外を名乗るあいつさあ、どちらかというと武闘派じゃない方だったのかな? いいや、違う。それなら文官の方にいるはずだ。やっぱり強いのだよな? 変だなあ?」
有象は首を傾げつつ、自分も大講堂に向かった。
「こんにちは。講義を始めます。ええと、前回は聖徳太子のことを推察しました。それですこしばかり思い出したのですが、この日本の青森県に二カ所ほど『イエス・キリストの墓』があるのですよ。本当の事です。まあね、正直、信頼性はかなり低いですけど、イエスは有名な『ロンギヌスの槍』で処刑されたのちに復活するのですが、しばらくするとまたいなくなってしまうので、実は……ということでしょうね。
もし事実だったとしても、当時はまだローマの方から船では来られないから中華までは歩いて来たことになるので、本当に歩いていたらずっとその間、イエスは『お腹が痛いよう』と脂汗をかいていたことでしょう。なにせ槍で突き刺されているのですから。当時は『マキロン』もないから絶対化膿しますし『キズパワーパッド』など開発どころか構想すらされていなかったでしょうからね。あの、頼みますから、みなさんねえ、こういう時は笑いなさいよねえ。完全にボケた冗談で言ってるのですから。笑ってもらえないとメーカーさんから「我が社の商品をバカにされているのですか!」とクレームが来ますよ。せめて『コーンフレーク』ぐらいはウケて欲しかったなあ。まあ、いいです。それにしてもシルクロードは決して平坦な道ではないですからね。現代でいうところのネパールのヒマラヤあたりの高地もあればゴビ砂漠などもあるのですからね。ただ、青森県では観光の目玉になっているようなので絶対的な否定はしません。あと『ロンギヌスの槍』のことをなんですか、テレビゲームやアニメなんかである種最強の武器として描かれているみたいに思われるのですが、ロンギヌスさんという人は英雄豪傑の類ではなくて、ローマ総督配下のただの一兵卒ですからね。その人の使う普通の槍だと認識しておいた方がいいです。よく考えればわかるのですが日本の時代劇なんかでも、張り付けで処刑される人を殺す役目の人って下っ端役人とか下手をすれば賎民階級の人でしょ。ああ、テレビ的に賎民はムリですか。そうしますと、やっぱり下っ端役人ですね。人を処刑するというのは言ってみれば穢れた行為ですから偉い人は直接に手を下したりはしません。ですから、ロンギヌスさんも自分の名前がいまだに世界中で知られているなんて言われたら、すごくびっくりするでしょうね?」
「ははは……」
一部学生から軽い笑いが起きた。おそらく笑った学生どもは、その手のゲームをスマホで電車内などでプレイしているのだろう。
実は有象はここ数年、電車に乗ると回りが全員、スマホを凝視しているのを見ると、ものすごく恐怖と不安を感じるのである。以前『ゲーム脳』というのが話題というか問題になったが『スマホ脳』も同様かそれ以上に危険なものだと有象は思っている。一応、そういう書籍も出ていると出入りの書籍外商の人に訊いたのだが、有象自身は目にしていないし、ニュースでそう言うことを警告したような特集を観た記憶もない。そういえば、香川県がゲームを規制しているようだが、根本的にスマホを規制しているところなど、日本どころか世界でもないであろう。ゲーム機とスマホでは流通規模が全く違うのは言うまでもない。スマホはある意味、現代の生活必需品であるしその利用頻度や利便性は今後も進化していくことになると決まっている。当然ながらゲームが若い人中心なのと違い、スマホはほぼ全世代の人間が使うから、そうそう大きく危険性を警告がしづらい部分もあるのではないだろう。
なぜ、有象がスマホにそこまで危機感や恐れを感じるかというと、スマホを凝視する行為はあくまでも素人考えだが、脳細胞をあまり使っていないように思えるからだ。脳細胞というものは他の細胞と異なり新生児の時が最大に多くて、それ以降は毎日毎日、何億もの脳細胞が死んでいき、もう新しく増えるということは現状の生化学の研究結果では絶対にない。ただ、脳細胞はとんでもなく膨大な数あるので、寿命で亡くなるまでに『脳細胞品切れです』なんてことになることはありえない。もちろん脳に大きな病気や大事故で脳細胞を失わなければだが。
