第107話 戻ってきた。

4.


 オズオンは自分の主力部隊は正門から華々しく入場させる一方で、レニのために目立たない貴婦人用の馬車をしつらえ、後宮にほど近い北門に向かわせた。


「リ……寵姫さまは?」


 馬車に乗る寸前、レニはオズオンに付けられた世話役の女に尋ねる。

 女は儀礼的な恭しさのみで出来た口調で答えた。


「寵姫さまは、東門から元々のお住まいであられた小月宮しょうげつきゅうに戻られます」


 レニは短く礼を述べると、馬車の中に乗り込んだ。

 

 この一年、王宮にはおらず、国王の寵姫だったリオと一緒に旅をしていた。

 それが、露わになってはならない。

 自分は後宮の奥深くに引きこもっていただけで、ずっと王宮にいた。

 リオは体調を崩していたために、気候のいい場所で療養して戻って来た。もちろん、何も後ろめたいことはないからこそ、戻って来たのだ。

 そういう筋書きになっている。

 自分とリオのつながりはなるべく隠し通さなくてはならない。二人が知り合いである、ましてや一緒に旅をしていたということは決して漏れてはならない。

 そのためには、当分のあいだ、リオと会うことは出来ない。


 そうすることが最善である。

 オズオンから話を聞かされたときに、レニの理性もすぐにそう判断した。

 だが。


(当分って、どれくらい?)


 レニは馬車の中で揺られながら、小柄な体を丸めて考える。

 学府を出て、ひと月が経つ。

 その間、リオと一度も顔を合わせていない。

 リオが今この瞬間、どこで何をしているのか。

 どんな気持ちでいるのか。

 何ひとつ知る術はない。


 オズオンに協力しながら、今回の件の黒幕を暴き、イリアスの身の安全を確保する。

 イリアスの立場が安泰であれば、またリオと一緒に旅に出ることが出来る。

 レニは、ここに来るまでの間、幾度も自分に言い聞かせてきた予想を すがるように頭の中で繰り返す。

 そんなレニの思いの隙間から、暗い不吉な雲のような考えがわいて出てくる。


 本当にイリアスを殺そうとしている黒幕を暴くことが、出来るのだろうか?

 イリアスの身の安全を確保することなど出来るのだろうか?

 一度、王宮に戻ってしまえば、二度と外に出ることは出来ないのではないか?


 レニは己が身を抱き締めて、馬車の座席で小さく縮こまる。

 もうリオに会うことは出来ないかもしれない。

 そんな不吉な予感が全身に広がっていく。


 リオと一緒に旅をしていた、ただのレニはいなくなってしまい、一生、あの王宮で、王妃エウレニア・ソル・グラーシアとして生きていくしかないのではないだろうか……。



5.


 王宮に戻ると、レニは後宮の中で、王であるイリアスの私室にほど近い場所に住まうことにした。

 イリアスの容態は予断を許さないものであり、ごく限られた者以外は王妃であるレニですら会うことは出来ない。


 自分も「容疑者」の一人であるから仕方がない。

 そう納得するしかなかった。



 レニは後宮を抜け出し、頻繁にオズオンと会っていた。

 レニにとっては最も忌まわしい相手、と言っても過言ではないが、今はお互いに協力するより他にない。

 オズオンのほうも、レニに対して疎ましさしか感じていないようだが、それ以上に今の状態をいかに乗り切るかが重要であることはさすがにわかっているようだった。


「陛下のお世話をしている人たちは、信用できるの?」


 レニに問われてオズオンは頷いた。


「ああ。医者も含めて、あの坊やの面倒をずっと見てきた奴らばかりだ。護衛や見張りは、俺の兵だけだと痛くもねえ腹を探られるから、オルムターナの兵を借りている」

「オルムターナ……」


 オズオンの言葉をレニは繰り返す。


 オルムターナ公国は、レニの母親である太后エリカの出身地だ。  

 大陸の南西、南方大陸との境目にあり、特に奴隷貿易が盛んな豊かな国で、オズオンが大公位についているドラグレイヤ公国と並んで、レニにとっては有力な後ろ盾である。

 王妃エウレニアの血縁であり、王国を建国した立役者である、ドラグレイヤ公国とオルムターナ公国。

 グラーシア将軍の独裁時代から、王権に対して一定の距離を保っていたレグナドルト公国。


 この二派の争いが水面下で続いている、という見方が、王宮では主流だ。


「オルムターナは、今回の件をどう見ているの?」


 レニの問いに、オズオンは肩をすくめた。


「どうもこうもねえよ。レグナドルトの陰謀だろう、とは言うが、その陰謀がどういうものかは考えちゃいねえ。お前の伯父貴のオルムターナ公は気弱な薄らボケで、実権を握っているのはお前の母親の側近だっていうのがもっぱらの噂だ。今回の件には余り興味はなさそうだな。

 表立ってレグナドルトに突っかかるみたいな下手なことをされるくらいなら、無関心くらいでちょうどいい」


 オズオンは俯いて反応を返さないレニに、薄い笑いを投げかける。


「相変わらず、エリカはお前のことなんざ、どうでもいいみたいだな。国王さまは殺されかかって、王妃である娘は姿を見せず生きているのか死んでいるのかわかんねえってのに、使いのひとつを寄越すでもねえ。あの女の中じゃあ、お前はとっくに死んじまったことになっているのかもしれねえな」


 レニは唇を噛んで黙り込んでいたが、やがて小さな声で言った。


「叔父さんとオルムターナの間を裂こうっていう動きはないの?」

「レグナドルトの動きを見ている限り、そいつはなさそうだ」


 オズオンは笑いを収めて答える。


「宰相のヴァレンはレグナドルドの息がかかっている。でも、あいつにも不穏な動きはねえ。今のところは、な」

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