第15話 日本史特講7 厩戸王は聖徳太子ではない

 このところ、諸葛理事長に講義をごっそりと減らされた有象無蔵は邸宅に籠ることが多くなり、大好きな美人女子大生漁りも曲直瀬女医と診察後の密会もせず、読書と文学研究、そして学術目的の国文学雑誌である『國文學』や『国文学 解釈と鑑賞』『國語と國文學』『国文学研究』などに大真面目な論評やコラムを執筆したり、『群像』『新潮』『すばる』『文學界』などという大手出版社が発行している純文学雑誌に超短編ながらもクソ真面目な小説をコツコツと掲載していた。その一方で『週刊夏冬』にエンターテインメント系の小説をこれでもかとばかり、痛烈にこき下ろした『有象教授のエンタメ小説ぶった斬り!!』という若干(相当か?)タイトルにパクリの入った文芸書評コラムを連載しはじめて、こちらの方が当然の如くかなりの話題になっているのだが、当然のことながら、有象はかなり敵の数を増やしてしまったようで、最近では多くの同輩小説家の方々から『絶縁状』が続々と邸宅の郵便受けに送り付けられて来て「有象さんの方が近いうちに後ろから誰かにぶった斬られるのではないか?」と文壇やアカデミアで相当、不穏な噂が立っているという。もちろん有象はその程度の騒ぎが起こることは端っから承知の上での罵詈雑言書評であり、たまの外出の際は必ずジャケットの下に鎖帷子を着込んでいるようだ。さて、そんな代物をどこで購入したのであろうか? ちなみに邸宅の方は以前から特殊な強化防弾ガラスが貼られているし、核シェルターも地下深くにあるので長距離弾道ミサイルや原子力爆弾が突っ込んできても安心なのである。ご近所さんはたまったものではないけれどね。


 それにしてもだ。今まで、一晩に十発は主砲をぶっ放さないと気が済まなかった大性豪の有象が、このところ朝昼晩と希の手料理を美味しくいただき、夕食後は今まで購入してあっても全くつけたことのなかった大型8Kテレビを希と一緒に楽しみ「韓流時代劇は日本のドラマよりスケールが大きくていいねえ」などと呑気に語っている。どうしたのだろう?


 まあ、もちろんテレビ鑑賞のあとは二人で一緒にお風呂に入って、人体のとても気持ちが良くなる部分を石鹸を泡立ててさすり合い、ベッドに入ってからも、お互いのすごく敏感で気持ちの良い部分をもっと気持ち良くさせあって、有象がご自慢の波動砲を発射するのだが、毎日せいぜい四発くらいだ。明らかに以前よりも弾数が減っている。

 有象のこのあまりにも淡白な性生活に希が、

「先生、身体の具合さ悪いんでないの?」

 と、とても心配して訊ねるのだが有象は平然とした顔で、

「別に普通だよ。例の薬の効果がやっと出て来たのではないのかな?」

 などと、呑気にのたまっている。

「先生は今、ヤリたい娘っ子とかおらんのか?」

 純朴だったはずの希がなんの恥じらいもなくエロいことを有象に突っ込むと、

「そうだなあ? ああっ、一人だけいるぞ! それはだねえ、憎っくき女武芸者の諸葛純沙理事長だよ。あの極悪で残酷でクールビューティーな女狐だけは、私の男の意地で絶頂に何回も昇天させて『もう勘弁してください。今までのことは全て謝ります』と涙ながらに許しを請わせてやりたいなあ」

 と、その時だけ有象は悪い野獣の眼になった。

「先生、それはダメだ。セックスってばさ、男女がお互いに興奮と幸福を分かち合うものだよ。一方的に攻めるのは強姦という卑劣な犯罪だと言うだわさ。女性を虐めるのはやめれ。品がないさ」

 と希が至極真っ当なことを言い、

「そ、そうだな。その通りだよ。では、諸葛理事長に性の悦びをたっぷりとご馳走してやろう。それにしてもさすが希だな。非常に良い事を言う。私はますますきみが愛しくなって来たぞ! さあ、こっちにおいでなさい」

