第8話 日本史特講2 卑弥呼や邪馬台国は重要ではない

 五限目の講義は午後三時半に始まり午後五時に終わる。人間生理学的に言えば自律神経が交感神経から副交感神経に変わる時間帯である。こんな時間に講義をやっても、学生たちは気怠い眠気に陥るか空腹で胃腸から恥ずかしい音を出しまくるだけだろう。

 そう言う訳で他の講師たちは、五限目の講義はあまりい受け持ちたがらない。だが、有象は違う。こういう雰囲気の時にこそ、幼い時から身につけた話芸とパフォーマンスと長年蓄積して来た蘊蓄を交えてマシンガントークを繰り出し、彼が尊敬する綾野剛ではなくて綾小路きみまろ先生のように笑いと知的興奮を学生たちにたっぷりと味合わせてやり、半眼の学生の目は大きく開かせ、軽い飢餓状態にある学生は知的興奮で満腹にしてやろうというファイトが湧いて来る。

 そのためには面白いネタ、いやいや講義をしなくてはならない。


 有象はもちろん国文学者なので、正式な史学科の講義は受けたことがない。だが、子供の頃からテレビのどちらかと言えば夕方の再放送で『水戸黄門』(ただし、東野英治郎版のみ)、『大岡越前』、『江戸を斬る』(PartⅡのみ)、『伝七捕物帳』、『遠山の金さん』(杉良太郎版のみ)、『同心暁蘭ノ介』、『真田太平記』、『武蔵坊弁慶』、『鬼平犯科帳』(二代目中村吉右衛門版)などの時代劇に加えて、当然ながら『大河ドラマ』の歴史物は欠かさず観ているし、物心つく前に放送された過去の大河作品は「完全版」を、それがなければ「総集編」のDVDを取り寄せて観ているほどの歴史マニアである。

 小説も司馬遼太郎は言うまでもなく、吉川英治、山岡荘八、海音寺潮五郎、黒岩重吾、永井路子らを読み、最近のお気に入りは安倍龍太郎、近衛龍春などである。まだ未読だが若い書き手も多いので大いに期待している。

 ただし、間違えないで欲しい。有象が読むのは『歴史小説』であって佐伯泰英に代表される“おじいちゃんのライトノベル”こと『時代小説』ではない! 有象はミステリーも趣味としてよく読むのだが、お気に入りの作家が複数名、おそらくはギャランティーと活計のために『時代小説』に転向していて、その才能を惜しむと共に内心その裏切り行為にちょっと立腹をしている。


 ただし『歴史小説』の選書にもポリシーがあって、有象は幕末から明治維新以降、特に明治維新から先の近代国家・大日本帝国あたりの『歴史小説』はまず読んでいない。理由は山口県のみなさまには申し訳ないが、明治新政府において元長州藩士が国権の元老となってから行った数々の横暴政治と賄賂政治が最終的には巡り巡って第二次世界大戦を引き起こし、多くの国民を苦しめた上に現在でも安倍晋三(あくまでも仮名です)のような陰湿かつ卑怯で、サクラを呼んで『桜を観る会』を開いて有権者に事実上の買収をしておいて、それが問題化して都合が悪くなると「お腹痛い痛い」と説明責任もせずに逃げ出すような政治家を国政に存在させているということが許せないのである。(有象は大久保利通を暗殺したのも、西郷隆盛や江藤新平、後藤象二郎らを下野させたのも実は陰で元長州藩士たちが仕組んだからだとさえ考えている)

 有象はお分かりだと思うが、へそ曲がりでかなりのリベラリストで判官贔屓な男である。常に反権力思考を持っている。ただ、その時代まで講義が行かないうちに年度末が来るように上手いこと定期的に休講を申請しようとは考えている。あまり自分の政治信条を講義で出すのは偏っていてよろしくない。それにこの講義はあくまでも一般教養だからね。中立中肉中背っと。


 さて、始業ベルが鳴って七分経ったので有象は研究室を出る。教室である大講堂までは三分かかる。だから、樫の木でできたムダに重い扉(と有象は考えている)を開ければちょうど十分だ。


