第103話 王都からの知らせ


 レニは勢い余って大きく息だけを吐き出してしまい、胸を抑える。


「レニっ!」


 声と共に、マルセリスが部屋の中に駆け込んできた。


「マール、どうしたの?」


 胸を抑えて呼吸を整えながら、レニは驚いたように従姉の顔を見た。

 いつも穏やかで滅多に感情を揺らがせないマルセリスの顔に、狼狽と動揺が浮かんでいる。

 

 マルセリスはレニの顔を見ると、自分の感情を落ち着かせるためにか、口をつぐんだ。茶色の瞳からは動揺が消えていき、代わりに緊張とレニに対する労わりがとって代わる。

 マルセリスはしばらく、従妹の顔を見つめていたが、やがて意を決したように小柄な肩に手を置いた。


「レニ、今、王都から知らせが来たの」

「王都?」


 レニの顔が瞬時に強張る。

 一瞬で、室内に緊張が張りつめた。

 気配を察して席を外そうとしたリオのほうに、マルセリスは視線を向ける。


「リオ、あなたもここにいて」


 マルセリスは少し躊躇った後、固い声で付け加えた。


「あなたにも関係することだから」


 マルセリスは、ふと辺りに視線を向けて、扉や窓が閉まっていることを確かめる。

 室外に人の気配がないことを確認してから、思いきったように口を開いた。


「レニ、落ち着いて聞いて。陛下が……」

「陛下?」


 レニは、ハシバミ色の瞳を大きく見開き、従姉の顔を凝視した。

 衝撃に耐えながら、どうにか掠れた声を絞り出す。


「イリアス様がどうかしたの?」


 マルセリスは自らの気を落ち着けるように、一瞬黙った。それから何とか平静な声を出そうと努めながら言った。


「……倒れたらしいの」


 ガタン。と大きな音が、室内に響き渡る。

 リオが体を支えるようにして、椅子の背もたれに手をついていた。その美しい顔は、血の気を失い蒼白だった。

 レニはリオのほうへは視線を向けず、ただマルセリスの口の動きだけを見守っていた。


「倒れたってどういうこと? ご病気なの? 怪我をされたの?」

「詳しいことは、わからないの。今その……知らせがあって、すぐに来たから」


 レニの視線から、マルセリスは僅かに顔を逸らした。

 だがすぐに、従妹の小さな体を支えにするように、そして支えるように手を置く。


「レニ、迎えが来ているの。あなたに」

「迎え?」


 レニは何の感情もこもらない声で、マルセリスの言葉を繰り返す。


「迎えって? 何?」

「陛下にはお子がいないわ。血縁も誰も」


 マルセリスは、表情のないレニの顔を見つめて苦し気に言った。


「だから、もし陛下に何かあったら、あなたがもう一度、王位を継がなければならない」

「そういうこったな」


 不意に聞き覚えのある声が響き、レニは小柄な体を強張らせた。

 いつの間にか戸口に、人影が立っていた。

 騎士の略装の上に黒いマントを羽織った長身の男が、開いた扉に腕をかけている。その痩せた顔には、皮肉というには悪意がありすぎる笑いが浮かんでいた。

 レニは立ち上がり、その男の姿をマジマジと見つめた。

 怒りと嫌悪で体が強張るのがわかる。


「……叔父さん」


 戸口に立つ人物の黒い不吉な姿を見つめながら、レニは呟きを落とした。

 戸口に立ったオズオンは、嘲笑が浮かんだ黒い瞳で姪の顔を眺めた。


「よう、久しぶりだな、チビ」


 言ってから、オズオンは半ばレニを、半ば自らの言葉を嘲るように笑い声を上げた。


「ハハッ、ちげえな」


 室内にオズオンの笑い声が響き渡る。

 その間、レニもリオもマルセリスも、言葉を紡ぐどころか体を動かすことすら出来ずにいた。

 ひとしきり笑った後、オズオンは室内に足を踏み入れた。

 反射的に後ずさりしたレニの前で、相手の様子などまったく気に留めず、まるで宮廷の正式な謁見の場にいるかのような完璧な所作で膝をつく。


「臣オズオン、御前に参上いたしました」


 オズオンは丁寧に、しかし有無言わさぬ強さでレニの手を取り、恭しく礼をした。


「お迎えに上がりました、エウレニア王妃殿下」


 レニとリオは、自分たちの目の前で礼をする黒い不吉な影を、ただ黙って見つめた。



(「第七章 王都への帰還(王都編)」に続く)

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