第249話 貸し借りナシだ。

2.


 マルセリスとの再会の喜びがひと段落つくと、オッドがさりげなく座を外そうとしていることにレニは気付いた。

 レニは三人に断りを入れて、庭に出たオッドに声をかける。


「オッド」


 振り返ったオッドに、レニは躊躇いがちに言った。


「何で学府にいるの?」


 オッドが何も答える様子がないのを見て、レニは圧し殺した声で問いを重ねた。


「アーゼンさんの……命令?」


 短い沈黙の後、オッドは独り言のように言った。


「お前が先生と知り合いだったなんてな。ボスは知っていて、俺を寄越したんだろうが」

「アーゼンさんは、マールをどうするつもりなの?」


 オッドは顔を上げる。

 レニの顔も、とりまく雰囲気も、オッドが見たことがないほど暗く冷たいものになっていた。暗闇から自分をジッと見る得体の知れない獣と相対したかのようにオッドはわずかに身を震わせる。

 そんな自分を嗤うように口の端を緩めた。

 レニが半歩足を踏み出したのを見て、オッドは静かな声で言った。


「俺が受けた命令は、先生を見張ることだけだ」

「見張る?」


 レニの問いかけに、オッドは淡々と答える。


「国の権力の行方が揺れ動いている。オルムターナが王国の管理下に入った」


 オルムターナ公は姪であり王妃であるエウレニアにオルムターナの公主の地位を譲り、人質として太后エリカを王都へ送った。

 事実上、王国に吸収されたと言っていい。

 王国内の権力争いは、摂政の地位にあるドラグレイヤ公と最大の国力を持つレグナドルト、そして二国に対抗する力を身につけつつある国王イリアスの三者によって行われるだろう。

 そうなれば、現在は空白地帯であるルグヴィア公国の唯一の継承者であるマルセリスの存在は、非常に重要になる。

 一体、なぜオズオンが姪であるマルセリスをルグヴィアの後継者として担ぎ出さないのか、もしくは他の人間がそうしないように手元で幽閉しなかったのか。

 訝しむ声はあったものの、父親に勝るとも劣らないほど暴虐なドラグレイヤ公にも人の情があり、学府で一生を終えるならばという条件で複雑な背景を持って生まれた姪を助命しているのだろう、ということで何となく落ち着いていた。

 だがオルムターナが消滅してドラグレイヤとレグナドルトの対立の構図が鮮明になったいま、マルセリスの利用価値はかなり高まっている。


「叔父……ドラグレイヤ公がマールにルグヴィアを継がせるかもしれない、ってこと?」


 レニの問いに、オッドは軽く首を振る。


「政治のことはわからねえ。俺たちみたいな人間は、命令されたことをするだけだ」

「その命令にマールに危害を加えるようなことは含まれていないんだね?」


 オッドは特に動揺する様子もなく、レニの問いに答える。


「殺す時は早めに決断する。見張るなんていう手間はかけない。俺が見張りにつけられたっていうことは、雲の上のお偉いさんが先生を生かしておくことに決めたっていうことだ」


 オッドの言葉に、レニは内心で頷く。

 殺すつもりならとっくに殺しているだろう、ということに加えて、レニの中にはある直感があった。

 オズオンはマルセリスと同席している時は、どこか居心地が悪そうに見える。そんな自分にひどく苛立っているが、その苛立ちをどう表していいかわからないゆえのふて腐れた感じが常にあった。

 人間たちのことわりなど歯牙にもかけない狂暴な野獣のようなオズオンが、マルセリスの前では多少でも人がましく見えるのは、オズオンの中で唯一この姪だけが人の情を呼び覚ます人間だからなのだろう。

 オッドが見張りにつけられたのは、恐らくマルセリスを利用しようとする人間を寄せつけないための護衛の意味が大きい。

 そう判断がつくと、レニは体から力を抜き構えを解いた。

 その姿を見て、オッドは言った。


「ボスの下について初めてわかったよ。お前がどれだけ強いか。お前がその気になれば、今の俺じゃあ抵抗も出来ずに息の根を止められるだけだろうな」


 だけど、とオッドは続ける。


「俺はこの先、もっと強くなる。いつかお前よりも」


 何を言っていいか分からず唇を噛んだレニを見て、オッドは言った。


「レニ、お前には感謝している。俺はお前に会ったおかげで、あのクソッタレな世界から脱け出せた。俺が今いる場所はお前に言わせれば『もっと暗い世界』なのかもしれない。それでもここなら俺は強くなれる。力をつければ上へ行ける」

「そっか」

「礼を言っておく。これで貸し借りナシだ」

「うん」


 レニはジッと目の前に立つ少年の姿を見つめる。オッドの金褐色の目は、自分を通り越して遥か先を見ていた。

 それがレニにとってはどれほど理解出来ない道であっても、オッドは自分で自分の生き方を決めたのだ。

 もしかしたら、いつかオッドと真剣に戦わなければいけない日が来るかもしれない。

 でも今は……。


「オッド、マールのことをよろしくね」


 胡乱そうな顔つきになったオッドに、レニは笑顔を向ける。


「マールは落ち着いて大人みたいに見えるけど、ひとつのことに夢中になると意外と突っ走っちゃうからさ。オッドが傍に居てくれたら安心だな」

「かもな」


 オッドはちらりとマルセリスがいる部屋のほうへ目をやって呟く。

 その様子を見て、レニはクスリと笑った。


「旅に出てもまた戻ってくるね、学府に。マールと……オッドに会いに」


 レニの言葉にオッドは愛想のない顔つきのまま、「ああ」と呟いた。



3.


 その夜、レニとリオ、コウマはマルセリスから招かれて、マルセリスの私室でささやかな再会の宴を開いていた。

 夜もだいぶ深まり、マルセリスとレニがする子供の頃の話に耳を傾けていたリオは、ふとコウマが部屋の中にいないことに気付く。

 リオは立ち上がると、戸を開けて露台へ出た。露台の柵にもたれて空に浮かんだ月を仰いでいるコウマの背中に、リオは声をかける。


「寒くないですか?」


 コウマが振り返って笑ったのを見て、リオは側に歩み寄った。

 少し距離を開けて隣りに並び、柵の上に置いた自分の手を見つめたまま言った。


「コウマ、あの……この前のことなんですが」

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