第177話 オズオンとエリカ

7.


 応接間からレニが退出した半刻後、エリカは同じ場所で王宮からの使者を迎えていた。

 つい先ほどまでレニが座っていた椅子に、ぞんざいな態度で座っている男に、エリカは素っ気ない声で伝える。


「エウレニアは、私と一緒に王都に来るそうよ」

「マジかよ。どんな茶番を打ったんだ?」


 男はおかしくてたまらないと言いたげな、あからさまな嘲笑で顔を歪める。

 エリカは不愉快そうに形のいい眉を吊り上げて言った。


「あなたが言ったように寵姫を呼び寄せたけれど、そんなことをするまでもなかったわ、オズオン」


 エリカに言われ、オズオンは薄笑いを漏らした。


「あのチビは自分が気に入っている奴が絡むと頭がお花畑になるが、それにしても信じらんねえな。生まれた時から自分のことをほっぽっといた母親が、実は愛情深い母親だったなんていうアホみてえな話、五歳のガキでも騙されねえがな。それとも何か? 顔を見たら腹を痛めた時のことでも思い出して、情がわいちまったのか?」

「そうね」


 エリカは低い声を吐き出す。押さえつけられた感情が抵抗するように、こめかみがひきつれ細かく痙攣している。


「誰でも彼でもあなたのように、父親も友達も裏切って笑っていられるわけじゃないわよ」


 オズオンの黒い瞳に剣呑な光が浮かぶ。目の前で気に触ることをされた野獣のようにゆっくりと立ち上がった。

 わずかに気圧されたように身動ぎしながらも、エリカは身を起こしかけたオズオンから目をそらさずにいた。

 シンシヴァが無言でエリカの前に出る。

 オズオンはしばらく二人の姿を眺めていたが、乱暴に椅子に腰かけると再び笑いを浮かべた。


「おい、売女ばいた。口のききかたには気をつけろよ。俺の気分次第じゃあ、お前の太后位を剥奪して国を売った女として首をはねることもできるんだぜ? 俺をめようとしたことを忘れたとは言わせねえぞ」

「そう。レグナドルトやメリサリシュも同じ意見だといいわね」


 敵意に満ちたエリカの反駁はんばくに、オズオンは鼻を鳴らし何か言いかける。だが考え直したように別のことを言った。


「そうツンツンするなよ。お前の娘のチビガキを王妃殿下、オルムターナの女大公殿下としてちゃんと見張って王都に閉じ込めておけるって言うなら、全部水に流してやろうって言葉に嘘はねえよ」

「そしてエウレニアに子供が生まれたら、その子がザンムル王国もオルムターナも継ぐ。あなたは摂政大公として、ザンムル、ドラグレイヤ、オルムターナを支配するっていう寸法ね」


 エリカはチラリとオズオンのほうへ視線を向け、呟いた。


「あなたのその楽しい夢のためには、国王はずいぶん早く死ななくちゃいけないみたいだけど」

「おい」


 オズオンは低い声でエリカの言葉を遮り、闇のように深く底が見えない瞳を、僅かに細めた。

 エリカは悪寒に教われたように我知らず身を震わせる。


「ひとつ教えてやるよ。自分てめえのおつむの良さをひけらかしたくなったとしても、宮廷じゃあ止めておけ。俺の周りで、ちょっとでも気のきいたことを言う奴はみんな親父に殺された。自分の頭で物を考えて喋る奴は、他にどんな利用価値があったとしても消しておくにこしたこたあねえ。俺は、親父からそう学んだ」


 エリカの横顔が強張っていく様子を見ながら、オズオンは低い笑い声を立てる。


「アイレリオの奴も、それで消された。お前はここに引っ込んでいたから、あいつがどうやって死んだか知らないだろうがな……」

「止めて」


 エリカは悲鳴のような声を上げ、オズオンの言葉を遮った。

 身を守るかのように、固く己が身を抱きしめる。茶色の髪がかかる横顔は、血の気が引き白くなっていた。


「……アイレリオのことは言わないで」


 オズオンは唇を舐めて笑った。


「最初からそうやってしおらしくしておけよ。大人しくしてりゃあ元女帝の母親、太后陛下さまとしてそれなりに扱ってやる」

「あなたたち男に都合がいいうちは、でしょ」


 エリカは口の中で呟いた。これまでにあった傲慢さはなくなり、どこか虚ろな小さな声だった。

 オズオンはエリカの言葉を鼻で笑う。


「あの生意気なチビも、そうしつけておけ。俺の邪魔さえしなけりゃあ、お前らがどうしようが知ったことじゃねえ。ジヴベール塔かどっかの屋敷で仲良く親子ごっこでもやってりゃあいいさ」

