第250話 あれがお前だったんだな。

「この前のこと?」


 コウマは大袈裟に首を捻る。

 だがリオが困惑したように口ごもっている姿を見ると、ああと呟いて体を反転させた。


「あのスケベ司祭のとこでの話か?」


 リオはコウマのほうにちらりと視線を走らせたが、またすぐに顔を伏せた。それから小さな声で呟いた。


「……済みませんでした」

「どうしたんだよ、急に」

「俺は……あなたにひどいことを言った。あなたはいつも俺のことを気にかけて、助けて良くしてくれているのに」


 自分のほうを見ようとせず小さく身をすくませているリオを、コウマはジッと見つめる。その眼差しはひどく真っ直ぐだったが、コウマはあえてからかうような口調で言った。


「ああ、ああ、俺はお前が男だって気付かず、美人だからって鼻の下を伸ばして近づいて惚れちまったあんぽんたんだからな。んな下心満載の間抜け野郎は、ちっとぐらいぞんざいに扱ったっていいだろう、どうせ文句は言わねえんだから。そう思ってたって話だろ?」

「いえ、それは……」

「いいじゃねえか、それで」


 コウマは視線を空に向けた。暗い夜空から白い光を放つ月を見つめる。


「言ったろ。お前が自分の魅力に参っちまう男どもを嫌って馬鹿にしていることも、性格のひん曲がった嫌味な野郎だってこともわかっているって。そりゃあお前は嫌々女の振りをしていて、レニに惚れているのにそれを出すことも出来なかったんだ。自分に言い寄ってくる男なんざ、うざくて当たり前だろ」

「あなたのことも……最初はそう思っていました。俺が男だと知ったらどんな顔をするんだろうと」

「お前、ほんとレニ以外には容赦がねえな」


 呆れを通り越して、コウマは感心したように言う。リオはコウマのほうへ瞳を向けた。


「でも……あの時、あなたにそう言った時は、そう思っていたわけじゃないんです。いえ、そう思っている部分もあったんですが……それだけじゃなく」


 自信なげに目を逸らして口ごもるリオを見て、コウマは言った。


「お前さ、俺がいつお前に惚れたんだと思う?」


 リオは顔を上げた。

 コウマはその顔を見て一瞬、眩しげに瞳を細めたが、すぐにいつも通りの皮肉っぽさが浮かんだふざけたような表情に戻る。


「お前、あの司祭のところじゃさ、さんざん俺のことをおしとやかなお姫様ぶりっこして騙していたみたいなことを言っていやがったが、笑わせんなよ。俺がちぃと色男だからってレニとの仲を疑ってツンケンして態度が悪いわ、人の部屋に押しかけて酔っぱらってくだを巻くわ、あげくの果てに橇から落ちてカリブーに蹴られて死ねとか言っていたじゃねえか」

「死ねとは言っていません」


 リオの抗議など気にも留めず、コウマはにやりと笑った。


「自惚れるなよ。お前のひんまがった根性や暗くて陰険なとこなんてバレバレだってえの。お前は、お前が思っているより、ずっとお前のまんまだったよ」


 コウマはリオと共に旅をした時間を思い出すように、夜の中で鮮やかな緑色の光彩を帯びる瞳をジッと見つめる。

 そうしていると、初めてその瞳を見た時の感覚と感情が、心の中に甦ってくる。

 その心をたどるように、コウマは言葉を紡いだ。


「そりゃまあ、俺だって初めて会った時、こんな美人がいるのかって思ったさ。あわよくばお近づきになれりゃあ、ちっと美味しい思いができるかもしんねえ。最初のうちは、ずっとそう思っていたよ」


 キャラバンの荷馬車の中で初めてリオを見た時、その幻想的な姿に言葉を失った。まるで陽の射さない薄暗い路地裏に、月の光が結晶となった花が咲いたようだった。

 最初に心惹かれたのは、その儚げな美しさだった。


「でもなんつうかな、それは男の本能みたいなもんでさ、深い意味はねえんだ。お前とレニが別のところに行く、だからお別れだってなりゃ、ああそうか、残念だなでおしまいだしな。気になるまでもいかねえし、ましてや惚れているわけでもねえ」


 コウマは、その後の記憶を辿る。

 自分が一体、いつからリオのことが気になるようになったのか。

 コウマは思い出したように、ああ、と呟いた。


「初めにお前のことが気になり出したのは、ゲインズゲートにいた時だ。レニとパッセが四六時中くっちゃべるようになって、暇そうなお前とよく市場に行ったろ?」

「あの時ですか?」


 リオはひどく意外そうな顔になった。


「一緒にいてもほとんど何も喋りせんでしたし……。俺といても、退屈だろうと思っていました」

「そうだよな。お前、俺のこと、まったく気にしてなかったもんな」


 コウマは笑った。

 あの時のリオは、生まれて初めて入った本屋に夢中になり、コウマの前で女を装うどころか存在すら忘れていた。

 一緒にいても愛想の欠片もなく、無口に黙りこくっていて、本を読んでいる途中に声をかけようものならひどくぞんざいな返事が返ってきた。

 コウマはその時のことを思い出して言った。


「でもよ、俺はけっこう楽しかったぜ。お前といるのが」


 言葉少なにお互いそれぞれ何をするか伝え合って、それぞれの用事をしに行く。

 市場を見て回る時は商売のことだけを考えているが、一段落ついてひと息ついた時にまたリオのことを思い出す。

 そうして伝えられた本屋に行くと、リオはいつも時間を忘れているかのように、熱心な顔つきで本を読み更けっている。

 そんな時は声をかけず、リオの横顔を眺めて過ごした。


「あん時さ、もし俺がどこかの町に居着いて店を開いた時に、その店でお前がこういう風に愛想の欠片もねえ顔つきで本を読んでいたら、って考えたんだよな。それって……何か悪くねえなって、そう思ったんだ」


 やっと満足がいくまで本を読み買うものを選んだリオは、手に入れた本を嬉しそうに眺める。その横顔は、コウマが今までで見たどんなものよりも美しかった。

 その横顔を見つめながらコウマは言った。


「あれがお前だったんだな、リオ」


 軽く目を見開いたリオを、コウマは真っ直ぐに見る。


「俺は、お姫様みたいな綺麗な大人しい女が気になったんじゃない。暗くて無愛想で意地が悪くて……惚れた女のそばで女の姿で生きなきゃならないことに苦しんでいた、お前のことが気になったんだ」


 コウマは、自分自身の内部に響かすようなはっきりとした口調で言った。


「俺が好きになったのは、いま俺の目の前にいるお前だ、リオ」

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