第12話 日本史特講4 天皇(大王)の故郷とは

 超強烈な制欲減退薬を朝昼晩と就寝前に服用するようになって一週間。ようやくその効果が現れて来たようで、絶頂期には週に七人、時には相手を代えてのダブルヘッダーや、同時に三人の美人女子大生をマシンガン打線、いや大艦巨砲主義で猛攻を続けていた有象無蔵の夢と魔法のエロトリカルパレードもだいぶ落ち着いて、この頃は週に四、五人くらいとのライトな情交になって来た。ご新規さんも『赤毛のアン』ちゃんこと赤西仁美くらいなもので、あとは心療内科医の曲直瀬美智子、京娘の西園寺君枝、フレンチな少女の清山ソフィア、そして絶対にバレてはいけない妙蓮寺櫻子にもうっかり手を出してしまった。それくらいだ。しかし、本当に櫻子の父親に知られたら、有象の肉体はこの地球上から細胞一つ残らずになくなってしまうだろう。下手をすれば戸籍や家系図、今まで出版してきた著作や論文も消され、家屋敷も全く別の人間が飛鳥時代から住んでいたことにされてしまうかもしれないし、珍名で全国に遠い親戚が八軒くらいしかないと苗字研究家の森岡浩氏が言っていた「有象」という苗字自体がなくなる恐れもある。櫻子の父親にはそれくらいの権力を持っているのだ。しかし、それだけ、リスクとスリルがあると逆に燃えてしまうのが有象の性欲であり、実は櫻子の父親の裏にいる恐怖の存在と有象も実は少々関わり合いがあるので、いざとなったら泣きついて、生命だけは助けて貰おうという甘い考えもある。


 さて、佐竹希はいったいどうしちゃったのだと気にする向きもあるだろうが、ご安心を。彼女は有象の邸宅に引っ越して、すっかり若奥さま気取りである。男の心を掴むにはまず胃袋を掴めというが、希の手料理は超一流の家庭の味である。こればかりはどんなシェフでも作れない。落合シェフでも服部先生でも上沼恵美子でも無理なのである。

 元々、外の物かデリバリーの食べ物ばかりで済ましていても飽きることがなかった味覚音痴の有象も、希の料理の味を知ってからは「記憶は全くないけれど、お袋の味とはこういうもののことを言うのだなあ」と感激し、いくら外でラブアフェアをしてきても午後九時には帰宅して希と食卓を囲んでいる。希は秋田人らしく日本酒に滅茶苦茶強い。有象は言うほどアルコールに強くないので、日本酒をロックにしてアルコール度を低くして付き合っている。そうしないと夜の営みができなくなってしまうのだ。そう、希とは毎晩営んでいるのである。それも四回戦ボーイくらいはザラである。

 ということは、強烈な処方薬は効いていないのではないかと思うのだが、有象自身は確実に性欲が弱まっていると信じて疑っていないのだ!


「こんにちは。講義を始めます。もうすぐゴールデンウィークに入ってしまうのにまだ、弥生後期のことをやっていては一年でどこまでお話できるかわからないですね。聖徳太子で終わっちゃうかもよ。あはは。それは冗談として、まずは天皇というかまだ大王ですね。大王がどこから来たかをお話しましょう。ちなみに天皇という呼称は天武天皇が言い出した称号です。それまではみな、大王です。さらにいうと一応、初代の神武天皇から第四十四代の元正天皇までは弘文天皇と文武天皇以外は奈良時代に淡海三船という人が一括してつけた漢風諡号であり、各大王、天皇には和風諡号というものが別にあります。神武なら神日本磐余彦です。どのみち崩御してから付けられるのが諡号なので本人たちにはどうでもいいことかもしれませんがね。二つも諡号があるのは紛らわしくもあります。ちなみに弘文天皇は『壬申の乱』で天武天皇に敗れた大友皇子のことで、長らく天皇位にはついていなかったとされていましたが、明治時代に天皇についていたと定められ、弘文の諡号がつけられました。しかし、現在の史学界では天皇位についていなかった説が有力です。また文武天皇は淡海三船以前に漢風諡号がついていたと『懐風藻』という書物にあります。ちなみに淡海三船は奈良時代の人で、臣籍降下をした当時の文人です」