それで、問題は脳細胞というのはそのほとんどが休眠状態であり、実際に使用されているのはほんの数%にすぎないということだ。できれば少しでも休眠している脳細胞を起こすことに成功すれば、人間という生物はすぐグーンと賢くなれるのである。そのための方法とは脳細胞に知的な刺激を与え、どんどん活性化させるということに尽きる。
そのためになにをすればいいか? 大学教授である自分から言えることは、常に新しい事にチャレンジする。知識欲を旺盛にする。わからないことはすぐに調べて覚える。そのくらいである。
年配の方を中心に『パズル系雑誌』を買って解いたり『脳トレ』的なものが何種類も書店・玩具店その他に数多く並んでいたりはする。それもまあ効果はあるというか、正直な物言いであれば「やらないよりはマシ」程度だと有象はちょっと低評価だ。それは有象があの手のものが面倒なのでキライだからなのと、他人が開発したお仕着せのも
のというのは、製作者の脳細胞を活性化させるばっかりであるので、その分効果が差し引かれるのではという根拠のない考えもある。
将棋や囲碁などというのもある程度はいいだろう。しかし、あれは実のところ努力も大事だが天賦の才が大きく影響している気がする。有象がもし今日からきちんとしたプロの師匠について、寝る間も惜しんで将棋や囲碁の修行をしても藤井聡太さんや仲邑菫ちゃんには絶対勝てない。また、有象がアインシュタイン博士の『特殊相対性理論』をどう頑張っても理解できなかったり、近年やっと証明された『フェルマーの最終定理』なんてのがなんのことすらわからなかったりするのも一緒である。数学や物理学も才能が重要なのだ。
人間界には『超天才』というべき偉人が割と多く現れるが、彼らをよく観察すれば読者の方もわかってしまうと思われるのだが、どこかが突出している分、どこか半分致命的にダメダメな部分もあるということはおそらく自明な事実だと思われる。偉大な先人を例えに出して申し訳ないが加藤一二三さんなども若い時から将棋の天才ではあったが、一方で地域ねこ問題でご近所トラブルが裁判沙汰になったり、テレビバラエティーでの独特な喋り方はどう考えてもちょっとまずいなあと思っても間違えではないだろう。最近はどこかの芸能プロダクションに所属したようなので、絶対に『話し方講座』で特訓を受けているに決まってるが、それでもあの程度である。藤井聡太さんも若いせいかもしれないが会話の中で「はい〜」という言葉が意味もなくたくさん出て来て、少し心配になる。普通の人は緊張しても、ああいう口癖はあまり出ない。どちらかと言えば身体がぶるぶると震えて止まらないということはよくあると思う。これはごく正常な緊張状態である。
普通の人は、そこまで行くことはないというか、そこまですごい脳の活性化は必要ないというのが正解だろう。言うなれば常識的な社会人としての範疇で読書をしたり、辞書辞典を引いたり、今まで知らなかったことに興味を持ってみる。その程度で、脳内にそれまで一本しかなかった道が二本三本と増えていき、近道や抜け道とかちょっと遠回りだが安全な道が増えてくる。そうすれば休眠中の脳細胞が活性化する。結果として脳が最短コースを無意識に選択して、仕事や勉強その他の効率が良くなり、同じ努力で利益が倍になるということだ。
それはスマホ人間にはできない。日本中の人間がスマホ人間になれば日本という国が幼稚でバカな国になる。今でさえ危険なのだ。ツールが便利になると、脳細胞はツールに機能を簡単に手渡してしまう。脳は怠け者なのだ。そうしたら米国中心のIT企業、SNS企業の思いのままだ。日本人のように根が真面目で、その上にバカを加えると、もはやテクノロジーをただ消費するだけのITの家畜であるとも言える。
有象が区民セミナーで手書きを薦めているのは脳の活性化のためでもある。
なーんて脱線しすぎた。ちなみにもし読者の全脳細胞がいっぺんに活性化したら即時に発狂して死んじゃうのでほどほどに。バカと天才はバカボンのパパなのだ。なんてね。
かなり長くなったが、以上が人間教育者としての有象の基本ポリシーの一つである。
有象が余計なことを考えていたのは時間にするとほんの数十秒のことである。文字に起こすと大変なことになった。読者がまたまた減るだろう。
「さて、本題に入りましょう。聖徳太子が皇太子で一応推古女帝の摂政だった時、臣下で最高位にいたのは蘇我馬子です。この三人にはある共通点があります。清田さんわかりますか?」
「はい、全員が蘇我一族というか蘇我氏の血が入っています」