 有象は希を自分のベッドに呼び寄せて思いっきり抱いた。もちろん、本日五発目となるわけだ。


 さて、翌日は週に一度の『日本史特講』の日である。午前中、区民セミナーでお気楽に文章指導をしていた有象は邸宅には戻らず、新横浜のレストランで一人昼食を摂った。一人になりたいというより、希に週に一度くらいは骨休めをさせてあげようという気持ちであった。のぞみにはこの頃、有象が教えられる学問については丁寧に教えてあげているのだが、家事にかまけて学園に出席する日数が少し足りないようだ。理事長にバレないように講師たちに根回しをしなければならない。ところで実はかなり天才的頭脳を持っている有象なのであるが唯一、語学、諸外国語だけが超苦手なのである。これは遥かむかしの少年期、中学の時に関係代名詞でつまずいてからの一種トラウマなのである。中坊の有象は「なぜ疑問詞が代名詞にとって変わるのだ? なぜせっかく二つの文を一つにした関係代名詞を省略とか言って文中から消し去るのか?」といまだに納得ができずにいて、なんと高校三年生の時、有象の英語の偏差値は40前後という同じクラスのヤンキーにいちゃんと肩を並べるほどのダメっぷりだった。悄然とする有象を哀れに思ったのか、ヤンキーにいちゃんに「お前なら大丈夫だよ」と慰められるほど惨憺たる成績だったらしい。それなのになぜ有象は天下の東京大学に入れたのか? それは文系志向の有象がなんと理数系科目の方がより得意だったからだ。もちろん受験用の勉強ではあるが、公式などの暗記は有象の超得意と言っていい。特に数学は偏差値80は軽かったと今になっても、しょっちゅう自慢している。それに、国語や社会科はほとんど勉強しなくても天賦の才で最強レベルだったために東大に楽々入れちゃったのだ。


 まあ、それはともかくとして、有象にも他人というか愛する希の将来くらいを思いやる心が多少はあるようである。それとも希との出会いが有象の心境を変化させたのであろうか? 有象は元来、超のつく人間嫌いだが動物や植物、自然にはとても好意的で優しい。また、無機質なものや大切に使い込んだ道具類にも愛着を感じたりもする。要は人間以外には博愛の精神を持っているのだ。まあ、変人であることには違いはないのであるが。そして変人の変人たる極みが何故か「学生に物事を教えるのが好き」という性向である。人間嫌いなのに矛盾していると思われるだろうが、有象は若者たちが知識を増やしてくれることに無上の喜びを感じるのである。おかしいと言われてもそうなんだからしょうがない。だからこそ教師をやっているのだ。


「こんにちは。講義を始めます。みなさん、大いに喜んでください。ようやく今回から飛鳥時代に入ります。さあ、拍手っ〜!」


 有象の興奮ぶりに学生たちはかなり戸惑っていたが、とりあえず拍手をしてあげないと有象が教壇でラッキー・ピエロになってしまうので、お付き合いする者が多かった。みんなも優しいね。


「おお、みなさんも喜んでくれているのですね。やはり、古代の大王の話は聞き慣れないし今ひとつ理解し難い部分もあったのでしょう。その気持ちわかります。私とて講義をしつつもなにを根拠に喋っているのか今ひとつ不可解な部分があったりもするのです。あっ、だけど私は決してWikipediaなどを丸暗記して講義をしてはいませんし、他人さまのお説を完全盗用してもいませんからね。ただ、参考文献はたくさんありますよ。でも、別に営利目的に書籍や論文にして発表しているわけではなく、ただの一般教養の講義ですから、引用文献・参考図書をいちいち明示してないだけですからね。そこんとこはよろしくお願いしますね。わかる? 諸見里くん!」

 有象は絶対に察しの悪い諸見里に探りを入れた。


「なんのことかさっぱりわかりません。でも先生の講義は楽しいです。むかしのことが良くわかって少し賢くなったみたいです。今度、実家に帰ったら母に教えてあげます」


 それを聴いた有象の顔がみるみる紅潮していく。

「あのねー、モロミー。お母上に講義の内容は絶対話しちゃダメだよ! 上手の手から水がこぼれて、私の立場が危険になるでしょうが! 察しなさいよ。この、バカちんが!」

 有象が金八先生のように、自分が他人の文献を相当、盗用している事をバラしている。バカちんは有象の方だな。


「さて、冗談は置いておいてね。飛鳥時代といえば、やはり聖徳太子ですよね。きみたちは知らないし見たこともないでしょうが、聖徳太子は長いこと日本のお札の最高位に肖像画が印刷されていたのですよ。日本人で知らない人はほとんどいないでしょう」


 すると、赤西仁美が挙手をして、

「有象先生、わたしたちは聖徳太子ではなく厩戸王と習いました。教科書に聖徳太子の名前はありませんし、お札に描かれていたという肖像も後世の想像であって本物の姿ではないと聴きました。先生はどうして聖徳太子とばかり仰るのですか?」

 と辛辣な質問をする。


 それに対して有象は涼しい顔をして言った。

「もちろん、きみたちの教科書では厩戸王で統一されていることは知っていますよ。でもね、赤西くん。これは知っている? 次の文部科学省の検定教科書では小学校の社会科教科書から順に、また聖徳太子という呼称に戻す確率が高いって事をね」


