第108話 一緒にいたかった。
レニは考え込む。
レグナドルトの狙いは何か。
国王を殺して、その罪をオズオンに着せて今の立場から追い落とす。
それでは、失敗した時の危険が余りに大きい。仮に上手くいったとしても、オズオンが大人しくその罪を認めるはずがない。
国が不安定なこの時期に、戦をすることはレグナドルトも望んでいないはずだ。
国王を殺して、王位を簒奪する。
そんな夢のような話よりも手前の、もっと現実的な目論見があるのではないか。
その目論見が判れば、落としどころを見つけて交渉することが出来る。
宰相のヴァレンは、レグナドルト公ザイン・ザルドの子飼い、側近と言っていい人物だ。
もしレグナドルトが本当に国王の暗殺を目論んでいるのであれば、王宮での実質的な首謀者はヴァレンのはずだ。
だがレニが調べた限りでも、ヴァレンに特別な動きは見られない。裏で本国と連絡を取っている様子もない。
レニは横目で、獰猛な野獣のようなオズオンの顔を盗み見る。
オズオンのことは、まったく信用していない。
いざとなれば、忠義も仁義も信義も、道端に転がる石ころよりも簡単に踏みつける男だ。
状況が変われば、昨日握った手で平気で刺してくる人間であることは、レニが誰よりもよく知っている。
だが今回に限って言えば、本人が言う通り、オズオンがレニを騙す理由がない。
物事は全て、オズオンに有利なように動いていた。
自分のことを嫌い、いつ反抗してくるかわからないレニは、いなくなったままでいてくれたほうが都合がいい。
感情面は全て差し引いて、利害だけを見れば、レニとオズオンの思惑は一致している。
……はずだ。
だが、それはあくまでレニが把握出来る情報で考えた場合だ。
自分に見えていない、知らないことがあるのではないか。
レニの中には、常にそういう不安と焦燥がある。
祖父グラーシアを打倒する時も、信頼できる味方は一人も存在せず、孤独だった。
だがあの時は、その目的に向かって情報を集めることが出来る仕組みを作り、考える時間があった。目的に達するための自分の意思と費やした時間が、最大の味方だった。
今は味方どころか、物事を判断するための情報すらない。何ひとつ武器を渡されず、いきなり敵地に放り出されたようなものだ。
せめて、リオが側にいれば……。
そんな考えが心の中に浮かぶ。
全面的に信用できる相手が側にいるだけで、心が確たる重しをつけられたように落ち着く。
ギリギリの緊張状態で常に考え続け、何かを成しえなくてはならない時、心を預けられる場所があることは、大きな助けになる。
レニがオズオンと会うために使っている大公宮は、青月宮の東にある王の子息を主人とする宮殿だ。長い間、住む者がいないため、今は人気がほとんどなくひっそりとしている。
王族以外の人間は自由に立ち入ることは出来ず、密談をするのには都合がいい。
青月宮のほうへ去っていくオズオンの姿が見えなくなるのを確かめてから、レニは後宮へ足を向ける。
その途中、庭を見渡せる回廊の真ん中で立ち止まった。
美しく手入れされた庭を挟んだ先には、月明かりに映える美しい白亜の建物が見える。
豪奢な庭園に合わせて建てられた工芸品のように華奢な作りの建物は、「小月宮」と呼ばれている。
五年ほど前に、レニの祖父グラーシアが、寵愛していた寵童のために建設した小宮殿だ。
金で買った奴隷に、ついには宮殿まで与えた。眩しいほどの寵愛ぶりだと、当時宮廷中が持ちきりだった。
グラーシアは、王国の正当な血を引く公子イリアスも小月宮に住まわせた。
それがグラーシアの悪趣味きわまる懐柔策とわかっていても、イリアスは抗うことが出来なかった。
グラーシアの支配下にあっても誇りを失わず、最後まで頭を垂れなかったイリアスが屈したのは、権力を恐れたからではない。
小月宮でグラーシアから引き合わされた寵童を、心の底から愛してしまったためだ……。
レニは月明かりに照らされた、美しい庭園を見つめる。庭園の中をさらさらと流れる小川の音だけが、静かな夜の空気の中を流れる。
イリアスの気持ちがよくわかる。
レニは柔らかい光を宿す、円形に近い月を見上げながら思う。
レニも、イリアスとまったく同じことを考えた。
リオと一緒にいられるなら、祖父に支配の下で鎖につながれ続けてもいい。
地位も自由も誇りもいらない。
ただこの儚げで寂しそうな人と、一緒にいてあげたい。この人の笑顔が見たい。幸せにして上げたい。
それが無理なら……。
せめて一緒に、不幸になりたい。
生まれた時から、不遇な身の上で生きてきたこの人のそばでずっと……。
ふと、レニは静かな庭園のほうへ視線を戻す。
静寂を破って、カサリと何かが動く音がした。
人の気配がする。
レニは音のしたほうに視線を固定したまま、辺りの気配を油断なく探る。目の前の音の主以外は、人はいないようだった。
「誰?」
腰の後ろに刺した、愛用の
大公宮は今はほとんど使われておらず、平時は閉め切られたも同然になっている。宮女や下働きの者たちが管理のために入る以外は、人の出入りはない。
ましてやこの時間、庭に誰かがいるはずがない。
極限まで張りつめた空気を柔らかく溶かすように、その人物は庭の木立の影からゆっくりと姿を表した。
「やれやれ、怖いな」
月明かりに照らされたその姿を、レニは瞳と口を開けて見つめる。
思わず声を上げそうになったレニを押しとどめるように、その人物は人差し指を口の前に立てた。
「済まない、声を上げるのはやめて欲しい。人に見つかりたくない」
夜の中でも明るく見える水色の瞳を魅せられたように見つめたまま、レニは小刻みに首を頷かせる。
レニが頷くのを確認すると、その人物は庭から身軽な動作で大公宮の回廊に入って来た。
呆気にとられたように自分を見上げるレニに、庭からやって来た男は微笑みかける。
「王妃殿下、あなたに話がある。少し聞いてもらえないだろうか」
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