第110話 良かった。


 フレイはレニの反応に気付き、わずかに訝しげな表情になった。だがそのことについては何も言わず、気を取り直したように顔つきを改めて口を開いた。


「レニどの、宰相のヴァレンのことは知っているな」


 フレイの問いに頷きながら、レニはヴァレンの姿を思い浮かべる。

 宰相のヴァレンは一見すると、陽気な道化師のような印象を人に与える。年齢はもう七十近いはずだが、張りのある朗々とした声と小柄で俊敏な身体、人と話すときに生き生きと輝く黒い瞳を持っており、年齢よりもずっと若く見える。

 愛想のいい陽気さと滑稽にさえ見える大仰な言動の陰に、笑顔のまま人を葬れる酷薄さを隠し持つ老獪な男だ。

 レニが祖父グラーシアを討った時に、協力を仰いだのがオズオンと、当時レグナドルト公の名代として宮廷にいたヴァレンだった。


「ヴァレンに会い、レグナドルトの真意を探ってもらいたい」

「フレイは、今回の件はレグナドルトが企んでいると思っているの?」


 レニの問いに、フレイはしばらく考えてから呟いた。


「あなたはどう考えているのだ? レニどの」


 フレイは静かな声で付け加える。


「ドラグレイヤ公は、レグナドルトが黒幕で間違いないと思っているようだが」


 二人の間にしばらく沈黙が流れた。

 薄闇の中で、常夜灯の火が燃える微かな音だけが流れる。

 レニは微かに首を振った。


「レグナドルトにとって、私が帝位を返上したのは誤算だったと思う。私が女帝のままでいて、うまくいけばルグヴィアの領地を割譲かつじょうしてもらえると思っていたみたいだから、当ては外れただろうね」


 レグナドルトは、現在空白になっている旧ルグヴィアの領地を虎視眈々と狙っている。ヴァレンも、事あるごとにルグヴィア領内の治安維持のためにレグナドルドの兵を駐留することを提言するが、摂政であるオズオンがそれを許さない。

 レグナドルトとドラグレイヤ、王国の両端に分かれている大国が、王国樹立の分け前を巡って対立しているのは事実だ。

 だが、国王の暗殺を目論むなど……そんな危ない橋を渡るだろうか? もしくは……。


「王国を乗っ取ることが目的じゃなくて、陛下を弑して王国を混乱させて、その隙にルグヴィアを併呑するつもりなのかも」

 

 レニの言葉に、フレイは特に驚く様子もなく答える。


「私もレグナドルトが黒幕ならば、その可能性が高いと思う」

「王位の簒奪じゃなくて、王国からの独立を考えているっていうこと?」


 レニのハシバミ色の瞳を真っすぐに捉えて、フレイは頷いた。

 レニは呟いた。


「レグナドルトが独立なんてしたら、大変なことになる」

「少なくともドラグレイヤ公は許さないだろう。そうなれば、国を二分するいくさになる」

「……止めなきゃ」


 レニはフレイをほうを向いて言った。


「ヴァレンと話してみる。レグナドルトが何を考えているのか、探ってみるよ」

「そうしてもらえるとありがたい」


 少し考えて込んでから、フレイは言った。


「ヴァレンと会う場所は、そうだな、小月宮はどうだろう?」

「しょ、小月宮? で、でも……」

「大公宮にヴァレンを招き入れるのは目立ちすぎる。かと言って、青月宮では誰の目があるかわからない。小月宮ならば、体調を崩した寵姫への見舞いということで、自然に訪問させることが出来る」


 フレイは言葉を紡ぎながら、レニの狼狽えた様子を怪訝そうに眺める。


「何か気にかかることがあるのか?」


 フレイの眼差しにますます狼狽し、レニは自分でも思ってもいなかったことを口走ってしまった。


「寵姫さまが陛下に毒を盛った、っていう噂があるって聞いたけれど」


 レニがそう言った瞬間。

 不意にフレイがレニのほうへ顔を向けた。

 薄闇の中でも、水色の瞳に強い怒りが宿っていることがわかった。


「下らないことを。寵姫がそのようなことをするはずがない」

 

 口をつぐんだレニを見て、フレイは自らの中の感情を無理に押さえつけるために脇を向いた。

 しばらく黙ったあと、小さな声で済まない、と呟く。


「あなたがそう考えているわけではないことはわかっているのに……」


 修行が足らないな、と言って、フレイは安心させるようにレニに微笑みかけた。

 レニはその笑みから目を逸らしながら言った。


「さっきフレイが小月宮の庭にいたのも、寵姫さまに会いに行ったの?」


 フレイは頷いた。

 淡い水色の瞳に、柔らかい光が宿る。


「陛下の様子を伝えたかった」


 リオに対する労わりや優しさが浮かぶフレイの顔から、レニは顔を背けた。


 フレイは自分とリオの関係を知らない。

 自分とリオの関係は、オズオン以外は国王であるイリアスも知らないのだ。

 リオとの関係は、宮廷にいる誰にも悟られてはならない。国王を害そうとする陰謀を企んでいる者に知られたら、どんな風に陥れられるかわかったものではない。

 それでなくとも「王妃と国王の寵姫が宮廷から一緒に逃げた」など宮廷人にわかったら、悪意ある噂の種になるだろう。


 それは分かっている。

 それでも。

 何の屈託もなく、リオへの気持ちを口に出来るフレイに対して、羨望に似た反発がわくのを抑えきれなかった。


 自分とリオの関係がどんなもので、どんな風に一緒に過ごしてきて、毎日色々な話をして、どれほど長い時間を共に過ごしてきたか。

 自分にとって、リオがどれほどかけがえのない存在であるか。

 誰にも言うことが出来ないのだ。


 レニは手を握りしめた。


「寵姫さまは、どんなご様子だった?」

「少し元気がなかったな。旅の疲れが出たのだろう。まさか、学府で学びたいと思っていたとはな。陛下にひと言お伝えすれば良かったものを。そう叱っておいた。……陛下に代わって」


 柔らかい響きが宿るフレイの言葉を聞きながら、レニはジッとしていた。

 自分とリオの関係をまったく知らないフレイの言葉は、レニの心に強い痛みを与えた。その痛みが通りすぎるのを待ってから、レニは口を開いた。


「もし、この件がすべて終わったら、陛下がご無事で、陛下を殺そうとした人間も捕まえることが出来たら……寵姫さまは、学府に行かせてもらえる?」


 フレイの端整な顔に、虚を突かれたような表情が浮かぶ。

 俯いたレニの姿を不思議そうに眺めて、フレイは答えた。


「学府に行かせるのは危険だから難しいが、もし学ぶことを望んでいるのであれば、学府出身の者を教師として呼び寄せてもいい。寵姫の望みであれば、陛下は何であれ叶えようとするだろう」

「そっか」


 レニは口の中で呟いた。


「良かった……」

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