「えっ、なんでですか?」

 赤西仁美は戸惑った声をあげた。


「まあ、理由はいくつかあるようなのですが、聖徳太子という呼称がもともとなんであるかが分かれば納得できるでしょう。聖徳太子というのは彼の死後につけられた諡号なのです。要は大王・天皇の諡号と同じです。大王には生前には名前がなかったことはお教えしましたよね? 聖徳太子は大王にはなれませんでしたが、推古女帝の皇太子であり、摂政……この摂政はのちの藤原摂関家の摂政と意味合いが全く違うのですが……まあ皇族ですから諡号を贈られてもなんらおかしなことはないでしょう。ただ、大王ではないので生前の呼び名がもちろんあり、多くの学者がそれを厩戸王、あるいは厩戸皇子だと論じているのですが、私はその意見に異論があるのです。さて赤西くん。聖徳太子はなぜ厩戸王と名付けられたのですか?」


「はい。お母さまが厩の前で産気付かれて聖徳太子を産まれたからです」


「そうですね。ところでですね、世界史史上でもう一人厩というか馬小屋で生まれた超有名人を知りませんか、ええと穂高くん知ってる?」


「ええと、イエス・キリストですか?」

 穂高が自信なさげに答える。


「おお、ご明答。もっと自信を持って言いなさいよ。ところでイエスは西暦何年生まれか知ってる?」


「えー?」

 穂高くん口籠る。何名かの学生が「クククッ」と笑った。良くないよ!


「穂高くん。やっぱり野球バカかいのう。きみさあ西暦を英語の略字にするとなんだと思う? ACだよ、見た事あるよね。日本公共広告機構ではないよ。これはアフター・キリストという意味です。西暦1年がイエスの誕生年と一応なっています。ただ、実際は紀元前6年くらいから西暦33年の間と言われています。ちなみに12月25日のクリスマスがイエスの誕生日だった可能性はかなり少なくて、キリスト教内の教派によってバラバラなのです。まあ、きみたちにとっては聖なる日でもなんでもなくて、飲んで騒いでやっちまって、オミクロン株にかかる日かな? いけない! 申し訳ないです。軽く下ネタを挟んでしまいました。エロはプライベートだけにしなくてはね!」


 赤西仁美や清田ソフィアの顔が少し赤くなっている。最近はご無沙汰だからだろうか?


「さてと、本題に戻りましょう。イエスはとりあえず、西暦一世紀の人です。そして聖徳太子は六世紀の人です。つまり、約五百年くらい聖徳太子が後の時代の人ということになります。五百年あれば、キリスト教が中華帝国に伝わっていてもおかしくはないでしょうね。ただ、史書によると、中華にキリスト教の一派であるネストリウス派が七世紀に『景教』という名で布教していたとあります。それを間に受けてしまうと、イエスと聖徳太子の関係性は全くないという結論になってしまいます。しかしですね、正式なキリスト教の伝来が七世紀まで中華になくても、キリスト教信者の商人たちはもっと以前からシルクロードを通って中華に来ていますよね? それで、真面目なキリスト教の信者なら中華に至って日曜日には礼拝をしますよね。新訳聖書の話を知り合いの中華の人にもしますよね。それを多くの中華の人が見物しますし、話を覚えますよね。もう、そうなったら他の文化と同じように朝鮮半島経由で倭国に『南蛮には馬小屋で生まれた偉い坊主がいたらしい』というオモシロ情報が届くのは自明のことです。さらに聖徳太子を厩戸王としたのは、後世の『古事記』や『日本書紀』でしょう? 私は前から言っていますよね。『記紀』は出鱈目だらけの国史であるとね。なんだか見えて来ませんか? 『記紀』の編者が冗談じゃなく嬉々として『聖徳太子も厩で生まれたことにしよう。そうすれば南蛮の坊主と同じになる』って筆を進めている姿がさあ」


「先生、厩戸王の呼称が仮に虚偽だったとしたら、本当の名前はなんというのですか?」

 赤西仁美が訊ねる。


「ええと、おそらくは上宮王あるいは豊聡耳王でしょう。聖徳太子が一度に大勢の話す言葉を聞き取れたという伝説はご存知でしょう? それが豊聡耳です。ただ上宮王の方が確率的には高いですかねえ。いずれにしても私は聖徳太子の生前の名前は厩戸王ではなかったと思います。では、次回は一般に『大化の改新』と呼ばれた王権改革事業と蘇我入鹿について論じてみましょう。さようなら」


 有象はとっとと家路についた。数名の美人学生たちが、小指の爪を噛んでいる。有象が仕掛けてこなければそれもちょっとしたフラストレーションになるようだ。難しいのはワインレッドの心ではない。

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