第252話 会えて良かった。
4.
夜も更けたころ、酔い覚ましのために露台にいたコウマのところへ、レニがやって来た。
軽く片手を上げたコウマの下へ、レニは歩み寄る。
「お前らともしばらくお別れだな」
レニとリオはこの後、東方世界へ向かう。
コウマはしばらく学府があるマイネタルテの街で商売をし、そのあと王都へ向かうことになっている。
レニはコウマの隣りに並ぶと口を開いた。
「アッシュイナに行ったら、ソフィスによろしくね」
「ああ、ソフィスの爺さんか」
懐かしいな、と言ってコウマは夜の向こうに視線を向ける。
レニもそちらに目を向けながら言った。
「オッドの友達のルカも、ソフィスの塾にいるから」
「了解」
気軽な口調で言うコウマを見て、レニは言った。
「コウマって凄いね」
「あん?」
屈託のないレニの口調に、コウマは喜ぶ風もなく胡散臭そうに眉をしかめる。
「何だよ、急に。気持ちわりぃな」
「褒めたのに」
レニは頬を膨らませながらも、言葉を続ける。
「旅に出て思ったんだ。その日に会ったばかりなのに、ただ知り合ったっていうだけで良くしてくれたり助けてくれる人がこんなにいるんだ、って。こういう人たちに支えられて生きているんだってわかったんだ」
レニは横にいるコウマに笑顔を向ける。
「コウマが旅で知り合っただけの私とリオの面倒を見てくれたのは、そういう風に旅をしてきたからなんだね」
「まあな、今日助けた奴に明日助けられる。世の中ってのは、そういう仕組みになっているからな」
コウマは口を閉ざすと、石造りの手すりに両肘をかけて背中を預ける。その姿勢のまま、空を見上げた。
レニが怪訝そうな顔になったころ、空に向かって独り言のように言葉を吐き出した。
「俺は、ずっとお前のことが羨ましかった」
「えっ?」
レニの顔に驚いたような表情が浮かぶ。
「お前になれたらなって、ずっとそう思っていたんだ」
どう反応していいかわからないと言いたげに口ごもるレニに構わず、コウマは言葉を続けた。
「俺がお前くらい強くて、お前くらいリオに惚れられてたら、こんなところでウダウダしてねえですぐにリオを助けに行く、俺がおまえだったらそうする、っていつもそう思っていた。お前がリオのことで何だかんだ御託を並べてグズグズしているのを見るたびに、イライラしてしょうがなかったんだ」
コウマは半ば皮肉げに半ばからかうよな眼差しで、レニを横目で見て言った。
「俺がそう思っていたなんて知らなかっただろ」
「うん……」
レニが戸惑ったように頷くのを見て、コウマは笑いながら肩をすくめる。
「ったく、お前、変なところで抜けているよな」
レニは、自分がそんなことを思っているとは夢にも思っていないだろうとコウマは確信していた。
だがその反面、自分の中でこれほど強く抑えつけていなければならない気持ちがまったく伝わっていないなどということがあるだろうか。
そう思う気持ちもあった。
レニが自分の気持ちにまったく気付いていなかったことに、自分がどう思っているのかわからなかった。
だがポカンとしているレニの顔を見ているとその鈍さに呆れると同時に、それまでわだかまっていた
「そんな風に思っていて、いざ助けに行ったらこれだからな。ざまあねえよな」
コウマはいつもの彼らしい、自分の心も面白がっているような皮肉っぽく明るい笑みを浮かべて言った。
「俺も同じだよ」
コウマはレニではなく、ここにはいない誰かに語りかけるように宙を眺める。
「レニが男だったら、たぶんすぐにお前らとおさらばしていた。一緒にいるのがしんどくなってな」
不思議そうな顔になったレニの前で、コウマは少し黙ってから「参ったぜ」と呟いた。
「俺は自分が思っていたよりずっと、つまんねえことにこだわる小せえ人間だったみてえだ」
コウマは盛大に大きく息を吐いたあと、目の前の少女の小柄な姿を、しげしげと眺める。
十三の時から己の感覚と経験だけを頼りに生きてきた。何者にも縛られず自由に生きることだけを望んでいて、どんな場所でも生き抜ける。
それを誇りに思って生きてきたコウマが、初めて敵わないと思った相手は、強大な権力者でも老獪な商人でも百戦錬磨の戦士でもない。
小柄な自分よりもさらに小さい、同い年の少女だった。
コウマはレニを見て笑った。
「お前に会って、初めて
「コウマ……」
「お前に会えて良かったよ、レニ」
レニは見慣れた商人の青年の顔をしばらく眺めた。
そして微笑んだ。
「私も……コウマに会えて良かった」
コウマは二ッと口の端を吊り上げて笑う。
「旅の途中で別れたら、今度はいつ会えるかわかんねえけどよ、会ったらまた酒でも飲もうぜ」
「うん」
笑顔で頷くレニを見たあと、コウマはふと空を見上げて言った。
「あいつ、すげえよな」
「あいつ?」
「リオだよ」
コウマは無数の星が瞬く夜空を見上げたまま呟く。
「俺があいつだったら、どうだったろうな。想像がつかねえや」
コウマはひどく眩しいものでも見るかのように、黒い瞳を細めた。
このままそれをずっと見ていたい。
そう思っているような表情だった。
レニはその横顔を見つめながら言った。
「私もリオは凄いと思う」
コウマはふと我に返ったような顔つきになり、にやにやと笑いながら言う。
「おいおい、何言ってんだよ。お前の旦那だろ」
「だ、だ、旦那……」
焦るレニを見てひとしきり笑ったあと、コウマは手すりから背を離してレニの前に立った。
「レニ、リオを大切にしろよ」
「うん」
「じゃねえと、俺がもらっていくからな」
「えっ……? ええっ?」
そ、それってどういう……と慌てるレニを見て、コウマはもう一度笑った。
4.
宴の片付けを終えると、レニとリオはマルセリスとコウマに就寝の挨拶をして、用意してくれた客室に戻った。リオはいつも通り、レニの入浴の世話や衣服の手入れなど細々と立ち働いている。
もうお付きの従者ではないのだし面倒をみなくていいと言ったが、リオは世話をすることを止める様子はない。
むしろ今まで以上にやってくれることが増えた。
先ほどの入浴でのリオの奉仕を思い出して、レニは顔を赤くする。
慣れた様子で用事をこなすリオの姿を見ながら、レニは口を開きかけて、また閉じる。少し前からずっと心にあったことを切り出そうとしていたが、なかなか踏ん切りがつかなかった。
リオから話があるかもしれないと思い、先ほどからその動きを観察しているが、その様子は普段とまったく変わらない。
いつも通り、レニのために寝台を整えて就寝することになりそうだ。
このままでは横になっても眠れない。
そう思い、レニは思いきってリオに声をかけた。
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