第112話 襲撃


 外廊を駆けると、先ほどフレイと話をした部屋の入口が見えてくる。

 扉の横の壁に張りつくようにして三人の人間が、中の様子を伺っていた。闇に溶け込むような黒い衣服を身に纏い、顔を覆い隠したその姿は、明らかに宮廷の人間ではない。

 

 視界の中にはその三人しかおらず、仮に仲間が庭に潜んでいたとしても、当面は外廊を囲う壁が侵入を防いでくれる。

 駆けながらそう状況を見極めると、レニは腰からナイフを抜き、体勢を低くして一番近くにいた人影の懐に飛び込んだ。


 レニの出現は予想していなかったにも関わらず、長身の人影はすぐに抜き身の剣を構えて正面を向く。

 明らかに訓練されている人間の動きだ。


 相手が注視している右手の剣を、レニは巧妙に動かす。訓練された人間であればあるほど、視線は武器の動きを追うことはわかっている。

 相手の視覚を誘導しながら、レニは左ひじを尖らせ、相手の胸を下から突き上げるように打った。相手の呼吸が一瞬、止まったのを見計らうと今度はナイフの柄で喉元の骨を狙い渾身の力で突く。

 内臓が口から飛び出たかのような声にならない声が、人影の口から洩れる。


 人影が崩れ落ちると、レニの小柄な体を守るものは何もなくなる。その瞬間を待っていたかのように、針のような尖らされた刃が顔に向かって伸びてくる。

 レニは、さらに体勢を低くし切っ先を裂け、逆に前方に伸びあがるようにして相手に体当たりをくらわせた。


「チビ、そいつを押さえていろ!」


 後ろから飛んできたオズオンの声に反応して、レニは襲撃者の喉元を体重をかけるようにして腕で抑えつける。

 レニの体に細剣を突き立てようとした襲撃者の手を、オズオンが蹴り飛ばし、容赦のない力で踏み砕いた。

 ゴリっという骨が破砕する音が響き、襲撃者はレニの体の下で声にならない悲鳴を上げた。

 それには構わず、オズオンは抜き放った剣を残った三人目の襲撃者の体に叩きつける。襲撃者が吐き出した赤い唾液が、レニの体にも降り注いだ。


 相手が繰り出す細剣の切っ先などお構いなしに、オズオンは嗜虐的な笑いを浮かべて相手の体にただひたすら剣を叩きつける。護衛用というには余りに無骨で人を叩きのめすことに向いたその武器の乱打を受けて、襲撃者は剣を取り落とした。


「誰かいないかっ! 曲者だっ! 誰か!」


 レニは、襲撃者を押さえたまま、大声で辺りに呼ばわる。

 その声を聞くと、三人目の襲撃者は武器も仲間も顧みることなく、外廊の壁を乗り越え、ひらりと暗い庭の中に逃げ込んだ。


「ふざけやがって。逃がすかよ」

「叔父さん、逃げた奴のことは警備兵に任せて、こいつらを」


 庭に出ようとしたオズオンはレニに鋭く制されて、面白くなさそうに舌打ちする。

 腹立ちまぎれに、喉を押さえてのたうちまわっている襲撃者の腹を蹴り飛ばすと、そのまま腹を足で乱暴に押さえつけた。


「叔父さんの兵は? 護衛は連れていなかったの?」

「馬鹿か。宮廷で、んなもの連れているわけねえだろ」


 レニの問いに、オズオンは唾でも吐きたそうな顔で答えた。

 オズオンは敵であれ味方であれ、他人を信用していない。この男にとっては、己が身ひとつでいて自分の力のみに頼ることが、最善の状態なのだ。宮廷から離れた場所に行くときでも、必要最小限の随員しか連れて行かない。

