第七章 王都への帰還(王都編)

第104話 王都の出来事

★ここまでのあらすじ★

 皇国の元女帝だったレニとレニの夫の寵姫だったリオは、王宮を脱け出して二人で旅をしている。

 北の果てにある学府にたどりついた二人は、生まれや身分といったしがらみを脱け出し、二人が一緒になる未来へ向かって歩み出そうと決意した。

 

 しかしその矢先、レニの夫である国王イリアスが何者かの陰謀によって倒れたという知らせが届く。



※※※


1.


 それからひと月後。

 冬の冷たい空気が温かいものに変わり始めたころ。

 レニは、王都ジヴァルまで流れる河を走る船の上にいた。


 オズオンが用意した船は、通常の船の二倍の速度で河の上を進んでいるはずだが、ほとんど揺れを感じない。

 船の中とは思えない贅を尽くした室内にいると、ここが河の上であることすら忘れてしまいそうだ。


 学府からクルシュミの湖を通りすぎ、ゲインズゲートに着く。そこから船で河を遡上し王都へ。

 一日でも早く王都へたどり着かねばならない。

 オズオンの思いが反映され、一行の足取りは速かった。

 レニとリオが二人で旅をした道のりは、二人がかけた時間の半分も満たずに過ぎ去っていった。



2.


 ひと月前に、オズオンが手勢を引きつれて学府へやって来た。

 表向きは姪である元ルグヴィア公女マルセリスを表敬訪問するという形だったが、真の目的はレニを密かに王都に連れ帰ることだった。


 オズオンから王都の状況を聞くために、レニはリオを別室に下がらせた。リオに対する配慮もあったが、何よりリオをオズオンと同席させることは、レニにとって耐え難かった。

 オズオンがリオにしたことを思い出すと、冷静さを保っていられる自信がなかった。


 固い表情をして並んで座っているレニとマルセリスの前で、オズオンは腕を長椅子の背もたれにもたせかけ膝を組んで座っている。

 上流階級の人間であると一目でわかる質のいい衣装を身につけていても、その姿は王国の最高権力者たる大公には見えない。

 むしろ周囲が華やかな場所であればあるほど、この男の本質である野卑な物騒さと薄暗さが際立ち、相対する人間に寒々しい印象を与えた。

 オズオンは人を食ったような笑いを浮かべ、レニの顔を見下ろす。


「馬鹿正直に真っすぐ学府に向かってくれて助かったぜ」


 オズオンは押し黙っているレニに、あからさまな嘲りを込めた眼差しを向けた。


「お前、あの淫売奴隷を学府に入れるつもりだったのか? 傑作だな。寝床の技でも実地で、学生たちに教えるつもりだったのかよ。もしくは導師どもへの気の利いた贈り物のつもりだったのか? 手土産としては悪くねえがな」


 怒りで顔を赤く染めたレニが言葉を発するよりも早く、オズオンが独り言のように付け加える。


「どちらにしろ、あいつも王都へ連れ帰らねえとな」

「叔父さん」


 レニはどうにか自分の中の怒りを押し殺し、食いしばった歯の隙間から言葉を漏らした。


「私は王都に戻る。でもリオは、学府にいさせて。リオは、学府に入ってもいいっていう許可をもらったんだ」

「へえ、あの淫売がねえ。どういう手管を使いやがったんだ?」


 オズオンは悪意のしたたる笑いを漏らしたが、それも一瞬のことだった。

 痩せた顔から笑みが消え、狡猾で暗い光が黒い瞳に宿る。


「駄目だ。あいつも王都に連れて行く」

「何で……っ!」


 カッとなり叫ぼうとしたレニを、同席していたマルセリスが横から押しとどめた。       

 物静かな茶色の瞳を、真っすぐオズオンのほうへ向ける。


「叔父さま、私からもお願いするわ。リオは学府に残る力がある。ここで学んでもらったほうが国のためにもなると思うの。魔物を生む『廃の領域』には、叔父さまの領地であるドラグレイヤが一番、悩まされているでしょう?」


 二百年前に、大陸の北に、突然「廃の領域」と呼ばれる生態系も気候も他の場所とはまったく異なる領域が生まれた。そこに住む生物を、人々は「魔物」と呼んでいる。

 「廃の領域」が生まれた当時、その場所にあった国は、「廃の領域」に吞まれて滅んだ。


 現在は、オズオンの領地であり大陸の北西に位置するドラグレイヤ公国が「廃の領域」や魔物との戦いの最前線を担っている。

 オズオンの父でありレニやマルセリスの祖父であるグラーシアが、囚人兵の身分から絶対的な権力を握る独裁者にまでのし上がれたのは、魔物との戦いで多大な功績を上げたためだ。

 聖斧せいふシグルギガを振るうことが出来たグラーシアは、その強さと残虐さで味方からも「赤髪鬼」「イルクードの悪魔」と呼ばれ恐れられた。

 グラーシアが振るうことが出来た聖斧は、彼の血を引く子供たちには反応せず、今ではドラグレイヤの領地で保管されている。


 オズオンはそちらを見たくないと言いたげな様子で、ちらりとマルセリスの顔を眺めすぐに顔を逸らした。

 それから独り言のように呟く。


「お前、まだそんな世界がどうとかとかいう戯言を抜かしているのかよ」

「大事なことだわ」


 静かだがはっきりとした口調で言われて、オズオンは普段の彼らしくない、どこか不貞腐れた子供のような表情を浮かべた。そんな自分に腹が立ったように、語気を強める。


「実際に、あの化物どもと戦っているのは俺たちだ。お前が、机の上の妄想ごっこをしている間にも、ドラグレイヤの人間が死んでいるんだよ。説教される筋合いはねえ」


 マルセリスは少しの間黙ったあと、別のことを言った。


「リオを連れ戻さなければならない理由があるの? 陛下がお会いしたがっているという理由以外に」


 マルセリスの言葉に、レニはハッとした。

 レニの視線に気づき、オズオンは振り返る。その黒い瞳には、普段、レニに向けられる悪意と嘲笑の代わりに、深刻な怒りと疎ましさが宿っていた。


「ったく、クソガキが。てめえが、王さまのペットと駆け落ちごっこなんて下らねえことをやったせいで、こっちは大わらわだぜ」

「どういう……こと?」


 呟くレニの顔を見て、オズオンは馬鹿にしたように短く笑った。


「お前、ちょっと会わねえうちに随分、鈍くなったな。頭の中まで、あの男妾おとこめかけに骨抜きにされちまったのか?」


 オズオンは脇を向いて吐き捨てるように言った。


「昨日まで健康だった国王が急に原因不明の病で倒れる。その少し前に、国王が寵愛して四六時中ひっついていたペットが、急に消える。こう並べてみりゃあ、おがくずを詰め込んだみたいになっちまったお前の頭でも、宮廷の奴らが今の状況をどう見ているかわかるだろ」


 レニの顔から血の気が引いていき、冷たい水でもかけられたかのように蒼白になった。

 ハシバミ色の瞳を大きく見開いたまま、レニは小さな声で呟いた。


「陛下は、命を狙われたの?」


 そうして震える声で付け加える。


「リオが、陛下を殺そうとした、って疑われているの?」

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