 学生はガイダンスの時より若干減ったが少なく見積もっても四百人はいるだろう。学生たちは結局のところ、みんな楽に単位が欲しいのだ。しかし、この学園の基本方針は「学問好きのための大学」なのだから、単位などという小さいことに拘泥する学生には若干の侮蔑を有象は感じてしまう。真の学問好きならあえて難しく厳しいが知識豊富な講師の講義、薫陶を受けて、時には逆に教師を論破するくらいの気概が欲しい。そうならないのはこれまでの文部科学省制定の小中高の学習指導要領が欠陥だらけなのと教育委員会や教師たちの無能力・無気力が原因だろう。学校の先生が全て「北野広大」や「坂本金八」や「原田のぶお」ではないのだ。無駄な雑務に追われて、生徒と向き合う暇がないという汲むべき事情もある。そうすると大元は大雑把に言えば、文部科学省が悪いとの帰結になる。ということは今の政権与党が悪いのである。人間形成を甘く観ているか、与党があえて将来の有権者をおバカにして、好き勝手にやろうという実は国策なのかもしれない。とても有象は付き合っていられない。どこか無人島を買って、税務所や警察が来れない要塞でも作ろうか? なんだか、コッポラの映画みたいだ。


 それはそうとして、四百人も受講生がいると、学園から有象に対して支払われるインセンティブもかなり増える。受講生が五十人を超えるとその後は十人単位で五千円ずつ能力給にプラスがつくのであるが、この人数ではいったいいくらくらいだろう。有象はいつもながら計算が面倒なのでしないから読者さまが計算してほしい。それに『文学特講』の方は今年度、あまりにすごい人数の受講希望者がいるのでふたコマでお願いしますと学生課の職員に頼まれたから、相当なインセンティブを貰える。有象が考えていることは今年、この余剰金でどのくらいの保護ねこが救えるだろうか? ということだ。有象は大のねこ好きで(イヌは苦手。意味なく噛むから。それに少年期の勝海舟のように睾丸を噛まれたくない。かなり痛いし、下手をしたら死んじゃうよ)、NGO団体『ねこちゃん愛護協会』に毎年多額の寄付をしている。有象本人は強烈な『イヌねこアレルギー』持ちなので、一緒にねこと生活をすると喘息の大発作を起こして救急搬送されたり、ひどい皮膚炎を生じてしまったりするので、こういう形でしかねこたちを救えない。本当は広い邸宅だから、十匹くらいはねこちゃんを飼いたいのだが、万が一のことを思うと自分の生命には替えられないのである。残念だと思う。


「こんにちは。今日からが本当の講義になります。最初にお断りしておきますが、私は本来の歴史学者ではありませんからきみたちの持つ常識からしたらかなり突飛なことを言うかもしれませんし、きみたちがこれまでに受けてきた授業とは違うことを話すかもしれません。しかし、歴史という過去の出来事を学ぶには実のところ、近代になって写真やレコーダーなどの客観的証拠がある近現代までは、新しい史料の発見、あるいは既存の史料であっても解釈の仕方次第では全く様相が変わってしまうのです。つまりは『常識が変化する学問』なのです。こんな学問は他にはありません。有名な一例を挙げれば、私たちの世代では高校時代に鎌倉幕府の成立年を源頼朝が征夷大将軍になった1192年だと教わりましたが、最近は北条時政らが京に上って後白河法皇に全国に守護・地頭の設置を強要して無理矢理認めさせた1185年となっています。さらに、研究者によっては後鳥羽上皇と北条義時が戦い義時側が勝利した『承久の乱』が終結した1221年こそが成立年という人もいて、正直なところ決定打はないのです。さらに言えば『鎌倉幕府』という名称を鎌倉時代の人は誰も使っていませんし、たぶん御家人の多くは『幕府』という言葉すら知らなかったでしょう。では、あの軍事政権をどう言うのかといえば、最初は源頼朝自身のことを指していた『鎌倉殿』です。『幕府』と言うのは中華帝国において皇帝から戦争に派遣された『〜将軍』が戦場での陣地・拠点とするために大きな幕を張って、屋根のないテントを張り、そこに座って居たという場所のことなのです。実際に武家政権として『幕府』という言葉を使ったのは次の足利政権でもなくて(こちらは御所と言いました。これも本来御所は天皇のお住まいなのに驕った足利義満が『花の御所』と名付けたのです)、今のところ日本では最後の幕府である江戸幕府なのです。ただし、これも別に天皇や朝廷から『幕府開府の詔』が出たわけではなく徳川家康が征夷大将軍に任ぜられたからです。しかし幕末の『大政奉還』の時は『幕府の廃絶』が『王政復古の大号令』に明記されています。なんだか変だと思いませんか? 任命してもいないのに廃絶の詔勅を出しているのです。これは史学者たちが正確に史料を読んでいなかった。最近の学者はそう言うところを深く追求しているように思うのですがね、私にはよくわかりません。ごめんなさいね。私、絶対的に素人なので。ははは」