 群れを作らない狼のように、常に一人で誰にも知られずに動く。

 それは囚人上がりの将軍の庶子として生まれ落ちた時から、その後、ついに王国の最高権力者なった今でも変わらない。


 レニはそれ以上は言葉を重ねず、腕に力を込めさらに襲撃者の喉を締め上げる。

 苦しげに開かれた刺客の口の中が月明かりに照らされた瞬間、レニは僅かに瞳を見開いた。


「どうした?」


 オズオンに問われて、レニは呟く。


「舌が抜かれている」


 ほの明るい空間の中で浮かび上がった刺客の口腔内は、黒々とした空洞が空いているだけだった。


「喋らねえようにか」


 厄介だな、とオズオンは忌々し気に吐き捨てた。

 その時。

 

「レニさまっ!」


 不意に懐かしい声が響いた。

 レニは大きく瞳を見開き、そちらを振り返る。

 小月宮と大公宮を結ぶ回廊を、自分のほうへ向かって必死に駆けてくる細いしなやかな姿が目に入った。


「リオ……」


 レニは顔を上げて、その姿を見つめる。

 一体、自分は何をしているのだろう。

 不意にそんな思いが、レニの心を強く捕らえた。


 何故、この忌まわしい場所に戻ってきてしまったのだろう。

 何故、こんなことをしているのだろう。

 色々なものを見て、飲んで食べて騒いで、気の合う人たちと出会って別れて旅をする。

 何よりもリオと一緒に旅をして、リオを愛し守る自分こそが本当の自分なのに。


 一体、なぜリオから離れ、自分とは何の関係もない場所にいるのだろう。なぜ、自分にとって何の意味もないことをしているのだろう。


(リオ)

(リオ、また一緒に旅に……)


「おいっ! 馬鹿が! ぼんやりするな、チビ!」


 オズオンの苛立たしげな怒声が、夢想の中を漂うレニの意識に叩きつけられた。

 レニがハッとした瞬間、押さえつけていた刺客がレニの体を渾身の力で突き飛ばす。


「レニさま!」


 その様子を見ていたリオが、美しい顔を蒼白にさせてレニのほうへ再び駆け寄ろうとする。

 レニは瞬間的に、顔と腹を庇うために両腕を盾にし体を縮めた。

 どうあっても反撃は受けるのであれば、腕を犠牲にしても動けなくなるような致命傷を受けることは避けなければならない。

 衝撃と痛みに備えて、レニは全身に力を込める。


 だが。

 確実に打撃を与えられる状態にありながら、刺客はレニに襲いかかることなく、身をひるがえして庭につながる回廊へ走り出た。

 レニはハッとしてそちらを見る。

 

「リオっ!」


 刺客は小月宮から出てきたリオのほうへ真っ直ぐに向かい、その体を捕らえた。襲撃者の左手には、先端が針のように尖ったナイフが握られており、その切っ先はリオの透き通るような細く白い首筋に当てられている。


「寵姫さまっ!」

「だ、誰か、誰か!」


 リオを追いかけてきたのか、小月宮から出てきた侍女たちが次々に悲鳴を上げる。

 侍女たちの悲鳴を聞きつけ、小月宮から警備兵が飛び出してくる。

 小月宮に配置されている警備は、「兵」とは名ばかりで、儀礼や作法に通じてはいるが実戦には疎いものが多い。

 不測の事態に対応することが出来ず、ただ遠巻きに賊を威嚇するだけだ。


「構うことはねえ、捕らえろ!」


 賊を押さえつけているオズオンが、苛立ったように大喝する。

 その声に反応したのは、兵よりも襲撃者だった。リオを腕の中に拘束したまま、庭の中に逃げ込む。


 レニは起き上がると、回廊に飛び出る。


「すぐに各門の警備所に連絡して。警護を固めて、誰も外に出さないように。後宮に使いを。警備を最大限、厳重にして、特に陛下のご寝所には誰も近づけないように言って」


 手近にいる兵や侍女に素早く指図すると、レニは襲撃者を追って庭に駆け込んだ。

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