第102話 夢を叶えて。
22.
クレオの下を辞しマルセリスの部屋へ戻ると、レニが一人で居間の椅子に腰かけていた。
卓の上には、茶を入れた椀が二つと茶菓が置かれている。
室内にはレニ以外、誰もいないようだ。
レニは、リオが入ってきた瞬間から、どことなく緊張している。
二人で旅に出てから、こんなことは初めてだった。
以前までのリオであれば、レニが自分を避けようとしている気配を敏感に察知し、近づかないようにしただろう。
だがリオは、身を固くしているレニに、自分から声をかけた。
「マルセリスさまは、いらっしゃらないのですか?」
レニは驚いたように微かに視線をリオのほうへ向けた。何か言いたそうな顔になったが、結局は聞かれたことだけを素直に答えた。
「一緒にお茶を飲んでいたんだけど、外からお客さんが来たっていう知らせがきて見に行ったんだ」
答えてから、レニは何となく気まずそうに視線をあちこちに彷徨わす。
だがすぐに、思い切ったように顔を上げた。
「リオ、どうだった? また本を読まされたの?」
「いいえ」
リオは微笑んで、レニの前に膝をつく。
貴婦人に対する正式な作法に則って、恭しくレニの小さな手を取り、顔を覗き込んだ。
「学長さまから、入学の許可をいただきました」
レニはハシバミ色の瞳を、これ以上ないというほど大きく見開いた。
その顔に最初は驚きが浮かび、次いで喜びで輝いていく。
リオが何か言うよりも早く、レニはリオの細い首筋に、しがみつくように抱きついた。
「レニさま?」
リオは戸惑ったように、だがそれ以上に喜びを込めて、レニの体を優しく抱きとめた。
レニはリオの腕の中で、喜びで体を震わせる。
「良かった……リオ。本当に良かった……!」
その小さな体を抱き締めていると、レニがどれほど試験について心配し、リオの将来のことを考え、だからこそその反動でいまこれほど喜び、安堵しているのだと伝わってくる。
リオは瞳を閉じ、自分の心に流れ込んでくるレニの感情に触れるように、優しく赤い髪を撫でた。
しばらくそうしていた後、レニはリオの腕の中で少し体を離すと、勢いこんで言った。
「いつから入学できるの? 明日から勉強できるの?」
リオは自分の手の中にレニの手を収める。やっと見つけた大切な宝に触れるように、手にゆっくりと力を込めながら言った。
「学長さまは、しばらく入学を待って下さるとおっしゃいました」
「えっ?」
レニは慌てて言った。
「な、何で? 入学できるなら早いほうがいいよ」
「レニさま」
リオはレニの瞳を見つめながら言った。
「
レニはリオの顔をマジマジと見つめた。
微笑むリオの顔に視線を当てたまま、レニは首を左右に振る。
「だ、駄目だよ、リオ」
レニの返答を予想していたように、リオは表情を動かさなかった。
ただジッと自分を見つめるリオに向かって、レニは躍起になって言った。
「せっかく入学を認めてもらえたんだから、リオは学府で勉強しなよ。私なら一人でも大丈夫だから。旅の途中で、いつでも学府に寄るよ」
レニの言葉に、リオは微笑んでゆっくり首を振る。
「いいえ、レニさま。私はレニさまと一緒におります」
これほど、はっきりと自分の望みを口にするのは初めてだ。
そのことを意識しながら、リオは言葉を紡ぐ。
「あなたさまと一緒に世界が見たいのです」
「で、でも、それは私の夢で……リオを付き合わせるわけには……」
なおも言葉を募らせるレニの頭を、リオは自分の胸の中に引き寄せた。その存在を離さないと言いたげに、腕に力を込める。
「私は、レニさまの夢に付き合うのではございません。あなたさまのお側にいつも、いつまでもいることが……それが私自身の夢なのです。私の夢を叶えられるのは、レニさま、あなただけです」
リオはレニに、そして他の何かに伝えるように言った。
「お供いたします、世界のどこまでも」
「リオ……」
レニは、リオの腕の中で呟いた。
「本当に? 本当にそれがリオの夢なの?」
「はい」
レニの問いに、リオは万感の思いを込めて頷いた。
「私の夢は、ずっとそれだけでした。あなたさまのお側にいつまでもいたい、レニさまとずっと一緒にいたい……それだけです」
リオは囁き、さらに力を込めて自分の顔をレニの赤い頭に押し当てた。
「私の願いを叶えていただけませんか?」
レニはしばらく呆然としたようにリオの腕の中でジッとしていた。
そうして、やがて僅かに涙で歪んだ声で呟いた。
「本当に? リオ。本当に、私とずっと一緒にいてくれるの? これから先、ずっと……?」
「はい」
リオは瞳を閉じて頷く。
「おります、ずっと。レニさまのお側に」
「リオ……」
レニは目元に浮かんだ涙を拭い、リオの服を掴む手に力を込めた。
何かを思い悩むように押し黙っていたが、やがて音を立てて唾を飲み込み、顔を上げた。
「リ、リオっ! そ、その! わ、私、リオに言いたいことが……聞いて欲しいことがあるんだ」
レニの幼さの残る顔が、うっすらと赤く染まる。
ハシバミ色の瞳には固い決意が浮かび、強い光をたたえてリオの顔を真っすぐに見つめている。
レニの言葉を彩る響きから何かを感じ取り、リオはゆっくりと腕の力を解いた。
頬を上気させて全身を強張らせているレニを見つめながら、リオは小さな声で促した。
「はい、承ります」
「あ、あのっ、あのねっ! わ、私……」
レニは緊張の余りどもりながら、必死に言葉を紡ぐ。
ひと言ひと言言葉を紡ぐたびに、顔がどんどん赤く熱くなっていく。
「そっ、そのっ! そのっ! リ、リオのことが……会った時から……っ!」
レニは大きく息を吸い込み、一気に言葉を吐き出そうとした。
その瞬間。
部屋の扉が音を立てて大きく開かれた。
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