 と言いながら講堂内をぐるっと見る。当然、一番前に座っているだろうと思った希の姿がない。あれっと思ってグルグル見回すと何故か、一番後ろの端っこにちょこんと座っている。なんでだろう? しばらく考えて、有象にはわかってしまった。「女房は主人の三歩後ろを歩く」。つまり目立たぬように遠慮しているのだ。すでに女房気取りかあ。うーん、これは本当に年貢の納め時なのかなあ。


「ああ、話が逸れましたね。今日は古代の前編と言ったところでしょうか? しかし、旧石器時代や縄文時代はあまり私の興味の範囲でないのでね。さらっとやります。まあ、考えるべきキーポイントはその時代の人々が小グループで『狩猟採集生活』を行っていたことです。食糧の供給は狩猟の獲物と山林の採集植物だけなので全く安定していません。なので、おそらくは身分の差別もなく、皆で同じものを食べるという『原始共同体』これを『原始共産主義』ともいうのですが、こういった『ムラ』が何個もあってお互いのテリトリーを守って点在していたのだと思います。ニホンザルの群れが他の群れの領域に普段は入らないのと同じです。それにコミュニティーというのは大きくなるほど争いや支障が生じやすいというのが常道です。私は現代社会も『小さなグループ』で何事も行うのがいいと思っています。会社の組織などで上司が部下をしっかり監視指導できるのはせいぜい五人くらいだそうです。だから大企業なんてきちんと部下を育てる上司は稀少でほとんどの人は自分の出世争い、それに妬み、僻みの温床でしょう? その面で、この旧石器、鉄器、縄文時代あたりは人間関係はわりあいと良好だったのかと想像します。死なば諸共ですからね。あとは『縄文式土器』の登場ですね。なんで当時の人々が粘土をこねて土器を作り、縄で模様までつけてという美術的センスを持ち、さらにそれを固めるために火を入れることができたのでしょうね。だいたい縄を編む技術などが既にあったのかなどと考えを巡らせば彼らの知能が想像以上に高かったんだろうと思えてドキドキします。これらの方法は間違いなく、中華から朝鮮半島を中継して日本(倭国)に来たのでしょう。あれ、誰も笑わないね(希はちょっと笑っている)。まあいいや。文化はどうもメソポタミア、今のイランあたりで作られてユーラシア大陸の東西に伝播して行ったようです。しかし、その時代も朝鮮半島から倭国……ああ『倭国』という名称は中華の『国史』に出てくる日本の古い名前であって当時の人たちは自分たちのテリトリーを『クニ』と呼ぶ概念などはなかったと思うのですが、とにかく朝鮮半島からこちらに渡来した人々が『コメ』を持って来たことにより、時代が進みます。『狩猟採集』から『稲作』による食糧確保へと移って行くのです。これが今の学説では縄文後期から弥生時代となります。一応の宿題。なんでこの『稲作』の時代を『弥生時代』と言うのでしょうか? スマホやパソコンを使わずに調べてみてください。もうすでに知っている人も多いね。教科書に多分載っていましたね」


 ここで有象は「水分補給休み!」と言って持参して来ていた保冷バックから『北アルプスの天然水』2ℓのペットボトルを一気に十秒ほどで飲み干した。学生たちが「やべえ、本物の象みたいだよ」などとどよめいている。ついには最前席の女子学生の一群が「先生、すごい!」と有象に手を叩いた。

「いやいや、私は幼少の時からとても水飲みでしてね。それも冷たい液体であればなんでも一気飲みしないと気が済まない性質たちなのです。きみたちは知らないと思いますが、むかし大相撲に久島海という力士がいて、アマチュア時代は最強だったのにプロでは前頭筆頭が最高位の期待はずれでしたかねえ。それに早くに亡くなってしまって。その彼が子供の頃、水の代わりに牛乳をガブガブ飲むのをテレビで観てから真似をしているうちにこのクセがついてしまったのですが、私は久島海とは違って『蒲柳の質』のままでした」

 なんというマニアックな理由だ! すると女子学生の一人が、

「有象先生『蒲柳の質』ってなんですか?」

 と訊く。有象は、

「おやおや、学生ならば自分でお調べなさい。これは、ことわざではなくて故事成語ですかね。正確には『蒲柳の質は秋になれば葉が落ち、松柏の性は霜を受けてますます繁るでしょう』と言います。スマホのメモ欄でいいから書き留めて。そうだ、学問は手書きの方がいいですよ。次回からは『キャンパスノート』と筆記具を持って来ましょう。せっかく、キャンパスにいるのですから。それともきみたちというカンバスに私が色をつけてあげましょうか? あっ、いけない。下ネタを言ってしまいました。理事長にはご内密に願います。あの強弓で射殺されますから」

