第111話 会談の終わり
8.
宰相ヴァレンとの会談の日時は、自分が設定する、というフレイの申し出にレニは頷いた。
「ヴァレンとも、寵姫とも打ち合わせしなければならない。少し時間が欲しい」
フレイがリオのことを口にするたびに、レニの胸には鋭い痛みが走る。
だが同時に、「リオに会うことが出来る」という喜びが胸の中で膨らむ。
少しでも二人で話すことが出来れば。
この騒ぎが落ち着いたら、今度こそ王宮とは完全に縁を切って、二人で旅に出よう。
そう伝えることが出来る。
それまでの辛抱だ。
リオと別れてから何度も自分に言ってきたことを、レニは心の中で繰り返す。
「ヴァレンと話がつき次第、後宮の貴女の下へ使いを送ろう」
「宰相は、話に乗ってくるかな?」
躊躇いがちなレニの問いに、フレイはうっすらと笑った。端整な顔が驚くほど、冷ややかな印象になる。
「ヴァレンも貴女がどこまで何を知っているか、何を考えているか知りたいだろう。だがもし、乗ってこないのであれば、乗らざるえないように話を持っていけばいい」
「……どうやって?」
フレイは無言で笑っただけだった。
態度は穏やかで人当たりは柔らかいが、自分が下した判断が妥当だと考える限りは、他人がこの貴公子の考えを覆すのは容易ではないようだ。
「ではレニどの、また」
フレイは立ち上がり、レニの手を取る。
退室を促す合図だ、と分かりつつ、レニは口を開いた。
「フレイは? まだここにいるの?」
「私は少し残る」
「危険じゃない?」
「危険?」
レニの言葉に、フレイは水色の瞳を細めた。
「危険、とは?」
「大公宮には、今はほとんど人がいないから、もし何かあったら」
不安げなレニの言葉に、フレイは笑った。
「心配は無用だ。こう見えて、腕に覚えはある。宮廷の建物についても、刺客よりも私のほうが詳しい」
尤も、とフレイは付け加えた。
「どちらも貴女ほどではないかもしれないが」
なおも不安げなレニの肩に、フレイは宥めるように手を置く。そのまま肩を抱くようにして、扉のほうへ導いた。
「大丈夫だ。レニどの。私は自分の面倒は自分で見れる」
「でも……」
なおも逡巡するレニを、フレイは丁重に、しかし有無言わせぬ仕草で扉の外へと誘う。
「では、また」
フレイはレニの体から手を離すと、自分は室内に戻り扉を閉めた。
「あっ、あの……」
レニの声を遮るように、扉が閉まる音が響く。
一人月明かりが射し込む外廊に残されたレニは、しばらく閉められた扉を見つめていた。
だがホッと息を吐くと、後宮へ向かい歩き出す。
辺りはシンと静まりかえり、誰もいない。
祖父グラーシアによる国の簒奪、その後のグラーシアの死と新王権の樹立、五十年の間、国が揺れ動いため、現在の宮廷の体制はにわか作りのものだ。
現国王イリアスに親族がほとんどいないこともあり、宮廷の中でも政務を行う青月宮と国王と王妃が住まう後宮以外の場所は閉ざされている。
誰もいない大公宮を歩いていると、遥か昔に滅んだ国の遺跡にいるように思える。
大公宮から一旦外に出る出入口近くで気配を感じ、レニは足を止めた。
「何をしているの?」
鋭い敵意に満ちた視線を気にした様子もなく、黒い夜闇から月明かりの下に人影が現れる。
「何をしている? そりゃこっちのセリフだ」
それは、つい数刻前に別れたオズオンの姿だった。
9.
オズオンの口元は人を喰ったような笑いで歪んでいたが、黒い瞳は対象的に抜け目のない光が浮かんでいた。
小柄な姪の姿を油断なく眺めながら、オズオンは口を開く。
「俺と別れてから、随分と時間が経っているな。ここで何をしていた?」
レニは顔を上げたまま、オズオンの顔から視線を逸らし歩き出そうとする。
オズオンの長身が、レニの行く手を遮った。
「答えろ、チビ」
レニは顔を上げた。
オズオンを睨む視線は、剣呑だった。
「叔父さんには関係ない」
「関係ない、だと?」
オズオンの黒い瞳に、気短そうに獰猛な感情が蠢く。
「おい、ふざけるなよ、チビ。今回の件についちゃあ、俺とお前は一蓮托生だ。お前がドジを踏むのを、高見の見物をしているわけにはいかねえんだよ、残念だがな」
「叔父さん、何か勘違いしているんじゃない?」
オズオンの苛立ちなど気にした風もなく、レニは冷たい声で答える。
「今回の件については叔父さんと目的は一致している。でも、私は別に叔父さんと仲良くしたいわけじゃない。本当だったら、叔父さんのためになることなんてひとつもしたくない。だけど、この件が片付くまでは叔父さんのためにならないことはしない。足も引っ張らないし、足元に穴も掘らない。その点については安心してもらっていいよ。私は叔父さんと違うから」
いったん口を閉ざしてから、レニは付け加える。
「何をするか、何を話すかは、自分で判断する。叔父さんみたいな人に、自分の生殺与奪権を握らせるのはお人好しを通り越してただの間抜けだよ。そのことについては賛成してくれると思うけど」
研がれた刃のようなレニの眼差しで顔を撫でられて、オズオンは薄笑いを浮かべた。
「アイレリオのことか。確かにあいつは、超ド級の間抜けだった。死ぬまで、俺があいつと同じように国や大義のために動いていると信じていやがったからな」
悪意に満ちた嘲笑の中に、暗い憎悪が閃く。
「それだけじゃねえ。あいつ、俺のことをひねくれているが根はいい奴だ、親友だと思っていやがった。こちとら、あいつの御大層な理想にも坊っちゃん面にも、反吐が出そうだったってえのにな。笑えんだろ? まああいつを売ったおかげで、俺は親父の信用を得て摂政、ドラグレイヤ大公殿下になれたんだからな。感謝はしているさ。阿呆は阿呆で役に立つこともあるってこったな」
レニの神経をことさら刺激するように、オズオンは挑発的な口調で言葉を並べる。
どうにか冷ややかな侮蔑の表情を保とうとしながらも、レニの目元は抑えきれない怒りで細かく震えていた。
その姿をしたたるような愉悦の眼差しで眺めていたオズオンの顔から、不意に笑いが消える。
体を動かさず、視線だけを周囲に配る。
オズオンの表情の変化に、レニはすぐに気付いた。
複数人の人の気配が、たった今レニが歩いてきた外廊に感じられた。鍛えられたレニの感覚ですら、集中していなければ捕らえることが難しいほど、その気配は巧妙に隠されている。
レニは、弾かれたように後方を振り返った。
頭の中に、先ほど別れたばかりのフレイの姿が浮かぶ。
「おいっ! チビ、お前どこに……」
踵を返して音もなく外廊を駆け出したレニを見て、オズオンは声を上げた。
だがレニがまったく自分の声に反応しないと分かると、舌打ちし、護衛用の剣を抜き放ち、その後を駆け出した。
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