ソフィアが明瞭に答える。たぶん、予習をして来たのだ。そんなに勉強しなくてもいいのに。おそらくは有象にいいところを見せたいのだ。ソフィアはかなりプライドが高いのだろう。
「はい、素晴らしいね。あれ〜、みなさんなぜ拍手をしないのですか? スタンディングオベーションをしてもいいし、ビッグウェーブだっていいのですよ!」
有象が言うと、ソフィアは、
「有象先生、ちょっと、いやかなり恥ずかしいよ」
と純白の顔を赤く染めた。相変わらずかわいいなあ。
「清田くんがご辞退されたので、講義を続けます。この蘇我氏なのですが、大王家の縁戚ということになっているのですが、前にちょっとお話ししましたよね。実際は朝鮮半島から来た渡来氏族の有力氏族です。架空の人物であるとされる武内宿禰を始祖としています。蘇我氏の家来の氏族を見るとやはり渡来氏族が多いです。ただ、勘違いしてほしくないのですが、現在の日本人と韓国人、北朝鮮人は性格などから判断して完全に別の民族だと言っていいと思いますが、まだ当時は差がほとんどなかったというか同一生活圏内にいたほぼ同一人種だと考えてください。まあ、現在の日本人と朝鮮民族の関係の悪さは韓国併合や第二次世界大戦。あと意外に強い影響があるのが秀吉の朝鮮侵攻です。あれは両国とも最悪の国内状況になりました。まあ、秀吉はあの時、完全なる認知症だったのです。最近の事でたとえて言いますと、高齢ドライバーのアクセルとブレーキの踏み違え死傷事故の一億倍くらいの大迷惑です。秀吉は若い頃から、信長に恐ろしくこき使われまくったのと、子種もないのに女好きの度がすぎて腎虚にもなっていたのではないですかね。過重労働と腎虚などから来る多臓器不全による老衰死です。いくら平均寿命が短い時代とはゆえ、老衰死するには少しばかり早い年齢でしょうな」
「先生、子種がないのになんで鶴松とか秀頼が生まれたのですか?」
赤西仁美が訊いて来る。
「ああ、おそらくですねえ、秀頼たちは淀君(茶々)と石田三成の子供でしょうね。史料は特になにもないのですが、それ以外に考えようがないです。状況証拠は少しばかりあります。さて、いいですか? 秀吉はたくさんの側室や他の大名の奥さんを犯しまくっていますが、妊娠をしたのはというか二人も子供ができたのは淀君だけなのです。それでなぜ相手が石田三成かというと、最大の理由はなぜ、石田三成はあそこまで粉骨砕身して、徳川家康を倒そうとしたのかと言うことです。彼は一官僚に過ぎない。無理せず引退してしまえば生命だけは助かったでしょう。一方、家康はあの時点で最強最大、武家官位も内大臣という大名の中では別格の人だったのです。いくら、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家ら五大老のうちの三人、ああ前田利家は亡くなっていたから四大老ですか。まあ、三人まとめてもひよっこです。もし、名将でご大老に入っていた、小早川隆景が存命でしたら、まずは三成の暴走を止めさせて、甥の毛利輝元に厳しく説教をして西軍の総大将になどさせませんし、あんなに毛利一族がバラバラ好き勝手に動くこともなかったでしょうね。ある意味、毛利輝元が優秀な一族なのにうつけもののお人好しだったがために、必死の三成についつい同情してしまったのです。ああ、いけません。淀君と三成の話でしたね。もう一つの推論は淀君の実父は浅井長政、北近江の大名でした。三成も近江出身。秀吉の子飼いは尾張国中村近在の親戚などが中心で、とりあえず百姓あがりかちょっと上ってことにしておきましょう。そちらたちらの代表は加藤清正と福島正則、共に猛将で気が荒い。終わり勢はそういうのばっかりです。逆に秀吉が近江国長浜をもらったから近江国で採用されたのは三成や大谷刑部など知的な者が多かったようです。浅井長政も鷹揚で律儀な人だったようですよ。ですから三成に実父と同じものを感じた淀殿と三成がくっついても、なんの不思議はないですし、これはちょっと小説家としての空想ですが、案外ですね子供が欲しかった秀吉公認だったかもしれません。秀吉は絶対に子種が自分にないとわかっていたはずです。そして、家康に天下を譲るのも嫌だった。なぜなら実力は家康の方が上だったからです。秀吉は家康が大嫌いだったと思います。あーあ、どうしましょうか? もう蘇我入鹿の話ができ
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