「ははは」と笑いが起こる。言われた学生はほっぺたが赤くなってはに噛んでいる。とてもかわいい。

「きみ、お名前は?」

西園寺公枝さいおんじきみえです」

「へえ、京都の出身なんだ?」

「なんでわかるんですか?」

「ふふふ……秘密。では講義を続けましょう」

 有象は教室を静粛に戻した。


「弥生時代におそらく朝鮮半島の南部から九州の北部に船で人がやって来て、彼らが『コメ』とその耕作方法を伝授して稲作が日本(倭国)で始まります。コメというかイネは本来、南方インドや中華南方の亜熱帯で育つ植物ですから、日本での伝播はおそらく、九州から山陽地方、四国地方まででしょうか。いずれにせよ西日本止まりでしょうね。現在、新潟や北陸、東北地方、北海道など東日本や北日本の寒冷地がコメどころなのは農業試験場の人や農家さんが必死に品種改良をした成果であって、間違っても地球温暖化のおかげではないですよ! あっそうじゃないですよ」

「わははは」

 なぜかすごくウケた。

「長い年月が経つとコメをたくさん獲れる人、少ししか獲れない、もしくは全く獲れない人が出てきます。そうするとコメの貸し借りが始まります。これの積み重ねで、身分の格差が生まれてきます。さらに、よりコメを多く収穫するために近隣のムラと戦って土地を奪い、負けた相手を奴隷にします。こうやって『クニ』ができます。皆さんご存知の『邪馬台国』もその一つです。みなさん中学や高校で『邪馬台国』や『卑弥呼』のことを習って『卑弥呼』が今の天皇家の御先祖さまであり『邪馬台国』が後の『ヤマト王朝』になると思っていませんか? それはですねえ、とても大きな間違いです。『邪馬台国』は確かに北部九州にあった約三十のクニを束ねる大きな連合のクニでした。その時、男の王を立てようとして争うが起きたので女王となったのが『卑弥呼』です。彼女はシャーマンもしくは巫女であり、占いで未来を当てることから神秘性を持ち、その力で『邪馬台国』を纏めていました。しかし、彼女にとって予想外のことが起きます。それは『皆既日食』です。それを事前に当てられなかった『卑弥呼』の信望は一気に堕ち、続いて軍事大国で隣国の『狗奴国くなこく』と戦争をして負けたため、おそらくその責任を取らされて殺されたか自殺を強要されたと思われます。ちなみに『邪馬台国』には『三国志』でお馴染みの『魏』から『親魏倭王』の璽を『狗奴国』には『後漢』から『漢倭奴国王』という璽が贈られています。『漢倭奴国王』の印綬は江戸時代に福岡藩の志賀島で偶然、百姓が見つけます。真偽半々でしたが、最新の研究で本物らしいとなっています。一方、『親魏倭王』の印綬は中国で見つかったらしいのですが、こちらは偽物らしいです。まあ、どちらにしても二つのクニが中華の冊封体制に組み込まれていたとわかります。さて『邪馬台国』は『卑弥呼』の死後、また男の王を立てようとして内乱が起こり、結局『卑弥呼』のおそらく養女かおつきの巫女だった女性『壱与いよ』を立ててクニは一旦治りますが、以後は中華の『国史』からその名前は消えてしまいます。おそらく私は女系二代までで以降は弱体化したのではないかと考えています。潰したのは隣の『狗奴国』でしょうが、史料がないのでわかりません。それに『狗奴国』がヤマト王権に移行したとも思えません。『クナ』が『クマ』になって『熊襲』から『熊本』になったという説もあります。さて、史学界ではいまだに『邪馬台国・九州説』とか『邪馬台国・近畿説』で揉めていますが、これは時間の無駄ですね。ただ単に九州で小競り合いをしていたクニのことを学校で教えるより、もっと大事なことがあると私は思います。その大事なことは次回お話ししましょう。ああ、喉が乾いたー! 自販機に冷たい飲み物買いに行こう。では今日の講義はおしまいです。さようなら」

 

 そう言って自分の居場所をさりげなく教え、西園寺公枝が来るのを狙っていたら、見事網に引っかかった。希の姿はない。ラッキーだ。

 有象は公枝を食事に誘い、この前とは場所の違う新横浜にあるバー『らみん』に連れて行き、まだ酒の飲み方を知らぬ半分子どもな京娘を大いに酔わせて、定宿の新横浜プリンスホテルの最上階のスイートルームに連れ込み、とっても愉しい大人の遊びをしまくった。


 だがこの時、有象は公枝に夢中になりすぎて希のことをすっかり失念していたのだ!

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