第181話 何故です?
10.
エリカとシンシヴァが去り、レニとリオは東屋に二人きりになった。余りに色々な思いが溢れすぎて逆に何から口にしていいのかわからないように、二人はお互いの姿をチラチラと眺め、何かを畏れるように顔を伏せるということを繰り返す。
やがておずおずとした様子でレニが手を伸ばし、リオの白い指先が触れた。
一瞬、電流でも流れたかのように手を引きかけたが、やがて思い切ったようにリオの白い手の上に自らの手をのせる。
そこから伝わってきた懐かしい温もりに勇気づけられて、レニはようやく怖々と口を開く。
「リオ……元気だった?」
リオは返事をせず、わずかに
言葉よりも雄弁なリオの態度に、レニは顔を赤くした。だが沈黙することが怖く、何とか平静を装って言葉を続けた。
「ここには母さまに呼ばれて来たの?」
「はい。……レニさまがいるからと言われて参りました」
「そっかあ、びっくりしたよ。リオがいるって思わなかったから」
再び沈黙が流れそうになって、レニは慌てて言った。
「ここに来る前にね、ルカに会いに行ったんだ」
「ルカさんに?」
リオが顔を上げたことにホッとして、レニは身を乗り出す。
「そう。それでね、ルカは塾に行き始めていたんだけど、その塾の先生が誰だったと思う?」
レニは、塾の先生が二人がキャラバンで旅をした時に知り合ったソフィスだったことをかいつまんで話した。
「ソフィスさまが?」
リオはさすがに驚いたように目を見張った。レニは嬉しそうに頷く。
「うん。あの時言っていた通り、街で塾を開いて子供に勉強を教えるようになったんだよ」
リオとの間にあるごく薄いが確かに存在する障壁を何とか消そうとするように、レニは殊更明るい声で続ける。
「リオが学府に入れることになったって言ったら、凄く喜んでいたよ。学長のクレオさんなら、絶対にリオの才能を見抜くはずだって思っていたって言っていた。イリアス様に頼めば、学府に行かせてもらえるんじゃないかな。ねえリオ、頼んでみたら……」
「レニさま」
いささか陽気すぎる声で話をしていたレニは、不意に名前を呼ばれて口をつぐむ。
いま、リオは真っ直ぐにレニの顔を見つめていた。普段の優しげで控えめな様子がなくなり、強い意思を
リオは、驚くほど強い力でレニの手を握りしめる。
「太后陛下と一緒に王都に戻られる、というのは本当ですか?」
「う、うん……」
躊躇いがちに頷くレニの顔を強い眼差しで捉えたまま、リオは言った。
「何故です?」
「何故って……」
何故かリオの眼差しを受けとめることが出来ず、レニは落ち着かない気持ちであちらこちらに視線をさまよわせる。
リオはそんなレニを捕らえ、しっかりと捕まえておくようにレニの姿に、ピタリと視線を当てる。
「レニさまは、この世界を旅をするのが夢だとおっしゃっていました。その夢はどうなるのですか? 東方世界も南方世界も行って、世界の果てを見に行くのではなかったのですか?」
「それは……そのう」
「王都に戻れば、一生あそこで過ごすことになります。レニさまはそれが嫌で、自由になるために外に出た。そうおっしゃっていたではないですか」
「え……う、うん、そうだけど……」
レニは余りに強いリオの眼差しに戸惑いながら口ごもる。一体何がリオの心を捕らえているのかわからなかった。これほど激しい感情をリオから直接ぶつけられるのは、初めてだった。
「そのう、母さまが……母さまがこれからずっと私といられる、一緒に暮らせるって喜んでくれているんだ。だから……私」
口ごもりながらたどたどしく言葉を紡ぐレニを見て、リオは顔を下に向ける。
「リ、リオ……?」
余りに長くリオがそうしているため、レニは不安にかられ、長い髪に隠された顔を伺おうとした。
その瞬間、美しく彩られたリオの唇が開かれた。
「太后陛下は……本当にそう思われているのでしょうか?」
「……え?」
リオは顔を上げた。緑色の色合いが混じった瞳には、訴えるような切実な光があった。
思わず首を振り身を引こうとするレニの手を引き留めるように、強い力で掴む。
「リ、リオ……」
「太后陛下は長い間、あなたのことを疎んじていた。あなたの兄君が亡くなった時も夫に忌まれて誰からも放っておかれていた時も一人で祖父君と戦わなければいけなかった時も……あなたが一番助けが欲しかった時、ずっと一人でいなければならなかったあなたに……あのかたは会いに行くことはおろか、ただ一度も優しい言葉すらかけては下さらなかったではないですか」
「そ、それは……その、色々事情があったんだ。母さまもたくさん嫌な思いをしたから、それで……」
「あなた以上に、ですか?」
鋭い声で問われて、レニは体をビクリと震わせる。リオはレニの両腕を掴み、声を荒げた。
「兄君に祖父と戦うように教え込まれて、その兄も反逆者として殺され、傀儡、独裁者の孫として蔑まれながら、一人でその独裁者を倒さなければならなかった。そのあなた以上に、あなたの母上は辛い目にあったのですか? 自分の娘をあの宮廷に置き去りにして一度も顧みることが出来ないほど、傷ついていたと言うのですか?」
「リオ……止めて」
ハシバミ色の瞳を大きく見開き、震えながら両耳を塞ごうとするレニの手首をリオは掴む。
月の精霊と讃えられるほど美しい姿のどこにそれほどの力が眠っているのかと思うほど、その力は強く荒々しかった。
「レニさま、目の前のものをちゃんと見て下さい。太后陛下は、あなたのことを愛してなどいません。元々何の愛情もなかった……今だって、そうだ。あなたのことなど、何も考えていない! ただ利用しようとしているだけです。あなたの心を……あなたがずっと母君を慕って、求めていたその気持ちを!」
「止めてよ!」
レニは大声で叫び、リオの手を振り払った。余りに強く払ったため、リオの細い体はよろめく。
レニはハッとして、慌ててその体を支えた。
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