 ここで、有象は恥ずかしそうに頭をかいて、


「また、横道に逸れてしまいました。では、大王はどこから来たかを発表しようか? それとも誰か答えたい人います?」


 学生たちがずっこけた。

「どうせ、わかりませんから早く教えてください!」

 ソフィアが大きな声を出している。白い肌が薄く紅潮していてかわいい。


「はい、わかりました。焦らして申し訳ないです。倭国の大王は、朝鮮半島から来ました!」


「えーっ?」

 学生たちにざわめきが起きる。

「先生、天皇って朝鮮の人なんですか?」

 大勢の学生が訊ねる。アイデンティティが崩壊しそうなのであろう。


「あのね、私は朝鮮半島から来たとは言いましたが、朝鮮民族であるとは一言も言っていません。『後漢書東夷伝』『魏志東夷伝』などをよく読むと、朝鮮半島には後の高句麗や百済を建てる扶余族、新羅を立てたと言われる辰韓人の他に、弁韓、弁辰、穢、倭人などがいたと書いてあります。この最後の倭人は北部九州にいた倭人と同じ一族でして、つまり朝鮮南部にいた倭人が対馬海峡を越えて北部九州に上陸、北部九州にいた倭人を征服したか協調したかまではわかりませんけれども、強い軍団になってヤマトへ東遷したのではないかと私は考えます。もちろん、他の説もあります。一番有名なのは江上波夫氏の『騎馬民族征服説』。これは一時期、大ベストセラーとなり学界でものすごく議論となりました。これは旧満州(中国東北部)にいた扶余族系の騎馬民族が朝鮮半島を南下して、そのまま倭国に入り、ヤマト王権を作ったというものです。ただし、その当時に馬を載せて倭国まで来れる船があったかというところがポイントになります。騎馬民族の馬と倭国にいた馬は体格がまるで違ったことですとか、その頃倭国に実は馬がいなかったという説もありまして、江上氏の説には否定的な意見が多いです。またですね、騎馬民族ではない純粋な扶余族が倭国に来たという説もあり、いくつかの古墳でそれらしき遺物が見つかっているようなのですが、私は違うと思います。私が朝鮮半島南部にいた倭人が大王家になったと思う最大の理由は、任那や伽耶、安羅、加羅といった小国の集団に倭人が住んでいたのだと思うのです。当初はそれらの地は倭人の領土であったのに後に新羅が占領してしまうのです。そして初めのうち、新羅は租税のうちの『調(物納品)』をヤマト王権に送るという約束をしていたのですが、そのうちに約束を破るのです。これに怒った倭国は蘇我馬子が軍隊を送ったり、聖徳太子の実弟来目皇子や異母弟の当麻皇子を大将軍にして新羅征伐をしようとするのですが、来目皇子は筑紫(福岡県)で病死、当麻皇子は出陣中に妃が病死したためいずれも渡海は中止になっています。そして最大の戦いは新羅が百済を滅ぼしたため、倭国に人質として在住していた百済の王子、余豊璋を国王として百済を再建させようとして中大兄皇子(天智天皇)が大軍を出して大敗したのが『白村江の戦い』です。さて、倭国はなんでここまでして任那等を取り返そうとしたのでしょう? それは、そこが大王の祖廟の地だったからだとは思いませんか? 先祖の眠る地を新羅に奪われ、黙っているわけには行かなかったのだと私は思います。しかし『白村江の戦い』以後、中大兄皇子は新羅とその後ろ盾である唐が倭国をせめて来るという恐怖感に襲われ、国中と言っても西日本ですが『』を建設するために農民を大量に徴発します。これがのちに大友皇子(弘文天皇?)と大海人皇子(天武天皇)の壬申の乱の時に大海人皇子方に味方が多くついた遠因となっています。ああ、歴史小説などに『神功皇后の三韓征伐』というのがありますが、次回以降にお話しする『古代史の大嘘』というテーマの時に詳しくやりますが、フィクションです。はい、これで今日の講義はおしまいです。さようなら」

 

 有象はなぜか逃げるように講堂を出て行った。


 いつもは重いと文句を言っている大講堂の樫の扉を思いっきり蹴り飛ばして開いた有象はダッシュで校外に走り出そうとした。しかし、

「有象くん、待ちたまえよ」

 と後方からやさしくも鋭く厳しい声がして、有象は凍りついたように固まった。心臓の鼓動が聞こえるようだ。ふだん汗などかかない有象の額から壊れたシャワーのように汗が吹き出てくる。

「どうしたんだい、有象くん。お手洗いにでも行きたかったのかな?」

 有象と同じくらいの年齢の男性が、ニヒルに笑っている。その周りには屈強そうな男たちが並んでいる。十人はいるだろうか?

