第87話 ご褒美をください

7.


 受付係の男の姿が見えなくなると、レニとコウマが物陰から出てきた。


「何、あれ。私の時と全然態度が違うじゃん」


 頬をふくらませて呟くレニに、コウマがニヤニヤと笑いながら答えた。


「仕方ねえよ。人は岩じゃねえからな。動かすにはコツがいる。ああいう真面目でマトモな奴には、鼻薬を嗅がせるよりも情に訴えたほうが効くんだよな。女子供が困り果てていたら、マトモな男ならちょいと力になってやろうと思うもんよ。相手が若くて美人だったら余計にな」

「私だって困っていたよ?」

「本当に困っているかどうかじゃねえよ。今にも身でも投げちまいそうなくらい、困って弱っているようにことが大事なんだよ」


 それにしても、とコウマは、感心したような眼差しをリオに向ける。


「お前、すげえな。役者か詐欺師にでもなったほうがいいんじゃねえか」

「レニさまのためならば、このくらい何ほどのこともございません」


 先ほどまで困惑した儚げな様子をしていたリオは、一転して落ち着きを払った静かな口調で答える。


「んじゃまあ、面会室とやらで待たせてもらうか」


 コウマは先に立って、受付係が示した面会室に向かって歩き出す。

 レニはリオに駆け寄り、その手を取った。


「リオ、ありがとう」


 言われてリオはしばらく黙っていたが、レニの手を握り返した。

 驚くレニの顔を、緑色の彩りを帯びた瞳で覗き込んで小さな声で囁く。


「レニさま、褒美を……いただきとうございます」

「えっ?」


 レニの顔が赤く染まる。

 自分に向けられるリオの瞳を見ていると、「褒美」が意味すること、リオがそれを求めていることが言葉で言われるよりもはっきりと伝わってくる。

 困惑したように顔を赤らめるレニを、リオは自分の腕の中に抱き寄せた。

 赤い髪の毛に手を添えて、赤くなったレニの耳に唇を僅かに触れさせながら囁く。


「あなたのしもべに、良くやったとお言葉を下さいませ」 


 何かを待つように自分を見つめるリオの唇に、レニは目をつむり、思いきったように素早く唇を重ねて、すぐに離れた。

 一瞬で離れたことに、リオはやや不服そうな表情を浮かべる。

 だが顔を真っ赤に染めて、それが精一杯という様子で俯いているレニを見ると、愛しげに微笑んで椅子から立ち上がった。

 廊下の奥で、コウマが焦れたように声を上げる。


「おいっ、お前ら、何しているんだよ、早く来いよ」

「参りましょう、レニさま」


 まるで宮廷にいるかのように、リオはレニの手を取ったまま恭しく面会室のほうへ導く。

 レニは赤くした顔を上げられないまま、リオの案内に従って歩き出した。



8.


 面会室は椅子と長椅子、木で出来た簡素な卓が置いてあるだけの殺風景な部屋だった。

 コウマは椅子の上で行儀悪く胡座をかき、レニとリオは寄り添うようにして長椅子に並んで座る。


「受付係の奴、お前の知り合いの名前を出したら、急に態度が変わんなかったか? やけに丁寧になりやがったよな?」

「う、うん」


 コウマの言葉に、レニは戸惑ったように頷く。

 コウマに何をどこまで説明すべきか。

 何を話して何を黙っているべきか。

 レニは、内心で密かに悩んでいた。

 迷うように落ち着つかなげに考え込んでいるレニの様子を、リオは気がかりそうに見つめる。


「コウマ、あのね……」


 レニが思いきって口を開いた瞬間。

 部屋の入り口のドアが、勢い良く開いた。


「レニ」


 部屋の入り口には、二十歳ほどのスラリとした細身の娘が呆然とした様子で立っていた。

 ごく簡素な短衣の上に学府の学生が好んで身につける濃紺の上着を羽織り、首には鮮やかな色合いの赤いスカーフを巻いている。

 茶褐色の長い髪を後ろでひとつに束ねており、取り立てて目立つわけではないが、品が良く聡明な顔立ちをしていた。

 信じられないという風に衝撃で大きく見開かれた瞳は、髪と同じ濃い茶色だった。

 戸口に立つ娘は、レニの顔を凝視したまま呟く。


「レニ。本当にレニなの?」


 レニの大きなハシバミ色の瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。

 

「マール……!」


 レニは大きな声で叫び、娘の胸の中に飛び込んだ。

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