「あの子と一緒に暮らすなんてごめんよ」


 嫌悪のこもったエリカの言葉に、オズオンは興味がなさそうに答える。


「好きにしろ。お前はあいつが子供を産むまで逃がさなけりゃあそれでいい。ああ、あと気をつけろよ」


 オズオンは下品な笑いを漏らした。


「万が一にもあのチビが、国王以外のガキを作らねえようにな。その相手が自分の男妾おとこめかけだと知ったら、さすがにあのお上品な坊っちゃんも何をするかわからねえぞ」

「失礼ながら」


 エリカの脇に影のように控えていたシンシヴァが、不意に口を出す。

 ゲラゲラと笑っていたオズオンは、意外そうに口をつぐみ、補佐官の端整な顔に視線を向けた。


「本当なのでしょうか? 妃殿下と寵姫どのが、ただならぬご関係にあるということは」


 大公殿下のお言葉を疑うわけではございませんが、とシンシヴァは静かな口調で付け加えたが、その表情と語調は言葉とは真逆のものだった。

 オズオンはしばらくシンシヴァの表情を観察していたが、その黒い瞳に獲物をいたぶる獣のような残忍な光が浮かんだ。


「そんなもの、あいつらを会わせてみりゃあすぐにわかるだろ。それとも何だ、会わせたくない理由でもあるのか」

「特に会わせることが、太后陛下のおためになるとは感じませんが」

「太后陛下さまにとってじゃねえ、お前にとってだよ、補佐官どの」


 シンシヴァは一瞬黙ったが、すぐに抑揚のない丁重な口調で返す。


わたくしの判断はすべて、太后陛下にとって物事が良き方向にいくためのものです」


 オズオンは皮肉な目付きでシンシヴァの姿を眺めたあと、不意に言った。


「あの男妾はお前のところにいるのか」


 返事をしないことで肯定を表したシンシヴァの顔を、オズオンは悪意に満ちた笑いで撫でる。


「明日、俺のところに寄越せ」


 エリカとオズオン二人が注視する中で、シンシヴァは言った。


「あの者は、太后陛下より褒美としてたまわったものです」

「おいおい、何も取り上げようって言うんじゃねえんだぜ? 少し味見させろ、って言っているだけだ」

「シンシヴァ、言う通りにしておやりなさい」


 エリカはとにかくオズオンから一刻も早く離れたいという思いを露わにして言う。


「どうせあの者は王都に戻れば手打ちになるだろうから、この男だって連れて行けやしないわよ。お前が気に入っているなら、私たちが王都に行ったあと、ここに残してお前の手元に置けばいいでしょう。エウレニアと寵姫がどういう関係かは知らないけれど、お前がここで寵姫を囲えば二度と会うこともないでしょうし」


 シンシヴァは、無表情のまま悪意が瞬くオズオンの黒い瞳を見つめていた。だがやがて視線をそらし、了承のしるしに頭を下げた。


「明日の夕刻に、殿下の下へ差し向けましょう」

「お前、奴隷上がりか? もしくは親父か先祖が奴隷か」


 オズオンは自分の前で頭を垂れている浅黒い肌の男の姿をジロジロと眺める。


「奴隷同士、あの淫売と気が合ったのか? ああ、合ったのは気じゃなくてナニのほうか」


 笑い声を上げるオズオンの顔を、シンシヴァは黒い感情の浮かばない瞳で見上げた。


「殿下のお生まれは、下働きの者のためのかわやと聞いております。なかなか気が合うかたを見つけるのは難しそうですな」

「何だと?」


 オズオンは顔に笑いを貼りつかせたまま、瞳をギラつかせた。


「おい、もう一度言ってみろ」

「いい加減にして」


 エリカは強く目をつぶり、うんざりしたように額に手を当てる。


「オズオン、話は終わったわ。もう満足したでしょう? 何でもあなたの言う通りにするから、早く出て行ってちょうだい。あなたの笑い声を聞くと、頭がガンガンする」

「人に国王殺しの罪を被せようとした女が、満足したでしょうだあ? よく言うぜ」


 オズオンは嘲るように吐き捨てて立ち上がる。

 顔を扇で覆っているエリカと目を合わせないように頭を下げているシンシヴァを半ば満足げに半ば馬鹿にしたように一瞥すると、部屋から出て行った。

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