第86話 力になります。
しばらく離れた場所で打ち合わせをした後、今度はリオが受付係の男の前に進み出た。
男は先ほどと同じ様に面倒臭げな表情で顔を上げたが、すぐにその瞳が驚愕で大きく見開かれる。
今までに見たことがないような美しい娘が、困惑しきった寄る辺のない表情で立ち尽くしている姿を、男は声も出せずに見つめた。
娘は惑うように視線をさ迷わせた後、伏せた目線を上げて男を見つめた。
僅かに涙がにじんでいるように見える青い瞳を向けられて、男は呆然としたまま、ゴクリと唾を飲み込む。
娘は淡い珊瑚色の唇を開きかけ……だが、すぐにまた瞳を伏せた。
男は思わず声をかける。
「あ……な、何か……何か、お困りですか?」
娘は男の声に反応して、視線を投げた。だが躊躇ったあと、すぐにまた顔を逸らす。
そのか細い肩は、微かに震えているように見えた。
「あの、ご気分でも……」
受付係の男は思わず立ち上がり、木の卓から身を乗り出し、俯いた娘の顔を覗きこむ。
娘はか細い声で囁いた。
「先日、親を亡くして、頼るかたのいない寄る辺のない身の上になったため、知人に会うためにここまで参りました。故郷を出て、長いこと旅をして、ようやくいま、ここにたどり着いたのです。女の足のことで大変でしたが、もうここにしか頼る縁がなく。やっと、やっと着いたと思いましたのに……」
リオは切なげに瞳を潤ませ、男を見つめて囁いた。
「あなたさまは、お勤めを果たされているだけのですもの。でも、すみません……やっとたどり着いた、と思った矢先に望みが断たれてしまい、力がぬけてしまって……」
今にもその場に座り込みそうに見えるリオに、受付係の男は木の卓ごしに慌てて手を差し伸べた。
リオはその手を取り、消え入りそうな声で「ありがとうございます」と囁いた。
それから潤んだ瞳で宙を見つめ、独り言のように呟く。
「これから、どうしたら……」
「とりあえずおかけ下さい。ひどくお疲れのようだ」
男は慌てて受付の奥から椅子を二つ持ってきて、リオを座らせた。
そうして横に座り、黒い髪が流れ落ちるのリオの横顔を覗き込んで熱心な口調で言った。
「良ければ詳しい話を聞かせて下さい」
「そんな……ご迷惑では?」
囁くようなリオの言葉に、男は首を振る。
「とんでもない。何でもおっしゃって下さい。何か力になれるかもしれない」
リオは男の顔を見上げた。青い瞳には半ば縋るような希望の光がまたたく。
腕に白い手を掛けられて、男は顔を赤くし息を飲み込んだ。
リオは男の顔を見つめながら言った。
「知人のかたに、私がここに来た、ということだけでも知らせたいのです。きっと覚えて下さっていると思うので」
男は顔を赤くしたまま、大きく頷いた。
「し、知らせるぶんには構いません。ただ……その……言いづらいのですが、その相手のかたが覚えていないという場合もあるので……」
「その場合はもちろん、仕方がありません。伝えて下さるだけで感謝いたします」
リオは吐息するように、かすれた声で呟いた。
その儚げな様子に男はしばらく声もなく見とれていたが、やがて我に返ったように慌てて尋ねた。
「すぐにお伝えいたします。お相手のかたの名前は?」
「マルセリス。マルセリス・リルム・ルグヴィアさまに、『レニが来た』とお伝えいただければ」
「マルセ……」
リオが名前を伝えた瞬間、男は絶句した。
マジマジとリオの姿を見つめたが、すぐに何か合点がいったかのような表情をし、いきなり立ち上がった。
「そうですか。マルセリス様にご縁があるお方でしたか。確かに……常ならぬ身分のかたとは思いましたが……。知らぬこととはいえ、大変なご無礼いたしました。すぐに伝えて参ります。あちらの別室でお待ち下さい」
男は先ほどまでとはまったく異なるしゃちこばった様子で、リオに奥にある扉を指し示す。
リオが礼を言うと、男はぎこちなく一礼し、大急ぎで建物の奥へと歩いて行った。
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