第113話 連れて行かないで。
10.
美しく手入れされた庭の中を、レニは訓練された猟犬のような動きで襲撃者を追跡する。
リオを担いでいるというのに、襲撃者の速度は速い。それでもほどなく、庭の片隅で追いつくことが出来た。
気絶させられたのか腕の中でぐったりとしているリオの喉元に、襲撃者は脅すように針のような剣先を押し当てる。
「その人を離せ」
レニは用心深い口調で、全身を黒く覆っている襲撃者に呼びかけた。
どんな言動が相手を刺激するかわからない。
レニは慎重に、言葉を選びながら話しかける。
「どちらにしろ、逃げることは無理だ。投降するなら、私から陛下に寛大な処置をお願いする。そのかたは……」
レニは一瞬唇を噛んだあと、言葉を吐き出した。
「陛下の……寵姫さまだ。傷つければ、陛下のお慈悲を請うことが出来なくなる。その人を放して武器を捨てるなら、必ずあなたたちの罪を軽くするように尽力する。そう約束する」
相手がまるで反応を示さないために、レニの心の中に焦りが生まれる。
いずれ、ここにも兵たちが押し寄せて来る。
オズオンは、リオが人質に取られたことなどまったく気に留めず、兵に襲撃者を取り押さえるように命じていた。
乱戦になったら、リオの身が危うい。
必死に冷静さを保つレニの姿を、襲撃者はジッと観察している。
その顔に、不意に笑いが浮かんだ。
相手が自分を嘲笑っていることが、レニに伝わってきた。
レニの焦りを笑っているのか。
今の状況を笑っているのか。
「権力者の約束」という絵に描いた餅を笑っているのか。
自分をこのような状態に陥らせたものを笑っているのか。
そのいずれかでもないようにも見え、そのいずれでもあるように見えた。
襲撃者はひどくゆったりとした動きでリオを抱え直し、踵を返した。
その直前にレニに向けられた眼差しは、
「追ってくれば人質は殺すが、お前はどちらを選ぶ?」
と問うているように見えた。
「待って! その人を放してよ!」
襲撃者の眼差しに縫い留められたように、その場から動くことが出来ないまま、レニは悲鳴を上げる。
襲撃者に抱えられたリオの姿は、暗闇の中、徐々に遠ざかっていく。
リオを奪い去られてしまう。
自分の手の届かない場所へ、リオが行ってしまう。
世界が暗闇に閉ざされていくような恐怖に襲われ、レニは張り裂けんばかりに瞳を大きく見開く。
リオがいなくなったら。
世界の光が、全て消えてしまう。
お願い……。
暗い闇の中で、レニは恐怖に震える声を絞り出す。
「お願い! リオを連れて行かないで!」
絶叫と共に、レニが駆け出そうとした瞬間。
襲撃者の影が不意に崩れ落ちた。
「あっ……」
呆気に取られるレニの目の前で、黒い襲撃者は地の上に倒れ伏す。
宙に浮いたリオの細い体は、襲撃者を切り伏せた男の腕の中に収まっていた。
レニはハシバミ色の瞳を見開いて、月明かりに照らされた男の姿を見つめる。
冴え冴えとした月明かりが、血糊で濡れた抜き身の剣を持つ男の端正な横顔を浮かび上がらせる。
自分が斬って捨てた者を見下ろすその瞳は驚くほど冷たく、何の感情も浮かんでいなかった。
フレイ。
先ほどレニの前でそう名乗った男は、しかしこうして離れた場所から見ると、まったく別の人物のように見えた。
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