「そ、そうなんですよ。ちょっと失礼を」

 有象が男の目を見ずに行こうとすると、

「じゃあ、わたしも一緒に行こうかな。この年齢で高校生のように『連れション』だよ。ははは」

 男は笑いながら、有象の背中をパチンと叩いた。まるで座禅中に警策で喝を入れられたようだ。絶対に後で赤くなる。

 有象は真っ青な顔色になってよろよろ歩き、男子用お手洗いに男性と一緒に入り、むかし風に言えば『あじさい』、今は小便用トイレと表現すのだろうか、とにかくそれに並んで立った。


 男性の方は豪快に放出しているが、有象の方は自慢の逸物が何故かミニマムになっていてちょろっとも出ない。

「有象くん、どうした。漏れそうだったのじゃないかね。ははは」

 相変わらず男性は陽気だ。

「龍虎くん……いや、妙蓮寺さん」

 有象が震える声で男性に呼びかける。妙蓮寺? どこかで聞いたような?

「有象くん、いつも通り龍虎で構わないよ。それで、なにか言いたいのかな?」

 有象は決心を固めたように男性に語りかける。

「あのさ、殺すときは瞬殺で私がわからないうちにしてください。なぶり殺しのように、指を一本一本切っていったり、亀頭に五寸釘を打ち込んだり、顔を炙ったり……そういう痛いのは嫌ですよ……」

 ああ、妙蓮寺は櫻子の苗字だ。ということは元反社会組織にいて、左手一本で敵を捻り殺して、今は娘を溺愛している……ああ、これで生きている有象教授の見納めだ。この後の主人公は誰がなるんだろう? 希かな? 理事長? 烏兎講師の目はないなあ。


「なあ、有象くん。何故、わたしが親友のきみを殺さなければならないんだ?」

 妙蓮寺龍虎が意外なことを言い出した。あれ、愛娘の櫻子と関係を持っているのがバレたから学園まで乗り込んで来たのではないのか? 有象は首を傾げる。

「り、龍虎くん。あなたはなにも知らないの?」

 有象が探りを入れる。

「知らないって、櫻子のことかな? 全部知っているよ。櫻子本人が毎晩、わたしに今日一日のことを報告に来るからね。きみに誘われて新横浜プリンスホテルの最上階で初体験をしたことだって知っている」

 妙蓮寺が笑顔で話す。

「ええっ、あれほど内緒ねって約束したのに!」

 有象が愕然とする。

「ああ、そんなことも報告して来たなあ。あの娘はわたしに全てを話すからね。面白いよ」

 ますます妙蓮寺が笑顔になる。笑いながらでも妙蓮寺は人を殺せるのだよなと、有象の膝が不随意にガクガクしてくる。

「有象くん、勘違いしないでくれたまえ。櫻子だってもう成人しているんだ。男性経験の一つでもしてくれなくては、父親としてわたしが困る。あの娘はパパっ娘だから、つい最近まで『あたし、パパと結婚する』などという恐ろしいことを言っていたんだ。ただ、その最初の相手がきみだとは予想もしていなかったがね。まあ、きみは無精子症だから櫻子を妊娠させて、わたしの義理の息子になる心配もないし、風俗に送られる危険もない。イニシエーションとしてはいいかもしれないな。だが、きみも本命ができたらしいし、心療内科でセックス依存症を治そうと努力しているのだろう? だったら、もうちょっと控えめにした方がいいのじゃないかね?」

 妙蓮寺は別に怒ってはいなかった。有象を殺す気も全くなかったようだ。なんと心の広い男だ。有象は思わず、

「ありがとう。これからは女色を断つよ」

 と、できもしないことを言って握手しようとしたが、まだ排尿中だ。

「おい、汚いよ。やめろよ。殺すぞ!」

 と妙蓮寺に怒鳴られてしまった。もちろんジョークだ。


「ところで龍虎くんはなんで学園に来たんです?」

 落ち着いた有象が訊ねる。

「ああ、本当は寺の青龍塔主人から呼び出しがあったんだ。その帰りに櫻子の学園を見学しようと思ってね。うちの社員の後ろに純沙さんがいたろ?」

「えっ、理事長がいたの? まさか今のコントを一部始終……」

「見ていたろうねえ」

 妙蓮寺が含み笑いをする。

「龍虎くん、きみさあ私のちょっとした欠点の話を理事長にしたりはしていないよね?」

 有象は拝むように訊ねる。

「わたしはこういう男だから口は固い方なんだが、純沙さんには叶わない。催眠術のようになにもかも腹蔵なく喋ってしまうのだなあ」

 また、妙蓮寺は笑う。有象は理事長が日本刀で確実に自分の頸動脈を斬りに来る幻覚を見ていた。


「じゃあ、有象くん。背後と女性には気をつけて」

 妙蓮寺は社員という名のボディーガードとともに帰って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る