第178話 どこにも行けない。

8.


「大公殿下がお前のことをご所望だ」


 夜が深まった時刻。

 シンシヴァは、涙玉宮の中で与えられている私室にいた。

 絶え間なく水音が流れる部屋の、広い豪奢な寝台の中で自分の腕の中にいる者の体を撫でる。

 シンシヴァの浅黒い腕の中では、激しい行為によって肌を濡らし終えたばかりのリオが荒く息をついていた。たわむれに手を動かすたびに微かな声を漏らすリオの美しい顔を、シンシヴァは覗き込む。


「お前、あのかたとも関係があったのか?」


 否とも応とも答えず顔を背けたリオを見て、シンシヴァの心に不意に怒りが浮かんだ。それはシンシヴァ自身も戸惑うほど、強いものだった。

 意思の力で何とかその怒りを抑えつける。表情を嘲りで歪めると、背けられた白い顔を強引に自分のほうへ向かせた。


「生まれながらの淫性いんせいだな。男と見れば見境なくくわえ込み、腰を振るのか」


 言葉と同時に、シンシヴァはリオの黒く長い髪を掴み顔を仰向けさせた。

 シンシヴァが部屋に戻ってから、もう何刻もリオはその欲情を……そしてその底にみなぎる激しい怒りを受け止めている。

 美しい花を愛でるように接した昨晩とは別人かと思うほど、その行為は粗暴で執拗だった。

 事を行う時、リオの美しい顔は歪みながら、男から与えられる苦しみを求めているような劣情がしたたる。

 強引に思い通りにしているのに、欲情を相手にぶつけることでその欲に自分自身がむしばまれていくような感覚があった。

 リオに愛情めいたものすら感じているのに、心の中が残忍さに支配されていき、自らの意思では止めることが出来ない。

 この美しい寵姫の前では自分が自分ではない嗜虐しぎゃく的な支配者へと変貌させられるような恐怖と、そのことに対するえもいわれぬ快感の両方に捕らえられる。

 なるほど、このモノを抱いた男たちは、恐らくこの深い泥沼に引きずり込まれ狂わされ、そこから抜けられなくなるのだ。

 オズオンに体を許したことを言葉でなぶりながら、シンシヴァはそんなことを考える。


「寵姫、大公からなるべく有用な情報を引き出せ」


 疲労のために虚ろな目をしているリオの耳元で、シンシヴァは囁く。


「奴の目論見、考えていること、弱み。何でもいい、わかったら私に知らせろ」


 微かに開かれている口元や汗に濡れた体を見ているうちに再びわいてくる欲望を抑えながら、シンシヴァは言った。


「あとはあの娘だ」


 シンシヴァは、自らの身の内にわいた怒りに囚われまいとするために、殊更皮肉な口調で付け加える。


「お前は王妃殿下とも懇意だそうだな? 男娼の手管でたらしこんだのか?」


 切れ切れと否定の言葉を紡ぐ口を、シンシヴァは強引に塞ぐ。そうしながらリオの耳元で囁いた。


「王妃は、太后陛下と共に王都へ戻ることになった。出立の前に……」

「も……どる?」


 従順に口づけに応えていたリオの目が、不意に緑色の輝きを帯びる。

 シンシヴァはハッとする。

 その顔は先程までの意思のない人形のものではなかった。

 シンシヴァは、目の前に表れた緑の光を魅せられたように見つめる。まるでその強い眼差しに呪縛されたように目を離せず、言葉を紡ぐことが出来ない。

 しかし次の瞬間、そんな自分に対して強烈な苛立ちがわき、リオの細い体を突き飛ばし荒々しく組み敷いた。

 腕の下に治まったリオは、先ほどまでのただ欲情に組み敷かれ支配されているだけの者とは違う存在に見えた。開かれた唇は声にならない声で誰かの名を呼び、シンシヴァが抑えつけている手は誰かに求めるように微かに動いている。

 言葉をかたどろうとする淡紅色の唇を、手で乱暴に押さえつける。腕の下に弱々しいが確かな抵抗を感じ、シンシヴァは笑った。


「そんなに会いたければ会わせてやる。妃殿下が、本当に王都で幽閉されて生きていくつもりかどうか探ってこい。そうだとしてもお前はついて行くことは出来ないがな」


 シンシヴァは透けるような白い首筋に唇を当てると、リオが微かな悲鳴を上げるほど強く噛み吸った。


「お前はどこにも行けない。ここに……私につながれて、死ぬまで慰み者でいるのだ」


 おかしくてたまらないと言いたげに、シンシヴァは笑う。


「お前は結局戻ってきた。自分を作った場所に。お前が従うべき運命に」


 そう言うと、自分の下から必死に逃れようともがく体の上に再びのしかかった。

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