第109話 国王の側近
6.
男は「フレイ」と名乗った。
「自分は、国王イリアスの側近だ」そう説明したフレイの顔をまじまじと眺めながら、レニは確認するように尋ねる。
「陛下は、自分の身に危険が迫っていることに気付いていらした。もし私が戻ってきたら、協力して動いて欲しいと、側近であるあなたに託された……そういう話、ですか?」
フレイの貴族らしい端整で甘やかな、それでいながらふとした拍子に男らしい精悍さを感じさせる顔に、照れたような笑いが浮かぶ。
「妃殿下は飲み込みが早くて助かるな」
どこか近寄りがたく感じるほど気品に溢れる顔立ちには、笑うと一転して人懐こそうな愛嬌と人を取り込むような色気が漂う。
貴婦人や宮女たちがこの場にいたら、大騒ぎになりそうだ。
フレイはごく自然な仕草でレニの手を取った。
その場に膝まづいて、高貴な淑女に対する騎士の礼をする。レニが今まで見た中で、一人を除いて、最も作法に叶う優雅な礼だった。
「この件が解決するまで、私はあなたの手足となり、あなたの剣として働こう。それが国王……陛下の心に叶うことだと思って欲しい」
「ええっ! で、でも」
レニの戸惑った様子を見て、フレイは笑いながら言った。
「フレイ。私のことは、そう呼んで欲しい」
「フレイ……さん」
「『フレイ』」
「フ、フレイ」
レニが名前を呼ぶと、フレイは満足したように頷いて立ち上がる。淡い色合いの柔らかそうな金髪が、肩の上で揺れた。
並んで立つと、レニの背丈はフレイの胸ほどしかなかった。
「私はあなたのことを……そうだな、レニどの、と呼んで構わないか?」
「えっ、ええ。そ、それはもちろん」
「では、レニどの。今後は、私はあなたの相棒だ。よろしく頼む」
レニは差し出された手を、思わず握る。
言動は物柔らかだが、どこか自分の意思を相手が受け入れることをごく当たり前のように思っているかのような、ある種の強引さがあった。
それは、人に不快さを与えるものではなく、むしろ逆だった。
誰でも進んでこの青年の思うところを叶えたくなるような、この青年の望みを叶えることが自分の望みでもある、と思ってしまうような、抗いがたい魅力があった。
7.
フレイは、レニを大公宮の中の一室に招き入れた。
慣れた様子で常夜灯に灯りを入れ、椅子に腰かけると、大きく伸びをする。
「あの……」
レニは勧められた椅子にちょこんと腰かけ、固い口調で話し出した。
「私が戻るまでの間、えっと、陛下に何があったんですか?」
しゃちこばったレニの様子を、フレイはぽかんとした表情で眺め、やにわに噴き出した。
「レニどの、私とあなたは相棒だ。相棒らしく、敬語はナシにしよう」
「は、はい……じゃなくて、う、うん」
レニが頷くと、フレイは笑った。
まるで友達と悪戯を企む子供のような、屈託のない笑いだった。
ひとしきり笑った後、フレイは腕を組んで背もたれに体を預けた。その顔から笑みが消える。
「昨年の二の月に、あなたが王位を陛下に返上することで、今の王国が誕生した。その後すぐに、あなたは陛下のお許しを得て、旅に出た。三の月だったから、ちょうど一年前か」
「う、うん」
フレイの端整な顔に、暗い翳りが射した。
「あなたが王宮から出た、少し後くらいからだ。陛下の身辺で、立て続けに色々なことが起こり始めた」
「色々なこと?」
レニの言葉に、フレイは顔を上げた。
「ひとつひとつは大したことではない。毒見係がいつの間にか交代していた、乗る予定の馬がその日に限ってひどく暴れる、庭に出た時に上から物が降って来る。陛下も自分の立場をよくわかっていたから、警戒されていた。
陛下を害そうとする者は痺れを切らしたのか、今年の初めに刺客に襲われた」
「刺客?!」
レニは思わず椅子から立ち上がった。
フレイは青ざめたレニの顔を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「知らなかったのか」
「叔父さんは……」
レニは言い直した。
「ドラグレイヤ公は知っているの? 陛下が襲われたことを」
フレイは表情を消したまま、ゆっくりと首を振る。
「ドラグレイヤ公のことは、そこまで信用していない」
レニはその言葉には反応は示さず、気持ちを落ち着かせるために椅子に腰を下ろした。
「陛下は、どこで襲われたの?」
フレイは考え込むようにしばらく黙ってから、言葉を紡いだ。
「小月宮の庭で、だ」
レニは、ハッとしたようにフレイの顔を見る。
フレイはレニのハシバミ色の瞳を見返して、小さく笑った。
「いなくなった寵姫の行方を知っている、という情報が入ってな。いつもならば警戒しただろうが。寵姫はさらわれたのではないかとずっと心配していたから、いても立ってもいられなかった……のだろう」
端整な顔に浮かぶ甘く優しい微笑みから、レニはぎこちなく視線を逸らした。
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