第180話 リオとの再会・2


 放っておくとずっと抱擁していそうなため、エリカは扇の奥でコホンと咳払いをすると二人に歩み寄る。

 最前までの負の感情はどこかにしまわれ、顔には優しげな笑みが戻っていた。


「母さま」


 エリカが近寄ってくると、レニは多大な喜びで頬を上気させながらもわずかな戸惑いも見せて母親のほうに向き直る。

 レニが口を開くよりも早く、エリカは言った。


「驚いたわ、エウレニア。あなた随分、寵姫さまと親しいのね」

「え……う、うん」


 レニはエリカがどこまで知っているのかと、探る眼差しになる。

 レニを腕から離した後も、リオはその服の裾を手に取ってジッとしていた。

 レニはその気配を感じて、さりげなく話を逸らす。


「でも、びっくりした。寵姫さまがここにいらっしゃるなんて思わなかったから。母さまがお呼びしたの?」


 エリカはパシッと音を立てて扇を閉じたため、レニは口をつぐむ。

 微かな緊張が漂う中で、エリカは抑揚のないゆっくりとした声で言った。


「……何だか、さっき、寵姫さまを別の人の名前で呼んでいたみたいだけれど。『リオ』?」


 母の問いに答えようと口を開きかけた瞬間、服の裾を掴むリオの手にほんのわずかに力がこもったのを感じた。

 レニは思い直したような振りをして、心に浮かんだこととは別の答えを口にする。


「寵姫さまとは、王宮にいた時に仲良くしてもらっていたんだ。その時に『お姉さんみたいに思ってもらえたら嬉しい』って言って下さったから、二人のときはリオ兄さまの名前で呼んでいるの。『リオ』っていう名前は、女の人でもいるから。ごっこ遊びって言うかな。そんな感じだけど」

「そう」


 エリカはまだ何となく疑わしげに、二人の様子をジロジロと眺める。

 エリカの後ろに控えていたシンシヴァが、不意に口を開いた。


「『姉代わりに』と言われたのですか? 寵姫どのが?」


 リオの手が小刻みに震え出したのを感じて、レニはハッとする。

 シンシヴァが控えめな様子を装いながら、表情を観察しているのを感じる。レニは、相手の眼差しの抜け目なさに何ひとつ気付かない振りをして言った。


「年は私が上だけれどそそっかしいし、寵姫さまに甘えていたからね。寵姫さまは落ち着いていてしっかりされているから、『姉』って言われたんだと思うんだ」


 そうですよね、寵姫さま。

と、レニは自分の後ろに俯いて寄り添うリオに言った。リオはわかるかわからないかくらいに、微かに首を頷かせる。

 シンシヴァはそんな二人の様子を観察しながら口を開く。


「寵姫どのは国王陛下にお仕えする身でもあり、妃殿下とは個人的に親しいご友人でもある、とこういうことでしょうか」

「今は陛下は私を信頼して下さっている。でも、私が帝位についていたときはそうじゃなかった。あの頃の陛下の立場としては無理もないけれど。陛下はそのことを私に詫びて、いい友人でいて欲しいと言って下さったんだ」


 レニは鋭い眼差しでシンシヴァの顔をる。


「シンシヴァさん、王族の私的な事情に立ち入りすぎじゃないかな? あなたが私と寵姫さまの関係を不思議に思うのは無理はないと思う。だからと言って、それをそのまま口に出していいとは限らないよね?」

「ご無礼をいたしました。お許しください、妃殿下」


 シンシヴァは恐縮して引き下がる。その態度には見せかけの演技だけではないものが含まれていた。

 レニは先ほどから口をきかず、無表情に立ち尽くしているエリカのほうを向く。


「母さま、寵姫さまと少し話してもいい? お会いするのは久しぶりだから」

「ええ、もちろん」


 エリカは頷いた。その唇が、緩慢に笑みの形を作る。


「もちろんよ、エウレニア。ゆっくり話してきてちょうだい。そのために寵姫さまをお招きしたのだから」


 レニは半ば安堵したように半ば嬉しそうに破顔した。

 リオのほうを振り返ると、その手を取って東屋の中へ入っていく。

 既にお互いしか見えない、という様子の二人を、エリカはしばらく眺めていた。

 そうして何も言わずに踵を返す。


「妃殿下は、寵姫が男であることに気付いておられないようですな」


 オズオンの言葉は、ただの憶測に過ぎなかったのではないか。

 シンシヴァは案にそういう意味を含ませて言った。

 エリュアでは男女両方の愛人を持つことが上流階級では粋なことと言われるほど、同性同士の恋愛関係も珍しくない。だが、それは大陸の中では稀な価値観だ。

 北方では同性愛はおろか、異性装でさえ未だに忌まれている。

 シンシヴァが見るところ、レニは帝王教育を受けた以外はごく平凡な価値観と感性の少女だ。寵姫に対しても「お姉さん代わりの友達」という、端から見れば皮肉な笑いが浮かびそうな子供っぽい感情以外は持っていそうには見えない。

 寵姫の存在によって、王都に戻るというレニの決断に迷いが生じるかもしれない。その可能性に対する心配は、杞憂きゆうではないか。


 そういった自分の考えを述べようとした瞬間、シンシヴァはハッとする。

 隣りを歩くエリカの眉間には皺が寄り、こめかみには青い筋が浮きピクピクと痙攣していた。扇が砕けるのではないかと思うほど手には力がこもり、血の気が失せろうのように白くなっている。

 エリカは紅い唇を震わせて、目の前にない何かを凝視したまま呟いた。


「リオ……『リオ』ですって?」


 呟くエリカの緑の瞳には、強い怒りが揺れていた。

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